ウォーキングがてら池田まで歩いた。
Googleで最短コースを検索したので、前より20分早く、1時間30分ほど。
8kmぐらいか。
長屋門が記念館の入り口で、これは能勢の庄屋から移築されたと書かれているが、
旧邸との位地関係が小林一三が住んでいた当時のままかどうかわからない。
なんとなく、あまりいい風景ではないので位置が変わっているのかと。
いつもなら聞くのだが、係員が忙しそうなのでやめた。
長屋門の横でチケットを買い中に入ると
小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」がある。
玄関正面を見ると、一階と二階がアンバランスな感じだ。
和洋折衷?というより、
一階の重厚な石造りの上に瓦屋根の庇、
そして二階は和というより洋風の山荘風の建物がくっついている感じだ。
石造りの立派な玄関。中に入ると自画像が見える。
立派な応接間
奥が「邸宅レストラン」の入り口になっている。
二階には小林一三の家族、歴史が展示されている。
慶應義塾開校直後の3期生だったんだ。
いま、NHKの朝の連続ドラマ「あさがきた」の主人公、
実在のモデル、広岡浅子(三井浅子)の実家、
三井家の三井銀行に勤めていたようだ。
三井銀行をやめて大阪で起業する明治35年頃は
私が調べたところでは「あさ」が50歳過ぎ。
あっていたかもしれない。
その前のNHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」の主人公
村岡花子とは実際に「東京婦人会館」設立で関係があったようだ。
人のつながりが歴史への興味を更に高めてくれる。
三男が松岡家の養子となりその子孫にテニスの松岡修造が。
次女はサントリーの鳥居家に嫁いでいる。
古い家に行くと水回りを見たがる癖が。
風呂
ピンクのお風呂。ホウロウ?のハンドルデザインがかわいい。
この時代に洋式便器なんだ。
主婦室
セレブであっても和室は質素に見える。
材質の問題だろう。
入り口の横に
庭、和室への道がある。
人我亭
この庭の向こうに白梅館への入り口がある。
多方面で活躍した起業家、小林一三の軌跡がたくさんの資料と共に
紹介されている。
懐かしい写真や資料、熱心に2時間近く見てしまった。
外に出て少し下ると
逸翁美術館、池田文庫がある。
時間がないので逸翁美術館はまたの機会に。
池田文庫
茶室・古彩庵
旧池田師範附属小学校の玄関部分
Googleで最短コースを検索したので、前より20分早く、1時間30分ほど。
8kmぐらいか。
長屋門が記念館の入り口で、これは能勢の庄屋から移築されたと書かれているが、
旧邸との位地関係が小林一三が住んでいた当時のままかどうかわからない。
なんとなく、あまりいい風景ではないので位置が変わっているのかと。
いつもなら聞くのだが、係員が忙しそうなのでやめた。
長屋門の横でチケットを買い中に入ると
小林一三の旧邸である洋館「雅俗山荘」がある。
玄関正面を見ると、一階と二階がアンバランスな感じだ。
和洋折衷?というより、
一階の重厚な石造りの上に瓦屋根の庇、
そして二階は和というより洋風の山荘風の建物がくっついている感じだ。
石造りの立派な玄関。中に入ると自画像が見える。
立派な応接間
奥が「邸宅レストラン」の入り口になっている。
二階には小林一三の家族、歴史が展示されている。
慶應義塾開校直後の3期生だったんだ。
いま、NHKの朝の連続ドラマ「あさがきた」の主人公、
実在のモデル、広岡浅子(三井浅子)の実家、
三井家の三井銀行に勤めていたようだ。
三井銀行をやめて大阪で起業する明治35年頃は
私が調べたところでは「あさ」が50歳過ぎ。
あっていたかもしれない。
その前のNHKの朝の連続ドラマ「花子とアン」の主人公
村岡花子とは実際に「東京婦人会館」設立で関係があったようだ。
人のつながりが歴史への興味を更に高めてくれる。
三男が松岡家の養子となりその子孫にテニスの松岡修造が。
次女はサントリーの鳥居家に嫁いでいる。
古い家に行くと水回りを見たがる癖が。
風呂
ピンクのお風呂。ホウロウ?のハンドルデザインがかわいい。
この時代に洋式便器なんだ。
主婦室
セレブであっても和室は質素に見える。
材質の問題だろう。
入り口の横に
庭、和室への道がある。
人我亭
この庭の向こうに白梅館への入り口がある。
多方面で活躍した起業家、小林一三の軌跡がたくさんの資料と共に
紹介されている。
懐かしい写真や資料、熱心に2時間近く見てしまった。
外に出て少し下ると
逸翁美術館、池田文庫がある。
時間がないので逸翁美術館はまたの機会に。
池田文庫
茶室・古彩庵
旧池田師範附属小学校の玄関部分