いつも思うことだが、控え選手というのはどういう気持ちなのだろう。
サッカーの男子レギュラー選手が
「このチームはチームワークも最高ですばらしいチームだ」
「この最高のチームで試合ができるのもあと少しだから頑張りたい」
とコメントしていた。
レギュラー選手にとっては、自分を含めて最高のメンバーで固定されていて、
予選で勝ち上がった最高のチームでメンバーと分かれるのは名残惜しい。
このメンバーだから決勝まで勝てるし、頑張りたいと。
キャプテンの選手は18人の総力戦なんで、と気を使った発言をしているが。
レギュラー選手は自分も含めた11人あまりこそ最高のメンバーだと聞こえる。
負けていないから、勝っているからと、出場選手を固定するのはどうだろう?
勝負の世界、控えの選手は悔しいだろう。
試合に出られなければ、パフォーマンスも見せられない。
俺は持っているのにと練習でアピールするしかないだろう。
試合形式でもない練習で良いものを簡単に見せられるものではない。
もともと監督の頭の中では固定してしまっているし。
W杯、ジーコジャパンの時、唯一、一度も出場の機会のなかった
遠藤選手のことをマスコミも、また本人自身も、あれがあったからこそ
このままでは終われないという強い意志が、
現在の日本代表のキーマンのような存在の遠藤選手を作り上げたという。
僕には遠藤選手の今の代表の結果があったからこそ、
後で言えた言葉としか思えない。
そこには、新監督に幸運にも見い出してもらえ、
その時しっかり結果を残せた技術があったからこそだと思っているが。
それに、遠藤選手が腐ることなく、
その後も選ばれたいと努力し続けた姿勢がチャンスをつかんだと思うが。
トルシエジャパンもジーコジャパンも岡田ジャパンも
監督になった初期はいろいろ選手を試し代えている。
敗戦でまるでメンバーをガラッと変えてしまったこともあった。
しかし、そこそこ勝ち進みだし、本体会に臨むころには
ケガをしたり、出場停止にならない限りほぼメンバーを固定してしまう。
勝ち続ければ、益々代えることを恐れるように頑固にメンバーを固定する。
監督は自分の戦略を理解しているからと言う。
オリンピックのように連戦が続くと
準決勝のようにパフォーマンスが落てくる。
選手の中にはケガを隠して出る人も入るだろう。
出場してこそ選手、わからなければ怪我をしているなど言わないだろう。
第一、選手自身は強い気持ちで、できると当たり前に思っているだろうし。
韓国の洪明甫(ホン・ミョンボ)監督は
試合で勝っていても、選手の動きが悪くなくても試合によって選手を代えている。
これは選手もいつ出してもらえるかとモチベーションを高く持てて、
控え選手という意識もなく、18人全員で戦っていると言う気持ちになるだろう。
代表選手選考で、誰かの控えという意識ではなく、
使う選手として18人選べないのだろうか。
それこそ18人でチームを作れないのだろうか。
予選でスピードと技術という特徴を生かせていた、なでしこの川澄選手が
準決勝のフランス戦ではフランスのスピードに特徴が生かせなかった。
このことは事前に解っていることだ。
おそらく、決勝のアメリカ戦では川澄選手は活躍するだろう。
その選手が悪くなければ、先発の選手を代えることはほぼないのだ。
話は変わるが
僕のブログのタイトルでもあるチェンジ。
常に変化をすることはたいせつである。変化せずに永く続くものはない。
生き物でも進化という変化をして生き続けているのだ。
国でも生き物でも商売でも時間とともに変化しなければ続くことはない。
日本ではあまりにも変化を、保守的に恐れて変えることを良しとしない。
変化をするにはエネルギーも情熱も知恵も努力もいる。
個人の発言も曖昧で、責任も取りたくないという日本では
たいして何事もなければより良いことであるとわかっていても
変えようとはしない。または先送りして自分では実行しようとしない。
負ければ、変えたから負けたのだと批判されるだろう。
それを恐ることはむしろ、試合をする前に消極的なチームとなっている。
第一、変えなかったらと言って、勝ったかどうか、結果は誰もわからないのだ。
それなら、自分たちのすることを信じて、
積極的にチェンジして、前に進む姿勢でモチベーションも高い、
進化していくチーム作りを常にするべきだ。
サッカーの男子レギュラー選手が
「このチームはチームワークも最高ですばらしいチームだ」
「この最高のチームで試合ができるのもあと少しだから頑張りたい」
とコメントしていた。
レギュラー選手にとっては、自分を含めて最高のメンバーで固定されていて、
予選で勝ち上がった最高のチームでメンバーと分かれるのは名残惜しい。
このメンバーだから決勝まで勝てるし、頑張りたいと。
キャプテンの選手は18人の総力戦なんで、と気を使った発言をしているが。
レギュラー選手は自分も含めた11人あまりこそ最高のメンバーだと聞こえる。
負けていないから、勝っているからと、出場選手を固定するのはどうだろう?
