●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

与えられた自由

2016年12月25日 | 思うこと



ある時、クリスチャン生活の長い人と話していたのですが、

「わたし、先週いろいろな事があって『♪主は良いお方』って歌えないんです。」

と言われました。

その時には、そんなに親しい方ではなかったので、

事情までは聞きませんでしたが、気持ちは分かるように思いました。

いつもいつも、喜ばしい事ばかりがある訳ではなく、

生きていれば、いろいろなトラブルや病、ストレスもあるでしょう。

ですから、本心でもないのに「主は良いお方〜」と歌わなくていいと思います。




そのままの事情を神さまに素直にお話して、

「イエスさま!あんな事やこんな事があって嫌なんですよ!」

「あの人に、酷い事言われました!酷いと思いません?」

「今、とっても辛いんです。なのに誰も分かってくれないんです!」

などなど…。

好きなようにお祈りして良いと思います。

あなたが、どんなに酷い事を言う人でも、神さまはびっくりされません。

ちょっとカッコ良いかも知れないけど、ウソっぽいお祈りの方が嫌いなんです。

神さまは真理だから、私の真理(本心)と出会って下さいます。

その本心が、例えカッコ悪くて、見栄えが悪くても…。

(もちろん、人前では普通にお祈りした方がいいです)




私は人生に追い込まれていて、本当の意味で神さまに信頼した時に、

そのような本心のお祈りをしました。

その時、ふと心が楽になった気がしました。

え?全然信仰的な「良いお祈り」じゃなかったのに良いの?

と、自分が一番びっくりしました。



イエスさまは、私の本心が聞きたかったんです。

そして、そこからの解決を導きたかったんですね。

いろいろ苦情を申し立てている間に、少しずつ傷ついた心が癒されていきました。

いつの間にか、嫌いだった人の事も気にならなくなっていました。

もちろん、一瞬にではなく時間はかかりました。

そして、段々とその事柄から切り離されて自由にされていました。



私は自由です!イエスさまが自由にして下さったからです。

社会一般で言われている自由は守るものですが、

私の自由は、イエスさまから与えられた自由です。



「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。」

(ガラテヤ人への手紙 5:1 口語訳 '55)