賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

一瞬にして起こる破壊

2020-05-08 00:02:27 | 勝利者の証し

   ——世の終わりの全能神の福音に反抗した四川省の清平郷はその姿が2度も消えてしまいました

 

敬畏(四川省)

   2008年5月12日に大地震が発生した時、町は完全にその姿を消してしまいました。その消えた町とは四川省綿竹県管轄区域の清平郷です。政府による情報管制により、この事はあまり多くの人には知られていません。

 

   清平郷は綿竹県管轄区域で被害の大きかった漢旺町の北西部に位置していました。地震に襲われる前、山奥にあるその場所は空気がきれいで、透き通った水が流れ、青空が広がり、山はキウイフルーツと銀杏に富んでいました。神はそこの人々にこの豊かさを与えてになり、彼らが生活に必要なもの全てをお備え下さっておられました。しかし、そこで暮らす人々は神を知らず、また神に感謝の意を持つべきであることも知らず、大金ばかりを渇望していたのです。この町は山奥に位置していたため、その景色はとても美しく、空気が新鮮で快適でした。夏の間もエアコンを使用する必要がありませんでした。その町自体が自然の酸素バーであり、それ以上に、気晴らしとリラックスが出来る場所でした。山の住人たちはじみちに田舎のホームステイを立ち上げ、地元の観光産業を築き上げるために沢山の努力を注ぎ込んでいました。そこはまた、職位に問わず政府の官僚たちにとってのレクリエーションと娯楽の場にもなりました。多くの官僚たちは清平郷で官職に就くことを希望し、省のリーダーの多くも頻繁にこの町を訪れていました。皆が知っている通り、政府の官僚たちはどこに行っても、現地のホテル、カラオケバー、ヘルススパ、足マッサージスパ、ヘアサロンの経済成長を促進します。こうして、清平郷は山奥にあったにもかかわらず、そこは保守的な場所というわけでは決してなく、ネオンサインが明るく光り、夜には音楽と歌声が響くといった宴会をするため場所であったのです。中国共産党の官僚たちはこの天国のように美しい場所を現代のソドムへと変えてしまったのです。

 

   全能神が中国本土で世の終わりの働きに着手されて以降、教会の兄弟姉妹たちは福音の伝導活動のために何度もこの山間の町を訪れました。しかし、山の住人たちは裕福な生活を送っており、食べ物や服の心配がなかったので、神を必要と思わず、兄弟姉妹たちが訪れる度に福音を受け入れることを拒否し、兄弟姉妹たちをこう言って叱ることまでありました。「今の生活はすごくいいし、共産党の政策も順調だ。あんたたちはこんな事ばっかり言っているけど、私達はあなたの言うことは信じないよ。私達が信じるのはお金だけだからね!」兄弟姉妹たちは毎回長い道のりを歩いてこの人たちに福音を伝導しようとしましたが、その度に門前払いを受けていたのです。兄弟姉妹たちは、これは世の終わりにおける神の福音であり、御救いいただける唯一のチャンスなのだと伝えましたが、彼らは聞く耳を持ってくれませんでした。兄弟姉妹たちは全能神を信じていない人は全員が災害時に神の御加護を受けることが出来なくなるとも伝えましたが、それさえも無視されてしまいました。清竹郷の住人は全能神の御言葉と御救いを拒否したのです。あの町に全能神を信じる人は1人たりともいなかったのです!

 

   2008年5月12日の午後2時28分に地震が起こったのです。突然、地面が震え、山々が揺れ動き、巨大な岩が山からゴロゴロと音をたてながら転がり落ち、空気は一瞬にして大きな砂ぼこりで充満し、空は薄暗くなり大地は暗くなり、山々があっと言う間に崩壊し消え去ってしまったのです。地方政府庁の所在地が2つの山の谷間のふもとにあったのですが、地震が発生した時にこの2つの山の間の溝が塞がり始めてしまい、瞬く間に清平郷はこのたたみ込んできた山の下で押し潰されてしまったのです。町の住人は全員が埋もれてしまい、2つの山は一瞬にして一体化して1つの山と化したのです!この状況では、町の住人がどれだけお金を持っていようとも、何の役にも立たなかったのです。お金は彼らを救うことが出来ず、中国共産党の官僚たちが彼らを救うことなどなおさら出来なかったのです!神を敬わなかったこの町は一瞬にして破壊されてしまったのです!私はこの壊滅的な災害について考えると、神ヤ―ウェがソドムの町を破壊することを御望みになられた時のことを考えてしまいます。アブラハムは神ヤ―ウェにこう訴えました。「町にもし義なる人が10人いたとしても、あなたはこの街を破壊されるのですか?」神ヤ―ウェは答えました。「私は町は破壊しません。結局、ロトと彼の家族のみが天使の導きの下で脱出することができ、残された人々は全員が天からの大火によって滅びていきました!」(創世記18:20-32および19:1-25参照)神を敬わなかったこの悔悟のない放蕩な町はあの日以来、地球上から消え去りましたが、清平郷に起こったのはこれだけではありませんでした。清平郷が消滅した後、陸軍は救助作業に当っていた将校と兵士たちに、これに関する情報を外部に暴露することを禁止する、彼らの携帯電話の使用は完全に制御される、彼らは自分達の家族に電話をしてはならない、そして情報を漏らす者は軍法に従い罰せられるという通知を即座に発行したのでした。

 

   清平郷の住人で無神論のとりこになっていた人達はこの大震災の後も自分達を見つめ直すことはなく、ましては天の怒りについて考えることなどはありませんでした。彼らは自らの手で美しい家を建て続け、天にでも打ち勝つことが出来るという邪悪な信念を持って天と争い続けたのです!彼らに悔悟は見られませんでした。

 

   震災後は、町全体の全地域において地勢が変形してしまい(多くの山が崩壊、移動または一体化)、町の姿は変わり果てていました。更には、山から流れ出た洪水が全ての道路をふさいでしまいました。こういった理由により、地方政府の上層部は清平郷行政区を地図から削除する決断をしたのです。それにもかかわらず、省の党内委員会のリーダーたちは又しても中身の無いプロジェクト政策のために新たな社会主義の地方予備計画を立ち上げようとし、町を地図から削除することに反対したのです。こうして、躊躇することもなく、政府はこの地域に重点を置いた投資を始め、敵地考察、立地選択、設計および復興に取り掛かかるため、橋梁工学の上級技師と、ProvincialPlanningandDesignInstitute「省開発計画・設計研究所」からも上級技師を呼び寄せました。そして必要な支援施設が全て揃った新しい清平郷が又しても山の中に創立されたのです。町には郷の官庁、病院、学校、住宅街等がありました。全てが一気に施行され、完全に現代化されていました。郷の官僚が個人宅に木を1本植えるのに最大で5万元も支払う必要がありました皆が共産党の政策に感謝して、快適な場所に引っ越せた喜びに浸っていた2009年8月15日のことでした。突然、集中豪雨が降り出し、その激しさが増していったことにより山から地滑りが発生したのです。泥と岩が激しい洪水に飲まれて素早く山を流れ落ち、新しい清平郷の方向に真っすぐ向かって行ったのです。又しても、一瞬にして、新しく創設されたばかりの清平郷の政庁は泥と岩の流れの中で完全に埋もれてしまい、町は又しても壊滅的な災害の被害を受けたのです!又しても、この町は地上から消えてしまったのです。

 

   この出来事は全能神のこの御言葉を正確に現実のものとしていたのです。「或る国や或る民族の人々が神の救いや配慮を得ることができなければ、そうした国や民族は暗黒に向かって、破滅への道を突き進み、神によって滅ぼされるであろう。」「あなたが真のクリスチャンならば、あらゆる国または民族の興亡は、神の意図によって起こるということを必ず信じるであろう。神のみが国または民族の運命を知っており、神のみがこの人類の進むべき道を制御する。人類が良い運命を望むなら、また国家が良い運命を願うなら、人間はひれ伏して神を礼拝し、神の前で悔い改め、罪を告白しなければならない。さもなければ人間の運命と終着点は災難となることは避けられない。」「私たちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている。神の働きを妨害し、神の言葉に抵抗し、神の計画をかき乱し、阻害する者たちは最終的には神に罰せられる。神の働きに逆らう者は地獄に送られる。神の働きに反抗する国家は滅ぼされる。神の働きに反対するために立ち上がる民族は地上から一掃され、消滅する。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)

 

   この大きな災害は私達に神の義なる御性情を知らせてくれているのです!今回神が肉となられたのは、人々を可能な限り救うためであり、神は災害発生の際には神を誠実に愛する人々、神に助けを請う人々に対して慈悲深くなって下さりますが、神に反抗し悔悟のない人々には神の御怒りを被ることになるでしょう!神はこれに関してこう仰っておられます。「災いはわたしによりもたらされ、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの目に良いと映らなければ、災いの苦しみから免れることはないだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より)

 

   次に、四川省綿竹や什邡といった大きな被害を受けた地域出身で、全能神を信仰する兄弟姉妹がどのようにして、「5.12」地震の際に神に御救い頂いたか、およびそれぞれの驚くべき脱出体験と証言を、事実を用いて「神の御言葉は永遠に不変の真実である」ということの証言をしながら紹介していきたいと思います。

 

   1.5月12日、圓滿教会の姉妹小江さんは(被害の大きかった)レイグ山で一人で菜種を叩いていました。地震が起こった時、彼女は地面が動いたのと、山が揺れたのだけを感じたため目眩がしてしまいました。地震が最初に起った時、彼女は熱中症になったのかと思っていました。少しすると、彼女は自分の回りで山々が崩れ、地面が割れ、山が揺れて分かれていったり、またくっついたりしている様子を目にしたのです。すると幅が数メートルもある亀裂ができて、山から岩が彼女に真っすぐ向かって降りかかってきたのです。その時初めて彼女は地震が起きていることに気が付き、次から次へと岩をかわしていきました。彼女は繰り返し神に祈りを捧げて助けを請いました。「ああ神様!今日こそ、あなたが大きな赤い竜を罰される日なのですね。私も内に大きな赤い竜の毒を植え付けられております。私は普段自分の本分を上手く尽くすことが出来ません…もしあなたの御怒りを鎮めて下さるのであれば、私はあなたからどのような罰を受けようとも、あなたに従って行きます。もし私もあの250人のリーダーたちと同じように大地に飲み込まれてしまっても、それにはあなたの善良なる御心が込められているのでしょう…」彼女はこのようにして続けて従順に祈りを捧げ、後に「神が人に対して成さる最後の働き」と題した神の御言葉を歌った讃美歌について考えていると心が穏やかになったのです。すると、シャオジャンは自らの目で神の驚くべき御業を目の当たりにしました。彼女が立っていた山が崩れ、その半分がまるでナイフできれいにスライスされたかのように彼女のちょうど隣に滑り落ちたのです。それに、半分となったシャオジャンが立っていた山は崩れることはなく、彼女は何の怪我も負っていなかったのです。彼女の家族はシャオジャンが働いていた山が崩れたのを遠くから見ており、皆が彼女は死んだと思っていたのです。彼らは彼女は生きて無事に戻ってくるとは思っておらず、無信仰者たちはこう言いました。「あなたは本当にラッキーな人だ!」姉妹小江は泣きじゃくりながら山の上での体験を兄弟姉妹たちに詳しく話しました。多くの人達がこれに感動して、神はとても全能であられ、とても素晴らしいお方であられると感じたのです。

 

   2.自宅を集会場所とする安県教会の兄弟。彼は2007年10月に世の終わりの全能神の働きを受け入れるまでは無信仰者であり、教会では新参者でした。彼は神の働きを受け入れて以来、熱心に真理を求め、受け入れ業務に就いていました。震災時、彼の住む村の建物はほとんどが倒壊し、倒壊しなかったものは危険な状態にあるという状況でしたが、彼の自宅は無事でした。彼の生産チームリーダーはこれをとても不思議に思い、彼にこう聞きました。「あなたの家は倒壊してないけど、この秘密は何なのかね?」この兄弟はこれをとても嬉しく思い、これは神による御気遣いであり、御加護なのだと理解したのです。彼の信仰はさらに強くなり、これからも自分の本分を尽くし、福音を広め続けていくことを願っています。

 

   3.茶坪教会の兄弟赵さん、60歳.5月12日、彼はチャピンから桑枣までバスで移動しました。あの日、バスの中には合計10から20人の乗客がいました。午後2時28分、地震が始まった時、バスは道路がちょうど高山の下を通っていました。いっせいに、地面が震え、山が揺れ動き、岩が雨滴のように山から降ってきたのです。落ちて来る岩が道路の前後を塞ぎ、バスの屋根は上から打ち壊されてしまいました。バスの中は乗客全員が必死になってバスから脱出しようとしたり、走り回りながら天地に助けを求めたりと完全な大混乱となり、その中には天に助けを求める人がいたり、仏陀に助けを求める人もいました…その時、兄弟赵はこう言いました、「あなたたちは間違ったものに助けを求めています。全能神に助けを請わないといけません!」しかし、乗客はバスから脱出して自分の命を助けることしか頭になく、彼の言うことを聞く人は1人もいませんでした。少し経った後、バスの乗客は全員走って逃げて行き、兄弟赵だけがバスの中に残って全能神に助けを求めていました。バスから脱出した人の中には落ちて来た岩によって命を落とす人や、怪我を負う人がいました。怪我を負った人達は全員が兄弟赵は間違いなく命を落としただろうと思っていました。やっと地震が収まった後、兄弟赵はかすり傷を1つも負わずにバスから歩いて出てきたのです。無信仰者たちは皆がびっくり仰天していました。彼らは兄弟赵があの状況からかすり傷を1つも負わずに脱出してきたのは正に奇跡だと思いました。彼らは兄弟赵に奇跡的な脱出が出来た理由について尋ねた後、全員が全能神に従うようになったのです。その数日後、兄弟赵と10~20人の無信仰者は高山のふもとまで歩いて行きました。余震があったため、大きな石が山頂から降り続けてきましたが、道路が長かったため誰もそれ以上先に進もうとはしませんでした。皆が混乱状態に陥り、何をするのが一番最適なのかが誰も分からない中、兄弟赵が大声でこう叫んだのです。「私の言う通りにしてください。天に助けを求めてはいけません。仏陀に助けを求めるのはなおさらいけません。皆さん全能神に助けを請うのです!」そして、ついに全員が兄弟赵の言うとおりに全能神に助けを求め、無事に道路を先に進むことが出来たのです。

 

   4.九龙教会の兄弟譚、37歳。彼と彼の妻は共に信仰者でありましたが、震災当時はさほど熱心に真理を求めていませんでした。5月10日、兄弟譚は塗装工として務めていた(被害の大きかった)漢旺にある東方タービン工場に行きました。彼は一日半しか働いていませんでしたが、ラインの責任者から仕事の内容が基準を満たしていないため帰宅するように言われてしまったのです。兄弟譚はこれにとても腹を立て、5月11日の午後に家に帰りました(震災後、彼は東方タービン工場はひどく倒壊して、死者と負傷者が多く出たことを知りました)。震災は5月12日起こりました。地震発生時、兄弟譚は地元の神殿で働いていたのですが、地震発生の1分前に突然空から飛行機の音がしたので、様子を見に外に飛び出しました。彼が神殿の外に出たとたんに建物が完全に倒壊し、中にいた人達はがれきの下敷きとなり、彼だけが無事で済みました。彼はこの地震を生き残り、神が彼を御救い下さっていたこと、そして彼は神の愛を授かっていたことを知りました。彼は神に心から感謝しており、現在は真理を熱心に求めるようにもなりました。彼には当時5歳の息子がおり、震災当日、この息子は学校にいました。地震が発生した時、彼の息子は階段の下に身を隠し、おでこに軽い怪我を負っただけで済んだのです。兄弟譚の妻も神の御加護と愛を目の当たりにし、真理を求め始めたのです。現在、彼女は教会の集会で新しい信者達の指導をしています。

 

   5.漢旺町の兄弟呉と姉妹蔡(体の片側が麻痺)は共に60歳を超える夫婦で信仰者です。当時、二人は2か月前に神の働きを受け入れたばかりでした。5月12日に地震が発生した時、彼らの住む建物は強く揺れ動き(彼らは5階に住んでいました)、まっすぐ立っていることが出来ませんでした。彼らのベッドはひっくり返って、姉妹蔡は床に落ちてしまいました。動くことが出来なった彼女は床に倒れながら神の御助けを請うことしか出来ませんでした。続いて屋根が崩落してベッドが潰れてしまったのですが、他の床材が1つ落下し、そこにあった椅子に引っかかったので姉妹蔡の頭部の回りにはスペースが出来ました。無傷だった姉妹蔡は、「逃げ道を見つけられるか試してみよう」と考えたのです。そして彼女は床をはって前進し、手でレンガを動かすと、光が見えたので助けを求め始めました。彼女の長男が彼女の声を聞いて物をどかし始め、3時間後に彼女は救助されました。一方の兄弟呉は、地震発生時にはトイレにいました。姉妹蔡が床に落ちて助けを呼ぶ声を聞いた時、彼は彼女の元に駆けつけようとしましたが、トイレのドアに2回も突き当たって後ろに倒れてしまいました。ちょうどその時、天井が崩落し、上から竹のかごが落ちてきたのです。兄弟呉はかごの下に座って30時間もそこに閉じ込められていたのです。心配のあまり冷静さを失ってしまった彼に対して神は静かに待ち続ける信念をお与え下さりました。兄弟呉の息子は兵士たちに父親を救いに来て欲しいと外で声を上げ叫んでいましたが、兵士たちはそれを危険とみなし救助に当ろうとしなかったのです。しかし兄弟呉の息子は父親を助けてくれるよう嘆願し続けた結果、兵士たちは穴を掘って兄弟呉を救出してくれました。彼は足に軽い怪我を負っていただけで済みました。兄弟呉の長男は(被害の大きかった地域にある)東方タービン工場で働いており、ちょうどその日は他の作業員とシフト交換をしたばかりでした。彼はその日は出勤しなかったので災害を免れることが出来たのでした。彼の7歳になる息子は当時、東汽小学校にいて、震災発生後はかすり傷1つ負わずに穴の中をはって抜け出ることが出来ました。神の驚くべき御加護によって、彼らの家族は3世代全員が無事に生き残ったのです。

 

   6.兄弟魏、50歳。彼と彼の妻は共に信仰者でした。兄弟魏は目が不自由で、彼らの自宅はいつも集会の場として使用していました。彼らの自宅はとても古く、2007年7月には州によって住むには危険な家として分類されていました。彼らは改修工事を行うように要請されましたが、貧乏だったため工事を行うことが出来ませんでした。5月12日、兄弟姉妹たちは集会のために彼らの自宅に集まりました。地震が起った時、全員怪我なく外に駆け出し、家も無事でした。これを全く理解出来なかった近所の人達はこう言いました。「頑丈にできている家とアパートが全部倒壊しているのに、何で住むのに危険な彼らの家が倒壊していないんだ?まったく不思議なもんだ!」

 

   7.灌滩教会の兄弟姉妹たち数人は山のふもとに住んでいました。震災が起こった時、山が崩壊し、地面も割れてしまいました。反対側にある山も崩壊してそこにあった家々も倒壊していまいました。これが起きた時、彼らは跪いて神に祈りを捧げ、更には無信仰者たちにも一緒に跪いて祈りを捧げるように頼んだところ、彼らが住んでいた山は崩れませんでした。

 

   8.九龙町の九村村には71歳と68歳になる年配の姉妹が2人います。地震が襲った時、71歳の姉妹李は家で午後の昼寝中でした。彼女の家は倒壊しましたが、彼女のベッドに落ちて来た屋根梁によって溝ができたおかげで、彼女は無傷で助かりました。後に、近所の人たちは彼女を引き出すことが出来ました。一方、68歳の姉妹李は鉱山である人の家の手入れを手伝っていました。地震が発生し彼女の家が倒壊した時、彼女はちょうど家を出たばかりでした。この2人の年配の姉妹たちは山から出るまで無信仰者たちと一緒に2日も歩き続けました。現在、2人とも真理を熱心に求めながら、それぞれの本分を尽くしています。

 

   9.年齢60代の兄弟楊。5月12日の昼食後、兄弟楊の妻と義理の娘は菜種を叩きに出かけました。普段なら、兄弟楊はこの時間帯に昼寝をするのですが、この日、彼はふとあることを思い付いたのです。「皆出かけて行ったのに、自分だけ家にいてもしょうがないか。」こうして彼は急いで畜牛たちに牧草を食べさせに行きました。地震は彼が家を出てすぐに起きましたが、兄弟楊は無事でした。

 

   10.漢旺教会の姉妹韓、39歳。地震が発生した時、姉妹韓は工場の7階で勤務中でした。彼女が床の掃除をしていた時、突然建物が左右に揺れ始め、彼女は地震が起きているのだと冷静に気が付きました。彼女はほうきを投げ捨て、走って階段を下りながら全能神に助けを求めました。彼女と一緒に階段を駆け下りていた女性の無信仰者がいたのですが、彼女は恐怖のあまり階段の途中で命を落としてしまいました。姉妹韓は無傷で助かりました。

 

