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プロヴァンスを巡ろう 42 プロヴァンスは地中海 <ナポレオンの出世の糸口となった港町 トゥーロン>

2021-01-15 00:42:54 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
ファロン山から俯瞰したトゥーロン


フランスの重要な港は
商業港は
北の『ル・アーブル』 南の『マルセイユ』
軍港は
北の『ブレスト』 南の『トゥーロン』

トゥーロンは歴史的に地中海の拠点軍港として発展してきた



港湾内には
常に何らかの仏海軍の艦船が見られる


その中でもっとも大型船は
原子力空母『シャルル・ド・ゴール』


世界中に
原子力空母は12隻しかない(12隻もある)
その内11隻は米国
従って
米国以外で唯一の原子力空母という事になる
ペルシャ湾 アラビア海 インド洋
等に派遣されている

フリーゲート艦『シュヴァリエ(騎士)・ポール』

帆船時代は
フリーゲート艦とは高速戦闘艦のことだったが
現代では「対潜哨戒護衛艦」

フリーゲート艦『ラ・ファイエット』

変わったところでは

潜水艦『カサブランカ』

当然
これらの艦艇がいつでも見られるわけではない
任務を終えて帰投している時に限られます


湾の入口の東西には
昔の要塞が一つづつ残っている

その一つが

『Fort Royale de Balagier 王室バラギエ要塞』

17世紀前半に建設され
後半に対オランダ戦略の必要性から補強されて
今日の形になる



この要塞は
湾の一番西の岬の先端から港への侵入を防ぐ

もう一つの要塞もほぼ同じ形

『Tour Royale 王の塔』

名前は結構単純だ
しかも
このように海から見るとあまり大きく感じないが
実際は結構デカイのです




中に入ってみると
本当に大規模


この写真を見ると
港への敵艦隊の侵入を防ぐ役割がよく理解できる
東側のみ脇の先端で港を護る


そしてさらに
もう一つ要塞がある

『Fort Royale de Saint-Louis 王室サン・ルイ要塞』

三番目のこちらは
前の「バラギエ要塞」から遅れること1世紀
「王の塔」から
岬を東側に回り込んだところに作られた






実は
この要塞の東側にビーチがあるのです

『Plage du Lido ル・リド・ビーチ』

ビーチには固有名詞がつけられることが多い
ここは『ル・リド』
ヴェネチアの名高い島の名前で
パリのシャンゼリゼに同名の高級キャバレーがある
ある意味で
安易な有名好みのネーミング




軍港とはいえ
今では民生用にも大きくシフトを寄せており
マルセイユ セート ニース
と並んで
『コルシカ・フェリー』
『サルデーニャ便』
その他各ラインが就航している


その他
近郊の海岸の村を結ぶ連絡船や
港内遊覧船も多い

遊覧船の発着波止場

外洋大型客船も頻繁に寄港するようになった


奥に
客船と軍艦とが並んで接岸している光景は
結構シュール

勿論
古くからの漁民達の波止場もあります

『トゥーロン丸』

そのまま東に
少し足を伸ばせば美しく素朴な海岸リゾートもある

『Baie d'Anse Méjean アンス・メジャン入江』

水はあくまで清く
空はあくまで蒼い
右側の人口桟橋はレストラン



もう一箇所別のビーチも

 『Baie de Anse Magaud アンス・マゴー入江』

前の「アンス・メジャン入江」とは岬で東西分かれる位置にある

トゥーロンは
街の東側にこのような美しく小さな入江が10箇所程あり
車は乗り付けられないが
近くまで行ってハイキング小径のような道を歩くか
ボートで行くか
多少歩いても行ってみる価値は大いにある

時には
帆船が集う大イヴェントも


『Le Belem ベラン号』

「ベラン号」はフランス船籍の現役帆船

ところで
港の一番奥の岸壁に有名な銅像が立っている

『Génie de la Navigation 航海の守護神』

1847年トゥーロンの彫刻家『ルイ=ジョゼフ・ドーマ』作
歴史上の航海の天才的先達に捧げる像で
具体的には
19世紀地中海艦隊の提督
『Jules de Cuvervilles ジュール・ド・キュヴェールヴィル』
がモデル

海に向かって腕を上げて彼方を指差しているが
この銅像の後は
名誉市役所(名誉領事館みたいな)なので
「Cul vers Ville  キュル(お尻)・ヴェール(向かう)・ヴィル(街)』
韻を踏んで
「市に尻向けて」と揶揄されてきた

『名誉市役所』

見事な扉口


入り口のガラス戸に
確かに「尻」が映ってますね

現役の市役所はここ

『Hôtel de Ville de Toulon トゥーロン市役所』

欧州諸国では
市役所や役場は
その自治体にある歴史的に一番重要な建物
例えば
城や宮殿や館
等を使っていることが多い

トゥーロンは都会だが
それに見合う大規模な建物は軍関係以外になかったらしく
新建築の凡庸なビルに収まってる

街の中心は

『Cours Lafayette ラ=ファイエット大通り』

大規模な建物というと美術館

『Musée de Vieux Toulon トゥーロン歴史美術館』


トゥーロンと周辺地方の
歴史と文化に関わる絵画彫刻工芸品が
収められている



もう一つ博物館をご紹介

『Musée National de la Marine 海洋海軍博物館』

これは
軍港の方の波止場の近く


それから
都会ですから当然ですがオペラ座があります

『L'Opéra de Toulon トゥーロンのオペラ座』





ところで
海岸の街の背後に山が迫るのは地中海世界の共通項

『Mont Faron ファロン山』

標高584m
巻頭の写真はここから

ロープウエイで繋がっている


フランスで革命が勃発
自国に影響が及ぶことを恐れた欧州諸国は
フランスに干渉して
トゥーロンを英国海軍が占領
革命政府は
どの将軍を作戦司令官に任命しても奪回作戦は失敗

防御が堅く港に船で突入できない
背後は険しい山
限られた陸路を堅守され手詰まりだった時
革命政府の重鎮『シエイエス』が『ナポレオン・ボナパルト』に
白羽の矢を立てる

パリ王室陸軍士官学校を卒業後
コルシカという辺境の豪族の息子では出世の道に乗れず
燻っていた青年士官ボナパルトは
ファロン山頂に大砲を引っ張り上げて砲台を築き
上から英国軍陣地を砲撃
英国側
たまらずトゥーロンを諦めて退却
フランスは地中海の拠点を取り返す事ができた

その功績で『イタリア戦線司令官』に抜擢され
以後『ナポレオン・ボナパルト』は連戦連勝を続け革命軍の将軍となり
革命政府の執政に登りつめ
『皇帝』にまでなって
歴史にその名を輝かせる事になるのです

ちなみに山腹に
航海の無事を祈る船乗り達の礼拝堂が
岩肌を掘り抜いて作られている

『Oratoire Notre-Dame de faron ファロンの聖母礼拝堂』
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