新・ぴんぐーぶろぐ ~ぴんぐーの東京街なかラン日記~

皇居周り約半径5キロを走って見える景色
ネタ切れ時はジュニア登場

よこはまえきでん 

2011-04-30 11:26:41 | Weblog


メグとジュニアは実家に寄生虫、もとい帰省中。じいちゃんばあちゃん喜び、ジュニア家の中かけまわる、メグはそこらでごろんとしている、らしいです。

そんな中、私はこっちでよこはまえきでんに出走。会社からは6チーム出走、全体でも660チームあまりが参加。



写真は関係ないですが、駅伝の写真を撮ってなかったので。

1区10km、40分29秒・・・。不甲斐ない。仕事が忙しい?関係ないですな。最後の1kmだけはキロ3分40秒で意地で走ったけど
目の前を走るラムちゃんコスプレランナーがいなかったら、たぶんへばってた

ついでに5区3kmも代走、11分58秒・・・。なんとかキロ4分は切ったけど、あかん。



駅伝後の飲み会で、埼玉栄高陸上部出身、ハーフ1時間9分ランナーから練習メニューについて教示してもらいました。

僕の大好きなゆっくりラン(LSD)、これはこれで大事だけど、最後に100mダッシュを5本入れるとか、
キロ4分での5km走を週1回はポイントとして入れるとか、
できれば20km程度もキロ4分で走る練習をするとか、
腹筋は毎日やるとか、

こういう工夫というか努力が、目標達成のために必要なんだと、そんな話を聞きながら飲む酒は実に旨かった

花粉が・・・

2011-04-03 21:10:45 | Weblog


斑尾、妙高、黒姫、戸隠、飯綱を遠くに望みながら、春を待つ畑の中での2時間LSD。鼻水たらしながら・・・



走った後は、久々の子安温泉。鉄分たっぷりで黄土色。一番好きな温泉です。

簡単には言えないけれど、春は必ずやってくる!

ようやく走る気持ちがでてきました。

5月22日、東日本大震災復興支援チャリティー、軽井沢ハーフマラソンに全力で出走します。

残しておきたい言葉 (阿刀田 高 「新しい生き方を求めて」)

2011-04-03 21:00:00 | Weblog
日経新聞 3月27日朝刊 文化欄 阿刀田 高 「新しい生き方を求めて」

 言葉がむなしい。被災地には、ただ健気に生きてほしい、と祈るばかりである。
 今年二月の初めにC/イーストウッドが監督する映画『ヒアアフター』を見た。人間の死とは何か、それを問いかける作品だった。その冒頭にすさまじい津波のシーンがあり、おそらくこれは数年前にもういを振るったスマトラ沖地震を模したものだろう。実に巧みに作られていて、-きっとこうなんだろうな-と感じ入った。

 ところが、それから一ヶ月、私たちがもっと恐ろしい現実に見舞われようとは、月並みながら想像さえしなかった。これは映画ではない。この津波の襲来を実際に知見した人は限られているだろうが、ほとんどの日本人がテレビの画面で見て愕然として記憶に留めたにちがいない。鈍色の海水が帯を作って暗雲のように押し寄せ、盛り上がり、さらに盛り上がって砕けた。あるいは黒い泥水が敷物のように広がりさらに広がって街を襲って流し潰した。そのまがまがしい鳥瞰図はいつまでも忘れられない。

 後を追って原子力発電所の破損が起きる。見えない恐怖が募る。だれしもが身震いして深刻な警鐘を聞き続けた。原子力の平和利用はどこまで可能なのだろうか。

 実数はまだ計り知れないが、現時点で二万人をはるかに超える支社・不明者、直接の被害者や建造物の崩壊はどう数えればよいのだろうか。歴史上屈指の巨大災害、大自然の威力をまざまざと見せつける大惨事であった。危険はなお伏在し続けて油断はならない。

 あるいは、こんな惨事を想定して日ごろから組織されている救済のボランティアたち、これについても、-偉いなあ-と感嘆してしまう。私は車の運転もできない老齢者だ。多少の志があっても目下のところ、ましな援助はなにひとつできない。

 だが、あえて言えば、私と似たり寄ったりの立場や心境の人は全国にたくさんいるにちがいない。せめて今の志をいつまでも長く保ち続けること、それが人としての甲斐性だろう。

 死者に対してはひたすらの哀悼を捧げること、くやしいけれど、それよりほかになにもない。どう悼んでみても畢竟、生きとし生けるものの悲しさにたどりつくばかりだ。

 被害者に対しては、十全な対策が講じられること、これは当然のことだが、私たちひとりひとりの微力では間に合うまい。国家が、自治体が、大きな組織がどこまで本気になれるか、輿論を起こして執拗に訴え続け、支えていかなければなるまい。短い日時のあいだにどれだけ実効がみられるか、意欲も大切だが、大変な予算を必要とすることは疑いない。