   11.兄弟譚、85歳、真理を求め集会にも頻繁に参加。震災発生時、彼の自宅は倒壊し、彼はがれきの下敷きになりました。後に、彼は近所の人に救い出され、足に浅い傷を負った以外は無事でした。

 

   12.漢旺教会の姉妹李、年齢60代。地震の起こった日、数人の兄弟姉妹たちは建物の1階にある彼女の自宅で集会を行っていました。建物が揺れだした時、全員はそれを地震だと分かり、部屋の中で跪いて神に祈りを捧げました。しばらくして、家の揺れが収まった後、彼らは走って家の外に出ました。彼らが外に出て見ると、彼女の自宅のある建物と反対側にある建物1軒だけが無事に立っていたのですが、周辺のその他の建物は全て倒壊していたのです。姉妹李はこう言いました。「これは全て神の御気遣いと御加護のおかげです。もし反対側にある建物が倒壊していたら、この2つの建物の間にはたった5メートルの間隔しかないから私達は潰されて死んでいたことでしょう。」

 

   13.綿竹市で世の終わりの神の働きを受け入れたばかりの年配の姉妹。地震が起きた時、彼女は午後の昼寝中でした。他の人の家の壁が崩れ、彼女はびっくりして目を覚まし、枕をすかさず頭の上に当てて走りながらこう叫びました。「全能の神様、私にはあなた以外に頼れるお方はいません。全能の神様、どうか私を御救い下さい!」彼女が家を出たとたんに家の壁が内側に崩壊し、彼女のベッドは潰されてしまいました。

 

   14.東北町教会の兄弟王、70歳、妻の姉妹王、68歳。普段なら、二人は午後の昼寝をしているところでしたが、地震が起きた日の午後は、外から誰かに呼び掛けられているような気がして、心の中でずっと不安と動揺を感じていました。後に、二人は畑仕事に出かけて幸いにも災害を免れましたが、家に帰った時、二人は自分達の家が完全に倒壊しているのを目にしました。

 

   15.七天教会の姉妹酥、60歳。地震が発生した日、彼女の自宅は倒壊しました。これが起った時、彼女は外に逃げ出す時間がなく、がれきの下敷きになってしまいました。しかし、彼女は人のいのちは神の手中にあることを知っていたため、心の中で全能神に助けを求め続けました。数時間後、彼女は怪我を1つなく残骸の中からはい出ることが出来ました。

 

   16.斉天教会のリーダー、兄弟劉、55歳と妻の姉妹周。普段二人は毎日午後に昼寝をして、午後3時が過ぎるまでは起きません。しかし、5月12日、姉妹周は全く眠ることが出来ず、二人は午後1時50分に起きて畑仕事に出掛けました。地震が発生した時、二人の自宅は倒壊してしまいましたが、二人は災害を免れました。

 

   17.斉天教会の兄弟張、70歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。地震が発生した時、二人は走って外に出ましたが、庭から外に出る門が固く閉まっていて開けることが出来なかったため、二人は庭の中に留まることを余儀なくされました。地面の揺れや振動により、二人はまっすぐ立っていられずお互いにしがみつきながら全能神に助けを求め続けました。二人の家と周辺を囲む壁は倒壊してしまいましたが、無事に残っていた壁は驚くことに彼らが立っていた場所を囲んでいたのです。

 

   18.七天教会の姉妹厳。彼女の自宅は集会場所となっていました。5月12日、兄弟姉妹たちは彼女の自宅で集会に参加していました。地震が発生した時、全員が全能神に助けを求めながら走って外に出ました。5人いた内、死傷者は一人もいませんでした。

 

   19.名字が3人とも楊という永楽教会の兄弟3人は年齢が3人とも50代、兄と一緒に中庭の回りで暮らしていました。3人の兄弟たちは全能神を信仰していましたが、彼らの兄は未だに3つの贖いの分派を信じていました。地震当日、兄弟3人の家は無傷で、3人の中から死傷者も出ませんでした。ところが、彼らの兄の家は倒壊して、彼自身も重傷を負ってしまいました。

 

   20.永楽教会の兄弟肖59歳と義理の娘の姉妹羅30歳。普段、この家族は全員が午後に昼寝をする習慣がありました。しかし、5月12日の午後、兄弟肖は眠ることが出来なかったので畑に出て殺虫剤を散布する準備をし、姉妹羅も畑に出て雑草を抜く準備をしました。二人が畑に着いた時、ちょうど地震が発生し、彼らの家は倒壊してしまいました。兄弟肖の孫娘は当時10歳で、あの日は学校にいました。彼女がいた校舎は完全に倒壊し、彼女のクラスにいた生徒も全員が押し潰されてしまいました。生き残った生徒は4人のみでした。この内3人は重傷を負い、彼女だけが無事に脱出することが出来ました。全能神がこの家族の3世代全員を御守り下さったのです。

 

   21.尊道教会の兄弟肖、62歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。5月12日に地震が発生した時、兄弟肖とその妻は屋敷の壁の隣で働いており、その時突然、南の方向から大きな轟音を聞こえてきました。黄色の煙が真っすぐに舞い上がりましたが、彼らの家は白い煙霧に完全に取り囲まれていました。そして、地面が動き、山々が揺れ、大小の岩が山から続けて彼らの家の両側をめがけて転がり落ち始めたのです。この時、姉妹は、「全能の神様、どうか私を御救い下さい!」と神に助けを求め続けました。兄弟肖もとても心配して、「家の中には教会の書籍がある。私はどうするべきか?もし傷でもついたら、神様にどう説明したらよいだろう?」と考えていました。驚いたことに、岩が次から次へと転がり落ちてきたにもかかわらず、彼らの家には全く傷ができていなかったのです。その翌日、彼らの息子とその嫁が急いで駆けつけて、そこにいるのは危険過ぎるからと言って彼らに家を出ることを薦めました。しかし、兄弟肖はどうしても家を出ようとしませんでした。彼らの息子は他の親戚たちを呼び寄せて彼に家を出るように薦めてもらいましたが、それでも彼は家を出ようとはしませんでした。彼は心の中で「俺は神の不思議な御業と御力をこの目で見たんだ。ここから出て行ったら教会と連絡が取れなくなることも心配だ」と考えていたのです。ついに、彼は息子に、「もう1回ここから出ろと言ったら、自殺するぞ!」、と言った後、続けて「今日神は俺の家を御救い下さったんだ。これは神の御心であるに違いない。俺は兄弟姉妹たちが来るのをここで待つ。ここから出て行ったら兄弟姉妹たちと連絡が取れなくなるんだよ」と言いました。これをうけて彼の息子は、「そうしたらお父さんの様子を毎日教えてくださいよ」と言うこと以外に何も出来ませんでした。そして兄弟肖は、「それなら出来るよ」と返事をしたのでした。

 

   22.尊道教会の名字がそれぞれ謝、陳、李という人たちを含めた合計4人、平均年齢は70歳。5月12日、彼らが集会を開いている最中に地震が発生し、彼らの家が倒壊したため全員が残骸の下に生き埋めになってしまいました。すぐに、2人の姉妹ががれきの中からはい出て来てがれきを見た時にこう言いました、「2人は死んでしまったに違いないわ。」その瞬間、がれきの中から声がしました、「私たちは生きてるわ。全能神に助けを求めているのよ!」2人の姉妹は慌ててレンガをどかして穴を掘り、がれきの中からこの2人を救い出したのです。この4人の内、1人の兄弟のみが目の角に小さく浅い怪我を負いましたが、残りの3人は無傷で済みました。

 

   23.尊道教会の82歳の姉妹。普段彼女は午後2時に昼食をとっていたのですが、5月12日だけは義理の娘の家に行きたかったので午前11時に昼食をとっていました。義理の娘の家に着いたとたん、彼女は何かを感じ取り、心の中でパニックになったのです。彼女は外に出なくてはいけないと感じ続け、心の中でこう考えました。「少し早めにここから出て、息子の菜種の収穫を手伝おうかしら。」彼女が家を出てすぐ、山を途中まで上がっていた時に地震が起き始めたのです。地面が動き、山が揺れ、彼女はすぐさま地面に座りこんで神に助けを求めました、「全能の神様、どうか私を御救い下さい!」大きな岩が山から続けて転がり落ちてきましたが、彼女はかすり傷すら負いませんでした。ところが、彼女の無信仰者である義理の娘は自宅で生き埋めになり命を落としました。

 

   24.城关教会の姉妹張72歳は建物の5階に住んでいました。あの日の地震は急な出来事すぎたため、彼女は外に逃げる時間がないと思い、跪いて全能神にこう祈りを捧げました。「ああ、全能の神様。あなたは私に息といのちをお与え下さりました。私は今になってあなたの義なる御性情が分かりました!」後に、姉妹張は、周辺の建物全てが一瞬にして倒壊していき、自分の住んでいた建物のみが空地の中で立ち残こり揺れている様子をその目で目撃したのです。祈りを捧げてからすぐ、彼女は建物の揺れがおさまったのを感じ、急いで外に駆けだしました。彼女が外に出たとたんに、彼女の住んでいた建物全体が崩れ落ちたのです。姉妹張は元々彼女の孫息子は間違いなく学校で生き埋めになって死んでいるものと思っていましたが、彼はあの日学校には行っておらず、災難も免れていたことを後に知ったのでした。彼女が彼らの家の着くと、皆が抱き合って涙を流し、全能神に御救いいただいたことを感謝しました。

 

   25.兄弟張は馬尾教会のリーダーでした。5月12日の午後2時25分、彼の無信仰者である祖父が兄弟張の家で兄弟姉妹たちが会話をしているのを見て腹を立て、それを受け入れられなかった彼は自分のひ孫を兄弟張に手渡し、自分の部屋に昼寝をしに行ってしまいました。地震が起こった時、彼はその場で圧死してしまいましたが、兄弟張、その妻、そして彼らの子供達は全能神に助けを求め、無事に脱出することが出来ました。その時、姉妹ビーと姉妹周は家の中で全能神に助けを求め続けた結果、神の御加護を授かりました。家はとても激しく揺れていたため、この姉妹の内1人が転んで足をぶつけてしまい、そこが腫れてしまいましたが、4日後には完治していました。

 

   26.方泉教会の姉妹方、45歳。5月12日、彼女は家が倒壊した時、がれきの下に埋もれてしまいました。彼女はがれきの下にいる間、神にこう祈りを捧げました。「ああ、全能の神様。私が何を手にするかはあなた次第であり、あなたの御計画通りなのですね!」この時、彼女の旦那は自宅にはいませんでした。その後、彼は帰宅して自分の家が倒壊しているのを見て、妻の名前を呼び始めました。彼女は残骸の中から返事をして、旦那に救助されました。彼女はかすり傷すら負っていませんでした。

 

   27.東北町教会の姉妹徐、38歳。彼女は集会で新しい信仰者たちを指導する本分を尽くしていました。5月12日、彼女は集会に呼ばれていましたが、集会には行かずにこう考えました。「今日は田植えをしに行こう。でも明日は集会に行って新しい教会のメンバーたちを指導しないといけないわ。」地震が起きた時、彼女は寝ていたので揺られて目を覚ましました。彼女は最初、地震が起っていると同時に神の日が到来したのだと思い、外に駆けだして神の助けを請いました。彼女がリビングに走り込んだとたんに寝室が倒壊しました。彼女が前に走って行くにつれて後ろの部屋と壁が倒壊していき、正門から走り出たとたんに、彼女の家と中庭の壁が全て倒壊していったのです。彼女の自宅にあった物は全て粉々になってしまいましたが、彼女自身は無事でした。

 

   28.姉妹陳、65歳、東北町教会のリーダー。5月12日、彼女と彼女の次男は一緒にレストランで昼食を食べていました。彼女の息子は食べ終えた後、家に昼寝をしようと家に帰りました。地震が起きた時、家の大梁が2本落下してきて、偶然にも彼のベッドの両サイドに倒れ込み、ベッドの各側がそれぞれ梁を1つずつ支え上げた状態となり、上から落下してくる物を受け止めていたのです。更に、中庭の壁同様、家の壁が2つ外側に倒れてしまいましたが、彼女の息子は怪我をしませんでした。後に、姉妹陳の息子はこう言いました。「お母さん、お母さんが熱心に神の信仰をしているおかげで、僕は神の御恵みと御加護を受けることが出来たよ。」彼女の息子にも4歳になる娘がいました。地震の起きた日の午後、彼女は突然泣き出して学校に行こうとせず、お母さんと一緒にいたいと言いました。地震発生中、この子の通う学校(五福小学校)は倒壊してしまいましたが、彼の娘だけが無傷で済んだのです。これを機に、姉妹陳の義理の娘も神の信仰を始めました。

 

   29.東北町教会の姉妹赵、73歳。5月12日の午後2時過ぎ、姉妹赵は昼食を終えて食器を洗っていました。洗う食器があと3つ残っていた時、彼女はどういう訳かとても疲れて凄く睡眠をとりたくなったのです。(普段彼女は午後に昼寝をする習慣はありませんでした。)彼女はこう考えました。「外に行って孫息子に昼寝をするって伝えてこなきゃいけないわね。じゃないとあの子は私の居場所が分からなくなるわ。」偶然にも、姉妹赵が外に出たとたんに彼女の家は倒壊したのです。

 

   30.土門教会の兄弟朱。彼は5月12日に集会へと足を運びました。集会後、彼は自宅に戻り、家の入口を押し開けようとしていたその時、目の前から誰かに全力で押し戻されたような感じを受けました。彼は後方に何歩もよろめき、ちょうど後ろに下がった時に入口が崩れ、コンクリートの石板と彼の冷蔵庫がその上に落下してきたのです(これは2階建ての家で起きました)。彼は、もし家の中にいれば命を落としていたか重傷を負っていたと思い、これは神の御加護であったということを知ったのです。あの日集会に参加していた人たちの中で死傷者は一人も出ませんでした。

 

   31.土門教会の兄弟王。地震が発生する前、彼はCDを取りに行ったのですが、彼がCDを手に取ってすぐに地震が彼の家を破壊して彼を中に生き埋めにしたのです。ある姉妹が彼の名前を呼ぶと、彼はこう返事をしました。「私は全能の神様に祈りを捧げています!」姉妹と他の人たちは彼をそこから救い出し、彼は耳の浅い怪我と右手の軽い骨折を負っただけで済みました。1か月後、彼は元どりに回復していました。

 

   32.土門教会の兄弟古、70歳。彼と彼の妻は共に信仰者です。普段、彼らは自分達の業務を終えて午後2時が過ぎてから昼食を取っていました。5月12日、彼らが菜種のずだ袋を運び終えた後、兄弟古は妻に少し早めに昼食を作るように頼みました。昼食を食べ終えた後、二人は畑作業をしに出かけたため、地震が起きた時は二人共無事でした。現在、彼らは共に強い信仰心を持って彼らの本分を尽くしています。

 

   33.姉妹劉は綿竹市にあるビルの6階に住んでいました。彼女の自宅は集会の場として使用されており、震災の起こった日に彼女のビルは倒壊してしまいましたが、彼女は怪我を負わず、家に置いてあった書籍も全く無傷な状態で済みました。

 

   34.尊道教会の姉妹李、46歳。彼女の自宅は4つ教会の書籍、小型のCDプレーヤーとCDを保管する場所として使用されていました。普段、姉妹李は毎日午後に昼寝をしていました。しかし、5月12日の午後、彼女は心の中でこう考えていました。「今日から送られてきた書籍を教会別に分けておく必要があるわね。そうしたら姉妹たちが取りに来た時に時間がかからなくて済むわ。」こうして、あの日の午後、彼女は午後の昼寝はせず、地震が起こった時に彼女は外に駆け出し、そしてその時に彼女の自宅は倒壊したのでした。教会の書籍が入った箱1つだけが無傷で、その他に彼女の家にあった箱は1つ残らず潰れていました。彼女はこの箱をがれきの下から掘り出して見ると、4つのCDプレーヤー、CDそして書籍にはほこり1つ付いておらず、全てが完璧な状態で残されていたのです。

 

   35.興隆教会の姉妹叶、46歳。地震が発生した時、彼女は孫娘を抱えながら外に掛け出ました。外に出た後、彼女は自分の家と中庭の壁が全て倒壊するのを目の当たりにしました。しかし驚いたことに、彼女の家族が持っていた豚小屋はいつも壊れかけの状態にあったにもかかわらず、彼女が聖書をそこに保管しており、全能神に聖書を御守り下さるようにと絶えず祈りを捧げていたため、豚小屋は期待通りに倒壊を免れたのです。

 

   36.地震発生時、教会のリーダーである兄弟李は集会に参加しに行きましたが、怪我を負うことはなく、自宅が倒壊しただけで済みました。驚いたことに、彼が教会の書籍とCDプレーヤーを保管していた部屋の壁は全て外側に倒れたため、部屋の中にあった物は全てそのままの状態で傷がつくこともありませんでした。

 

   37.姉妹劉、60歳。彼女の自宅は教会の書籍を保管する場所として使用されていました。震災後、彼女の自宅はほとんど倒壊してしまい、水浸しとなってしまいました。書籍が入れられていた食器戸棚の上部の屋根瓦だけが落ちずに済み、書籍は完全に乾いた状態で保たれていました。

 

   38.無信仰者である李という名字の女性40歳は以前姉妹呉から福音を聞かされていましたが、それを受け入れてはいませんでした。5月12日、李さんは母親宅で田植えをしていました。地震が発生した時、彼女は足が押し潰されてしまい、開放損傷を負ってしまいました。しかし奇妙なことに、彼女は傷口からの出血がなく、後ほど薬の助け無しに自力で回復を遂げたのです。その後、彼女は積極的に姉妹呉を探して自分も神を信じられるようになるかと尋ねたのです。彼女は後に、自分の母親、弟とその妻に福音を伝導し、その全員がそれを受け入れてくれたのです。彼女は神を心から信じたくなったと口にしていました。

 

   39.尊道教会の袁という名字の姉妹40歳。彼女は普段真理を求めずにレストランで働いていました。彼女を含めた4人がレストランで働いており、残りの3人は無信仰者でした。ユアンは毎日午後に昼寝をしていましたが、5月12日は3人の無信仰者たちに食器を洗いに行くように頼まれました。ユアンが食器を洗い終わった時は既に午後の2時で、昼寝をする時間はもうありませんでした。ユアンが腰を下ろしたとたんに地震が発生し、彼女は走って外に逃げ出しましたが、残りの3人の従業員は全員が押し潰されて命を落としてしまいました。

 

   上述したのは神の素晴らしい御加護を受けて大震災を生き延びた人たちの実例です。しかし、神の働きを受け入れた後に神の元を離れて神の御気を害してしまった人もおり、この人たちは皆、神の御気遣いと御加護を失ってしまいました。

 

   1.睢水教会の名字がデンという女性54歳。震災が起る前、彼女はもう2週間も集会に参加していませんでした。彼女の兄弟と姉妹が彼女を探しにきた時、彼女はこう言いました。「お金を十分稼げるようになったら心から神を信じますよ。」5月12日、彼女は依然として集会に顔を出していませんでした。地震が発生した時、彼女は山でまきを割っていましたが、押し潰されて命を落としてしまいました。

 

   2.城关教会の名字がヂャオという女性60歳、名字がチェンという男性60歳とその妻で名字がチョウという女性59歳。彼らは世俗的なものに強くこだわっていたため、去年の4月に教会を止めてしまい、全能神を信仰し続けることは望んでいませんでした。彼らの兄弟姉妹たちは幾度に渡って彼らを支持しようとしましたが、彼らはそれでも教会に戻ろうとはしませんでした。震災が起こった時、彼らの自宅は倒壊し、彼らは押し潰されて命を落としてしまいました。

 

   3.城关教会の名字がレンという女性60歳。彼女は新しい働きを受け入れた後、いつも疑問を抱き、不安定な状態にありました。その後、世俗的な物を手放したくなかった彼女は集会に全く参加しなくなってしまいました。2008年4月、彼女は山の上で仕事を見つけましたが、5月12日に地震が起こった際に押し潰されて命を落としてしまいました。

 

   4.尊道教会の名字がディンという女性。彼女は彼女の旦那と同様に信仰者でしたが、神を完全には信じることは出来ずにいました。地震が起こる前、彼女は足を骨折し、旦那にこう言いました。「私達は共に神を信じているのに、なんで私が足を骨折するはめになるの?すると旦那はこう言いました。「お前は神のことを本当には信じていないじゃないか。」その後、彼女は自己認識を出来ていなかっただけでなく、それどころか神に対する観念が悪化していったのです。震災の起きた5月12日、彼女の自宅は倒壊し、彼女は押し潰されて死んでしまったのですが、彼女の旦那は無傷だったのです。彼女の旦那は自分の妻の死に関して不平をこぼさずにこう言いました。「彼女は神を本当には信じていなかったんだから、神が成されたことが間違いであるはずがない。」

 

   5.ダヤン教会の福音助祭で名字がヂャオという男性54歳。彼は2005年12月に新しい働きを受け入れました。彼は福音助祭として務めた間、何の結果を上げることも出来ませんでした。教会のリーダーが彼に出掛けて福音の伝導をするように要請すると、彼はいつも言い訳ばかりして、自分の肉を考慮し協力することを渋りました。地震が発生した5月12日、山から転がり落ちてきた岩がオートバイに衝突しました。オートバイ内部のバネが飛び出してきて偶然にもヂャオの目に当たり、彼は失明してしまったのです。これを見た兄弟姉妹たちは怖くなって自分たちの肉を考慮することを止めました。その代わりに、彼らは福音の伝導活動に精を出していくことを望んだのでした。

 

   6.ユアンメン教会の50代の信仰者は2006年に新しい働きを受け入れましたが、彼女は名目だけの信仰者でした。彼女は真理を求めることも、神の御言葉を読むことも、自分の本分を尽くすことも決してありませんでした。彼女の旦那は彼女にこう言いました。「俺たちはもう長い間神を信仰してきているけど、何の本分も尽くせていないなあ。教会に500元寄付したらどうだろう?」すると彼女はこう言いました。「私が苦労して稼いだお金を寄付するですって?そんなの絶対嫌よ!」彼女の旦那は彼女に耳を傾けずにお金を寄付しました。これを知った彼女は旦那をきつく叱りました。震災は彼女の家を粉々にしてしまい、彼女は壁から降ってきたレンガがまともに当たり失明してしまいました。

 

   7.ユアンメン教会の名字がジャオという60歳の男性。彼は2007年に新しい働きを受け入れましたが、彼は名目だけの信仰者でした。彼は性格がとても悪く、神に反抗もし、彼の妻が本分を尽くすのを邪魔して彼女のCDプレーヤーを潰し壊してしまったのです。震災が起こった時、彼の自宅は倒壊し、彼は押し潰されて命を落としてしまいました。

 

   今現在、真の道を探っている兄弟姉妹の皆さん、これらの事実を受けても、私たちが歩むべき道を選択する方法は依然として不明なのでしょうか?「災いはわたしによりもたらされ、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの目に良いと映らなければ、災いの苦しみから免れることはないだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「終着点のために、善行を十分積まなければならない」より)これが神の御性質なのです!

