今日の学童は「町田ワールド」。「音楽あそび」のメニューは盛りだくさん。これだけあると、色々な子どもたちがいる中で、必ず参加できるメニューがあります。
今日は相談が午後8時半に終わりもう遅いし、明日は一日中、勉強会ですし、月曜日(ぽぽろは休みですが)も一日中、大阪府の相談支援事業従事者への現任者研修です。
ですので、今日もドラマがいっぱいありましたがほんの一例だけにし、プログラムをご紹介しておきます。
今日の午後は私がますます尊敬度を高めることになった「高井博之氏を偲ぶ会」に参列し、午後4時半に帰ってきました。ですので、午後はいろいろあったようですが様子が分かりません。そうだ、そのときまだ残って「つどい」の準備をしていたヤンボラさんと担当のスタッフさん等々ご苦労様でした。
今後の東大阪でのぽぽろの展開については高井さんに相談したことがあります。他界されたことは立場を超えて弔辞を述べられた府・市の行政を含む各界の方々がこもごもおっしゃっていたように大阪は勿論のこと、東大阪にとっても大きいな痛手ででしょう。私たちにとっても大きな痛手でした。高井さんと最後にことばを交わしたのが、ぽぽろに私が赴任して最初に受け止め、以来ずっと関わってきたKくんの支援をお願いした件でした。亡くなる数日前でした。とても疲れた声だったのを覚えています。でも、高井さん亡き後を受け継いだ支援センターひびきの方がとてもしっかり対応していただき、一緒に行ったお父さんも感心されていました。葬儀には600人の方が参列されたそうです。私はせめて今日の「偲ぶ会」にはとスタッフに早くから頼んで行かせていただきました。
本当にありがとう、高井さん。及びもしないけど、ボチボチ頑張ります。
というわけで、今日は12時ギリギリまでいて、後ろ髪(今では弾かれる髪の毛も少なくなりましたが)を引かれる思いでぽぽろを後にしたほど、気になっていた今日初めてのお弁当持ちで3時まで利用したYくんのことだけを書いておきます。
朝、お母さんから「最近、パニックになると耳をバンバン叩くので、昼で帰る子達のお迎えのときに怒ってするかもしれません。言って聞かしてあるし、写真カードでも順番を示していますので、そのときには対応を宜しく。」という風にいわれました。
でも、私はギリギリでも12時まで。それが後ろ髪を引かれる思いにした出来事の一つでした。したがって、12時までのことしか知りませんが、お迎えのお父さんがとても喜んでいただき彼の作品(大作?)を写して帰られたということですので、良かったかなって思っています。
彼はお絵描きが好き?なのか、グルグル丸をいっぱい描きますが、結局すべて上から何回も描いて真っ黒に塗りつぶしてしまいます。今日はほれ、この通り何枚も何枚も継ぎ足していくらでものびのびと描いてもらいました。これだけ書いて「至福のひととき」を過ごすと、集団遊びに誘いをかけても時々フラッと入ってこれるのです。きっと聴覚過敏もあるので泣き声や叫び声、酎セ鼓など大変と思うのですが、いつもより表情がとても穏やかでした。12時で帰る子らがおやつを食べだして、そこでフラッとそのテーブルに誘われて向かったのですが、ちゃんとUターンしたし、カードで一度確かめただけで納得できたようです。大体、私が途中でカードで今日の順番を再度確かめようとしたときも、すぐに手で制して「分かっているよ!」と知らせてくれたくらいだから、心配するほどのことはなかったようです。3時お迎えのときに、5分前に「限界!」だったようです。それまではパニックもなく初めてぽぽろで午後まで過ごすことができました。
そういえばSくんも今日は初めてのお弁当持ちで、お母さんの付き添い無し。でも、とても楽しく過ごしていました。案ずるよりは産むが易しか…。
ではプログラムを。
①始まりの歌「うたってドンドン」②「あいさつってすてきだな」③オーガンジーバルーン④季節の歌「まめまき」(歌の前に鬼が登場し、新聞紙を丸めて作った玉を鬼に当てる)⑤酎セ鼓⑥ぬり壁のダンス⑦ダンス「ともだちマンボ」⑧ゴムのわのびろ」⑨くすぐりあそび「とうふハンバーグ」⑩「うたってドンドン」 以上です。今日はカットも短縮もなくぜんぶできましたね。後日、写真でお知らせしましょうね。
楽しかったねぇ。でも、以前にお伝えしたように町田先生は事情があって3月で終わりです。そこで、3月末に「お別れ町田ワールド・スペシャル」を企画しました。3月28日(土)で~す!!乞うご期待!
