祈り会のメッセージカードの裏に「一人の聴衆」と言うタイトルの歌の訳が書いてありました。
人の拍手喝采のための人生ではなく「一人の聴衆」であるイエスさまから、最後の日「よくやった!」と聞きたいと言う内容です。
過去の私の動機は、間違いだらけだでした。
「自分が評価されること」
「リーダーに誉められること」
「自己満足」
それでも、一生懸命だったんです。
教会の行事や、賛美を歌う事、中高生クラスの教師。などなど…。
当時は、デタラメに動き周り、苛立っていました。
ただ、それらは何の意味もなく、他者と自分を傷つけただけでした。
今、私は憧れます。
イエスさまの愛ある微笑みの中で、任せられた人生を生きたいと。
いつも、イエスさまと私との関係だけに価値を見いだして、生きたいと。
自意識の固まりだった私が、このような気持ちになれたのは、
長い間、孤独と苦しみに合ったおかげかも知れません。
石のような心が、柔らかくされたとしたら…。
孤独な時、苦しい時、いつも共にいて下さったのは、イエスさまだけでしたから。
人の拍手喝采のための人生ではなく「一人の聴衆」であるイエスさまから、最後の日「よくやった!」と聞きたいと言う内容です。
過去の私の動機は、間違いだらけだでした。
「自分が評価されること」
「リーダーに誉められること」
「自己満足」
それでも、一生懸命だったんです。
教会の行事や、賛美を歌う事、中高生クラスの教師。などなど…。
当時は、デタラメに動き周り、苛立っていました。
ただ、それらは何の意味もなく、他者と自分を傷つけただけでした。
今、私は憧れます。
イエスさまの愛ある微笑みの中で、任せられた人生を生きたいと。
いつも、イエスさまと私との関係だけに価値を見いだして、生きたいと。
自意識の固まりだった私が、このような気持ちになれたのは、
長い間、孤独と苦しみに合ったおかげかも知れません。
石のような心が、柔らかくされたとしたら…。
孤独な時、苦しい時、いつも共にいて下さったのは、イエスさまだけでしたから。