 

   2012年の末、中国共産党は又しても全能神の教会に対する抑圧と非情な迫害を強化しました。彼らは野蛮なまでに全能神の働きに反抗し、福音を伝導する兄弟姉妹たちをあちこちで逮捕したのです。彼らが兄弟姉妹たちを拘束した後、彼らはこう言って脅したのです。「神を信じる者がいたら、その者の子供たちは次の3世代に渡ってこれに巻き込まれることになるんだ。子供たちが学校に通うこと、党員になること、軍隊に参加すること、仕事に就くことに悪影響を及ぼすことになるんだぞ!」しかしながら、私たちは災害発生時には全能神を信仰する兄弟姉妹たち自身が神に御加護を受けられるだけでなく、彼らの家族までもが(神に抵抗せずに、それぞれの家族の信念を支持してさえいれば)災害の中で神の御加護を受けられるということを目の当たりにしてきた上に、家族全員が3世代に渡って神に御救い頂いている実例も数多く存在しているのです!その一方で、共産党員や官僚たちは震災発生時に自分自身を救うことすら出来ないのです。その者たちが一体誰を救えると言うのでしょうか?私は、これらの決定的かつ反論し得ない事実は、あなたが慎重に検討し、考慮する理由となるともの信じています。どうぞ正しい道をお選びください!


神の愛が私の心を強くした

2020-02-23 11:49:15 | 勝利者の証し

   私の家族はみんな、とても仲良くやってきました。夫は実に優しくて思いやりのある男性です。息子はとても良識があり、目上の人に常に敬意を表します。それだけでなく、私たちはかなり裕福でもあります。理屈で言えば、私はとても幸せだったはずです。しかし、現実はそうはいきませんでした。夫と息子からどれだけ大事にされても、どれだけ恵まれていても、私は幸せを感じることができませんでした。関節炎になったせいで夜は眠ることができず、重度の不眠症にも悩まされました。その結果、脳への血液供給が低下し、手足全体が衰弱してしまいました。これらの病気の苦難に、事業経営の絶え間ないプレッシャーが相まって、言葉で表せないほどの苦しみのなかで暮らしていました。さまざまな方法で克服を試みましたが、どれもうまくいかないようでした。

   1999年3月、全能神の終わりの日の福音を友人が私に伝えてくれました。私は毎日神の御言葉を読み、継続して集会に出席し、兄弟姉妹と交わりました。その結果、いくつかの真実を理解するようになり、これまで知らなかった多くの奥義を学び、全能神は再臨した主イエスであると確信するようになりました。これらのことすべてから非常に刺激を受けた私は、毎日神の御言葉をむさぼるように読みました。教会生活にも関わり、兄弟姉妹と頻繁に集まり、祈り、神を賛美しながら歌い、踊りました。心の平安と幸福感が高まり、気力と物事の見方が日々改善していきました。ゆっくりと、しかし確実に、さまざまな病気も回復していきました。人生においてこのような前向きな展開を得られたことに、私は頻繁に神に感謝と称賛を捧げました。全能の神の福音をさらに多くの人々に広め、人々が神の救いを得られるようにしたいと思いました。それから間もなくして、福音を広める仕事を教会から任されました。私はこの仕事に熱心に打ち込みました。けれど、想像もしなかったことが起こったのです……。

   2012年12月15日の晩、私が姉妹四人との集まりを終えて帰ろうとしていた時です。何かが割れたような大きな音がしたかと思うと玄関のドアが蹴破られ、私服警官が七、八人部屋に飛び込んできました。そして私たちに向かって、「動くな、手を上げろ!」と叫んだのです。警官たちは何の書類を見せることもなく、私たちを力ずくで調べ、私の身分証明書と教会の資金である7万人民元(約110万円)の領収書を押収しました。彼らは領収書を見たとたんに非常に興奮し、私たちをパトカーに押し込み、警察署へ連行しました。警察署に着くと、警官たちは私たちの鞄から携帯電話、MP5プレイヤー、現金200人民元(約3千円)を押収しました。姉妹の一人と私が教会の指導者なのではないかとその時疑っていた警察は、その夜のうちに私たち二人を市公安局の刑事捜査部に移送しました。

   公安局に到着すると、警察は私たちを引き離し、個別に尋問しました。私は金属製の椅子に手錠でつながれ、「7万人民元の話を聞かせろ。誰が金を送った?金は今、どこにある?教会の指導者は誰だ?」と、警官から激しい尋問を受けました。私は心の中で神に祈り続けました。

   「神様!この警官は私に教会の指導者を密告させ、教会のお金を渡すようにさせようとしています。私にはユダのように神様を裏切ることは絶対にできません。あぁ、神様!私は神様の御手に身を委ねます。信仰と勇気と知恵をお与えください。警察がどのように私から情報を無理やり聞き出そうとしても、私は神様に証しを立てます」

   そして、私は頑として「知りません!」と言いました。これが警官を怒らせることになりました。警官は足元のスリッパを手に取ると、私の頭を激しく殴り始めました。そして、「それなら何も言うな。ただ全能神を信じていろ!いつまで信じていられるか、見てやる」と怒鳴りました。殴られた顔がひりひりと痛み、あっという間に腫れ上がりました。頭もずきずきと痛みました。警官四、五人が交代で私を殴り、教会のお金の保管場所を無理やり言わせようとしました。脚を蹴ってくる警官、髪を引っ張って前後に振る警官、口を殴打してくる警官もいました。私は口から出血しましたが、警官たちは血を拭き取っただけで殴り続けました。また、電気ショック警棒バトンでも思いつくままに突かれました。警官は私を殴りながら、「話をするのか、しないのか? 全部、白状しろ!」と怒鳴りました。それでも私が話そうとしないのを見て、テーザー銃で私の脚の付け根と胸を撃ちました。それは耐え難い痛みでした。鼓動が激しくなって呼吸困難に陥った私は、体を丸めて震えました。死が一歩ずつ私に向かってくるように感じたのです。一言も言葉を発さずに口を固く閉じていましたが、心臓がとても弱く感じられ、これ以上は耐えられないと思いました。そんな苦しみのなかでも、私は神への祈りをやめませんでした。

   「あぁ、神様!私は神様にご満足いただくように決心しましたが、私の肉体は弱く無力です。神様に証しを立てられるように、私に力を植えつけてください」

   その瞬間、私は突然思いました。十字架に打ち付けられる前に、主イエスはローマ兵たちにひどく殴られたのです。血まみれでぼろぼろになるまで殴られ、痛めつけられ、体全体が傷で覆われ……。それでも主イエスは一言もおっしゃいませんでした。神は聖く潔白です。それでも主イエスは計り知れない屈辱と苦痛を味わい、人類の罪をあがなうために十字架に張り付けにされることをいとわなかったのです。私は思いました。

   「堕落した人類を救うために神が肉体をお捧げになることができたなら、私も神の愛に報いるために苦しみを受けるべきだ」

   神の愛に勇気づけられことで自信を取り戻し、神に誓いを立てました。

   「神様、神様がお受けになる苦難がどんなものであったとしても、私も同じ苦難を受けるべきです。神様と同じ杯の苦しみを、私も飲むべきです。神様に証しを立てるために、私は自らの命を捧げます!」

   その晩はほとんどずっと拷問が続き、私の体はわずかな力も残らないまでに打ちのめされました。疲れ果て、目を開けているのがやっとでしたが、目を閉じるとすぐに水をかけられました。体は寒さで震えていました。この獣の群れはそんな状態の私を見て、「まだ口を開かないつもりか?この場所で、誰にも知られることなく、お前が死ぬまで拷問することもできるんだぞ!」と激しくののしりました。私は警官たちを無視しました。邪悪な警官の一人がひまわりの種の殻を手に取り、私の爪に押し込みました。耐え難いほど痛みに襲われ、指の震えを止められませんでした。次に警官たちは私の顔に水をかけ、首にも注ぎました。水は骨まで凍りつくような冷たさで、私は寒さに震えました。ひどい苦しみでした。その夜、私は神に祈り続けました。もし神のもとを離れることになったら、もう生きていけないだろうと恐れていました。神はいつも私のそばにいらっしゃり、御言葉は常に私を励ましてくださいました。「人々が自らの命を犠牲にする覚悟がある時、全てがささいなものとなり…」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉の奥義の解釈」の「第三十六章」より)「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第六章」より)

   神の御言葉は、尽きることのない力を私に与えてくださいました。私は思いました。

   「そうだ。神様はすべてを統治していらっしゃる。すべてのものが神様の手の中にある。たとえ邪悪な警官が私の肉体を死ぬまで拷問しようと、私の魂は神様の支配下にある」

   神様が支えてくださっているので、私はもうサタンを恐れることはなくなりました。ましてや、裏切り者になり、肉体のために無意味な人生を送ろうと望むことなどありませんでした。だからこそ、祈りながら神に誓いを立てました。

   「神様!悪魔たちが私の肉体を苦しめています。しかし、私は神様にご満足いただき、私自身をすべて神様の手に委ねることをいまだにいといません。たとえそれが死を意味したとしても、私は神様に証しを立てます。サタンにひざまずくことは決してありません!」

   神の御言葉のお導きによって、心が自信と信仰に満ちているのを感じました。警察が私の肉体を拷問し、苦しめ、私はすでに忍耐の限界に達していましたが、神の御言葉に支えられ、知らないうちに痛みがずっと軽くなりました。

   翌朝も邪悪な警官は私への尋問を続け、こう言って脅しました。

   「もし今日話さなければ、お前を特別警察に引き渡す。特別警察には拷問道具が十八種類あるんだ」

   特別警察に連れていかれると聞いた私は、動揺せずにいられませんでした。そして、「特別警察はこの警官たちよりもずっと執拗に違いない。どうしたら十八種類もの拷問に耐えられるだろうか」と思いました。ちょうどパニックに陥りそうになったとき、神の御言葉のある一節を思いました。「勝利者とは何か。キリストの良き兵士たちならば、勇敢であってわたしを信頼し、霊的に強くなければならない。戦士になるために戦い、決死の覚悟でサタンと戦わなければならない。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十二章」より)

   この神の御言葉のおかげで、パニックで動揺していた心をすぐに落ち着けることができました。そして、これは霊的な戦いであり、神が私に証しをさせたいと望まれる瞬間が来たのだと気づきました。支えてくださる神の存在がある私には、恐れることは何もありませんでした。邪悪な警官がどのような恐ろしい方法を使ったとしても、私は神を頼りに、キリストの善き兵士として、決して屈服することなく死ぬまでサタンと戦わなければならなかったのです。

   その日の午後、市公安局の宗教担当職員二人が私を尋問しに来ました。「教会の指導者は誰だ?」と聞かれ、「知りません」と答えました。私が話すことを拒否したのを見て、二人は懐柔策と威圧策を交互に使いました。一人は拳で私の肩を非常に強く押し、もう一人は神の存在を否定する不条理な理論をまくし立て、私を言いくるめようとしました。

   「宇宙のものはすべて、自然の過程から生じる。もっと現実的に考えろ。神を信じても、お前の人生の問題を何も解決してくれない。お前にできることは、自分自身を頼りにして、一生懸命働くことだけだ。我々はお前とお前の息子の仕事探しを手伝ってやれる……」

   私は心の中で神と交わり続けました。すると、御言葉の一節を思いました。

   「あなたがたは常に目を覚まし、待っていなければならない。わたしの前にて、さらに祈らなければならない。いくつも存在するサタンの企てやずる賢い策略を見極め、霊を知り、人々を知り、どのような人や物事をも見分けることができなくてはならない。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十七章」より)

   この神の御言葉によって啓かれた私は、サタンの陰謀を見抜くことができました。心の中で思いました。

   「邪悪な警官は不条理な理論で私をだまし、ちょっとした世話を焼くことで言うことを聞かせようとしている。サタンの策略にだまされてはいけない。ましてや神様を裏切ってユダになってはいけない」

   神の啓きのおかげで、邪悪な警察の腹黒い意図を見抜き、どのような懐柔策と威圧策を使っても、ただ無視しました。その夜、別の誰かが私の尋問に来るということ、警官たちが私に犯罪歴があると主張しているということを聞きました。何を予期すればいいのか、これから何が起こるのか分かりませんでした。できることは、神にお導きいただけるように心の中で呼びかけることだけでした。どんな迫害や困難に直面しても、神を裏切ることはできないと分かっていました。その少し後にトイレに行った時でした。突然動悸を感じ、めまいがしたかと思うと、床の上で意識を失ってしまいました。異常な音に気づいた警官たちがすぐに駆けつけ、私を取り囲みました。「火葬場に連れて行って燃やして、終わらせてしまえ!」と、誰かが不吉なことを言うのを耳にしました。しかし、私が死ぬかもしれない、そうなれば自分たちがその責任を負うことになると恐れた警官たちは、最終的に救急車を呼びました。私は病院に搬送され、検査を受けることになりました。検査の結果、私が以前に心臓発作を起こし、そのため心筋虚血が残っていたことが判明しました。尋問は中止になり、私は留置所に連れていかれました。邪悪な警官たちの不満そうな表情を見て、うれしくてたまらなくなりました。神が私のために道を開いてくださったおかげで、当分はそれ以上の尋問を受ける必要がなくなったのです。悲惨な事態を免れたことで、神の御業を目の当たりにすることができました。心の底から神に感謝し、神をたたえました。

   その後の十数日間、中国共産党政府は教会の資金の保管場所を聞き出すまではあきらめる気がないと分かっていた私は、毎日神に祈りました。どんなことがあっても神の側にしっかりと立ち、決して神を裏切らず、真の道を捨てることがないように、私の口と心を守ってくださるよう願いました。ある日祈りを終えると、神の啓きによって、神の御言葉からなる賛美歌を思い出しました。「神があなたに何を求めようとも、あなたはそれにあなたのすべてを捧げさえすればよい。最終的に神の前にあなたの忠誠心を示し得ることが望ましい。玉座にいる神の満足そうな笑みを見ることができる限り、たとえ死に際しても、あなたは微笑みながら目を閉じられるはずである。あなたは地上にいる間に神のために最後の本分を果たさなければならない。昔、ペテロは神のために逆さ磔にされた。しかし、あなたは最後に神を満足させ、神のために持てるエネルギーのすべてを使い尽くすべきである。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「造られた者は神の意思に自らを委ねるべきだ」より)

   私は心の中で何度も賛美歌を歌い、その歌詞をじっくりと考えました。すると神の御言葉をとおして、神が私に何を求め、期待していらっしゃるかが分かるようになりました。神の支配下で生きる宇宙のあらゆる被造物と、地上で神に追随するあらゆる人の中で、ごく少数の人だけがサタンに真っ向から立ち向かい、神に証しを立てることができることを思いました。こういった状況に直面できる幸運に恵まれたのは、神が類まれな方法で私を奮い立たせ、私への好意を示してくださったということです。特に、次の神の御言葉には深く勇気づけられました。

   「昔、ペテロは神のために逆さ磔にされた。しかし、あなたは最後に神を満足させ、神のために持てるエネルギーのすべてを使い尽くすべきである。

   私は神への祈りを止めることができませんでした。

   「全能神様!昔、ペテロは神様のために逆さ十字架にかけられ、サタンを前にして神様への愛の証しをすることができました。そして今、中国の政権政党による私の逮捕には、神様の善意が込められています。私の霊的背丈はあまりにも低く、ペテロとは比べものになりませんが、神様の証人となる機会を得ることは多大なる名誉です。私は自分の人生を神様に捧げます。神様への証しをするためなら喜んで死に、私をとおしていくらかの慰めを得ていただきたいと思っています」

   12月30日の朝、私の尋問のために、市公安局から役人が何人かやってきました。私が尋問室に入るとすぐに、邪悪な警官が私の綿入りのズボンとジャケットを脱がせ、言いました。

   「お前の妹と息子を拘束した。お前の家族も全員信者であることは分かっている。夫の職場にも行き、お前が2008年に全能神の信仰を始めたことも判明した……」

   警官の言葉は私の最大の弱みに付け込むもので、私は心が打ち砕かれました。息子と妹も拘留されるとは思ってもいませんでした。突如、感情に圧倒されて、私は二人のことを案じ、無意識のうちに神から心が離れてしまいました。「二人は殴られているだろうか?息子はそのような仕打ちに耐えられるだろうか?」と、何度も思いました。するとその時、神の御言葉の一節を思い出しました。

   「なぜなら、誰かがどれほど苦しむべきかや、それぞれの道をどこまで歩むべきかは神により定められたもので、誰も他人を助けることなど本当には出来ないと私は常に信じてきたからである。」(『言葉は肉において現れる』の「道……(6)」より)

   神の御言葉によって、私は感情的な状態からすぐに抜け出し、人の信仰の道はそれぞれ神によってあらかじめ決められていることに気づきました。誰もがサタンを前に神に証しを立てるべきであり、これはつまり、妹や息子にとってもサタンを前に神に証しを立てるのは大きな恵みなのではないでしょうか。そう考えた私は心配するのを止め、もう二人のことを気にしませんでした。彼らを神の御手に委ね、神の取り決めにお任せしようと思いました。その時、別の警官が他の姉妹数名の名前を挙げ、知っているかどうか尋ねてきました。私が一人も知らないと言うと、警官はいきなり立ち上がると怒りながら窓のそばの金属製の椅子へと私を引きずっていきました。私を椅子に手錠でつなぐと、すぐさま窓を開け、私が外の冷気にさらされるようにしました。次に、私に冷たい水をかけながら、下品な言葉でののしり、続けざまにスリッパで私の顔を数十回たたきました。ひどく殴打された私の目からは火が出、耳鳴りがし、口から流血もしました。

   その夜、警官数人が私を一番寒い部屋に連れて行きました。窓の全体が氷に覆われていました。警官は無理やり私の服をすべて脱がせ、全裸で窓のそばの金属製の椅子に座らせました。私の両手を背中に回して手錠をかけ、椅子の背もたれにつなぎ、少しも動けなくしました。意地の悪い警官の一人が、冷ややかな悪意のある口調で言いました。

   「我々は性別によって捜査方法を変えたりはしないんだ」

   そして窓を開けたので、骨まで凍り付くような冷たい風が私を襲いました。千本ものナイフで体がえぐられるような思いでした。寒さに震え、歯ががちがちと鳴りましたが、言いました。

