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『レ・ボー・ド・プロヴァンス』遠景
サン・レミーから10km南に下ると
この世の奇観
と呼ばれてきた場所がある
『Les Baux de Provance レ・ボー・ド・プロヴァンス』
「Baux」
は
「美しい」
と一字違いの同じ音
カルスト高地の一山全体が
奇観
山肌の両側ともに切り立つ絶壁で
中腹に
未だに人が住み暮らす「生ける」中世のままの村があり
頂上に
中世の終わる頃打ち捨てられた「死せる」村が残る
駐車場からアクセスを進み
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突き当りの建物と旗の間を抜けると
壊れていた(敢えて壊した?)古の建物の跡の空間が
村の入り口になっている
本来ここは村はずれで
ここから入れる様にはなっていなかった
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村の中は
お土産屋と
カフェが並ぶ「人の住む」中世のままの村
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この村も一つの小教区で
教会もある
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『Eglise Saint-Vincent 聖ヴァンァン教会』
その側面の屋根の高さに
小さな丸い塔が乗っかっている
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これは鐘楼ではなく
「野辺送りの火」を灯す塔なのです
先回『モーゾレ』でご紹介したように
この地方では
死者が出ると一定の期間
夜間に火を灯して葬った習慣が有った様です
それから
白衣の贖罪団礼拝堂というのも
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昔
重罪ではない軽微犯罪人が
白い貫頭衣に荒縄のベルトを腰に結んで
贖罪の巡礼を刑として言い渡されたことがありました
その時立ち寄る礼拝堂なのです
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右が『サン・ヴァンサン教会」
左が「贖罪礼拝堂」
ところで
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「生ける村」の端は100mはありそうな断崖絶壁
家並みの右の緑地は谷底です
その絶壁に
城壁の一部と城門が残っている
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『Porte Eygières エギエール門』
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ここが
この村の主たる入り口(大手門)だった
レ・ボーは小さな村だが
「生ける村」の細い道を左右に寄り道しながら登っていくと
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土産店やレストランが無くなって行き
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やがて
岩盤をくりぬいて作られた『切り通し』の道になります
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わかりにくいですが
左右が岩盤を削って作った道
突き当りでやや右に曲がると
関門がある
そこまでが
普通に人々が暮らす「生ける村」なのですが
そこから先は
「死せる村(ゴーストタウン)」となり
文化省の史跡なので有料となる
そこから先の
唯一の原型をとどめている建物が
礼拝堂
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そこからは「廃墟」です
頂上の城の足元に家並みが集まって
まさしく「城下町」を形造っていました
15世紀頃の病院の後は
壁の基礎部分だけ残っていて50mx30mほどもあった
村はずれであった平らな場所に
中世戦国時代の「カタパルト(投石機)」などの複製が
飾られている
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そして
いよいよ17世紀頃にペストの大流行のあと住民が去り
打ち捨てられた「死せる村」となる
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この高さが
当時の村の地面で
右側の突出した岩の中をくりぬき
外側には切石を積んで騎士たちの館や
住民の住居が立ち並び
石畳の道路には側溝すら切ってあったのです
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このように刳り貫いた岩盤の空間に
柱を立て梁を渡して
住居を作っていた
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ここが
何階建ての建物であったか想像できるだろうか
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岩山の天辺で町を創る
人間の英知には驚かされるものがありますね
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天然の岩山の張り出しと
その下に
人工的に立てる建物との
支えの柱の作り方も見えている
その
頂上の上にさらに突出する岩塊の上が
お城の有った位置
途中まで登ると
城の真下の町の遺構が理解出来る
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写真では不明瞭だが
幅1mほどの通りが曲がりくねって
その左右に家が建っていた
もちろん
天然の岩塊の中にも組み込まれて
通り自体も
岩盤を削りとって路面も側溝も一体構造で出来ているところすらある
その城だが
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村の反対側の外の斜面からの光景よく見ると
右上の手すりが見える
そこが岩塊の頂上の高さ
この写真は
完全に全体の外側の斜面から撮ったっもので
村にいては
この光景は見えない
天守は
その頂上のえぐれているくぼみを利用して
半地下(二階か三階)
半地上(二階か三階立て)だったと思われる
地下の部分は
外側にはちゃんと窓があり採光に問題はなかったはず
それ以外の建物も
岩塊の長く伸びる先まで続いていた
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この手摺りから左側は断崖絶壁で
250mもあろうか
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この写真は内側(村側)から
天守より先(右側の部分)を見ている
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こういう角度で見ると
いかに多くの建物がぎっしり集合的に建てられていたか
理解出来る
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ここは
城跡の突出部とは違う
単一で高くなっているところの塔の跡だが
ここから「生ける村」を見下ろすと
屋根屋根が非常に美しい
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こう
見えるのです
位置関係はこうなる
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左端の突出部のすぐ右のくぼんでいるところが
「地面」の高さ
その右の高く右に伸びるところが城跡の頂上です
最後にとっておきの話題をご紹介しよう
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これ
なんだかお分かりだろうか?
『Bauxite ボーキサイト』
そして
これが「アルミニゥム」の原料なのです
19世紀になってすぐ
化学実験室で原子番号13を与えられた
新しい金属原子が人工生成され
『アルウム』
と名付けられ
その後
実際の金属が『アルミニゥム』となる
その直後
レ・ボー・ド・プロヴァンスの鉄鉱石鉱山で
その
アルミニゥム元素を含む鉱石が
発見された
その鉱石は
アルミニゥムを60%程も含有していた
世界で最初の
アルミニゥムの天然鉱石の発見が
レ・ボー
でなされたのです
それを記念して
「現場=サイト」という言葉を末尾につけた造語
『ボーキサイト』
が生まれました
私たちが現代に
飛行機や宇宙船
レーシングカーや iPhone などを手にしているのも
この発見がなされたから
と言っても過言ではありません
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【お願い】
皆様方の読後感をお待ちしております
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旅行の実際の現実についてご興味のある方は以下のサイトも御覧ください
https://veritas21.com 『こんな旅がしてみたい 誰も真似のできない旅のプランナー』
フランスにボーキサイトのイメージがなかったので
興味深かったです。 ボーキサイトの名前の由来にも
なっていたんですね。
フランスの観光地はパリやニースだけじゃないですね。
素敵なところでしょう!
フランスはパリやニースすだけではありません。
これからいろんなところをご案内していくつもりです。
応援よろしくお願いいたします。