 まったくの話、経済力のダメージははなはだしい。素人の私にもこれはよくわかる。復興に直接かかる費用だけでも莫大だが、それを支える日本の経済そのものが大丈夫とは断言しにくい。もともと下降気味であったところに、この災害だ。救助する母体の方が不十分であったら、そのぶんだけ救済はむずかしくなる。とりわけエネルギーの分野が深刻だ。電力のかなりの部分を占める原子力発電は今後、技術的にも輿論との関わりにおいても後退を余儀なくされるだろう。そういう状況の中ではエネルギーをめぐる外交もビジネスも確実にむずかしさを増すだろう。経済を支えるエネルギーへの不安は、この国の命運を変えるのではあるまいか。

 災害の悲劇の中で顕在化した人々の勇気や思いやり、真実眼をうるませる出来事がいくつもあったが、たがいに助け合う心は、だれにとっても肝要な倫理である。

 --日本人は捨てたものではない--

 だが、もうひとつ、合理の尊重も大切だ。救援活動であれ今後の対策であれ、冷静に、合理的に対処することを心がけねばなるまい。この点において必ずしも合格点に達しえないケースが、なきにしもあらず。風評被害はその最たるもの。ものごとは結局合理に従って進んでいく。妄信や甘い期待、根拠の薄い噂に惑わされてはなるまい。人間への愛と勇気、理性への信頼が、よりよい道を拓くことを確信したい。

 そして、その背後にあるものは、人はどう生きればよいか、という命題だ。あえて私見を述べれば、ここ数十年、私たちは物の豊かさを求め過ぎたのではあるまいか。GDPが第二位だとか、第三位に下がったとか、それは本当に重要なことだろうか。もちろん経済の豊かさは大切だが、それが生きることの第一義ではあるまい。貧しくとも心の豊かな生活はありうる。

 もともとこの国は貧しかったのだ。貧しいからこそ"読み書き算盤"を旨として知力を高め、世界第一の識字率を誇るようにもなった。文化の面でも俳句や短歌など筆一本紙一枚で心の豊かさを培う文学を広めて高めた。一ぱいの茶で人の心と心を交わせる茶道もある。私たちには簡素であることを尊ぶ伝統がある。

 これからの日本は容易ではあるまい。新しい生き方がないものか。このあたりに小説家の出番があるのかもしれない。


 

残しておきたい言葉 (石川遼)

2011-04-02 10:37:07 | Weblog

「被災地の方は長い戦いになる。(今季は)皆さんと一緒に戦う形でやっていきたい」


デイリースポーツ 3月30日(水)11時36分配信 より

今季の獲得賞金全額を東日本大震災の被災者支援に当てると発表した石川遼 米ジョージア州オーガスタ

 男子ゴルフの石川遼は29日(日本時間30日)、滞在中の米ジョージア州オーガスタで、今季の獲得賞金全額を、東日本大震災の被災者支援として寄付すると発表した。あわせて、今季ツアーの1バーディーに付き10万円を義援金に充てることを決めた。

 石川はプロ転向後、3年連続で賞金1億円以上を獲得しており、昨年は1億5146万余円を獲得。イーグルを含むバーディー数は350で、昨年並みの成績なら1億8646万余円の義援金になる計算だ。

 石川は「トータルで2億円を目指したい。被災地の方は長い戦いになる。(今季は)皆さんと一緒に戦う形でやっていきたい」と話した。ツアーの獲得賞金に連動する形を取るため、スタートは次戦のマスターズ(4月7日開幕、オーガスタ・ナショナルGC)からとなる。


残しておきたい記事 (コカ・コーラ社)

2011-04-02 10:35:00 | Weblog
コカ・コーラ社の総額25億円にのぼる支援の規模、決断の速さと支援プログラムの立ち上げスピードは、先行きが不透明な日本という国と日本国民を心底勇気づけてくれるものだと、私は感動しました。


以下、コカ・コーラ社のWEBより転写。

コカ・コーラ:災害支援に総額25億円(3,100万米ドル)の拠出を決定2011年3月24日

ザ コカ・コーラ カンパニーは本日、去る3月14日発表の総額6億円(730万米ドル)の緊急支援(現金および飲料)に加え、新たに「コカ・コーラ 復興支援基金」を設立し、このたびの東北地方太平洋沖地震によって甚大な被害を受けられた被災地の復興・復旧ならびに被災者の皆様の支援のために資金拠出することを決定いたしました。これにより、この震災に対するコカ・コーラの支援総額は25億円となります。