   「こんな風にさらされるわけにはいきません。産後リウマチ性関節炎なんです」

   警官は残忍にも答えました。

   「これは関節炎にも効くんだ!ついでに糖尿病や腎臓病にもなるぞ!どんなにたくさんの医者に診てもらったところで、もう二度と治らないぞ!」

   そう言うと、誰かに冷たい水で満杯になったバケツを持ってこさせ、私に足をその中に入れさせました。警官は「バケツの水を一滴もこぼすなよ」と言いました。さらに私の背中に冷水をかけ、その背中を段ボールであおぎました。気温はマイナス四度でした。その骨まで凍り付くような冷たい水に凍えた私は、本能的にバケツから足を引き上げましたが、すぐに押し戻され、もう動かないように命じられました。寒さで全身が縮こまり、震えを止めることができませんでした。血が血管内で凍ったかのようでした。警官たちはそんな私を見て興奮し、不快な笑い声を上げ、「ちゃんと拍子に合わせて踊ってるな!」と馬鹿にしました。私は、この人間以下の悪魔と獣たちが憎らしくてたまりませんでした。すると突然、面白半分に人々を苦しめ、その苦しむ姿を喜ぶ地獄の悪魔を描いたビデオを思い出しました。感情と人間性に欠け、暴力と拷問しか知らない悪魔たちでした。この邪悪な警官たちは、その地獄の悪魔と何ら変わりませんでした。それどころか、さらに卑劣でした。一昼夜の間、何度も私の顔をたたき、教会のお金に関する情報を無理やり明かさせようとしました。殴られたことで私の顔が腫れ上がると、彼らは氷を使って腫れを引かせ、また殴り続けました。神の守りがなければ、とっくに私は死んでいたでしょう。私がまだ話すつもりがないのを見て、邪悪な警官たちは電気ショック警棒で私の太ももと股間に電気ショックを与えました。その度に私は体全体が痙攣し、ひきつけを起こしました。金属製の椅子に手錠でつながれていたために身をかわすことができず、どんなにひどく殴られ、踏みつけられ、辱められても受けるしかありませんでした。私が経験したひどい苦しみは言葉で言い表すことができないほどでしたが、警官たちはその間中ただ大声で笑っていました。さらに恐ろしいことに、ある若い警官が私の乳首を箸でつまみ、力いっぱいひねりました。あまりの痛さに私は絶叫しました。彼らはまた、氷のように冷たい水が入ったボトルを私の股間に押し付けたり、わさびの粉を溶かした水を鼻に流し込んだりしました。鼻の穴全体が燃えたようになり、焼けるような熱が脳天に突き刺さったかのような思いがして、とても呼吸ができませんでした。別の悪質な警官には深く吸い込んだタバコの煙を鼻に吹きかけられ、ひどく咳込みました。ひと息つく間もなく、別の警官が木製の椅子をひっくり返して、足の裏が露出するように私の足をそこに載せ、鉄の棒で両足の裏を何十回も殴りました。足がすっかりちぎれ落ちてしまうのではないかと思うほどの耐え難い痛みでした。痛みのあまり、私は何度も叫びました。まもなく足の裏が赤く腫れ上がりました。それでも邪悪な警官は私を容赦なく苦しめました。鼓動が激しくなり、今にも死ぬと思いました。そうすると警官たちは速効性のある心臓用の漢方薬を私に与え、回復し始めるとすぐにまた殴り始めました。そして、脅したのです。

   「話さないなら、死ぬまで凍えさせて殴ってやる!誰にも分からないんだからな!今日白状しなければ、このままここに何日間でもいて、お前と我慢比べを続けてやる。夫と子どもを連れてきて、お前の今の姿を見せてやろう。それでも言わないなら、奴らがクビになるようにしてやる!」

   さらには私に嘲りの言葉も浴びせました。

   「神を信じてるんじゃないのか?なら、なぜ神はお前を助けに来ない?お前の神なんて結局、そんな程度だということだ!」

   この敵意に満ちて邪悪で野蛮な獣たちを私は心から軽蔑しました。残酷な拷問に耐えるのは非常につらかったですが、神への中傷に耐えることはさらに苦しいことでした。断固たる態度を貫くために、神に必死に呼びかけました。私を守り、私に信仰、強さ、苦しみに耐える意志を与えてくださるよう懇願しました。するとその時、私の心に神の御言葉が浮かびました。

   「終わりの日に、あなたは神に対して証しとならなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで経験しなければならず、あなたの呼吸が止まるまで神に対して忠実であり続け、神に身を委ねていなければならない。これのみが真に神を愛するという事であり、これのみが強く確固とした証しとなるのである。」(『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験して初めて、神の素晴らしさを知ることができる」より)

   私は思いました。

   「そうだ!神様のご意志は、私がサタンを前に神への証しをすること。神様にご満足いただくために、この痛みと屈辱に耐えなければ。あとわずかな時間しか私には残されていないとしても、私は神様に忠実でなければ。これが強く響き渡るような証しであり、これで憎き悪魔を恥じ入らせてやる」

   神の御言葉のお導きによって、自信と信仰を心に取り戻せたことを感じました。闇の力を突破する覚悟でした。たとえそれが死を意味しても、今回こそは神にご満足いただかなくてはなりません。その時、教会の賛美歌が思い浮かびました。

   (『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神が栄光を得る日を見ることを望む」より)

   私は思いました。

   「そうだ!自分の肉体を気づかっていてはだめ。サタンに屈辱を与え、神様の御心をお慰めする機会がある限り、私の命を神様に捧げるのもいとわない」

   ひとたび意志が固まると、悪魔たちからどんな拷問を受けても、どんなに巧みな策略で惑わされそうになっても、最初から最後まで心の中で神を信頼していました。神の御言葉は私を内側から啓き、導いてくださり、私は信仰と力を得て、自分の肉体の弱さを克服することができました。邪悪な警官は寒気で私を拷問し続けました。体全体に角氷をこすりつけられると、氷の洞窟に閉じ込められたかのような厳しい寒さに震えました。歯はがちがちと大きく鳴り、肌は青色と紫色になりました。そして午前二時ごろ、もう死んでしまいたいと思うほどの拷問を受け、再び弱ってしまっていました。この苦しみにあとどれだけ耐えなければならないのか分からず、心の中で何度も神に懇願するしかありませんでした。

   「神様、私の肉体はあまりに弱く、もうこれ以上耐えることができません。どうか私をお救いください!」

   その祈りに応えてくださった神に感謝します。もう耐えられないと思ったちょうどその時、邪悪な警官たちが何の成果も得られていない尋問を中止することにしたのです。

   12月31日の午後二時過ぎ、邪悪な警官が私を監房に引きずり戻しました。私の体は傷だらけになり、頭からつま先までぼろぼろでした。両手は風船のように腫れ上がり、青や紫に変色していました。顔は普段よりも三割ほど腫れ上がって青緑色に変色し、ほとんど感覚がなく、完全に麻痺していました。テーザー銃で撃たれて火傷を負っている部分も数カ所ありました。その頃、一つの監房には二十人以上の収容者がいました。収容者は皆、悪魔に拷問された私の姿を見て泣きました。私を直視することさえできない人もいました。若い共産党員は、「ここから出たら、私は脱党する」と言っていました。法定代理人は私に尋ねました。

   「あなたを殴った警官たちが所属しているのは、どの署ですか?彼らの名前は?教えてください。海外のウェブサイトにすべて投稿して、公表します。中国は人道的な国だと言う人がいますが、これのどこに人間性があるというのでしょう?これは完全なる残虐行為ですよ!」

   私の窮状を知った他の収容者の多くは、怒りながら大声で言いました。

   「共産党がこんなに残酷になれるとは想像もしなかった。こんな信頼を裏切るような行為をしでかすなんて。神を信じることは良いことで、人を犯罪から遠ざけるのに。中国には宗教の自由があると言ってなかった?これは絶対に宗教の自由じゃないから! 中国では、お金と権力がすべてね。本当の犯罪者は自由なままで、誰も捕まえようとしない。死刑囚は政府の役人に賄賂を渡せばすぐに解放される。この国には正義も平等も存在しない!」

   その瞬間、私は神の御言葉を思い出さずにいられませんでした。

   「今がその時である:人は随分前からこのために全力を振り絞り、努力の限りを尽くし、費やせるだけ費やしてきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと苦難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   「あなたがたは、ほんとうに赤い大きな竜を憎んでいるのか。ほんとうに、心から竜を憎んでいるのか。なぜわたしは、こんなに何度も尋ねているのか。なぜわたしは、この問を何度も繰り返しているのか。あなたがたは、赤い大きな竜について、どんな印象をもっているのか。それはほんとうに除かれたのか。ほんとうに、竜を自分の父とは考えていないのか。すべての人は、わたしの問の中にわたしの意図を理解しなければならない。これは、人々を怒らせようというのではなく、人々の間に反乱を起こさせようというのでもない。また、人間に自分で解決法を見つけさせようというのでもない。すべての人が赤い大きな竜の縛めから自由になれるようにと、していることなのだ。」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第二十八章」より)

   この神の御言葉に、私は深く慰められました。私が被った残酷な拷問を通じて、中国共産党政府の残酷で邪悪な悪魔のような本質が明らかにされるとは想像もしていませんでした。また、それによって、非信者が中国共産党政府の本当の姿を知り、共に立ち上がってこの古い悪魔を嫌悪し見捨てることができるかもしれないということも想像していませんでした。この出来事は、本当に神の知恵と全能性の働きだったのです。以前は、中国共産党のことを偉大なる赤い太陽、人々の救い手だと思っていました。ですが、中国共産党政府の非人道的な迫害と拷問の犠牲になった後は、完全に考えが変わりました。中国共産党は人の命をなおざりにし、神の選民であっても残忍に虐待し、天国に逆らい、恐ろしい罪を犯す悪霊であることを実感しました。中国共産党政府は、悪魔の生まれ変わりであり神に逆らう悪霊です。神は創造の主であり、人間は被造物です。神を信じるのは自然で正しいことですが、中国共産党政府は神の追随者に冤罪を着せて気まぐれに逮捕して苦しめ、神の追随者を一掃しようと躍起になっているのです。その過程で、神を憎み、神に敵対するやり方の悪魔のような本性を余すところなくあらわにしました。中国共産党政府が引き立て役として機能することで、神の善と愛の本質が私にはさらに明らかになりました。神は二度受肉なさいましたが、どちらの時も計り知れない迫害と苦境、そして悪魔の追撃に苦しまれました。それでも、神はあらゆる攻撃と苦しみに静かに耐えられ、人類を救うための働きをされました。神の人類への愛は本当に偉大です!こう思ったとき、私はこの悪魔の集団を全身全霊で軽蔑し、過去に熱心に真理を追い求めず、神の愛に報いるために本分を尽くさなかったことを本当に後悔しました。いつか、この場所を生きて出ることができたら、本分を尽くすことにこれまで以上に専念し、神に私の心を捧げようと思いました。

   その後、邪悪な警官からさらに四回尋問を受けました。しかし私から何も聞き出すことができなかった彼らは、「公序良俗に反する」という容疑をでっち上げ、裁判まで五千人民元の保釈金で私を一年間保釈しました。家族が保釈金の支払いを終えると、2013年1月22日、私はついに釈放されました。家に帰ってからも、窓に氷がはっているのを見るたびに鼓動が激しくなりました。視力が著しく低下し、関節炎も悪化し、本当に腎臓にも問題を抱えるようになりました。絶えず寒さを感じ、パニック発作を起こしやすく、両手にしびれが残り、顔の皮膚が剥がれました。また、内腿に耐え難い痛みを感じることが多く、そのため眠りから覚めるほどでした。これらはすべて悪魔たちの拷問の証拠でした。

   中国共産党政府の非人道的で残虐な迫害を受けたことで、肉体はあらゆる拷問に苦しみましたが、神との関係が緊密になり、神の知恵、全能性、愛と救いについてさらに実際的な認識を得ることができ、全能神に従う決意が強まりました。死ぬまで神に従うこと、神を愛する者になるよう努めることを決心しました。共産党政府の残酷な迫害をとおして、神の愛、配慮、守りを私はこの身をもって経験したのです。神の御言葉が道を一歩ずつお導きにならず、力と信仰を与えてくださらなかったら、あの非人道的な苦痛と拷問にすべて耐えることはできなかったでしょう。この特異な経験があったからこそ、共産党政府は神に抵抗し敵対する悪魔サタンに他ならないのだということがはっきりと分かるようになったのです。中国を無神論の国に変えて世界を征服しようと企てる中国共産党政府は、ただ突き進み、この世界から神を追い出すためなら何でもするのです。神の追随者たちを根絶することを目標に、神に従う者を必死に追い、逮捕し、迫害し、一網打尽にして神の働きを完全に滅ぼそうとしています。本当に想像を絶するほど邪悪なのです!

   人々を丸飲みする悪魔のような獣に他なりません。天国に逆らって正義を阻む、邪悪で卑劣なサタンの闇の力なのです。この中国共産党政権は、善良な一般人を抑圧して虐待する悪者を野放しにし、そんな悪者に法的、政治的権力を分け与えています。売春、ギャンブル、麻薬取引に手を染めるギャングや悪党たちと親交を深めて楽しみ、その利益を守る手助けさえします。神に従い人生の正しい道を歩む人々だけが、中国共産党政府に敵視され、不当に抑圧され逮捕され、信者の家族が引き裂かれ、愛する人が行方不明になり、家に戻れなくなるまで残酷に迫害されるのです。その多くは定住することができず、家から遠く離れた場所で流浪の生活を送らなければなりません。残酷な拷問にさらされ、神への信仰のために肢体不自由になったり、死に至るまで殴られたりする人もいます。…中国共産党政府が残忍な怪物であり、人類の虐殺者であり、悪魔であり、サタンであることは極めて明白です。最後には、犯した恐ろしい罪のせいで神の義なる懲罰を免れないでしょう。なぜなら、全能神はずっと前にこうおっしゃっているからです。

   「そうした悪魔の巣窟は神により粉砕されることは確実であり、あなたがたは神の傍らに立つであろう。あなたがたは神のものであり、奴隷の帝国に帰属しない。神は久しくこの暗黒社会を骨の髄から忌み嫌っている。神は歯ぎしりし、この邪悪な老いたへびが再び立ち上がって人間を虐待する事の無いよう、そのへびを必死で踏みつけようとしている。神はそのへびの従前の行いを許さず、そのへびの人間に対する偽りを容赦せず、そのへびの遠い昔からの罪のひとつひとつに報復するであろう。神がその諸悪の首謀者[1]に対して寛容となることは僅かばかりも無く、そのへびを完全に粉砕するであろう。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   神の義は賛美と称賛に値し、神はサタンの国を破壊し消滅させてくださいます。そして神の国がこのこの地上に打ち立てられ、神の栄光は必ずや宇宙全体を満たすでしょう!

 

脚注

1.「諸悪の首謀者」とは、年老いた悪魔を指す。強烈な嫌悪を現す句。


残酷な迫害を生き延びて、神への信仰が強まる

2020-02-18 23:30:30 | 勝利者の証し

   私の名前は趙睿です。神の恵みにより、1993年に家族とともに主イエスにつき従うようになりました。1996年、16歳のときに主イエスの愛に引き寄せられ、教会で働いて説教するようになりました。ところが、まもなくして教会内でひどくがっかりさせられることを多く見受けるようになりました。同労者が互いに陰謀を仕掛け、排除し合い、権力と利益を争っていたのです。互いに愛し合えという主の教えがとうに忘れられていたかのようでした。説教者たちの話には中身がなく、教会生活には何の喜びも感じられませんでした。多くの兄弟姉妹は否定的で弱くなり、集会に出なくなるほどでした…。教会の侘しく荒廃した状態を前に、私はとりわけ苦悩と無力を感じました。1999年7月、神の奇跡的な指揮と采配により、主イエスの再臨、全能神をお迎えしました。全能神の御言葉を読み、教会生活を送ることで、聖霊の働きを再び享受したのです。兄弟姉妹との集会に出ると、かつての私の宗教的な生活様式は消えてなくなりました。私たちは皆本当に感じたことを言うことができ、聖霊の啓きによって与えられた光について交わり、自分たちが神の御言葉をどのように経験したか、堕落を取り除くにはいかに神に頼るべきかについて語り合いました。さらに、兄弟姉妹は非常に敬虔で尊厳のある生き方をしていました。お互いの欠点や堕落の露呈には寛容で赦し合い、愛情ある支えを施し合いました。誰かが窮境にいても、決してその人を見下したり、軽蔑したりせず、共に真理を求め問題の解決策を見つけようとしました。これこそ私がずっと望んでいた教会生活、長年探し求めてきた真の道でした。長年迷ってきた後、ついに神の前に戻ったのです。私は神にある誓いを立てました。「まだ暗闇に生きている無辜の魂を神の御前に連れて行き、彼らが聖霊の働きの導きと祝福を受けて生き、神の生けるいのちの水で潤されるようにします。これが被造物としての私の召命であり、私にとって最も意義と価値のある生き方です」そして自分の本分を果たすことに身を投じたのです。

   しかし、真の神を憎み、真理を厭うあの無神論の中共政府は私たちが神に従うことも、神の福音を証しして広めることも許さず、ましてや神の教会の存在すら許容しませんでした。2009年の春、中共政府は全能神教会の主要な指導者を標的にした大量逮捕作戦を展開しました。全国の教会の指導者が逮捕され、次々と投獄されました。四月四日の午後九時頃、本分を果たすために協働していたある姉妹と私が滞在していた信者宅を出て道路に歩きだしたとたんに、私服を着た男が三人突然私たちの背後に現れ、私たちの腕を強引に引きずりながら、「行くぞ!一緒に来るんだ!」と叫びました。私たちは反応する間もなく、道路の脇に止まっていた黒いセダンの後部に投げ込まれました。それはまるで映画の中でギャングが白昼にやって来て誰かをさらって行くようでしたが、現実に自分たちがそのような目に遭ったのはものすごい恐怖でした。私はすっかり圧倒され、ただ何度も無言で神に呼びかけることしかできませんでした。「神様、助けてください!神様、助けてください」私が平静を取り戻す前に、セダンは市公安局の中庭に入りました。その時初めて自分たちが警察の手に落ちたことに私は気づいたのです。すぐ後に、滞在先の家の姉妹も連れてこられました。私たち三人は二階の事務所に連れて行かれ、警官に少しの説明もなくバッグを取り上げられ、壁向きに立たされました。その後、裸にされて身体検査をされ、その際に教会での働きに関する資料、預かっていた教会のお金の領収書、携帯電話、五千元以上の現金、銀行カード、時計といった持ち物を服やバッグの中から無理やり押収されました。その間ずっと警官が七、八人部屋を出入りし続け、私たちを監視していた警官のうち二人が笑い出して私を指差し、「こいつは教会のおえら方だ。今日はなかなかの獲物だったな」と言いました。まもなくして、私は四人の私服警官に手錠をかけられ、目隠しをされ、市からかなり離れた公安局の支部に連行されました。

   尋問室に入り、あの高い鉄格子付きの窓とあのぞっとするように冷たく見える「トラの椅子」を見たとき、兄弟姉妹が過去に拷問されたときの身の毛のよだつ話が脳裏に浮かんできました。悪しき警官にどんな拷問を加えられるのかと思うと極度に怖くなり、手が思わず震え出しました。この絶望的な状況で、神の御言葉がふと心の中に現れました「そうなればあなたは依然として恐れを抱いてサタンの思いに満たされているのではないか。」「勝利者とは何か。キリストの良き兵士たちならば、勇敢であってわたしを信頼し、霊的に強くなければならない。戦士になるために戦い、決死の覚悟でサタンと戦わなければならない。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十二章」より)神の御言葉の啓きにより、慌てふためいた心が次第に落ち着き、自分の恐怖の原因がサタンにあると気づくことができ、思いました。「サタンが私の肉体を拷問したいのは、私がその横暴に屈するようにするため。サタンの陰謀にはまってはいけない。どんなことがあっても、神様がひそかに一緒にいて、見守ってくださっていると信じよう。どんなときも神様は私の頼もしい後ろ盾で、永遠の支え。今は霊の戦いの正念場で、この時こそ神様を証ししなきゃ。神様のおそばに立つべきで、サタンに屈するわけにはいかない」このことに気づき、静かに神に祈りました。「全能神様!今日、私がこの悪しき警官たちの手に落ちたのは神様のご厚意によるものです。でも私は霊的背丈があまりにも小さく、狼狽し、怯えています。サタンの影響の束縛から自由になり、サタンに屈服せず、毅然として神様の証しを立てられるように、信仰と勇気を与えて下さることを祈ります!」祈り終った後、心に勇気が湧き、悪意を醸し出している悪しき警官たちのことがそれほど怖くなくなりました。

   ちょうどそのとき、私は二人の警官にトラの椅子に押しやられ、両手両足を固定されました。警官のうちの一人で背が高くやたら大柄な粗暴者が壁に書かれた「文明的な法執行」という言葉を指して机を叩き、怒鳴りました。「ここがどこかわかるか?公安局は中国政府の中の暴力専門の機関だ!白状しないと当然の報いを食らうぞ!しゃべるんだ!お前の名前は?年は?どこから来た?教会での立場は?」警官の攻撃性とともに、この公安局という国家法執行機関の素顔を自ら認める率直さに私は怒りがこみ上げ、思いました。「この人たちはいつも『人民警察』を自称し、『悪人を除去し、良民の平和を守る』ことを目指すと言うけど、実際には単なる暴漢、盗賊、裏社会の殺し屋集団。正義を狙い撃ちし、善良で立派な市民を罰する鬼だわ!」「この警官たちは法律を破って犯罪を犯す人たちは見のがして法律の対象から外している。でも私たちはただ神様を信じ、御言葉を読み、正しい人生の道を歩んでいるだけなのにこの野蛮な連中に一番暴力を振るわれるようになった。中共政府は本当によこしまで、正義をひっくり返している」私はこの悪しき警官たちを心から憎みましたが、自分の霊的背丈があまりにも小さく、彼らの残酷な処罰と拷問に耐えられないことを自覚していたので、神に何度も何度も呼びかけ、力を与えてくださるよう嘆願しました。ちょうどその瞬間、神の御言葉が私を啓いてくださったのです。「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第六章」より)神の御言葉の慰めと励ましにより、私は心強く感じ、思いました。「今日はすべてを賭ける覚悟をすべきだわ。最悪の事態になって死んでも構わない。この悪魔の群れが私から教会のお金や働き、指導者のことを聞き出せると思うなら考え直すのね!」そして神に祈りました。「神様!神様は万物の支配者であり、サタンも御手の中にあり、神様による指揮の対象です。今日、神様はサタンを用いて私の信仰と献身を試してくださっています。私の肉は今弱いですが、サタンの足元で倒れるつもりはありません。神様に頼って強くなりたいです。サタンにどう拷問されても、決して神様を裏切って悲しませたりはしません」神の御言葉の導きのおかげで、彼らにどう尋問され、情報の提供を迫られても、私は一言も話しませんでした。

