ある時、クリスチャン生活の長い人と話していたのですが、
「わたし、先週いろいろな事があって『♪主は良いお方』って歌えないんです。」
と言われました。
その時には、そんなに親しい方ではなかったので、
事情までは聞きませんでしたが、気持ちは分かるように思いました。
いつもいつも、喜ばしい事ばかりがある訳ではなく、
生きていれば、いろいろなトラブルや病、ストレスもあるでしょう。
ですから、本心でもないのに「主は良いお方〜」と歌わなくていいと思います。
そのままの事情を神さまに素直にお話して、
「イエスさま!あんな事やこんな事があって嫌なんですよ!」
「あの人に、酷い事言われました!酷いと思いません?」
「今、とっても辛いんです。なのに誰も分かってくれないんです!」
などなど…。
好きなようにお祈りして良いと思います。
あなたが、どんなに酷い事を言う人でも、神さまはびっくりされません。
ちょっとカッコ良いかも知れないけど、ウソっぽいお祈りの方が嫌いなんです。
神さまは真理だから、私の真理(本心)と出会って下さいます。
その本心が、例えカッコ悪くて、見栄えが悪くても…。
(もちろん、人前では普通にお祈りした方がいいです)
私は人生に追い込まれていて、本当の意味で神さまに信頼した時に、
そのような本心のお祈りをしました。
その時、ふと心が楽になった気がしました。
え?全然信仰的な「良いお祈り」じゃなかったのに良いの?
と、自分が一番びっくりしました。
イエスさまは、私の本心が聞きたかったんです。
そして、そこからの解決を導きたかったんですね。
いろいろ苦情を申し立てている間に、少しずつ傷ついた心が癒されていきました。
いつの間にか、嫌いだった人の事も気にならなくなっていました。
もちろん、一瞬にではなく時間はかかりました。
そして、段々とその事柄から切り離されて自由にされていました。
私は自由です!イエスさまが自由にして下さったからです。
社会一般で言われている自由は守るものですが、
私の自由は、イエスさまから与えられた自由です。
「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。」
(ガラテヤ人への手紙 5:1 口語訳 '55)