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プロヴァンスを巡ろう 15 <古代ローマと ノストラダムスと ゴッホの サン・レミー・ド・プロヴァンス>

2020-11-20 00:55:26 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
『サン・ポール・ド・モーゾレ修道院病院』正面進入路


モンマジュールから南南東の10kmほどで
『サン・レミー・ド・プロヴァンス』
という
小さな町がある

その町に所縁のある歴史的人物が二人
『ミッシェル・ノストラダムス』と『フィンセント・ファン・ゴッホ』

まず
一周車で6〜7分で足りそうな
かつて街を囲んでいた城壁の外の皮堀を埋めた道路から
ほんの3分内側に入った狭い路地にある
小さな家で
『ノストラダムス』の生家がある



二階部分の十字架型の支えの入った
埋められた窓のある建物で
1503年12月14日
彼はここで生を受けた

父親は公証人
ということはインテリ階級に属する中産階級の出
なぜなら
当時
庶民は石造りで十字架支え窓の建物を所有することは
庶民にはありえなかった



彼の誕生を記した名盤がはめてある

彼は
オキシタンの都会モンペリエの大学で医学を修め
人はまだ疫学的知識を持たなかった当時
患者の隔離と
手洗いと消毒の徹底を教えて
大流行していたペストからある町を救ったことすらある
優秀な医学者で
薬学者で天文学者で
詩人で
占星術師
であった

リヨンとパリと宮廷とで大活躍したのち故郷に帰り
ここから40kmほど離れた『サン・ポール・ド・プヴァンス』で没している

その町に関しては後日触れることにしましょう


今は無き城壁から外側方向に車で10分ほどで
ゴッホが入院加療を受けた『サン・ポール・ド・モーゾレ修道院病院』がある



巻頭の写真のアクセスで至る二番目の門

アルルの町の係りに半強制的に入院させられたゴッホは
永久に閉じ込められることを恐れて逃げ出し
20km離れた
ここ「精神病者の治療」で知られていた修道院の戸を
自ら叩いたのでした


修道院ですから
お約束の回廊もある


この周りの上の階に
彼はふた部屋を与えられた


病院で
王侯貴族以外に「個室」など発想すらなかった時代に
病院長を兼ねていた修道院長は
一部屋を病室として
更にもう一部屋制作室として与えて
院内を自由に歩き回って良いという許可とともに
彼を厚遇したのでした



こんな感じの個室であったろうという再現



入院患者の治療用の
ブリキの浴槽


上の写真の二番目の門の奥
突き当りが修道院の聖堂で入院患者の教会でもあった

そこから向かって左に病院の本棟がある


更に
進入路の左側はオリーブ畑で
そこも彼は何枚も描いている







更に
教会の裏側は時期によってラヴェンダー畑になる


当然そこも絵の対象となった




この『サン・レミー・ド・プロヴァンス』に関する作品の中で
もっともよく知られているものの一枚が
『星空のサン・レミー』ではないでしょうか



修道院のすぐ脇に
フィンセント・ファン・ゴッホの銅像が立っている

『Vincent van Gogh』Gabriel Sterk 

それから
サンレミーの要所要所の歩道の敷石に
ゴッホのサインの自体で
ブロンズのメタルがはめ込まれています


これは
彼にゆかりの他の街にも見られますし
『エックス・アン・プロヴァンス』の旧市街の歩道には
セザンヌのメダルがはめてあります


そして「修道院」からほんの5分車で走ると
不思議な湖西ローマの遺跡がある
『モーゾレ』
と言います

帝国に大きく貢献した将軍や皇帝が亡くなると
出身の町では
夜を徹して「野辺送りの火」を焚き続ける
その施設を
『モーゾレ』と言い

三段重ねの塔で
下段が正方形
中段は4面とも凱旋門型
上段は円柱で円形に囲んだ古代の円形神殿風
その中に
該当者の像絵を飾り
一定期間毎夜火を灯し続ける

文献などで古来よりその存在は知られていたものの
実物は失われて存在しないと思われていた
19世紀までは

それが
ここにあったのです


下段は
4面それぞれに
故人の武勲を讃える戦場の場面のレリーフ

その
すぐ横に「凱旋門」風の
一風変わった門もある


上部が欠損してしまっているが
これは
厳密には凱旋門ではない

なぜならば
凱旋門とは古代ローマの元老院が
移民を苦との戦に勝利して広大な新たな領土を帝国にもたらした
将軍や皇帝をローマの街に凱旋行進で迎える栄誉のために
造らせた門をいう

ここはローマではない

実は
この場所の街道をまたいだ反対側から先の方に
古代ローマ都市が埋まっているのです
『グラヌム』と言います

その
功績を称えられたローマの勇者とは
その『グラヌム』出身の双子の将軍であったらしい

従って
ローマの街以外にあるこの手の門は
『市門』と犬のだそうです



さて
せっかくなので
『グラヌム』遺跡にも立ち寄ってもましょうか


このグラヌムという街も
人口数万人の大都会であったそうです

ゲルマン民族の襲来の際に
市民たちは難を逃れて街を捨てて逃げ出した

その後
帰ってくるものがほとんどおらず廃墟となり
周囲のアルピーユ山塊から大量の土砂が流れ込んで
完全に埋まってしまったのだそう










実は
この遺跡は
見て回るにみ30分ほどあればよく
ほとんど大したものはありません

ただ
実際の街の規模は
現在見られる規模の50倍とか100倍とか言われています
発掘する
人でも資金も時間もない有様です



いかがでしょうか
アルピーユ山地の旅ももう少し続きます
= = = = = = = = = = = = = = = = = 
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