巻頭写真 : 『Ile Du Guesclin デュ・ゲクラン島』
荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界をを訪れよう
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カンカルを発って海岸に沿って走る
夏場は野生の草花が群生して咲き誇っている
ブルターニュ北側のここらあたりは
『Côte emeraude エメラルド海岸』と呼ばれる
地中海の『Côte d'Azur 紺碧海岸』と比較して
海面が緑色に見えるところからそういう名前がついたようだ
ハイカーたちが歩いているところは断崖の先端
そして北側のブルターニュ独特の複雑に切れ込んだ海岸線で
陸地は真っ平ら
この黄色い花は不明だが
時期と場所によっては「エリカ」も自生しているのです
やがて小さな岬がある
『Pointe de Grouin グルーアン岬』
一番先まで行ってみると
遠目にはわからないが地形は非常に複雑
そして
お約束の党に岬に先端の先には岩礁があり
灯台が立っている
この細長い岬の右隣
すぐ手の届きそうな位置に細長い岩だらけの島がある
それもかつては別の岬だったに違いない
何千年かの波の侵食で陸から切り離されてしまったに違いない
先端にあるいくつもの岩礁も同じだ
さらに西に進む
海岸線が入り組んでいるので曲がりくねって進む時に
時間によって
こんな光景に出っくわす
小さな湾が
引き潮で陸地になってしまっているのです
往々にして
数多くのボートがゴロンと転がっている光景もごく普通のこと
そして
巻頭写真のこの島が見えてくる
『Ile Du Guesclin デュ・ゲクラン島』
百年戦争の際
繰り返し行われたイングランド軍の総攻撃からモンサンミッシェルをを護り抜いた
フランス王家が圧倒的に不利で会った百年戦争前半の
フランス王国のヒーロー『ベルトラン・デュゲクラン』の先祖が所有し
城塞を建てていた
この小さな島も
干潮時には一部で陸と繋がってしまうのです
そうこうしているうちに
大型量販店の看板などが身につきはじめて町に近づいていくのを感じてくる
ブルターニュの歴史的港町サン・マローです
まず隣接する手前の町
『Paramé パラメ』
ここは
今日の目的地『サン・マロー』の「字(あざ)区画」です
サン・マローの城の城壁の角からみた
「パラメ」の海岸線
右中央部の黒い影あたりから向こうがパラメ
こちら側がサン・マロー
実はパラメは海岸に道路がない
道路に沿って小さなホテルや民家や集合住宅が並んでいて
その奥が海岸に面しているのです
家並みの途切れるところから海岸が見えるのです
こんなだったり
こんなだったり
夕刻で波が荒れ始めていたり
でも通りを走っていると
狭い隙間の奥を覗く余裕なだないのでほとんど気がつかない
海の方から見ると
山見が並ぶあたりは
激しい波に対抗する石垣の海岸線
「サン・マロー」は歴史的にも有名で城壁に囲まれた存在感が
多くの観光客を惹きつけるが
海岸はあまりない
重錘に海岸で遊ぶのは
長い海岸線を持つこの「パラメ」ということになる
従って
カジノ(左) グラン・ホテル(右)
カジノと大きなホテルはここ「パラメ」の海岸にある
サンマロー市役所パラメ支庁舎
役場は典型的なブルターニュの建築で非常に美しい
では
いよいよ『Saint-Malo サン・マロー』を訪れるとしよう
一言で言えば一周完全に城壁で囲まれた城郭都市である旧市街と
外側に広がった新しい街並みに
町の規模にしては大規模な港湾施設
ということになる
右下のグレイの部分がかつての城で
現在は市庁舎と歴史博物館が使っている
城壁越しに城の天守が見える
正面の巨大な丸い塔は城の城壁の防御の塔の一つ
その横を曲がると町に入る城門の一つがある
『Porte St-Vincent サン・ヴァンサンの門』
城の大手門
城門をくぐって旧市街に入ったらさらに城の門がある
つまり城壁に囲まれた城を起点に
そこから町を城壁が囲んでいるという中世のままの構造
この門を入り
すぐ右に曲がると目の前の広場