   私が話そうとしないのを見て、警官の一人が激怒し、テーブルを叩くと私に襲いかかり、私が座っていたトラの椅子を蹴り、私の頭をこづきながら怒鳴りつけました。「知ってることを教えろ!こっちが何も知らないと思うなよ。何も知らなかったらどうしてお前ら三人をこんなにしっかりつかまえられたと思う?」別の背の高い警官が叫びました。「これ以上我慢させるな!少しは痛みを味わわせないと単なるこけおどしだと思うだろう。立て!」そう言うとその警官はすぐに私をトラの椅子から壁のとても高い所にある鉄格子付きの窓の下まで引きずり、それぞれの手にスパイク付きの手錠をかけました。手錠の一方が手に、もう一方が鉄格子に付けられ、私は窓から吊られる恰好になり、足の親指の付け根しか地面につけられなくなりました。悪しき警官の一人が部屋の温度を下げるためにエアコンの電源を入れ、巻いた本で私をひどく叩きました。私がまだ無言でいたため、その警官は怒り狂い、「しゃべらないのか?しゃべらないと『ブランコ遊び』するぞ!」と叫びました。そして、長い軍用の梱包ベルトで私の脚を縛ると、ベルトをトラの椅子に固定しました。二人の警官がそこで壁からトラの椅子を引き離したため、私は宙吊りになりました。私の体が前に動くと、手錠が手首の端まで滑り、その中のスパイクが手の甲に食い込みました。私はひどい激痛に見舞われましたが、この悪しき警官たちに笑われたくなかったので悲鳴をこらえようと唇を噛みしめました。その一人が悪意の笑みを浮かべて「痛くないようだな。もうちょっと刺激してやろう」と言いました。そして脚を上げ、私のふくらはぎを強く踏むと、私の体を左右に揺り動かしました。そのため手錠がますますきつく締まり、私は手首と手の甲のあまりの痛みでついに悲鳴をこらえきれず、それに二人の悪しき警官はどっと笑いだしました。そこで警官はやっと私の脚を踏むのをやめ、私を宙づりのままにしました。約二十分後、警官が突然トラの椅子を私に向かって蹴り返すとキーという嫌な音がして、私は体が元の位置に落ち、足の親指だけが地面に触れた状態でぶら下がり、悲鳴を上げました。同時に、手錠が私の手首の方にずり上がり、手錠が突然緩むと、手に流れる血が急に腕に逆流し、その血の圧力でズキズキする痛みが襲ってきました。この二人の悪しき警官は私が苦しむのを見て意地悪く笑い、尋問を始めました。「教会には人がどれだけいる?金を保管している場所は?」最後の質問はサタンの卑劣な動機を端的に表していました。彼らがこれまでの拷問と責め苦を私に加えてきた理由、そのような悪魔的で非情な手段を用いた理由は教会のお金を盗むために他ならなかったのです。空しくも、そして恥知らずにも、教会のお金を意のままに使おうとしたのです。彼らの貪欲で悪しき顔を見て、私は腹を立て、私にユダにならせないでください、この盗賊連中を呪ってください、と神に懇願し続けました。以後、彼らにどう尋問されても、私は口をつぐみ、彼らはやがて怒りのあまり、罵声を浴びせてきました。「おのれ!しぶとい奴め!どれだけもつか見てやる!」そして、再びトラの椅子を壁から引き離し、私を宙吊りにしました。今度は手錠がすでに開いていた手の甲の傷にきつく食い込み、手がすぐに腫れ上がって充血し、いまにも破裂しそうに感じました。痛みは最初よりもずっと激しかったのです。警官たちは自分たちがそれまで囚人を拷問し処罰した「栄光の功績」を生々しく語り合いました。これは十五分間続き、その挙句、彼らは再び椅子を蹴り飛ばし、私は足の親指だけが地面に触れたまま、窓からまっすぐぶら下がる状態に戻りました。その際に引き裂くような痛みが再び体中に走りました。ちょうどそのとき、背の低いずんぐりした男性警官が入って来て、「まだしゃべってないか?」と尋ねました。二人の警官は「とんだだ!」と答えました。その太った悪しき警官は寄って来て私の顔を激しく平手打ちし、「どれだけタフか見てやろう!その手を緩めさせてもらう」とやじりました。私がうつむいて見ると、左手がひどく腫れて黒紫になっていることに気づきました。するとその悪しき警官は私の左手の指をつかむと、前後に振り、こすったりつねったりしました。ついには麻痺していた手に痛みが戻ってきました。そしてその警官は手錠を最大限まで締め付け、他の二人の警官に私を再び宙に引っぱり上げるように合図しました。私は再び宙吊りにされ、二十分間そのままにされてから下ろされました。何度も何度も宙に引き上げられては下されるという拷問は、死んで痛みから逃れたいと思うようになるまで続きました。手錠が手をずり上がっては下がるたびに痛みが増しました。ついには、スパイク付きの手錠が手首に深く食い込んだため、手の甲の皮膚が破れ、おびただしい量の血が出ました。両手は血の循環が完全に遮断され、風船のように腫れ上がりました。頭が酸欠でガンガンし、今にも爆発しそうに感じました。私は本当に今にも死ぬと思いました。

   もう限界だと思っていたそのとき、神の御言葉の一節が突然私の心の中で響きました。「エルサレムへ向かう途上、イエスは苦悶して、あたかもナイフが心の中で捻じ曲げられているかのように感じたが、神の言葉に背く思いは微塵もなかった。いつも強い力がイエスを磔刑の場所に向かって突き進ませた。」(『言葉は肉において現れる』の「神の心にかなう奉仕とは」より)御言葉により、私は急に力がみなぎり、主イエスが十字架の上で苦しまれたことを思いました。主はローマの兵士から鞭打ち、嘲笑、辱め、血だらけになるほどの打撲を受けられました。それでもその重い十字架を運ばされ、まさにその十字架に釘付けになられたのです。激しい苦痛の中、体の血が一滴残らず流れるまで、十字架に二十四時間かかっておられました。何と残酷な拷問!何と想像を絶する苦しみ!しかし主イエスはそれをすべて無言で受けられました。その痛みは確かに計り知れないものでしたが、主イエスは全人類の贖いのために自ら進んでご自身をサタンの手に委ねられたのです。私は思いました。「最近、神様は二度目の受肉をなさり、無神論の中国に来られた。ここでは、恵みの時代の数千倍もの危険に遭われた。全能神が出現され、その働きを始められて以来、中共政府は神様の働きを滅ぼすという空しい目的のため、あらゆる手段でキリストを中傷し、冒とくし、狂ったように追って捕らようとしてきた。「神様が二度の受肉の時に受けられた苦しみは、人の忍耐はもちろん、想像の範囲も超えている。神様が受けられたことに比べれば、私が今遭っている苦しみなど語るに足らない。それに、私がこの悪魔たちに今日このよう迫害されているのは、神様につき従う者だから。現実には、彼らが本当に憎んでおり、迫害しようとしているのは神様。神様が私たちのためにこれだけの苦しみを受けられたのだから、私はもっと良心を持つべき。たとえ死ぬことになっても神様にご満足頂き、お慰めしないといけない」その瞬間、歴代の聖者や預言者の苦労が頭の中に浮かびました。獅子の穴に入れられたダニエル、十字架の上で逆さ吊りにされたペテロ、打ち首にされたヤコブ…。この聖者と預言者たちは皆例外なく死の瀬戸際で神の力強い証しを立てたのであり、私は自分も彼らの信仰、献身、神への従順に倣おうとすべきだと悟りました。そのため、静かに神に祈りました。「ああ神様、神様は罪がないのに私たちの救いのために十字架に付けられました。その後、ご自身の命を危険にさらしてまで働きを行なうため、中国で受肉されました。神様の愛はあまりにも偉大で、私には報いようがありません。今日神様と共に苦しむことは私にとって最大の名誉であり、私は御心をお慰めするため、喜んで証しを立てます。たとえサタンに命を奪われても、決して一言も不平を言いません!」心が神の愛に向くと、体の痛みが著しく減っていくように感じました。その夜の後半、悪しき警官たちは交代で私を拷問し続けました。翌朝午前九時ごろ、私はようやく脚をほどかれ、窓からぶら下がったままにされました。腕が両方とも完全に麻痺し、感覚がなく、全身が腫れていました。その頃には、共に本分を果たしていた姉妹は隣の尋問室に連れて行かれていました。いきなり警官が八、九人私のいた尋問室にぞろぞろ入ってきました。背の低い頑強な警官が一人憤慨したように入って来ると、私を担当している悪しき警官たちに「まだしゃべってないか?」と尋ねました。「まだだ」という返事を聞くやいなや、その警官は私に飛びかかり、顔を二回叩き、激怒して怒鳴りました。「まだ協力してないのか!こっちはお前の名前も、教会の主要な指導者であることも知ってるんだ。何も知らないなどと勘違いするな!どこに金を入れた?教会の仕事の取り決めはどうなってる?」それでも沈黙したままの私を見て、「白状しないなら、後で調べてわかった時もっと痛いい目を見るぞ。教会でのお前の地位からすれば懲役二十年だ!」と脅しました。この悪しき警察は教会の資金を手に入れようと血眼になっていたのです。そのけだもののような顔つきを見ると、私は腸が煮えくり返り、神に彼らを呪って地獄の最も暗い穴に落とすように懇願せずにはいられませんでした。その後、彼らは私の銀行カードを持って、カードの名義と暗証番号を尋ねました。私は思いました。「見せてやろう。構わないわ。家族はどうせその口座にあまりお金を送らなかったのだから。見れば教会の資金のことをしつこく聞いてこなくなるかもしれない」それで彼らに名義と暗証番号を教えました。

   その後、私はトイレに行かせるようにたのんだとき、やっと降ろされました。その頃には脚が全く言うことを聞かなくなっていたので、彼らにトイレに連れて行かれ、外で見張られました。しかし手の感覚がすっかりなくなっており、脳の命令がまったく手まで届かなかったため、ズボンを脱ぐことができず、ただ壁に寄りかかって立ちつくしていました。しばらく経っても出てこなかったため、警官の一人がドアを蹴って開け、いやらしい笑みを浮べながら、「まだ済んでないのか?」と叫びました。私が手を動かせないと気づくと、寄って来て、ズボンを脱がし、私が用を足すとズボンを締め直しました。男性警官連中がトイレの外に集まり、ありとあらゆる卑劣な発言を口にし、汚らわしい言葉で私を辱めました。自分のような無実の二十代の女性がこの凶漢と悪魔たちに辱められることの理不尽さに、私は突然圧倒され、泣き出しました。また、手が本当に麻痺し、将来自己管理ができなくなるなら死んだほうがましだとも思いました。もしそのときちゃんと歩くことができたなら、建物から飛び降りて、すべてをそこで終わらせていたことでしょう。このうえなく弱っていたとき、教会の賛美歌「神が栄光を得る日を見ることを望む」が思い浮かびました。「神には最も甘美なものを与え、最も苦いものは私が受ける。私は神を証しすると心に決めた。その決心を変えるものは何もない。サタンに対して私は決して屈服しない。私はむしろこの命を捧げる。神の民の一人として、自分の尊厳を捨てないつもりだ。神の嘱託を心に留めて、私はあの古いサタンを恥じ入らせるつもりだ。心に涙をためて、私は屈辱に耐えることを選ぶ。神を再び心配させたくない」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)神の啓きと照らしにより、私はもう一度信仰を注ぎ込まれて霊が強められ、思いました。「サタンの策略に騙されてこんなふうに自分の命を絶ってはいけない。彼らが私を辱め、挑発しているのは、私に神様を傷つけて裏切るようなことをさせるためよ。もし死んだらただ彼らの陰謀にはまることになる。サタンの謀略を成功させるわけにはいかない。「本当に体が不自由になっても、少しでも息がある限り、神の証しを立てるために生き続けないといけない」

   尋問室に戻ったとき、私は疲れ果てて床に倒れました。数人の警官に取り囲まれて怒鳴られ、起き上がるように命令されました。先ほど私の顔を叩いた背の低い太った警官が飛びかかってくると、ひどい蹴りを入れ、倒れたふりをしているのだと私を責めました。そのとき私は体が震え出し、息が切れ、呼吸が激しくなりました。左脚と胸の左側が痙攣して引き付けあいました。全身が冷たく硬くなり、二人の警官がどう引き伸ばそうとしてもまっすぐになりませんでした。心の中では、神がこの苦痛と患難を用いて私のために道を開いてくださっていることを承知していました。そうでなければ彼らは私への残酷な拷問を続けていたでしょう。この悪しき警官たちは私の危険な状態に気づいて、ついに暴行をやめました。その後、私をトラの椅子に固定して警官二人に見張らせ、隣の部屋にいる教会の姉妹を拷問しに行きました。姉妹が血も凍るような悲鳴を何度も上げるのを聞いて、私はその悪魔たちにつっかかって死ぬまで戦いたい気持ちでいっぱいでしたが、その時点では屍のように倒れて疲れ果てていたため、できることはただ神に祈り、姉妹が証しを立てられるように強さを授け、守ってくださるように懇願することだけでした。同時に、国民を苦しみのどん底に追い込んだあのひどく邪悪な党を恨めしく呪い、人の姿をしたこの獣たちを罰するように神に願いしました。後に彼らはそこで倒れた私の虫の息のような姿を見て、自分たちの監視下で死なれては面倒だと思い、ついに私を入院させました。病院に着いた後、私の体は脚と胸が再び痙攣し、引きつけあい、数人がかりで引っ張ってやっと真っ直ぐに戻りました。両手は風船のように腫れ上がっており、固まった血がそこらじゅうについていました。手が全体的に膿で膨張しており、点滴が打てない状態でした。針を刺すとすぐに血管から血液が流れ、周囲の組織が血で満たされ、注射された部位が出血したからです。医者がこの状態を見たとき、「手錠を外すんだ!」と言いました。また、私の心臓が悪いのではないかと懸念したので、詳しい検査のため市立病院に送ることを警察に勧めました。その悪しき警察は私を助けることに不本意でしたが、以後私に手錠をかけなくなりました。そして私は神が医者を通して働き、私のために出口を開いてくださったのだとわかっていました。翌日、私に尋問していた警官は、神への冒とくと中傷に満ちた陳述を私の供述書として用いるために書き上げ、それに私の署名を求めました。私が署名を拒否すると、警官は苛立って私の手をつかみ、無理やり供述書に指紋を押させました。

   4月9日の夕方、警察の支隊長と他の二人の男性警官が私を拘留所に護送しました。拘置所の医者は私が体中腫れていて歩くことができず、腕に感覚がないことがわかり、風前の灯に見えたため、ここで私に死なれることを恐れて拘留を却下しました。後に、支隊長が拘留所の所長と一時間近く交渉し、私に何か起きても拘留所の責任にならないと約束し、こうしてやっと所長は私の拘留を引き受けたのです。

   それから十日以上後、悪しき警官が十数人昼夜を問わず交代で私に尋問するために他の管区から派遣され、一時的に拘置所に配置されました。囚人の尋問には時間制限がありましたが、警察がこれは非常に深刻で重大な事件だと言ったため、私はひっきりなしに尋問されました。彼らは私の弱った状態から、長く尋問しすぎると体調が急変するのではないかと恐れたため、午前一時頃に尋問を終え、私を刑務所に送り返しては翌日の夜明けに呼び出しました。尋問は一日約十八時間、三日間続けて行われました。しかし、彼らにどう絞られても、私は一言も言いませんでした。彼らは自分たちの「鞭」の手段がうまくいっていないと見て、「飴」の手段に切り替えました。私の怪我に気遣いを示し、薬を買って傷に軟膏を塗るようになりました。この突然の「親切」に接して、私は警戒を緩め、「教会のことでどうでもいい情報を教えたら多分大丈夫…」と思いました。するとふと神の御言葉が頭に浮かんだのです。「何かが降りかかるときは、それをめちゃくちゃにするのでなく、更にわたしに近づきなさい。わたしの刑罰を侵害しないように、またサタンの狡猾な策略に陥らないように、あらゆる点でより注意深く、思慮深くありなさい。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第九十五章」より)私は自分がサタンの狡猾な陰謀にはまったことにはっと気づきました。この人たちはほんの数日前には私を拷問していた人ではなかったでしょうか。彼らは態度を変えられても、その悪しき本性は変えられません。悪魔はいつまでも悪魔なのです。神の御言葉により、私は彼らがヒツジの皮をかぶったオオカミであり、常に裏の思惑を持っているという現実に目覚めました。今後もどんなに誘惑され、絞られても決して何も言いません。その後まもなく、神は彼らの素顔を明かしてくださいました。隊長と呼ばれていた警官が私に執拗に尋問しました。「教会の指導者なのに金がどこにあるか知らないのか?教えないならこっちのやり方で探すぞ!」ある年配のやせ細った警官が私に罵詈雑言を浴びせ、怒鳴りました。「貴様、少しでも大目に見るとつけあがりやがって!しゃべらないとまたあそこに送ってつるし上げるぞ。それでもみたいに黙っていられるかどうか見てやろう!お前の扱い方はいくらでもあるぞ!」こう言われるほど、沈黙を守ろうとする私の決意は強くなりました。警官はついに腹を立て、寄ってきて私を押し、「そんな真似してると二十年の刑じゃすまんぞ!」と言いました。そして、いらつきながら部屋を出て行きました。その後、国家保安を担当する省公安庁の役人が私に尋問しに来ました。神を攻撃し、抵抗する発言を多く口にし、自分の経験と知識の豊富さを自慢し続け、そのことで他の警官にほめそやされました。私はその醜く独善的で満足げな様を目にし、この男の真理を歪曲して噂を撒き散らす嘘と言いがかりを聞いて、憎らしくむかむかしました。その姿を見るにも忍びなかったので、目の前の壁を真正面から見つめ、役人の言い分一つひとつに頭の中で反論しました。その罵倒は午前中ずっと続き、それがやっとすむと、私にどう思うか尋ねました。私はもどかしく感じながら「教養がないから、何の話をなさってるのかさっぱりわかりません」と言いました。警官は激怒し、「救いようのない女だ。すっかり神に毒されている。もうだめだ!」と他の尋問者に言いました。そして落胆してこそこそ立ち去ったのです。私は大喜びし、危機を次々に乗り越えられるように導いてくださったことを神に感謝しました。

