When I Dream

~気侭な戯言日記~

河合その子:Dedication

2009-03-13 21:15:20 | MUSIC
中古CD屋で、80年代の邦楽系オムニバスを物色するようになって、そろそろ1年くらい経つかなぁ??オムニバスはそこそこの種類があったとしても、levie好みな選曲がされたモノには滅多にお目にかかれないのが実情(爆)なので、普通の・・・“BEST”・・・にも目を向けるようになってきて、何枚か買ったけど、昨年秋頃から、無性に聞きたくなって来て、どこかにないかな~と思って探し始めた・・・“河合その子”・・・だったんだけど、BESTにはなかなか遭遇できなくて~、神保町のあの店ならあるだろうと思って行ってみたらあった~!!でも、2500越えでは買う気にはなれない(爆)やっぱりおニャン子クラブの中でも人気が高くて、今でも手放そうとする人はいないって事かなぁ??・・・と、半ば諦めに近い感覚で、でもきっとそのうちに~と思っていた先日。なんの気なしに、月に数回物色しに行っている中古CD屋に行ってみたら・・・“あったぁ~!!”・・・値段は800円!!これだったら買いかしらぁ~(喜)

それがその画像の・・・“Dedication”・・・です。sonyの2枚組のBEST盤のシリーズで、確か、河合その子もあったと思うけど、levieが聞きたいのはシングルヒットだけだから10曲入りで十分(笑)7曲のシングルヒット曲と、聞いた事がないタイトルの・・・“愛の中にひとり”“小さな旅”“戸惑いのバイエル”・・・と言う3曲が入ってます。←カップリング With の曲???(謎)
一応、収録曲のオリコンシングルチャートの記録を書いておきますと~。

    涙の茉莉花LOVE     1位 19.0万枚 60/09/01発売
    落ち葉のクレッシェンド 2位 18.3万枚 60/11/21発売
    青いスタスィオン、   1位 34,1万枚 61/03/21発売
    再会のラビリンス、   1位 16,8万枚 61/07/02発売
    悲しい夜を止めて    1位 12.8万枚 61/10/22発売
    哀愁のカルナバル    3位  9.3万枚 62/02/26発売
    JESSY         3位  7.8万枚 62/06/17発売

近年のオリコンのチャートしか知らない人には、へぇ~1位獲って、けっこう売れてたんだ・・・って思うかもしれないけど、それはちょっと違います。その当時は、シングルが売れなくなって来ていた時代で、おニャン子クラブの台頭がそうさせた一因でもあると、levieは今でも思ってる。いわゆるアイドルの82年組の人気が陰って売上げが失速していった頃、おニャン子を蹴散らしていたのが、levieが好きな中森明菜嬢だったとも言えますが、その明菜嬢もゆっくりと売上げが下降線に入って来ていた時代だった。で、光GENJIと、ソロになっておニャン子から大化けした工藤静香の登場で、シングルの売上げが急激に伸びていったんだよね~。音楽業界的には、LPレコードからCDに完全にシフトチェンジした頃です。

で、河合その子の売上げですが、中高生のおニャン子ファンが一斉にシングルを予約して、発売日から数日で手に入れ、それがチャートに如実に反映された感じだと思う。バラ売りを始めたばかりの頃は、お小遣いで買えたんだろうけど、次々にソロでシングルを出すようになると、お小遣いでは買い切れなくなり、そして飽きるのも早かったんだろうと思う。

河合その子のデビューは昭和60年の9月で、3枚目の一番売れたのは・・・“青いスタスィオン”・・・だけど、←上記参照→少し遅れて61年1月1日にデビューした新田恵利の・・・“冬のオペラグラス”・・・は1位を獲って32万枚、うしろゆびさされ組の61年1月21日発売の・・・“バナナの涙”・・・は1位で31万枚、61年3月1日発売の吉沢秋絵の・・・“季節はずれの恋”・・・は1位で28万枚、近年は何かと露出が多い姉御肌の国生さゆりのデビュー曲・・・“バレンタイン・キッス”・・・は61年2月1日の発売で1位を獲って31.7万枚、モー娘のように、唯一演歌で61年6月11日にソロデビューした城之内早苗の・・・“あじさい橋”・・・は1位で15.5万枚、ペアで60年の10月にデビューしていたうしろゆびさされ組の高井真麻巳子は、一足先に61年6月25日に・・・“シンデレラたちへの伝言”・・・でソロデビューして1位で20.9万枚、遅れて、62年3月25日にソロでデビューしたゆうゆの・・・“天使のボディーガード”・・・は2位で13.1万枚だった。ね、だんだんセールスが落ちてるでしょ。
因に、工藤静香が属していた、うしろ髪ひかれ隊は62年5月7日のデビューで、1位で11.4万枚、ソロデビューは62年8月31日・・・“禁断のテレパシー”・・・で1位14.6万枚という記録です。

1位を獲ってるのに20万枚未満どころか、10万枚スレスレしか売れないなんて・・・、いかに売れなくなっていたか、なんだけど~、最近のオリコンしか知らない人には理解など出来ないだろうな。levieには今のオリコンのチャートは、おニャン子全盛の頃よりもさらに酷いモノになっているとしか思えないから。だって、1週間の売上げが1万枚程度で10位に入っちゃうなんて信じがたい事だなんだもん。80年代中期だったら、1万枚売っても・・・20位~25位よ。50位に入るには最低でも4500枚~5000枚くらい売らないと入れなかったんだから。←まっ、オリコンが発表していた推定売上げだけど(爆)←でも、当時に比べたら、チャートの操作が凄く簡単になってるとおもうなぁ←買い取りとかさ・・・

こうして挙げてみると~、おニャン子クラブは61年の初頭から夏にかけてがピークだったのが解るね~。その当時のオリコンのチャートはまさに・・・華厳の滝・・・で、初登場で1位になっても、次の週には大幅に順位を下げるようになってたんだよねぇ。おニャン子ファンが、その売れ方の基盤を作ったとも言えると思うし、売れなくなってきていたレコード業界を、それでもある意味では底上げしてもいた・・・と言えるかなぁ。
それにしても・・・河合その子・・・って、おニャン子クラブの中ではちょっと異質な存在じゃなかった??levieにはそう見えてたし、なんでおニャン子クラブからデビューしたんだろう??って、ず~っと思ってた。歌唱力があったわけじゃないけど、そこそこの声の持ち主だと思うし、お人形さんのような顔立ちだし、他のおニャン子メンバーよりも楽曲に恵まれていたのもちょっと不思議だったなぁ。←事務所とCBSsonyの意向かもしれない
結果的に、おニャン子で化けたのは工藤静香だけだったけど、河合その子にもその可能性は十分にあったと思う。カセットが聴けないものだから(爆)久々にCDで聞く事ができたんだけど~、やっぱりいい曲が揃ってるな~!!いい買い物をした気分ですわ(笑)

さらに因みに、62年2月4日に発売されて1位に輝いた中森明菜嬢の・・・“TANGO NOIR”・・・は34.8万枚、9月30日に発売された・・・“難破船”・・・は41.2万枚だったんだよねぇ。ね、一歩リードしてるでしょ(微笑)
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