右は上の市庁舎の門になっている城の大手門で
正面突き当たりの左に二軒目の建物は
18世紀後半
宮廷人で政治家で文学者だった
『François=René de la Châtraubriand フランソワ=ルネ・ド・ラ・シャトーブリアン』
の生家
現在はホテルになっている
牛フィレをベーコンで巻いて焼くステーキの名前の由来と言われるが
それは俗説にすぎない
旧市街は
狭い城壁の中とはいえ"都市"なので五階建てくらいの
高い建物が
狭い通りの両側に並ぶ
城門をくぐってすぐは
おみやげ屋さんやレストランのいわゆる観光的な通りだが
すぐ普通の各種の商店が並ぶ普通の綺麗な町並みと変わり
常にカモメの鳴き声が聞こえる
上に掲載した地図の下側は
イヴェントの際は巨大な帆船が何隻も入れる港の船泊まり
平素は
夏はヨットやプレジャーボート
冬は貨物船が係留している
そこに面した城壁の上に
城壁内に立ち並ぶ建物の屋根の上に
ひときわ高く大聖堂の尖塔が遠くからでも見える
その真ん中にあるのが『グランド・ポルト 大門』
大門
入ってまっすぐ行くと
程なく
『Cathédrale Saint-Vincent 聖ヴァンサン大聖堂』
これは斜め側面
正面など道幅が狭くたかさは高すぎて
全く写せません
ギリギリでこんな感じです
この「サン・マロー」は
フランスの航海史上非常に重要な役割を果たした
16世紀初頭
この町出身の海軍提督『ジャック・カルティエ』が
この港からフランソワ1世王室海軍を率いて大西洋横断に成功し
北米大陸カナダを発見した
城壁のテラスから東の海域を睨んで立つ「ジャック・カルティエ」の銅像
1534年第1回航海の航路
1535〜36年の第二回航海航路
フランスが植民地にしたカナダがその後英国に大半を奪われ
それでも『ケベック州』だけはフランス語圏として残る
『サン・マロー/ケベック協会』
という組織があって
1984年にケベック誕生450年祭が大々的の行われ
多くの双胴ヨットが参加した大西洋横断レースなどが行われた
18世紀末
サンマローを拠点とした私掠船が大西洋全域で大活躍をして
この港町の名声を一気に高めた
『Capitaine Robert Surcouf ロベール・シュークゥ船長』
軽量高速の戦闘艦を私有し
平素は要人を警護つきで海外輸送を請け負ったり
商品を運んだりして生計を立てており
国王の要請に従って「フランス王室海軍」を形成して外国と戦っう
洋上で敵国艦船と遭遇すると
襲って積荷を奪うことを国王から許された「特許状」を行使して財を成す
海賊と訳されることも多いが
覇権争いの時代の海上交通と海軍戦略と対的国経済破壊作戦を担っていたのです
英国にもスペインにもオランダにもいた
1800年
大西洋上で大型砲でハリネズミのように武装して400名の戦闘員が乗り組む
1800トンの英国大型輸送船を
一瞬で制圧してその名を不動のものとした「シュークー船長」の勝利の絵
ジャポンの形容詞で人種や言葉を表す名詞はジャポネというように
サンマローはマルゥーアン(女性形マルゥイーン)といい
スペイン語で読むと「マルヴィナス」
彼らが発見してフランスの植民地となり
その後スペインに奪われ
さらにイギリスが不法に奪ったのが
スペインの植民地から独立して領有権を主張するアルゼンチンと
英国との戦争にまで発展した『マルヴィナス諸島』
この高速戦闘艦を「Corsaire コルセア」と言います
プロペラ機時代の旅客機にコルセア機というのがあった
『コルセア戦闘艦船長の子孫の会』というのがあり
9世紀のコルセアの実艦を修復して観光客の航海を実施してもいます
2時間コースから1日コースまであれこれあります
乗組員は18世紀の服装です
そして
サンマローで欠かせないのが城壁の散歩
Grande Porte (大門)の内側の階段
城壁内にはいると各所に階段があって上に登れます
ほぼ一周でき
各方向で眺めが異なるのが興味深い
激しい荒波を防ぐために
コンクリートの消波ブロックではなく生木をを打ち込むのがこのあたりの伝統
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