●○-風吹く街で-○●

簸川平野のど真ん中「風吹く街で...」
恵みに生かされてるクリスチャンぴーちの日記です。

身にあまる幸せ

2016年12月08日 | 日記
「身に余る光栄」-主を畏れること-

最近聞いたメッセージから、神さまを畏れると言う事は、「慎み深く生きる」と聞きました。そして、慎み深く生きると言うのは、今の状況を自分の努力の結果と思わず、身に余......




一年前の記事を読んで、ホントにそうだと思いました。

今でも、その気持ちは変わっていません。

私には、全く!絶対!1ミリも謙遜など無いと知らされた時から、

やっと私は、自分に平和を持つことが出来ました。

「ちょっと〇〇さん、謙遜になりなさい。」と何度叱られた事でしょう。

わかっています!わかっています!わかってても、どうしようもない。

でも、謙遜にならない私など生きていてはダメだ!



私の半生は、極端な悩みの人生でした。

後で分かったことは、不安神経症だから余計に極端だったのですが、

叱られる度に「こんな私なんて死んでしまえばいいのに」

と、ホントに思っていました。自虐的で自分を腹立たしく思いました。




でも、ある日…諦めたんです。もう無理!私は絶対に謙遜になどなれないと。

(その時には、人生全てに諦めてましたが)

すると、「謙遜とは、なるものではなくイエスさまから頂くものかも?」

と思いました。

私に代わって「義」となられた謙遜なお方は、私の「謙遜」となって下さるのかもと。

その時から、私は高ぶりと謙遜の戦いから自由になりました。

私が謙遜になったとか、全く高ぶらないとかではありません。

その土俵から下りたんです。

もし高ぶったなら、悔い改めますし、謙遜になる必要があるならイエスさまに頂きます。

もちろん、いつも謙遜である必要はありますけど。

だからいつも、どの瞬間もイエスさまが必要なんです。



なので、私は今までの人生で一番幸せです。

それはまさに身にあまる光栄なことで、ただただ感謝なんです。

毎日、恵みによって生かされ楽しく幸せなんです。

与えられた使命に生きる

2016年12月08日 | 思うこと


友達から借りたDVD「祈りのちから」を観ました。

日曜日には酷く疲れていたので何気なく、

「DVDなら観れるかもしれない」と思って。

普段、アメリカのドラマを観ているので映像のクオリティとか気にしながら(笑)

でも、どんどん引き込まれていき、見終わった時には、

「わたしも祈りたい!」と思っていました。




先日の土曜日に行った、松江市民クリスマスでは、とても感動して、

「(イエスさまにお会いする)最期の時に、価値ある生き方がしたい。」と思いました。

天国で価値ある生き方です。私に与えられた使命に生きることです。

それが何かは、少しずつ分かって来ていましたが、

この映画を観て、更に確信しました。




「そう私も、祈ります!」

と思って、家の階段を登ったところで、神さまが、

「祈りが聞かれたか?分からないような祈り方をしてはいけないよ」


と言われたような気がしました。

ですから、なるべく具体的にお祈りすることにして、

「祈りのノート」を作りました。

使ってみて今後、更に進化させていきますね。

私は熱しやすくて、冷めやすいので(多くの人もそうかもしれませんね)

継続可能な、祈りの生活をしてみたいと思います。

幸い、我が家にはその見本がいますので(笑)助かります。





このようにして、キリストの日に、

わたしは自分の走ったことがむだでなく、

労したこともむだではなかったと誇ることができる。

(ピリピ人への手紙 2:16 )