   悪魔の残虐な迫害に苦しむ中、私は中共という悪しき党に支配されたこの国における人権のまったくない地獄のような暮らしを経験しました。中共政府にとって、神の信仰者は「目のとげ」「脇のいばら」です。彼らは空しくも私を死に至らしめようとあらゆる策を弄して酷い目に遭わせ、拷問してきました。しかし神は私の頼もしい後ろ盾であり、救いです。神が何度も私を死の淵から救い出してくださったため、私は神の真の愛を体験し、神の心の優しさと善良さを知ることができました。悪しき警察の拘置所の監房に引きずり込まれ、滞在先の家の姉妹が同じ監房にいるのを見たとき、この大切な人に会えたことで心に温かみが吹き込みました。これが神の指揮と采配であり、神の愛が私に心を配ってくださっているのだとわかり、神がそうなさったのはそのとき私は体の自由がほとんどきかなくなっていたからだとわかりました。両腕も両手もひどく腫上がって膿で膨張しており、指はソーセージのように太くなり触れると硬く、感覚がありませんでした。足はほとんど動かず、体全体が弱って痛んでいました。半年の間、私はレンガ造りのベッドからほとんど起き上がれず、自分の世話ができませんでした。半年経ってようやく手がまた動けるようになりましたが、まだ物をつかめませんでした。(現在も、片手で皿を持とうとすると、手が痛くて力が入らずしびれ、もう一方の手を使って支えないと皿を持ち上げることもできません。)その間、姉妹が毎日私の歯を磨き、顔を洗い、風呂に入れ、髪をとかし、食べさせるなど、世話をしてくれました。一か月後、姉妹は釈放され、私は正式に逮捕を通知されました。姉妹が釈放された後、私はまだ自分のことができず、この先いつまで閉じ込められるのか見当もつかなかったため、とてつもなく無力で悲惨な気持ちになり、神に呼びかけずにはいられませんでした。「ああ、神様、私は体が不自由になったように感じます。どうしてこのような状態で生きていけというのでしょうか?この状況を乗り越えられるように、心をお守りくださることをお願いします」私が切羽詰って途方に暮れていたとき、神の御言葉が心の中から私をこれまでになく明確に導いてくださいました。「あなたがたは、いつか自分が信じる神が自分を最も疎遠な地へと送るという事を、考えたことがあるだろうか。あなたがたは、わたしがあなたがたの全てを奪い去る日を想像できるだろうか。あなたがたはどうなるだろうか。その日、あなたがたの活力は現在と同じであろうか。あなたがたの信仰は再び現れるであろうか。」(『言葉は肉において現れる』の「あなたがたは業を理解する必要がある。混乱したまま付き従ってはならない」より)神の御言葉は輝く灯台のように、私の心を照らし、神の御心を悟らせてくださいました。私は思いました。「今直面している環境は一番馴染みのないもの。神様は私の信仰を完全にするために、私にこのような環境で神様の働きを体験させたいという思し召しなんだ。姉妹は私のそばを離れたけど、神様は絶対に離れておられない!今まで歩んできた道を振り返ると、神様はその道の一歩一歩で導いてくださった!神様がいてくださるなら、乗り越えられない困難はない。神様と共にいれば、いつも抜け道がある。こんなに臆病で信仰にない私にどうして自分の経験で神様の知恵と全能を理解できるっていうの?」そのため、私は神に祈りました。「神様、私は自分をすっかり御手に委ね、神様の指揮に従うつもりです。将来どんな状況に直面しても、神様が私のために道を開いてくださることを知っています。今後は神様に従い、不平を言いません」祈りを終えた後、私は晴朗と落ち着きを感じました。けれど、神が何を計画しておられるのか、私をどのように導かれるのかまだわかりませんでした。翌日の午後、看守が新しい囚人を連れてきました。私の状態を見ると、その囚人は私が頼んでもいないのに面倒を見てくれました。ここに私は神の不可思議さと信実さを見ました。神は私を見捨てられなかったのです。人間の考えを含む天地万物は神の御手の中にあります。神の指揮と采配がなかったなら、なぜ会ったことのないこの女性が私にこれほど親切なのでしょうか?その後、私はさらに神の愛を目の当たりにしました。その女性が拘留所から解放されると、神は私が会ったことのない女性を次々と起こし、まるでリレーのバトンのように私の世話を次々に引き継いでくれました。釈放されてから私の口座に送金してくれた囚人もいました。この間、私は体が多少苦しみましたが、神の人への愛の誠実さをこの身をもって体験することができました。人がどんな状況に投げ込まれても、神は決して人をお見捨てにならず、絶えず手助けしてくださいます。人が神への信仰を失わない限り、確実に神の御業を目の当たりにすることができるのです。

   私は一年三か月間拘留され、その後中共政府に「邪教組織に関与して法律の執行を妨害した」として告訴され、三年六か月の禁固刑を宣告されました。有罪判決後、省の女子刑務所に連行されて刑に服しました。刑務所での扱いはさらに非人道的なものでした。毎日肉体労働をさせられ、一日のノルマは人が普通にこなせる量をはるかに超えていました。作業を終えられないと体罰を受けました。囚人の労働による収益金はすべて実質的に看守のものになりました。いわゆる生活手当は月に数元しか与えられませんでした。刑務所が唱えた公式方針は労働によって囚人を再教育することでしたが、実際には私たちはお金を稼ぐ機械、無給のしもべでした。刑務所の減刑に関する規則は、特定の条件を満たした囚人はその対象になるというもので、表向きはとても人道的に思われました。しかし現実にはこれは単なる建前であり、体裁のためだけのものでした。刑務所のいわゆる人道的な制度は、紙の上の閑文字にすぎず、看守が個人的に発した命令だけがそこの本当の法律だったのです。刑務所は、十分な「労働力」を確保し、看守の収入が減らないことを保証するため、年間の減刑件数を厳密に管理しました。「減刑対象者名簿」は、刑務者の労働生産性を上げるための手法でした。数百人の囚人のうち、その名簿に載るのは十人程度であるため、皆それを目指して骨を折って作業し、互いの足を引っ張り合いました。しかし、最終的に名簿に載る囚人のほとんどは警察とコネがあり、そもそも肉体労働を行う必要のない人たちでした。囚人たちはこれに対する不満を胸中に秘すしかありませんでした。抗議のために自殺した人たちもいましたが、事後に刑務所は遺族をなだめようと作り話をしたため、皆無駄死にでした。囚人たちは看守に人間扱いされることがありませんでした。看守に話があるときは、地面にしゃがんで見上げなければならず、何か看守の気に入らないことがあると叱られ、口汚く辱しめられました。上級官僚が視察に来ると、囚人は事前に看守に脅されて口裏を合わせざるをえず、「食事はおいしいし、看守はいつも気遣ってくれる。作業は一日八時間までで、娯楽もある」などと、刑務所をよく見せる話をさせされました。このような時、私は体中が震えるほど怒りを覚えました。この悪魔たちは偽善者でした。明らかに人をむさぼり食う悪鬼に過ぎないのに、あくまでも自分たちほど親切で思いやりのある者はないかのようにふるまっていたのです。なんて陰険で卑劣で恥知らずな!私が三年半の刑期をようやく終えて帰宅したとき、家族は骨だけのようになった私を見て、苦悩を隠せませんでした。衰弱しきってすっかり見違えるようになった私の姿に、おびただしい涙が流れました。それでも私たちの心は神への感謝に満ちていました。私がまだ生きていること、神が守ってくださったことで無事にあの地上の地獄から出られたことを皆神に感謝したのです。

   私が拘留されている間に悪しき警察が二度家にやって来て、家中を滅茶苦茶に荒らして捜索したことを私は帰宅して初めて知りました。神を信じる両親は家を離れ、政府による捕獲を避けるために二年近く逃亡していました。ようやく家に戻ったとき、中庭の雑草は家と同じ高さに伸びており、屋根に崩れた部分が数箇所あり、地所全体がひどく荒れていました。また警察は村中に私たちについての嘘を広めていました。私が誰かから百万から一億元(約1600万-16億円)も騙し取り、両親も弟を大学に入れるために弟を大学に入れるために人から数十万元だまし取ったと言ったのです。この悪魔連中は正真正銘の嘘つきの名人です。実際のところ、両親が家を離れたため、弟は奨学金と借金で学費を払って大学を終了しなければなりませんでした。しかも、家を出て働くようになると、最初は旅費を少しずつ貯めるために家族が育てた穀物を売り、サンザシの実を集めて売らなければなりませんでした。しかし、この悪魔たちは非良心的に振る舞って私たち家族を偽りの罪状で陥れ、その噂は現在も流布しています。今でも、私は前科のある政治犯と詐欺師という評判のために村八分にされています。平気で人殺しをするこの悪魔連中、人間の命を何とも思わないこの悪魔政府、虚りの非難で世論を煽るサタンのこの手先たちを、私は皆軽蔑します!悪魔は私たちに濡れ衣を着せ、中傷し、迫害しますが、このおかげで私は中共政府の神に抵抗し、よこしまで天に背く悪の本性とぞっとするような素顔をさらにはっきりと見ることができました。また、そのために神の愛と救いを体験することができたのです。悪魔に迫害されるほど、全能神に最後まで従おうという私たちの決意が強まります。もし悪魔の手による残酷な迫害を経験しなければ、いつ私の霊がいつ目覚めてサタンを本当に軽蔑してきっぱり拒むようになっていたかは誰にもわかりません。神に従ってきたこれまでの何年かを振り返ると、私は中共の悪魔的な本性と本質を暴いた御言葉をそれまで理論的にしか受け入れておらず、本当に理解していませんでした。幼い頃から吹き込まれた「愛国教育」の教条により、特定の考え方をもつように条件付けられ、組織的に惑わされていたため、神の御言葉が誇張だとさえ思っていました。国家を崇めることをやめられず、共産党がいつも正しく、軍が我が祖国を守り、警察が社会の悪しき要素を罰して根絶し、国民の利益を守ってくれると思いこんでいました。あの悪魔たちの手による迫害を経験することで、中共政府の素顔が初めて見えました。それは非常に不誠実で偽善的で、長年その嘘で中国人民と全世界を惑わしてきました。「信仰の自由と民主的な法的権利」を維持することを繰り返し公言していますが、実際には宗教的信仰を気ままに迫害します。実際に維持しているのは、中共の暴政、強制的支配、専制だけです。中国では、真の神を信じる人は非常に慎重でなければならず、少しでも警戒を怠ると投獄されかねません。その結果、警察による捕獲と逮捕を避けるために、私たちはひたすら逃げ隠れしなくてはならず、一つの場所に長く留まることができません。自宅でただ賛美歌を聞いているときも音量を低くしておき、家族と神の御言葉について交わるときも声を落とし、神の御言葉を読むときはまずドアに鍵をかけなければなりません。警察による監視と盗聴の可能性があり、いつドアを破ってこられてもおかしくないからです。さらに、中国の刑務所では、神を信じるほど、迫害、いじめ、蔑みに遭いがちです。それとは対照的に、裏社会の構成員や殺人犯、泥棒や横領犯は警察と特権的な関係を持ち、警察御用達の殺し屋や囚人長になることが多いのです。この事実は、中国が正義を攻めて抑えつけながら、悪を讃えてけしかける国であることを随分前より露呈しています。人が邪悪であるほど中共政府による評価が高くなり、道徳的に善良で正しい道を歩む人ほど中共にひどい抑圧と迫害を加えられます。神が働き人類を救うために来られたとき、サタンは私たちが神に従い、正しい道を歩むことを明らかに喜ばなかったため、あの手この手で私を妨害し迫害しました。私は肉に残酷な迫害で重傷を負いましたが、自分がこの苦しみを受けるべくして受けたのだと理解しています。それは私がサタンの子供であり、体内にサタンの毒が多く巡っており、それまでずっとその惑わしと責め苦に遭っていたからです。サタンが私を迫害することを神がお許しになったのは、私がサタンの本質と狡猾な陰謀を見破れなかったからなのこそです。こうして私はこの苦しみを通して、いつも自分の「救世主」だと思っていたこの中国政府が本当は何であるかがわかりました。中共の標榜する「偉大さ、栄光、正しさ」の裏にある下劣で卑しく腐敗した内幕が見えるようになりました。また、神の救いの恵みの大きさを理解することができ、このことは真理を熱心に追い求め、サタンを徹底的に拒絶し、心を神に向ける動機付けになりました。

   私の人生で最もつらく苦しい時期に、神の愛は私が弱く苦しんでいたときも、いつも共にありました。弱さを感じたとき、神の御言葉に啓かれ、信仰と強さを与えられたため、暗闇と死の束縛を脱することができました。サタンに陰謀を仕掛けられたとき、神の時宜を得た警告によって私は混乱から目覚め、サタンの計画と策略を見極め、神の証しを立てることができました。悪魔によるあまりに残酷な拷問の末、死を願うほどになったとき、神の奇跡的な指揮によって道が開かれ、私があたかも死にかけているように見えるようになり、そのため悪魔たちは私に対する暴行の手を止めました。私が苦しんで無力で自分のことができなかったとき、神は囚人を次々に起こして、六か月間リレーのバトンを手渡すように私の身の回りの世話を引き継ぐようにしてくださり、以後私は手の感覚がある程度まで戻り、軽い作業ができるようになりました。この比類ない体験により、神の愛と優しさを深く実感し、神の敵としてのサタンの本質をはっきりと見ることができたのです。この経験をもって、神は私にこの上なく尊いいのちの宝を与えてくださり、こうしてサタンを捨てて最後まで神に従うという私の命がけの決意が固まりました。全能神の御言葉にあるとおりです。「今がその時である:人は随分前からこのために全力を振り絞り、努力の限りを尽くし、費やせるだけ費やしてきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと苦難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである。」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)私は現在教会に復帰し、本分を果たす人々の仲間に再び加わっています。さらに多くの人がサタンの責め苦を逃れ、神の永遠の救いを受けられることだけを願い、神の国の福音を説き広めることによって、本分を果たしています。


決して消滅させることのできないいのちの力

2020-02-12 23:09:10 | 勝利者の証し

   私はごく普通の生活を送っていた一般人です。光を強く求める多くの人々と同じく、私も沢山の方法を試して人が存在する本当の意味を探しました。自分の人生がもっと意味深くなるようにです。結局は私の努力は全てが無駄に終わりました。しかし、運よく全能神の終わりの日の働きを受け入れた後、私の生活には奇跡的な変化が起こったのです。それは私の生活にさらに彩りを加え、私は神が人々の霊といのちの唯一なる供給者であられ、神の御言葉には人間のいのちの真の意味がこもっていることを理解するようになりました。私は人生の正しい道をやっと見つけられたことを嬉しく思いました。しかしある日、本分を尽くしていた時、私は中国共産党政府に不法に逮捕され、容赦ない拷問を受けました。それから、私の人生の旅に永遠に刻み込まれることになる重要な経験をしたのです……。

   2011年12月のある日の午前7時頃、私がもう一人の教会リーダーと教会資産の棚卸しを行っていた時、警官が十人以上突然ドアから勢いよく飛び込んで来ました。この邪悪な警官のうちの一人が私たちの方に駆け寄ってきて「動くな!」と叫びました。何が起きているのかを見て私は頭が混乱し、心の中でこう思いました。

   「これは大変だ。教会は資産をたくさん失ってしまう」

   次に、邪悪な警官は強盗を働く盗賊のように私たちを調べました。彼らは各部屋を荒らして回り、全部屋をあっという間にひっくり返しました。最終的に、彼らは教会資産である銀行カード三枚、預り証、コンピューター、携帯電話等を発見しました。彼らはこれらを全て押収して、私ともう一人の教会指導者と他に二人を警察署に連行したのです。

   その日の午後、邪悪な警官は他に逮捕した姉妹三人も連行してきました。彼らは私たち七人を一つの部屋に閉じ込め、私たちが喋ることを許さずに、夜が来ても眠らせてくれませんでした。私と一緒に閉じ込められた姉妹たちを見、教会がどれだけの資金を失ったのかと考えていると、私は不安のあまり我を忘れてしまいました。私はしきりに神に祈りを捧げることしか出来ませんでした。

   「ああ、神様! こんな状況に置かれて、どうしていいのか分かりません。どうか私の心を守り、落ち着かせて下さい」

   祈りを捧げた後、私は神の御言葉について考えました。

   「恐れてはならない。教会でこのような事が起こるとき、すべてわたしがそうなることを許しているのである。立ち上がってわたしのために語りなさい。すべての物事はわたしの玉座によって許されており、その全てにわたしの意図があるという信仰を持ちなさい」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十一章」より)

   「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十六章」より)

   神の御言葉は私の心のパニックを鎮めて下さいました。今日この環境は神の御許可があって私に起こったものであり、神への証しを立てることを神が私に要求なさる日が訪れたのだと悟りました。御心を理解した私は神に祈りを捧げました。

   「ああ、神様! 私は神様の御計画と御采配に従い、断固たる姿勢で神様に証しを立てたいと思っています。でも、私の霊的背丈は低いため、どうか私が断固たる姿勢を貫けるように信仰と力をお与え下さい。そして私をお守り下さい」

   翌朝、彼らは私たちを別々に尋問してきました。邪悪な警官の一人が威張って言いました。

   「俺はお前が教会リーダーであることは知っているんだ。俺たち五か月間お前たちを監視してきたからな……」

   彼らが私を監視するために実行したこと全ての詳細を聞いた時、私は背筋がゾクッとしました。私は心の中でこう思いました。

   「中国共産党政府は私たちを逮捕しようと本当に足固めをいっぱいしてきている。私が教会リーダーであることを既に知っているってことは、私を釈放してくれることなんてあり得ないわ」

   私は直ちに神を裏切ってユダになるくらいなら死んだ方がましだと神の前で決心しました。自分たちの尋問が何の結果も出さないことを見た彼らは、私を監視する人を割り当てて私を眠らせないようにしました。

   三日目の尋問の最中、邪悪な警官の長はコンピューターの電源を入れて、私に神を中傷した資料を読ませました。これに動じなかった私を見て、彼は次に教会の財源について細かく尋問してきました。私は横を向いて彼を無視しました。彼はこれに非情に腹を立てて私を罵ってきました。

   「お前が何も喋らなくても、どうってことはない。俺たちは永遠にお前を拘束して、いつでも好きな時にお前を拷問出来るんだ」

   こう言って、彼は激しく脅してきました。その夜中、警官は拷問を開始しました。彼らは私の片手を肩の後ろに回して下の方へ引っ張り、もう片方の手を背中の後ろで引き上げました。彼らは私の背中を足で押し付けながら、強引に私の両手首を引き寄せて手錠を掛けました。あまりの痛さに私は叫び声を上げました。両肩の骨と肉が今にも引き裂かれるように感じました。頭を床につけた状態で動かずに跪いていることしか出来ませんでした。叫んだら手を緩めてくれるかと思いましたが、それどころか、手錠を掛けた両手と背中の間にティーカップを挟まれ、痛みは一層増しました。上半身の骨はまるで半分に折れてしまったかのように感じました。あまりの痛さに私は息を吐き出せず、冷汗が顔から吹き出てきました。ちょうどこれ以上は痛みに耐えられないと感じていた時、邪悪な警官の一人がここぞとばかりに言いました。

   「名前を教えたら直ぐに釈放してやるぞ」

   その時、私は神に私の心をお守り下さるよう助けを求めました。私はある讃美歌をすぐに思い出しました。

   「受肉の神が苦しまれた。まして私はどんなに苦しむべきか? もし私が暗闇に屈したら、どうやって神を見るだろう? 御言葉について考えると、あなたを切望するようになる。御顔を見るたび、罪悪感の中、敬意を表します。自由を探し求めるために、どうして私があなたを見捨てられるだろう? むしろあなたの嘆きや悲しみを和らげるために苦しみたい」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神の良い知らせを待ち望みます」より)

   私は思いました。

   「そうだ。キリストは聖なる義なる神。神様は肉となられ地上に来られ、堕落した人類に完全なる救いをもたらそうとなさっている。そして今や神様は中国共産党政府に追跡され、人類には反対され、断罪されていらしゃる。神様は決してそのように苦しむべきでないのに、私たちを救うために静かにあれほどの苦しみに耐えていらっしゃる」

   よく考えると、私は救いを得るために今苦しでいるのだと分かったのです。私はこの苦しみを経験する必要があるのです。痛みに耐えられないからと言ってサタンに屈服してしまったら、どうして神に再び顔向けすることができるでしょうか。こう考えていると私は力が湧いてきて、もう一度断固たる姿勢を取り戻したのです。邪悪な警官は私を一時間ほど痛めつけました。彼らが手錠を外した時、私は体全体がぐったりとして地面に倒れ込みました。彼らは「喋らないともう一度やるぞ!」と私に向って叫びました。私は彼らを見ましたが、何も喋りませんでした。私の心は邪悪な警官に対する嫌悪でいっぱいでした。邪悪な警官の一人がもう一度私に手錠を掛けようと近寄ってきました。私は今受けたばかりの耐え難い痛みのことを考えながら、心の中で神に祈り続けました。驚いたことに、彼は私の両腕を背中の後ろに引っ張ろうとしたのですが、動かすことが出来なかったのです。私の腕もそれほど痛くもなかったのです。懸命に引っ張ろうとしていた彼の頭は汗まみれになっていましたが、それでも手錠を掛けることが出来ません。彼は、「お前は結構力強いんだな!」と腹立たしげに怒鳴りました。私はこれは神が私をお気遣い下さって、私に力をお与え下さったのだと分かっていました。神に感謝!