このたびの新たなコミットメントは、ザ コカ・コーラ カンパニー会長兼CEOのムーター・ケントが今回来日した2日間の間に東京で開催した、同社取締役会エグゼクティブ・コミッティーの特別会議において決議されました。このたびの来日には、ザ コカ・コーラ カンパニー取締役でエグゼクティブ・コミッティーメンバーのハーバート・A・アレンおよび、同社筆頭取締役のジェームズ・D・ロビンソン3世が同行いたしました。

今回の発表に際し、ケント会長兼CEOは次のように述べています。
「私たちは、日本の地域社会ならびに私たちの事業にとって本当に必要な現地での支援は何なのか正しく理解するために自ら東京に来ることを切望していました。

私たちは、今まで見聞きしてきたことに深く心を動かされるとともに、救援活動に携わっていらっしゃる方々の懸命な作業と不屈の精神に深い感銘を受けています。私たちコカ・コーラと日本の皆様との60年近い関係を鑑みますと、私たちにできる復興努力はすべて行っていく所存です。特に今後数週間から数ヶ月は、現在行われている緊急の救援活動から、被災地のインフラの復旧と復興が活動の焦点になると考えています。

復興のためのニーズの見極めはまだまだこれからですが、この『コカ・コーラ 復興支援基金』は、主に学校等、各地域において被災した子供たちのために必要とされる公共施設の復興のために役立てていきたいと考えております。そのため、各地の適切な関係機関と密接に連携していく予定です。この基金には、当社の世界のコカ・コーラシステム社員からの寄付金も受け付けます。社員からの寄付金と同額を当社からマッチングして、すでに拠出を確定している25億円に上乗せして活用します。」

ケント会長兼CEOは東京滞在中、ザ コカ・コーラ カンパニーの日本法人である日本コカ・コーラ株式会社の社員とも懇談し、日本の社員ならびに日本社会全般に対して引き続きしっかりとした支援を継続する姿勢を明らかにしました。

また、日本の全12ボトラー社の代表組織であるコカ・コーラ協会の末吉紀雄会長および他ボトラー関係者と会談し、被災地域の復旧活動に必要とされる支援について知見を得るとともに、事業継続計画を検討しました。この会談において会長兼CEOのケントは「ボトラー社の社員の皆さんは、緊急救援活動の支援や、被災地で渇望されている飲料の製造ならびに配送に、システムの最前線で取り組んでくれています。その支援の迅速な進展に深く感謝します。」と、ボトラー各社ならびにその社員の努力に深い謝意を表しました。

また末吉会長は「今回のような未曾有の災禍の中、ザ コカ・コーラ カンパニーによるこのような支援には深く感謝します。私は今回の震災が子供たちに与えた影響について特に心を痛めておりますが、この『コカ・コーラ 復興支援基金』が子供たちの教育関連施設等の復興を通じて次世代の育成に貢献してくれるであろう、と信じております。」と述べています。

「コカ・コーラ 復興支援基金」は、日本コカ・コーラと12ボトラー社がこれまで既に行っている物資提供と義捐金を通じた支援努力をさらに強化するものです。こうした実施済み支援内容には、主に政府や地方自治体などに対する700万本を超える飲料(水、茶、スポーツドリンクなど)の提供が含まれます。また災害対応自動販売機による製品の無償提供も実施しています。


残しておきたい言葉 (カズ、「サッカー人として」)

2011-04-02 10:26:48 | Weblog

日経新聞 3月25日金曜 「サッカー人として」より

 被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、本当におかけする言葉も見つからない。

 生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。見つめなおさずにはいられなかった日々の中、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」。試合がなくなり、実に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでいる。

 サッカーをやっている場合じゃないよなと思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。
医者に食料、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。でも、僕はサッカーが娯楽を越えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」だと。

 未曾有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々は余裕ある日々など送っていない。水も食べ物もなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みはとても癒されはしない。そうして人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削って必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らが勇気をもらっているのだから。

 サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との事前試合の意義があると思う。

 いえる立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。暗さではなく明るさを。29日、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。

アメリカのラン友の記事

2011-04-02 10:14:06 | Weblog
アメリカのラン友が、地元の新聞に日本の状況を伝えたいと働きかけて記事となりました。
ラン友が丁寧に訳してくれた私のコメントも載りました。最初の2週間の、What happend on me...です。

相変わらず、長いけどね

そして3週間が経った今週の東京はと言えば、夜の街はとても暗く地下鉄構内も薄暗いものの、余震がなくなったことで気持ち的には平常時モードに戻ってきた感じです。少なくとも私はそう感じます。


http://www.news-record.com/blog/64298/entry/114129



Above: Jin Shingu pushes his son across the finish line at a Resolution Run at Bur-Mil Park.

