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ブルターニュ紀行 3 <サンマロー から ディナール さらに ディナン まで> ランス川に沿って 訪れる

2021-02-12 00:52:13 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 『Dinan ディナン』の街角

荒海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
ランスにあってフランスではない異世界をを訪れよう



「サン・マロー」を離れる
西へ
サンマローの西側の湾は「ランス川」の河口
その反対側へ回ることにする
サンマローを海越しに見ることができるポイントが各所にある








やはり
サンマローは海から見るのが一番美しい

「ランス川」を渡るときに
非常に珍しいものに出会うことになります

『Barrage de la Rance ランス川堰』

この橋には二つの役割がある
一番目は船の通行用の堰
干満の潮位差の激しいブルターニュなので
この橋でランス川の水位を保ちながら
船の通行の際に「閘門」の役を果たして船体を上下して通行させる
2番目の役割は「潮力発電所」
干満の差が最大13,5mという激しさということは潮の流れる速度も速い
その両方を利用して最大出力24万kw
年間500Gwの発電量を維持している



向こう岸に渡ると
『Dinard ディナール』という町


町の中心部には高級な大きなホテルもカジノもあり
かつ
美しい小さなビーチがたくさんあって
人気の高い理リゾートとなっている

『Plage du Port-Rou /  Plage de Saint-Enogat』

半分引き潮になりかかって
「ポー・リゥ・ビーチ」と「サン・テノガ・ビーチ」とが
一つに繋がりかかっている

『Plage de l'Ecluse』

もう一つ別のビーチ『エクリューズ・ビーチ』の引き潮
向こう側の岬に
立派な館のような戸建てが並んでいるのがお分かりだろうか
ここ「ディナール」は
サン・マローも遠望でき19世紀にナポレオン3世時代に人気が高まった

元来フランスの王侯貴族は
宮殿内の舞踏会や各種も容姿ものと
宮廷男女の秘め事が娯楽であったのに対して
英国は元来「領地」で狩猟や馬の飼育など戸外の活動が好まれ
「カントリー・ジェントルマン(上流階級)」
と呼ばれていた
彼らはブリテン島の悪天候を嫌って地中海岸の漁村を
自分たち専用の避暑避寒用の別荘地に開発したりしているうちに
フランスの上流階級にもそれが影響して
リゾートで休暇をす過ごす発想が生まれて行ったのです


というわけで宮廷の主人が休暇に来るようになると
その他ヨーロッパ中から王侯貴族が入れ替わり立ち替わり訪れ
産業革命で財をなした裕福な市民たちのも別荘を構えるようになっていった

『Villa Eugénie ゥージェニーのヴィラ』

ナポレオン3世の后ゥージェニー皇后のための別荘

『Villa Reine Hortance オルタンス王妃のヴィラ』

皇帝ナポレオンの妻ジョゼフィーヌ・ド・ボーアルネの前夫との娘
でナポレオンの末弟オーラント国王「ルイ・ナポレオン」の妃
ナポレオン3世の母『オルタンス』
の別荘
ここはホテルになっていてまるで貴族のお屋敷の民宿みたいな雰囲気
大好きなのですが
血待ったのはずいぶん昔で写真も見つからないので今回なご紹介はしません

その他にも






などなど目の保養になる光景が続きます


これらのヴィラは
19世紀後半に一部のお金持ちの間に起こった懐古趣味の
『Neo-Gothique 新ゴシック様式』
の例で
この最後の写真のものなど耐波基礎工事も中世のアーチ風にしている

海の前から離れて町中に行っても
歴史を感じさせる建築物も結構残っている

『Manpoir du vicomté ディナール子爵領主館』




『Ancienne Priuré 旧小修道院』

『Maison du Prince-Noir エドワード黒太子の館』


ここ
「ディナール」を発って南に「ランス川」の左岸を15kmも下ると

※  ※

『Dinan ディナン』という町に至る

その町こそ
百年戦争の際
攻勢をかけるイングランド王家の大群を何度も撃退し
後半の「ジャンヌ・ダルク」と並んで
前半の英雄と称えられる
『ベルトラン・デュ・ゲクラン』の父親の領地なのです



彼はフランス全土でイングランド国王軍と戦い勝利を続け
フランス各地方の王室軍元帥に任命され
エドワード黒太子を破ったのち
黒太子を応援した異母弟ペドロ1世の悪政に反抗したエンリケを助けるべく
カスティーリア継承戦争にも参戦して勝利し
エンリケから「カスティーリア」の王位を送られた
最終的にはフランス王国軍総司令官になり
戦場で病没した際
国王シャルル5世は歴代フランス国王の霊廟に葬る命令を出し
その時
彼の心臓が「ディナン」の大聖堂に収められた


『Basilique Saint-Sauveur de Dinan 救世主バジリカ聖堂』

具体的には説明しませんが
典型的なブルターニュの教会の様式で作られています


正面3つの扉口は一番古くて11世紀ロマネスクの部分



そもそも教会は
土地の事情が許す限り十字架を地面に置いた平面図にする
まず聖地エルサレムを向くように東向きに十字架の頭部を建て
そこだけを神様に捧げる儀式「献堂式」を行って
そこを教会として使いながら工事を続行し
十字架の横軸を作ってから縦軸を伸ばして
最後に西側の先端に正面扉口を開けて完成となる

そこまで行くと数十年とは100年以上経っているので
より大きな教会に建て直すことがあり
十字架の頭から再度工事をを始め
頭部だけで後の工事は行われなかった
という好例
内陣という十字架の頭部だけ屋根が高く大規模
横軸と縦の身廊(本堂)部分は規模が小さいのが一目でわかる


内部の身廊部の天井は木で葺いてある
奥の内陣は後から作り直した背の高いゴシックなので天井は見えない



デュ・ゲクラン大元帥の心臓墓碑のレプリカ



十字架の頭部の外側「外陣」部




中心部は木組みの家がかなり残っている
ノルマンディーとアルザスは
建築に適した石材が多くなかったので近代まで気の梁と柱の家を建て続けたが
それ以外の地方は16世紀までで国政の家はやめて石造りに変わっていく
特にブルターニュは硬い玄武岩の産地なので
木組みの家を建てるのは15世紀まで








この左の淡い灰緑色の柱と梁の建物はレストランになっていて
外観と同じような古色蒼然としたエキゾティックな内装の中で
質の高い郷土料理を出してくれる
オススメの店です

ところでこの町は高台にあって町の中心から四方に下り坂になっているが
特に教会の裏側は断崖絶壁


教会からやや遠ざかった位置の写真です
真裏から見ると


 これが
あの「潮汐発電所」のあった『ランス川』なのです
川口から10kmほどはまるで狭い入り江みたいなのですが
それより上流に来ると急に狭くなる

その川の両岸の部分を『下の町』と呼びます
河川港として使われているのです



左に見える高架橋は県道
その手前に500年ほど前の石橋が架かっている




県道の高架橋をくぐって振り返ると
それをくぐって振り返ると



川はすでにここまで狭くなっている
もう少し上流には1000年くらい前のロマネスクの橋も残っている





上の町から車の通れる通りで降りてゆくことも出来るが
直接降る道もあります



町の東側は急な崖
川のない西側は緩やかに下れて
両方とも城壁が残っている

『Repmart ouest et Tour de Lesquen 西側の城壁とレクアンの塔』

町の北側がサン・マローだから
『Porte St-Malo サン・マロー門』

町の南には城址







空堀を渡る橋と
天守と思われる頑丈な塔が残るのみ

では
次回は次の目的地に向かいましょう
=  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =  =
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