今日は相談が午後8時半に終わりもう遅いし、明日は一日中、勉強会ですし、月曜日(ぽぽろは休みですが)も一日中、大阪府の相談支援事業従事者への現任者研修です。
ですので、今日もドラマがいっぱいありましたがほんの一例だけにし、プログラムをご紹介しておきます。
今日の午後は私がますます尊敬度を高めることになった「高井博之氏を偲ぶ会」に参列し、午後4時半に帰ってきました。ですので、午後はいろいろあったようですが様子が分かりません。そうだ、そのときまだ残って「つどい」の準備をしていたヤンボラさんと担当のスタッフさん等々ご苦労様でした。
今後の東大阪でのぽぽろの展開については高井さんに相談したことがあります。他界されたことは立場を超えて弔辞を述べられた府・市の行政を含む各界の方々がこもごもおっしゃっていたように大阪は勿論のこと、東大阪にとっても大きいな痛手ででしょう。私たちにとっても大きな痛手でした。高井さんと最後にことばを交わしたのが、ぽぽろに私が赴任して最初に受け止め、以来ずっと関わってきたKくんの支援をお願いした件でした。亡くなる数日前でした。とても疲れた声だったのを覚えています。でも、高井さん亡き後を受け継いだ支援センターひびきの方がとてもしっかり対応していただき、一緒に行ったお父さんも感心されていました。葬儀には600人の方が参列されたそうです。私はせめて今日の「偲ぶ会」にはとスタッフに早くから頼んで行かせていただきました。
本当にありがとう、高井さん。及びもしないけど、ボチボチ頑張ります。
というわけで、今日は12時ギリギリまでいて、後ろ髪(今では弾かれる髪の毛も少なくなりましたが)を引かれる思いでぽぽろを後にしたほど、気になっていた今日初めてのお弁当持ちで3時まで利用したYくんのことだけを書いておきます。
朝、お母さんから「最近、パニックになると耳をバンバン叩くので、昼で帰る子達のお迎えのときに怒ってするかもしれません。言って聞かしてあるし、写真カードでも順番を示していますので、そのときには対応を宜しく。」という風にいわれました。
でも、私はギリギリでも12時まで。それが後ろ髪を引かれる思いにした出来事の一つでした。したがって、12時までのことしか知りませんが、お迎えのお父さんがとても喜んでいただき彼の作品(大作?)を写して帰られたということですので、良かったかなって思っています。
彼はお絵描きが好き?なのか、グルグル丸をいっぱい描きますが、結局すべて上から何回も描いて真っ黒に塗りつぶしてしまいます。今日はほれ、この通り何枚も何枚も継ぎ足していくらでものびのびと描いてもらいました。これだけ書いて「至福のひととき」を過ごすと、集団遊びに誘いをかけても時々フラッと入ってこれるのです。きっと聴覚過敏もあるので泣き声や叫び声、酎セ鼓など大変と思うのですが、いつもより表情がとても穏やかでした。12時で帰る子らがおやつを食べだして、そこでフラッとそのテーブルに誘われて向かったのですが、ちゃんとUターンしたし、カードで一度確かめただけで納得できたようです。大体、私が途中でカードで今日の順番を再度確かめようとしたときも、すぐに手で制して「分かっているよ!」と知らせてくれたくらいだから、心配するほどのことはなかったようです。3時お迎えのときに、5分前に「限界!」だったようです。それまではパニックもなく初めてぽぽろで午後まで過ごすことができました。
そういえばSくんも今日は初めてのお弁当持ちで、お母さんの付き添い無し。でも、とても楽しく過ごしていました。案ずるよりは産むが易しか…。
ではプログラムを。
①始まりの歌「うたってドンドン」②「あいさつってすてきだな」③オーガンジーバルーン④季節の歌「まめまき」(歌の前に鬼が登場し、新聞紙を丸めて作った玉を鬼に当てる)⑤酎セ鼓⑥ぬり壁のダンス⑦ダンス「ともだちマンボ」⑧ゴムのわのびろ」⑨くすぐりあそび「とうふハンバーグ」⑩「うたってドンドン」 以上です。今日はカットも短縮もなくぜんぶできましたね。後日、写真でお知らせしましょうね。
楽しかったねぇ。でも、以前にお伝えしたように町田先生は事情があって3月で終わりです。そこで、3月末に「お別れ町田ワールド・スペシャル」を企画しました。3月28日(土)で~す!!乞うご期待!