   夜明けまで耐え抜くのは大変でした。私は邪悪な警官による拷問のことを思うと、依然として激しい衝撃を感じました。彼らは私が何もしゃべらないなら私を山奥に連れ出して処刑すると言って脅していました。その後、他の信者を逮捕した時は、信者に私が教会を裏切ったと伝えるとも言って脅しました。私の評判に泥を塗り、教会の兄弟姉妹たちに私を憎ませ、私を拒絶させるつもりなのです。これを想像していると、私の心には孤独感と絶望感の波が押し寄せ、臆病になり弱く感じました。私は心の中で考えました。

   「死んだ方がましだわ。そうしたらユダになって神様を裏切ることもないし、兄弟姉妹たちから拒絶されてしまうこともない。それに肉の受ける拷問の苦痛を感じなくて済む」

   そうして、私を監視していた邪悪な警官が注意散漫になるまで待ってから、自分の頭を壁に強く叩き付けました。しかし、目眩がしただけで、死にませんでした。その瞬間、神の御言葉が私の内からお啓き下さったのです。

   「他人があなたを誤解しても、あなたは神に祈り、このように言うことができる。『ああ神様! 私は他人が私に寛容であることも私をよく扱うことも願いませんし、私を理解したり認めたりすることも願いません。あなたを愛することができ、心穏やかになり、私の良心が澄み切っていることだけを願います。他人が私を賞賛することや高く評価することを私は望みません。私は心からあなたの意を満たすことを求めるだけです』」(『言葉は肉において現れる』の「精錬を経ることでのみ、人は真の愛をもつことができる」より)

   神の御言葉は私の心から憂鬱を追い払って下さりました。私は思いました。

   「そうだ。神様は人々の心の一番奥まで見ることがお出来になる。もし警察に罪を着せられて、他の兄弟姉妹が実情を知らないために私を完全に誤解して、私を拒絶したとしても、私は神様の御意図は善良であると信じる。神様は私の神様への信仰と愛をお試しになられており、私は神に御満足いただこうとするべきなんだ」

   悪魔の狡猾な策略を見抜き、私は突然恥ずかしくなりました。私は自分の神への信仰は微々たるものであったことを知ったのです。私は少し苦しんだだけで断固な姿勢が取れなくなり、死んで神の御計画から免れ、避けようと考えました。邪悪な警官があのように私を脅した目的は、私が神に背を向けるよう仕向けることだったのです。神の御加護を受けていなければ、その狡猾な策略に引っ掛かっていたことでしょう。神の御言葉を熟考していると、私の心は光でいっぱいになりました。もう死にたくなくなりました。むしろしっかり生きて、自分が現実に生き抜いた経験を活用して神への証しを立て、サタンを辱めたくなったのです。

   私の監視に当っていた邪悪な警官二人は私がどうして頭を壁にぶつけたのかと聞いたので、他の警官に殴られたからだと答えました。するとその内の一人が笑顔で言いました。

   「私たちはおもに教育を手段としているのに。心配しなくでいいですよ。彼らには二度とあなたを殴らせませんから」

   この慰めの言葉を聞いて、私は思いました。

   「この二人は悪くない。逮捕されてから、彼らはずっと私にとても親切にしてくれている」

   この事があって、私は警戒心を緩めました。しかし、その瞬間、神のこの御言葉が私の心にひらめきました。

   「わたしの民は常にサタンの狡猾な企みを警戒し、わたしの家の門をわたしのために守り……そうすることで、あなた方はサタンの罠に陥ることがなくなるだろう。その時は、もう後悔しても手遅れなのだから」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第三章」より)

   神の御言葉は適時に注意を促して下さり、悪魔の狡猾な策略は沢山あり、かつ私はこの悪魔たちを常に警戒すべきだということをお示し下さいました。私は彼らがすぐに本性を明らかにしてくるとは予想していませんでした。邪悪な警官の一人は神を中傷し始め、もう一人は私の隣に座って私の足をなで、いやらしい目つきで私を見ながら教会の財源について聞いてきました。夜になって、私がうたた寝をしているのを見た彼は私の胸をまさぐり始めました。彼らが本性を現したのを見て、私は憤慨しました。私はこれで初めて「人民警察」は単なる悪党で、暴漢だと分かったのです。彼らはこういった卑劣でたちの悪いことを実際に行なうことができるのです。この結果、私には彼らの危害からお守り下さるように神に必死で祈るしかありませんでした。

   次の数日間、邪悪な警官たちは教会について細かく尋問するだけでなく、私を眠らせないように交代で私を監視しました。その後、私を尋問していた邪悪警官二人は私が口を割らないのを見て激怒しました。その内の一人が幾度も私の顔を引っ叩いたり、強打しながら攻撃しました。私の顔はうずいて腫れ出して、ついには麻痺して、何も感じなくなりました。私が彼らの尋問に対して何も答えないため、ある夜、邪悪な警官の長は叫びながら私にこう言いました。

   「そろそろ口を開いた方がいいぞ。もうお前には我慢が尽きそうだ。俺たちがお前をどうすることもできないなんてことはない。俺はお前よりもタフな奴らを見てきてる。お前はきつく当たらないと絶対に服従しない。こん畜生!」

   彼が命令すると邪悪な警官が数人私を拷問し始めました。夜になると、取調室は暗くて恐ろしい雰囲気が漂い、地獄にいるようでした。彼らは私に地面にしゃがむように命令し、手錠を掛けられた私の手を足の上に置かせました。次に、彼らは木の棒を私の腕の内側と膝の裏の間に差し込んで、強引にも私の体全体を丸めました。それから、棒を持ち上げ、テーブル二台の間に固定したので、私は頭が下向きで体を宙吊りにさせられました。持ち上げられた瞬間、私はめまいがして、息をするのが大変でした。窒息死するかと思いました。逆さに宙吊りにされたため、私の全体重が手首にかかっていました。最初、手錠が肉に食い込むのを防ぐために両手を寄せて握りしめ、体を丸めて、必死にその姿勢を維持しようとしました。しかし、少しずつ力が抜けていきました。手が足首から膝へと滑り落ちると、手錠が私の肉に深く食い込み、耐え難い痛みを感じました。三十分ほどこのようにぶら下げられていると、体中の血液が頭にたまったように感じました。頭部と眼球は爆発するかと思うほどに痛く膨張していました。深い切り傷が手首をえぐって刻み込み、両手はパンのかたまりのように腫れ上がりました。私は今にも死んでしまうような気がしました。私は「もうだめ。降ろして!」と必死に叫びました。「お前を助けられるのはお前だけだ。名前を白状したら降ろしてやる」と邪悪な警官の一人が悪意に満ちた声で言いました。最終的に、彼らは私が本当に危険な状態にあったことに気付いて私を降ろしてくれました。彼らは私にブドウ糖シロップを与えてくれた後、尋問を再開しました。私は目をぎゅっと閉じたまま、泥のようにぐったりと地面に横たわり、彼らには目もくれませんでした。突然、邪悪な警官はまたしても私を宙に吊り上げました。私はもう手で踏ん張るだけの力がなく、手錠が手首に食い込むままにするしかなく、ギザギザになっている端が肉の中に切り込んでいきました。その瞬間、私はあまりの痛みで心臓が止まるほどの叫び声を上げました。私はもう踏ん張り続ける力がなく、呼吸も非常に薄くなっていました。まるで時間が止まったようになり、私は死の瀬戸際をさまよっているような気分がしました。今度は本当に死んでしまうと思った私は、いのちが尽きる前に心にあった言葉を神に伝えたくなりました。

   「ああ、神様! 私は今この瞬間、本当に死んでしまいそうで怖くてなりません。でも、もし今晩本当に死ぬことになったとしても、私は神様の義を讃えます。ああ、神様! この短い人生の旅において、神様が私を選んで、この罪であふれた世界から御前に戻して下さったこと、私のさまよいを止めて下さったこと、そして私が神様の温かい抱擁の中でいつまでも生きられるようにして下さったことを感謝いたします。ああ、神様、私は今まで神様の愛をたっぷり授かってきたにもかかわらず、今、人生が終わる寸前になって初めて自分が神様の愛を大切にしていなかったことに気が付きました。私は幾度にわたって神様を悲しめ、失望させてしまいました。私はまるで母親の愛情を喜んで受けとるだけで恩返しすることを一度も考えたことがない世間知らずな子供のようです。私は命を失う寸前になった今、初めて神様の愛を大切にしなければならないのだと理解し、今になって初めて沢山の良き時間を逃してしまったことを後悔しています。今、私が一番後悔してるのは、神様に何もして差し上げることが出来なかったこと、そして神様に多大の恩義があることで、もしこのまま生きていけるのであれば、私は必ず自分の本分を尽くすために最善を尽くし、恩義に報います。この瞬間、私に力をお与えて下さり、私がもはや死を恐れず、強い姿勢で死に立ち向かっていけるようにして下さることだけを嘆願いたします……」

   私の涙が次から次へと額をたどって滴り落ちました。その夜は怖いほどに静かでした。唯一聞こえる音は時計のチクタクという音で、それはまるで私に残された命の秒数をカウントダウンしているようでした。その時、ある奇跡が起こったのです。まるで温かい太陽の光に照らされているような気がして、体中の痛みを次第に感じなくなりました。神の御言葉が私の頭に鳴り響きました。

   「産声を上げてこの世に生まれてきた瞬間から、あなたは自分の責務を果たし始める。神の計画と定めの中で自分の役割を果たして、いのちの旅を始める。背景が何であれ、また前途がどうであれ、天の指揮と采配から逃れられる者はいない。また自分の運命を支配できる者もいない。なぜなら、万物を支配するその方しかそのような働きはできないからである」(『言葉は肉において現れる』の「神は人間のいのちの源である」より)

   私は思いました。

   「そうだ。神様は私のいのちの源であられ、神様は私の運命を支配されている。私は自分を神様の御手に委ねて、御意向に従わなくては」

   神の御言葉を熟考していると、私は心の中で神の温かい抱擁に体を預けているかのような心地の良い、穏やかな気持になりました。私は自分が眠りに落ちていくのが分かりました。私が死ぬのではないかと恐れた邪悪な警官は私を降ろし、急いでブドウ糖シロップと水を与えてくれました。死と隣り合わせた体験において、私は神の奇跡的な御業を目の当たりにしたのです。

   翌日、邪悪な警官は一晩中何度も私を吊り上げました。彼らは押収した領収書の資金の場所について私を尋問しました。私はその間ずっと何も言いませんでしたが、彼らはそれでも諦めませんでした。教会の資金を手にするために、彼らはありとあらゆる卑劣な方法で私を拷問しました。その度に神の御言葉が私の頭の中で鳴り響きました。

   「数千年におよぶ憎しみが心に凝縮され、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。こうした状態で、どうして憎悪感を覚えずに居られようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討し、敵が二度と蔓延ることを許してはならない。また敵が意のままに問題を起こすことを許してはならない。今がその時である:人は随分前からこのために全力を振り絞り、努力の限りを尽くし、費やせるだけ費やしてきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと苦難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   神の御言葉は私に偉大な力と信仰を下さいました。私はサタンと死ぬまで戦い、死ぬことになっても、断固たる姿勢で神への証しを立てます。神の御言葉に元気づけられ、私は知らないうちに痛みを忘れていました。こうして、彼らが私を吊り上げる度に、神の御言葉が私に元気と意欲をお与え下さり、吊り上げられれば吊り上げられるほど、私は彼らの悪魔的な本質を更に見抜くことができ、神への証しをたてて神に御満足いただくという私の決意は更に断固たるものになったのです。最終的に、彼らはぞれぞれが私の相手をして疲れ果ててしまいました。彼らが話すのが聞こえました。

   「大抵のヤツはこんな風に吊り上げられたら三十分ももたないのに、この女はここまで耐え抜くとはな。本当にタフな奴だ!」

   私はこの言葉を聞いてとても嬉しくなり、心の中で思いました。

   「神に支えられている私を打ち負かすことなんか出来ないのよ」

   私が警察署で過ごした九昼夜の間、邪悪な警官たちは肉体的な拷問に加え、私から睡眠も奪いました。私が目を閉じてうとうとし始める度に、彼らは警棒をテーブルに叩き付けたり、私に立ち上がらせて走り回らせたり、私に叫び声を浴びせたりして私を粉々にし、精神的に潰そうとしてきました。九日経っても依然として目標を達成していませんでしたが、警官たちは諦めませんでした。彼らは私をホテルに連れていき、そこで私の両脚の前で両手に手錠を掛け、木の棒を両腕の屈曲部と脚の間に差し込んで、体を丸めた状態で無理やり床の上に座らせました。彼らはそのままの状態で数日間も床に座らせ続け、そのため手錠が私の肉に切り込みました。手と手首は腫れ上がって紫色に変色しました。お尻にもひどい痛みがあったのでさすったり、触ったりしないようにしました。まるで針の上に座っているようでした。ある日、私の尋問に効果がないことを認めた邪悪な警官のリーダーの一人が激しい怒りを表しながら私の方に来ると、私の顔面を強く引っ叩きました。あまりの強さで歯が二本ゆるくなってしまいました。

   ついには、省の公安部から課長が二人やって来ました。彼らは到着したとたんに私の手錠を外してくれて、ソファーに座らせてくれると、私にコップ一杯の水を入れてくれました。彼らは善人ぶって言いました。

   「あなたはここ数日の間、大変な思いをされましたね。でも、あまり気にしないでください。彼らは命令通りに動いていただけなんです」

   彼らの芝居があまりに憎らしくて、私は歯ぎしりしました。彼らもコンピューターの電源をつけると私に虚偽の証拠を見せたり、神を非難し冒涜することを多く言いました。私は激怒しました。私は彼らと議論したかったのですが、そうしても彼らはさらに必死になって神を冒涜するだけだと分かっていました。この瞬間、私は肉となられた神が苦しまれた苦難はどれだけ大変なものであり、神が人類を救うためにどれだけの屈辱にお耐えになられたのかを心から実感したのです。さらに、私はこの邪悪な悪魔たちの下劣さと憎らしさを目の当たりにしました。私はサタンと完全に決別して、神に一生忠実でいることを心の中で秘かに誓いました。その後、彼らがどのように私を騙そうとしても、私は口を閉じたまま何も言いませんでした。自分たちの言葉に何も効果がないことを知った課長二人は、怒ってその場を去るしかありませんでした。

   ホテルで過ごした十昼夜の間、彼らは私に手錠を掛けたままにして、足を抱きかかえて地面にしゃがませました。逮捕されてからの時間を振り返ってみると、私は警察署とホテルで合計十九昼夜を過ごしました。神の愛の御加護により少しだけうたた寝が出来ましたが、邪悪な警官たちはそれ以外には私をこの間全く眠らせてくれませんでした。私が一瞬でも目を閉じると、彼らはテーブルを強打したり、猛烈に私を蹴り飛ばしたり、叫び声を浴びせたり、走り回るように命令したりと、私を眠らせないためなら何でもしました。驚かされる度に私の心臓は激しく鼓動し、神経が激しく痛めつけられました。眠らせてもらえないことと邪悪な警官からの頻繁な拷問のせいで、体力はひどく消耗してしまい、私は体中が腫れ上がり具合が悪くなり、何もかも二重に見えるようになりました。人が目の前で話しているのが分かっていても、その声はまるでどこか遠くから届いているように聞こえました。さらに、私の反応はかなり鈍くなっていきました。私がこれを何とか生き抜けることが出来たのも、神の偉大な御力のおかげです! これはちょうど神が仰ったとおりです。

   「神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない」(『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より)

   私は心の中で、神に心からの感謝と称賛をささげました。

   「ああ、神様! 神様は全てを支配しておられ、御業は計り知れません。神様のみが全能であられ、消滅させることの出来ないいのちの力であられます。私のいのちのための生きる水の泉であられます。この特別な環境の中で、私は神様の比類なき御力と権威を見ました」

   最後には邪悪な警官たちは私を尋問しても答えが得られず、私を拘置所に連行しました。

   拘置所に向かう道中で警官二人私に言いました。

   「お前はよく頑張ったな。お前たちは拘置所に入れられるとはいえ、いい人だ。あそこには麻薬の売人、殺人者に売春婦とか色んなのがいる。着いたら分かるから」

   私は尋ねました。

   「私たちがいい人たちだって分かっているならどうして私たちを逮捕するんですか? 政府は信仰の自由についてうたってるじゃないですか?」

   警官の一人が答えました。

   「それは共産党の嘘だ。党は俺たちを食べさせてくれるから、俺たちは言われる通りにするしかないんだ。俺たちがお前を嫌いだとか、お前に恨みがあるわけじゃないんだ。お前を逮捕したのはお前が神を信仰してるからだ」

   私はこれを聞いて、これまで経験してきたことを全て振り返りました。私は神の御言葉を思い出さずにはいられませんでした。

   「宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   神の御言葉は問題の核心に切り込んでおり、中国共産党政府の本性を私に見せ、政府がふさわしくもない威信を手にしようとどのように試みているのかを私にはっきりと教えて下さいました。表面的には信仰の自由を掲げていても、国中で神の信仰者を秘かに逮捕し、抑圧し、残酷に傷つけ、神の働きを禁止しようと無駄な試みをしています。さらに恥ずかしげもなく教会のお金を盗み取ろうともしており、このような行ないの全てが共産党政府の神と真理を憎む悪魔のような本質をあらわにしているのです。

   拘置所にいた間、私は弱くなって苦しんだ時がありました。しかし神の御言葉は、続けて私を元気にして下さり、力と信仰をお与え下さり、私はサタンから肉の自由を奪われたものの、苦しみが私を啓発し、この邪悪な悪魔たちから拷問を受けている間に神を頼ることを教えて下さいました。また、多くの真理の本当の意味をも理解させて下さり、真理の貴重さに気付かせても下さいました。そして真理を追い求める私の決意と意欲を強めても下さったのです。私は神に従い続け、神が私のためにご用意下さったもの全てを体験する覚悟ができました。その結果、拘置所で働いていた間、私は讃美歌を歌って神の愛について静かに考えました。私は自分の心が神に近づいたと感じるようになり、毎日をそれほど苦しく悲惨なものと思わなくなったのです。

   この間、邪悪な警官たちは更に何度も私を尋問しました。私は彼らの拷問を乗り越えられるように神が私を幾度となくお導き下さったことを感謝しました。後に、邪悪な警官は取り上げた三枚の銀行カードからお金を全額引き出しました。教会の資金が邪悪な警官たちに奪われるのを何も出来ずにただ見ているのは胸が張り裂ける思いでした。私の心はこの貪欲で邪悪な悪魔集団に対する嫌悪で一杯になり、キリストの御国の近い到来を切望しました。最終的に、何の証拠もないのに、「公共の秩序を乱した」として、私に一年三か月の労働による再教育の判決を言い渡しました。

   中国共産党政府に残酷に迫害されることにより、私は神の私への愛と御救いを真に味わい、神の全能さ、統治、奇跡的な御業を正しく認識するようになり、神の御言葉の権威と力を目の当たりにしました。さらに、私は心からサタンを嫌うようになりました。迫害を受けていた間、神の御言葉は悲惨な昼夜を通して私の側にいて下さり、そのおかげで私はサタンの狡猾な策略を見抜けるようになり、時にかなった御加護をお与え下さったのです。神の御言葉は私を強く、勇敢にして下さり、私があの残忍な拷問を幾度となく乗り越えられるように下さったのです。神の御言葉は私に力と信仰をお与え下さり、サタンと最後まで戦い続ける勇気をお与え下さったのです……。神に感謝! 全能神は真理であられ、道であられ、いのちであられるのです! 私は最後の最後まで永遠に全能神に従って行きます!


