田中将大が投げる時点で楽天が負けるはずがないと思ってました。
この豪腕は一体どこまで記録を伸ばすのでしょうか。
実はぼく、子供の頃は熱狂的な野球少年だったんです。
意外でしょ?
普段は野球の話なんてほとんどしませんものね。
もう今は野球熱はすっかり冷めてます。
ボクシング以外のスポーツは全然。
小学校4年くらいだったと思います。
何のキッカケか忘れたけど初めて見たプロ野球に感化されて。
最初は中日ドラゴンズが好きでした。
何でかと言うと初めて買ってもらった野球帽がたまたまドラゴンズだったからです。
で、深い意味もなく、帽子の横に「5」という刺繍の番号を入れたんですね。
そして後からわかったのですが、「5」は大島康徳選手の背番号だったようで。
それから大島選手を応援するようになりました。
あまりに単純過ぎますよね?
子供なんてそんなものなのか、それともぼくがおかしかったのか。
小学校ではクラスで作った草野球チームで遊んでました、打順は1番だったかな?
よく覚えてませんがクリーンナップは身体の大きい同級生にとられてしまった。
守備は内野ならファースト以外全部、そしてキャッチャーもできました。
キャッチャーは皆やりたがらないし。
それに打者が空振りした球を捕れる奴がほとんど居なかったんですよ。
だけどぼくは捕れたんです☆
自慢みたいでちょっと気が引けるんだけど・・・
自分で言うのも何ですが捕球技術は異常なほど(たぶん)長けていました。
どうしてか?と言うと・・・
・・・・
あっ?
起きてます?
大丈夫?
続けていいですか?
4年生~6年生くらいの時期だったと思います、要は野球に目覚めたころ。
ぼくは授業が終わったら即帰宅→グローブとバットと軟球を持って、
家の近くにある広場の壁に向かって「1人野球」をしていたんです。
壁に向かってボールを投げるじゃないですか。
この時は例えばある時は星野仙一になりきってるんです、投げ方まで真似して、剛速球を。
で、壁に当たったボールが跳ね返ってくるでしょ?
急いでバットを握って、例えば、高田繁になりきって打ち返すんですよ。
レフト線の外側に凄い打球スピードで打ち返す高田ファールを真似をしたり。
ある時は壁の目一杯高い位置に投げつけるんです(そこは3階建ての建物でした)
そして跳ね返ってくる球に向かって全力疾走しながら飛びついてキャッチするんです。
気分はサードの島谷金二になりきって。
ずいぶん後で聞いた話ですが近所では有名だったらしいです、
毎日毎日同じ時間に同じ事をしている子が居る、って。
でもそんな事ばかりしていたら前から飛んでくる身長よりちょっと高いくらいまでの打球は、
ほとんど全部キャッチできるようになっちゃったんです。
反復練習による驚異的な運動効果はこの少年時代に身をもって知りました。
ただし打撃の方は1人野球では壁から跳ね返ってくる球速がさほどではなく、
たいした練習にならず上達しなかった(笑)
・・・
あっ、まだ読んでます?
まだ良いですか?
もう少し続けても。
小学校高学年になると地元に横浜スタジアムが完成しました。
金持ちの同級生がスタジアム(ぼくらはそう呼んでいた)の専用のシーズン席を持ってたんですね。
その彼が年に1~2回、招待券をくれるんです、それが嬉しくて嬉しくて。
スタジアムには何度行ってもホントに胸が高鳴りました。
だから今でも帰郷するとわざわざ横浜スタジアムの脇を通ったりするんです。
通るたびに生のプロ野球を見たあの時の興奮を思い出したりして(遠くを見る目)
ちなみに先日、病院ジムでドラゴンズファンの男性のお客さん(同世代)と、
当時のドラゴンズの話しで大盛り上がりしました。
その時、その方はベンチプレスをしていてぼくが補助をしていたのだけど、
野球話が止まらなくなって終わるのに30分以上かかっちゃいました。
松本幸行、鈴木孝政、マーチン、木俣、藤波、谷沢、田尾はまだ入ったばかりでしたね~、とか。。。
ん?
あれ?
皆さん寝ちゃいました?
この記事、最後まで読んだ人って居ます?
居ません?
寝た?
やっぱり?
じゃ、この辺でやめておきます。
まだ全然書き足りないけれど・・・
(笑)
押忍