Jin, former Greensboro resident, on what has happened in Japan:

When the first earthquake hit, I wasn’t at my office in central Tokyo. I was at company’s Technical Center, which is about one hour by train from where I live.

At 14:45, when we were just to start a meeting, the building started to shake. The building is built on the special anti-seismic rubber. So, I knew that the building wouldn’t collapse. It was the biggest earthquake that I have ever experienced in my whole life, and I instantly knew that this was not good. I tried to find out what was going on watching TV on my cell phone, and I learned about the tsunami on the northeast coast of Japan. There were fires breaking out everywhere.

The phone communication died shortly. Communication by e-mail got very slow as well. After work, I started wondering how I could get home. All the trains in the greater Tokyo area were out of operation. I started walking, hoping that I could catch a cab somewhere, but no luck. The traffic was crazy. Sidewalks were packed with people who were trying to get home. So, I walked and walked. … It took me eight hours to get home. I learned afterward that the Shinjuku area (one of the busiest area of Tokyo) alone had more than 20,000 people who couldn’t go home and had to take shelter at places like city halls and schools.

During the first weekend after the earthquake, the only thing I could do was to watch news on TV. Of course, I couldn’t feel like running at all. A part of the reason was that we were still having frequent aftershocks, but mainly, I felt that running was not an appropriate thing to do, considering what’s going on. At that point, we didn’t know that over 20,000 people were dead or missing, but still, the act of running didn’t seem appropriate whether or not it was safe to do so in Tokyo. So, I was just watching the updates of the disaster. The more I learned about what’s happening, the sadder and helpless I felt.

On Monday, a new week started. Many of my colleagues couldn’t make it to work, as the train service was still crippled. We still had frequent aftershocks, so we had a helmet on our desk all the time so that we could wear it as soon as we heard an earthquake alert. Many people left the office around 4 or 5 p.m., because trains were still out of operation in many areas, so they would have to walk between stations to get to a place where trains running. Since I live close to work and didn’t have to worry about how I was going to go home, I stayed late alone in the office.

However, later in the week, we had another issue -- shortage of electric power. We had to start trying to limit the use of electricity. So, when I worked late alone, I turned off all the lights on my floor except for the one right above my desk. I looked outside, since almost everyone was going home early, and all the other buildings had their lights turned off. I felt like I was the only one there. It was mentally tough, but I had a ton of work that I had to take care of. I had to do it.

As days went by, the electricity shortage became more and more serious because of the problem with the nuclear power plant in Fukushima. Elevators became out of operation everywhere. Even lights at train stations were all dim. All the street lights were turned off. It was pitch dark, which we have never seen in Tokyo.

At home, we also try our best to conserve energy, setting a refrigerator at “low power,” wearing a jacket indoors so that we don’t have to heat up our apartment, and every little thing we can think of.

The electricity shortage put Tokyo in a very difficult situation, but everyone shares the same feeling – “It’s nothing compared to the difficulties that people in Miyagi or Fukushima are going through. We just have to do what we can to deal with the situation.”

For a while, foods and drinks disappeared from stores in Tokyo, as we were having logistic issues. The second weekend after the disaster. I was supposed to travel to the United States on business, but it was canceled. Even though the problem with the nuclear power plant worries me, I finally started feeling like running again. I had a short jog in the neighborhood.

As far as running is concerned, a lot of running events in Japan have been canceled, including ones that are far away from the affected area.

Of course, there are a lot of practical reasons. It’s difficult to organize races, ensuring the safety of runners. For many, it’s difficult or impossible to get to race sites because of the damaged transportation infrastructure. We still have frequent aftershocks. But the main reason is that Japanese people feel guilty about enjoying races, which involve using tons of drinks and food for aid stations, when many people are still suffering from the shortage of food or water. That’s the way I feel, at least. So, I think it’s a good thing that many race organizers decided to cancel this year’s event and decided to send all the drinks and foods that they had for the race to people in need. Of course, I hope that we will feel like enjoying races soon, but now, many people in Japan share the feeling that running events are not appropriate even outside of the affected area.

I spent my last weekend mostly watching the updates of the disaster. It was showing interviews with people who lost their loved ones and workers who are trying to deal with the problem at the nuclear power plant risking their lives. I couldn’t stop tears from my eyes.

By the way, we just had an aftershock. I’m kind of getting used it, which is not good … My 2-year-old son, who just started talking a little, learned a new word recently, “Jishin (earthquake in Japanese).” He gets scared and runs to his mom when he hears the word.

Anyway, I’m OK. The life in Tokyo seems to be returning to normal slowly but surely. I am thinking about running tomorrow morning, but it all depends on the weather.

Permalink Tags: Runners, Beerun Posted by Eddie Wooten on Wednesday, March 23, 2011 at 11:12 am