●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

神さまにとって「人間失格」な人はいない!

2009年10月20日 | 家族
誰かが、イエスさまの愛を受け入れて喜んでいると、自分の事のように嬉しいですね。

また、誰かが苦しみの中で光を失っていると、希望がある事を伝えたいです。

なぜなら私も、神さまの愛を知らず希望を失って、虚しく生きていたから。
その気持ちはまるで「人間失格」の気分そのものでした。

太宰治の「人間失格」を高校生の頃に読み始めた事がありました。でも、途中で読むのが苦しくて、本を閉じました。
理由は、あまりにリアルにその情景が心に入って来て気分が悪くなったからです。
主人公の憂鬱な気持ちが、人事のようには思えず、その中の物憂い雰囲気や湿度まで伝わって来るようでした。

当時の私は、人生を真剣に考え、現実に希望を持てずに悩んでいましたから、「人間失格」を読んでしまったら、自分も死んでしまいそうな危うさを恐れていたのです。
「生きる意味」を知らないなら、私にとっては「生きる」事が苦悩でしかなかったのです。

太宰治が聖書に親しんでいながら、イエスさまに出会えなかった事が残念です。

幸いに、私は同じような罪深い憂鬱な虚無感の中に生きながら、イエスさまと出会えた事は、本当に感謝でした。これこれ奇跡でしょうね。
なぜなら、当時の私は神さまを認め信じるには、プライドが高過ぎましたから。神さまの前にも、人の前にもひれ伏すなど、無理でした。

でも、希望のない私には、真理なるイエスさまを信じるよりも、より良い道はありませんでした。
教会に行き、聖書のお話しを聞いて、直感的にもよくよく考えても、イエスさまが真理だと知ってしまったのです。

今、振り返ってみて私はあの日、今までの人生の中で一番賢い選択をしたと思っています。
(二番目が夫と結婚した事…。)