勝負の世界、控えの選手は悔しいだろう。
試合に出られなければ、パフォーマンスも見せられない。
俺は持っているのにと練習でアピールするしかないだろう。
試合形式でもない練習で良いものを簡単に見せられるものではない。
もともと監督の頭の中では固定してしまっているし。
W杯、ジーコジャパンの時、唯一、一度も出場の機会のなかった
遠藤選手のことをマスコミも、また本人自身も、あれがあったからこそ
このままでは終われないという強い意志が、
現在の日本代表のキーマンのような存在の遠藤選手を作り上げたという。
僕には遠藤選手の今の代表の結果があったからこそ、
後で言えた言葉としか思えない。
そこには、新監督に幸運にも見い出してもらえ、
その時しっかり結果を残せた技術があったからこそだと思っているが。
それに、遠藤選手が腐ることなく、
その後も選ばれたいと努力し続けた姿勢がチャンスをつかんだと思うが。
トルシエジャパンもジーコジャパンも岡田ジャパンも
監督になった初期はいろいろ選手を試し代えている。
敗戦でまるでメンバーをガラッと変えてしまったこともあった。
しかし、そこそこ勝ち進みだし、本体会に臨むころには
ケガをしたり、出場停止にならない限りほぼメンバーを固定してしまう。
勝ち続ければ、益々代えることを恐れるように頑固にメンバーを固定する。
監督は自分の戦略を理解しているからと言う。
オリンピックのように連戦が続くと
準決勝のようにパフォーマンスが落てくる。
選手の中にはケガを隠して出る人も入るだろう。
出場してこそ選手、わからなければ怪我をしているなど言わないだろう。
第一、選手自身は強い気持ちで、できると当たり前に思っているだろうし。
韓国の洪明甫(ホン・ミョンボ)監督は
試合で勝っていても、選手の動きが悪くなくても試合によって選手を代えている。
これは選手もいつ出してもらえるかとモチベーションを高く持てて、
控え選手という意識もなく、18人全員で戦っていると言う気持ちになるだろう。
代表選手選考で、誰かの控えという意識ではなく、
使う選手として18人選べないのだろうか。
それこそ18人でチームを作れないのだろうか。
予選でスピードと技術という特徴を生かせていた、なでしこの川澄選手が
準決勝のフランス戦ではフランスのスピードに特徴が生かせなかった。
このことは事前に解っていることだ。
おそらく、決勝のアメリカ戦では川澄選手は活躍するだろう。
その選手が悪くなければ、先発の選手を代えることはほぼないのだ。
話は変わるが
僕のブログのタイトルでもあるチェンジ。
常に変化をすることはたいせつである。変化せずに永く続くものはない。
生き物でも進化という変化をして生き続けているのだ。
国でも生き物でも商売でも時間とともに変化しなければ続くことはない。
日本ではあまりにも変化を、保守的に恐れて変えることを良しとしない。
変化をするにはエネルギーも情熱も知恵も努力もいる。
個人の発言も曖昧で、責任も取りたくないという日本では
たいして何事もなければより良いことであるとわかっていても
変えようとはしない。または先送りして自分では実行しようとしない。
負ければ、変えたから負けたのだと批判されるだろう。
それを恐ることはむしろ、試合をする前に消極的なチームとなっている。
第一、変えなかったらと言って、勝ったかどうか、結果は誰もわからないのだ。
それなら、自分たちのすることを信じて、
積極的にチェンジして、前に進む姿勢でモチベーションも高い、
進化していくチーム作りを常にするべきだ。