決して消滅させることのできないいのちの力

2020-02-12 23:09:10 | 勝利者の証し

   私はごく普通の生活を送っていた一般人です。光を強く求める多くの人々と同じく、私も沢山の方法を試して人が存在する本当の意味を探しました。自分の人生がもっと意味深くなるようにです。結局は私の努力は全てが無駄に終わりました。しかし、運よく全能神の終わりの日の働きを受け入れた後、私の生活には奇跡的な変化が起こったのです。それは私の生活にさらに彩りを加え、私は神が人々の霊といのちの唯一なる供給者であられ、神の御言葉には人間のいのちの真の意味がこもっていることを理解するようになりました。私は人生の正しい道をやっと見つけられたことを嬉しく思いました。しかしある日、本分を尽くしていた時、私は中国共産党政府に不法に逮捕され、容赦ない拷問を受けました。それから、私の人生の旅に永遠に刻み込まれることになる重要な経験をしたのです……。

   2011年12月のある日の午前7時頃、私がもう一人の教会リーダーと教会資産の棚卸しを行っていた時、警官が十人以上突然ドアから勢いよく飛び込んで来ました。この邪悪な警官のうちの一人が私たちの方に駆け寄ってきて「動くな!」と叫びました。何が起きているのかを見て私は頭が混乱し、心の中でこう思いました。

   「これは大変だ。教会は資産をたくさん失ってしまう」

   次に、邪悪な警官は強盗を働く盗賊のように私たちを調べました。彼らは各部屋を荒らして回り、全部屋をあっという間にひっくり返しました。最終的に、彼らは教会資産である銀行カード三枚、預り証、コンピューター、携帯電話等を発見しました。彼らはこれらを全て押収して、私ともう一人の教会指導者と他に二人を警察署に連行したのです。

   その日の午後、邪悪な警官は他に逮捕した姉妹三人も連行してきました。彼らは私たち七人を一つの部屋に閉じ込め、私たちが喋ることを許さずに、夜が来ても眠らせてくれませんでした。私と一緒に閉じ込められた姉妹たちを見、教会がどれだけの資金を失ったのかと考えていると、私は不安のあまり我を忘れてしまいました。私はしきりに神に祈りを捧げることしか出来ませんでした。

   「ああ、神様! こんな状況に置かれて、どうしていいのか分かりません。どうか私の心を守り、落ち着かせて下さい」

   祈りを捧げた後、私は神の御言葉について考えました。

   「恐れてはならない。教会でこのような事が起こるとき、すべてわたしがそうなることを許しているのである。立ち上がってわたしのために語りなさい。すべての物事はわたしの玉座によって許されており、その全てにわたしの意図があるという信仰を持ちなさい」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第四十一章」より)

   「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十六章」より)

   神の御言葉は私の心のパニックを鎮めて下さいました。今日この環境は神の御許可があって私に起こったものであり、神への証しを立てることを神が私に要求なさる日が訪れたのだと悟りました。御心を理解した私は神に祈りを捧げました。

   「ああ、神様! 私は神様の御計画と御采配に従い、断固たる姿勢で神様に証しを立てたいと思っています。でも、私の霊的背丈は低いため、どうか私が断固たる姿勢を貫けるように信仰と力をお与え下さい。そして私をお守り下さい」

   翌朝、彼らは私たちを別々に尋問してきました。邪悪な警官の一人が威張って言いました。

   「俺はお前が教会リーダーであることは知っているんだ。俺たち五か月間お前たちを監視してきたからな……」

   彼らが私を監視するために実行したこと全ての詳細を聞いた時、私は背筋がゾクッとしました。私は心の中でこう思いました。

   「中国共産党政府は私たちを逮捕しようと本当に足固めをいっぱいしてきている。私が教会リーダーであることを既に知っているってことは、私を釈放してくれることなんてあり得ないわ」

   私は直ちに神を裏切ってユダになるくらいなら死んだ方がましだと神の前で決心しました。自分たちの尋問が何の結果も出さないことを見た彼らは、私を監視する人を割り当てて私を眠らせないようにしました。

   三日目の尋問の最中、邪悪な警官の長はコンピューターの電源を入れて、私に神を中傷した資料を読ませました。これに動じなかった私を見て、彼は次に教会の財源について細かく尋問してきました。私は横を向いて彼を無視しました。彼はこれに非情に腹を立てて私を罵ってきました。

   「お前が何も喋らなくても、どうってことはない。俺たちは永遠にお前を拘束して、いつでも好きな時にお前を拷問出来るんだ」

   こう言って、彼は激しく脅してきました。その夜中、警官は拷問を開始しました。彼らは私の片手を肩の後ろに回して下の方へ引っ張り、もう片方の手を背中の後ろで引き上げました。彼らは私の背中を足で押し付けながら、強引に私の両手首を引き寄せて手錠を掛けました。あまりの痛さに私は叫び声を上げました。両肩の骨と肉が今にも引き裂かれるように感じました。頭を床につけた状態で動かずに跪いていることしか出来ませんでした。叫んだら手を緩めてくれるかと思いましたが、それどころか、手錠を掛けた両手と背中の間にティーカップを挟まれ、痛みは一層増しました。上半身の骨はまるで半分に折れてしまったかのように感じました。あまりの痛さに私は息を吐き出せず、冷汗が顔から吹き出てきました。ちょうどこれ以上は痛みに耐えられないと感じていた時、邪悪な警官の一人がここぞとばかりに言いました。

   「名前を教えたら直ぐに釈放してやるぞ」

   その時、私は神に私の心をお守り下さるよう助けを求めました。私はある讃美歌をすぐに思い出しました。

   「受肉の神が苦しまれた。まして私はどんなに苦しむべきか? もし私が暗闇に屈したら、どうやって神を見るだろう? 御言葉について考えると、あなたを切望するようになる。御顔を見るたび、罪悪感の中、敬意を表します。自由を探し求めるために、どうして私があなたを見捨てられるだろう? むしろあなたの嘆きや悲しみを和らげるために苦しみたい」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神の良い知らせを待ち望みます」より)

   私は思いました。

   「そうだ。キリストは聖なる義なる神。神様は肉となられ地上に来られ、堕落した人類に完全なる救いをもたらそうとなさっている。そして今や神様は中国共産党政府に追跡され、人類には反対され、断罪されていらしゃる。神様は決してそのように苦しむべきでないのに、私たちを救うために静かにあれほどの苦しみに耐えていらっしゃる」

   よく考えると、私は救いを得るために今苦しでいるのだと分かったのです。私はこの苦しみを経験する必要があるのです。痛みに耐えられないからと言ってサタンに屈服してしまったら、どうして神に再び顔向けすることができるでしょうか。こう考えていると私は力が湧いてきて、もう一度断固たる姿勢を取り戻したのです。邪悪な警官は私を一時間ほど痛めつけました。彼らが手錠を外した時、私は体全体がぐったりとして地面に倒れ込みました。彼らは「喋らないともう一度やるぞ!」と私に向って叫びました。私は彼らを見ましたが、何も喋りませんでした。私の心は邪悪な警官に対する嫌悪でいっぱいでした。邪悪な警官の一人がもう一度私に手錠を掛けようと近寄ってきました。私は今受けたばかりの耐え難い痛みのことを考えながら、心の中で神に祈り続けました。驚いたことに、彼は私の両腕を背中の後ろに引っ張ろうとしたのですが、動かすことが出来なかったのです。私の腕もそれほど痛くもなかったのです。懸命に引っ張ろうとしていた彼の頭は汗まみれになっていましたが、それでも手錠を掛けることが出来ません。彼は、「お前は結構力強いんだな!」と腹立たしげに怒鳴りました。私はこれは神が私をお気遣い下さって、私に力をお与え下さったのだと分かっていました。神に感謝!

   夜明けまで耐え抜くのは大変でした。私は邪悪な警官による拷問のことを思うと、依然として激しい衝撃を感じました。彼らは私が何もしゃべらないなら私を山奥に連れ出して処刑すると言って脅していました。その後、他の信者を逮捕した時は、信者に私が教会を裏切ったと伝えるとも言って脅しました。私の評判に泥を塗り、教会の兄弟姉妹たちに私を憎ませ、私を拒絶させるつもりなのです。これを想像していると、私の心には孤独感と絶望感の波が押し寄せ、臆病になり弱く感じました。私は心の中で考えました。

   「死んだ方がましだわ。そうしたらユダになって神様を裏切ることもないし、兄弟姉妹たちから拒絶されてしまうこともない。それに肉の受ける拷問の苦痛を感じなくて済む」

   そうして、私を監視していた邪悪な警官が注意散漫になるまで待ってから、自分の頭を壁に強く叩き付けました。しかし、目眩がしただけで、死にませんでした。その瞬間、神の御言葉が私の内からお啓き下さったのです。

   「他人があなたを誤解しても、あなたは神に祈り、このように言うことができる。『ああ神様! 私は他人が私に寛容であることも私をよく扱うことも願いませんし、私を理解したり認めたりすることも願いません。あなたを愛することができ、心穏やかになり、私の良心が澄み切っていることだけを願います。他人が私を賞賛することや高く評価することを私は望みません。私は心からあなたの意を満たすことを求めるだけです』」(『言葉は肉において現れる』の「精錬を経ることでのみ、人は真の愛をもつことができる」より)

   神の御言葉は私の心から憂鬱を追い払って下さりました。私は思いました。

   「そうだ。神様は人々の心の一番奥まで見ることがお出来になる。もし警察に罪を着せられて、他の兄弟姉妹が実情を知らないために私を完全に誤解して、私を拒絶したとしても、私は神様の御意図は善良であると信じる。神様は私の神様への信仰と愛をお試しになられており、私は神に御満足いただこうとするべきなんだ」

   悪魔の狡猾な策略を見抜き、私は突然恥ずかしくなりました。私は自分の神への信仰は微々たるものであったことを知ったのです。私は少し苦しんだだけで断固な姿勢が取れなくなり、死んで神の御計画から免れ、避けようと考えました。邪悪な警官があのように私を脅した目的は、私が神に背を向けるよう仕向けることだったのです。神の御加護を受けていなければ、その狡猾な策略に引っ掛かっていたことでしょう。神の御言葉を熟考していると、私の心は光でいっぱいになりました。もう死にたくなくなりました。むしろしっかり生きて、自分が現実に生き抜いた経験を活用して神への証しを立て、サタンを辱めたくなったのです。

   私の監視に当っていた邪悪な警官二人は私がどうして頭を壁にぶつけたのかと聞いたので、他の警官に殴られたからだと答えました。するとその内の一人が笑顔で言いました。

   「私たちはおもに教育を手段としているのに。心配しなくでいいですよ。彼らには二度とあなたを殴らせませんから」

   この慰めの言葉を聞いて、私は思いました。

   「この二人は悪くない。逮捕されてから、彼らはずっと私にとても親切にしてくれている」

   この事があって、私は警戒心を緩めました。しかし、その瞬間、神のこの御言葉が私の心にひらめきました。

   「わたしの民は常にサタンの狡猾な企みを警戒し、わたしの家の門をわたしのために守り……そうすることで、あなた方はサタンの罠に陥ることがなくなるだろう。その時は、もう後悔しても手遅れなのだから」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の「第三章」より)

   神の御言葉は適時に注意を促して下さり、悪魔の狡猾な策略は沢山あり、かつ私はこの悪魔たちを常に警戒すべきだということをお示し下さいました。私は彼らがすぐに本性を明らかにしてくるとは予想していませんでした。邪悪な警官の一人は神を中傷し始め、もう一人は私の隣に座って私の足をなで、いやらしい目つきで私を見ながら教会の財源について聞いてきました。夜になって、私がうたた寝をしているのを見た彼は私の胸をまさぐり始めました。彼らが本性を現したのを見て、私は憤慨しました。私はこれで初めて「人民警察」は単なる悪党で、暴漢だと分かったのです。彼らはこういった卑劣でたちの悪いことを実際に行なうことができるのです。この結果、私には彼らの危害からお守り下さるように神に必死で祈るしかありませんでした。

   次の数日間、邪悪な警官たちは教会について細かく尋問するだけでなく、私を眠らせないように交代で私を監視しました。その後、私を尋問していた邪悪警官二人は私が口を割らないのを見て激怒しました。その内の一人が幾度も私の顔を引っ叩いたり、強打しながら攻撃しました。私の顔はうずいて腫れ出して、ついには麻痺して、何も感じなくなりました。私が彼らの尋問に対して何も答えないため、ある夜、邪悪な警官の長は叫びながら私にこう言いました。

   「そろそろ口を開いた方がいいぞ。もうお前には我慢が尽きそうだ。俺たちがお前をどうすることもできないなんてことはない。俺はお前よりもタフな奴らを見てきてる。お前はきつく当たらないと絶対に服従しない。こん畜生!」

   彼が命令すると邪悪な警官が数人私を拷問し始めました。夜になると、取調室は暗くて恐ろしい雰囲気が漂い、地獄にいるようでした。彼らは私に地面にしゃがむように命令し、手錠を掛けられた私の手を足の上に置かせました。次に、彼らは木の棒を私の腕の内側と膝の裏の間に差し込んで、強引にも私の体全体を丸めました。それから、棒を持ち上げ、テーブル二台の間に固定したので、私は頭が下向きで体を宙吊りにさせられました。持ち上げられた瞬間、私はめまいがして、息をするのが大変でした。窒息死するかと思いました。逆さに宙吊りにされたため、私の全体重が手首にかかっていました。最初、手錠が肉に食い込むのを防ぐために両手を寄せて握りしめ、体を丸めて、必死にその姿勢を維持しようとしました。しかし、少しずつ力が抜けていきました。手が足首から膝へと滑り落ちると、手錠が私の肉に深く食い込み、耐え難い痛みを感じました。三十分ほどこのようにぶら下げられていると、体中の血液が頭にたまったように感じました。頭部と眼球は爆発するかと思うほどに痛く膨張していました。深い切り傷が手首をえぐって刻み込み、両手はパンのかたまりのように腫れ上がりました。私は今にも死んでしまうような気がしました。私は「もうだめ。降ろして!」と必死に叫びました。「お前を助けられるのはお前だけだ。名前を白状したら降ろしてやる」と邪悪な警官の一人が悪意に満ちた声で言いました。最終的に、彼らは私が本当に危険な状態にあったことに気付いて私を降ろしてくれました。彼らは私にブドウ糖シロップを与えてくれた後、尋問を再開しました。私は目をぎゅっと閉じたまま、泥のようにぐったりと地面に横たわり、彼らには目もくれませんでした。突然、邪悪な警官はまたしても私を宙に吊り上げました。私はもう手で踏ん張るだけの力がなく、手錠が手首に食い込むままにするしかなく、ギザギザになっている端が肉の中に切り込んでいきました。その瞬間、私はあまりの痛みで心臓が止まるほどの叫び声を上げました。私はもう踏ん張り続ける力がなく、呼吸も非常に薄くなっていました。まるで時間が止まったようになり、私は死の瀬戸際をさまよっているような気分がしました。今度は本当に死んでしまうと思った私は、いのちが尽きる前に心にあった言葉を神に伝えたくなりました。

   「ああ、神様! 私は今この瞬間、本当に死んでしまいそうで怖くてなりません。でも、もし今晩本当に死ぬことになったとしても、私は神様の義を讃えます。ああ、神様! この短い人生の旅において、神様が私を選んで、この罪であふれた世界から御前に戻して下さったこと、私のさまよいを止めて下さったこと、そして私が神様の温かい抱擁の中でいつまでも生きられるようにして下さったことを感謝いたします。ああ、神様、私は今まで神様の愛をたっぷり授かってきたにもかかわらず、今、人生が終わる寸前になって初めて自分が神様の愛を大切にしていなかったことに気が付きました。私は幾度にわたって神様を悲しめ、失望させてしまいました。私はまるで母親の愛情を喜んで受けとるだけで恩返しすることを一度も考えたことがない世間知らずな子供のようです。私は命を失う寸前になった今、初めて神様の愛を大切にしなければならないのだと理解し、今になって初めて沢山の良き時間を逃してしまったことを後悔しています。今、私が一番後悔してるのは、神様に何もして差し上げることが出来なかったこと、そして神様に多大の恩義があることで、もしこのまま生きていけるのであれば、私は必ず自分の本分を尽くすために最善を尽くし、恩義に報います。この瞬間、私に力をお与えて下さり、私がもはや死を恐れず、強い姿勢で死に立ち向かっていけるようにして下さることだけを嘆願いたします……」

   私の涙が次から次へと額をたどって滴り落ちました。その夜は怖いほどに静かでした。唯一聞こえる音は時計のチクタクという音で、それはまるで私に残された命の秒数をカウントダウンしているようでした。その時、ある奇跡が起こったのです。まるで温かい太陽の光に照らされているような気がして、体中の痛みを次第に感じなくなりました。神の御言葉が私の頭に鳴り響きました。

   「産声を上げてこの世に生まれてきた瞬間から、あなたは自分の責務を果たし始める。神の計画と定めの中で自分の役割を果たして、いのちの旅を始める。背景が何であれ、また前途がどうであれ、天の指揮と采配から逃れられる者はいない。また自分の運命を支配できる者もいない。なぜなら、万物を支配するその方しかそのような働きはできないからである」(『言葉は肉において現れる』の「神は人間のいのちの源である」より)

   私は思いました。

   「そうだ。神様は私のいのちの源であられ、神様は私の運命を支配されている。私は自分を神様の御手に委ねて、御意向に従わなくては」

   神の御言葉を熟考していると、私は心の中で神の温かい抱擁に体を預けているかのような心地の良い、穏やかな気持になりました。私は自分が眠りに落ちていくのが分かりました。私が死ぬのではないかと恐れた邪悪な警官は私を降ろし、急いでブドウ糖シロップと水を与えてくれました。死と隣り合わせた体験において、私は神の奇跡的な御業を目の当たりにしたのです。

   翌日、邪悪な警官は一晩中何度も私を吊り上げました。彼らは押収した領収書の資金の場所について私を尋問しました。私はその間ずっと何も言いませんでしたが、彼らはそれでも諦めませんでした。教会の資金を手にするために、彼らはありとあらゆる卑劣な方法で私を拷問しました。その度に神の御言葉が私の頭の中で鳴り響きました。

   「数千年におよぶ憎しみが心に凝縮され、数千年におよぶ罪深さが心に刻み込まれている。こうした状態で、どうして憎悪感を覚えずに居られようか。神の仇を討ち、神の敵を掃討し、敵が二度と蔓延ることを許してはならない。また敵が意のままに問題を起こすことを許してはならない。今がその時である:人は随分前からこのために全力を振り絞り、努力の限りを尽くし、費やせるだけ費やしてきた。それは、この悪魔の忌まわしい顔をはぎ取り、盲目にされた人々、あらゆる苦しみと苦難に耐えてきた人々が痛みから立ち上がり、この邪悪な古い悪魔に背を向けることができるようにするためである」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   神の御言葉は私に偉大な力と信仰を下さいました。私はサタンと死ぬまで戦い、死ぬことになっても、断固たる姿勢で神への証しを立てます。神の御言葉に元気づけられ、私は知らないうちに痛みを忘れていました。こうして、彼らが私を吊り上げる度に、神の御言葉が私に元気と意欲をお与え下さり、吊り上げられれば吊り上げられるほど、私は彼らの悪魔的な本質を更に見抜くことができ、神への証しをたてて神に御満足いただくという私の決意は更に断固たるものになったのです。最終的に、彼らはぞれぞれが私の相手をして疲れ果ててしまいました。彼らが話すのが聞こえました。

   「大抵のヤツはこんな風に吊り上げられたら三十分ももたないのに、この女はここまで耐え抜くとはな。本当にタフな奴だ!」

   私はこの言葉を聞いてとても嬉しくなり、心の中で思いました。

   「神に支えられている私を打ち負かすことなんか出来ないのよ」

   私が警察署で過ごした九昼夜の間、邪悪な警官たちは肉体的な拷問に加え、私から睡眠も奪いました。私が目を閉じてうとうとし始める度に、彼らは警棒をテーブルに叩き付けたり、私に立ち上がらせて走り回らせたり、私に叫び声を浴びせたりして私を粉々にし、精神的に潰そうとしてきました。九日経っても依然として目標を達成していませんでしたが、警官たちは諦めませんでした。彼らは私をホテルに連れていき、そこで私の両脚の前で両手に手錠を掛け、木の棒を両腕の屈曲部と脚の間に差し込んで、体を丸めた状態で無理やり床の上に座らせました。彼らはそのままの状態で数日間も床に座らせ続け、そのため手錠が私の肉に切り込みました。手と手首は腫れ上がって紫色に変色しました。お尻にもひどい痛みがあったのでさすったり、触ったりしないようにしました。まるで針の上に座っているようでした。ある日、私の尋問に効果がないことを認めた邪悪な警官のリーダーの一人が激しい怒りを表しながら私の方に来ると、私の顔面を強く引っ叩きました。あまりの強さで歯が二本ゆるくなってしまいました。

   ついには、省の公安部から課長が二人やって来ました。彼らは到着したとたんに私の手錠を外してくれて、ソファーに座らせてくれると、私にコップ一杯の水を入れてくれました。彼らは善人ぶって言いました。

   「あなたはここ数日の間、大変な思いをされましたね。でも、あまり気にしないでください。彼らは命令通りに動いていただけなんです」

   彼らの芝居があまりに憎らしくて、私は歯ぎしりしました。彼らもコンピューターの電源をつけると私に虚偽の証拠を見せたり、神を非難し冒涜することを多く言いました。私は激怒しました。私は彼らと議論したかったのですが、そうしても彼らはさらに必死になって神を冒涜するだけだと分かっていました。この瞬間、私は肉となられた神が苦しまれた苦難はどれだけ大変なものであり、神が人類を救うためにどれだけの屈辱にお耐えになられたのかを心から実感したのです。さらに、私はこの邪悪な悪魔たちの下劣さと憎らしさを目の当たりにしました。私はサタンと完全に決別して、神に一生忠実でいることを心の中で秘かに誓いました。その後、彼らがどのように私を騙そうとしても、私は口を閉じたまま何も言いませんでした。自分たちの言葉に何も効果がないことを知った課長二人は、怒ってその場を去るしかありませんでした。

   ホテルで過ごした十昼夜の間、彼らは私に手錠を掛けたままにして、足を抱きかかえて地面にしゃがませました。逮捕されてからの時間を振り返ってみると、私は警察署とホテルで合計十九昼夜を過ごしました。神の愛の御加護により少しだけうたた寝が出来ましたが、邪悪な警官たちはそれ以外には私をこの間全く眠らせてくれませんでした。私が一瞬でも目を閉じると、彼らはテーブルを強打したり、猛烈に私を蹴り飛ばしたり、叫び声を浴びせたり、走り回るように命令したりと、私を眠らせないためなら何でもしました。驚かされる度に私の心臓は激しく鼓動し、神経が激しく痛めつけられました。眠らせてもらえないことと邪悪な警官からの頻繁な拷問のせいで、体力はひどく消耗してしまい、私は体中が腫れ上がり具合が悪くなり、何もかも二重に見えるようになりました。人が目の前で話しているのが分かっていても、その声はまるでどこか遠くから届いているように聞こえました。さらに、私の反応はかなり鈍くなっていきました。私がこれを何とか生き抜けることが出来たのも、神の偉大な御力のおかげです! これはちょうど神が仰ったとおりです。

   「神は人を生まれ変わらせ、人が自分の持つあらゆる役割においてしっかりと生きられるようにする。神の力と、神の消えることのないいのちの力のおかげで、人は何世代も生きてきた。その間ずっと、神のいのちの力は人の存在の支えであり、神は普通の人間が誰も払ったことのないような代償を払ってきた。神のいのちの力は、いかなる力にも勝る。そしていかなる力をも超越する。神のいのちは永遠であり、神の力は非凡であり、神のいのちの力はいかなる被造物や敵の力によっても簡単に圧倒されない」(『言葉は肉において現れる』の「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」より)

   私は心の中で、神に心からの感謝と称賛をささげました。

   「ああ、神様! 神様は全てを支配しておられ、御業は計り知れません。神様のみが全能であられ、消滅させることの出来ないいのちの力であられます。私のいのちのための生きる水の泉であられます。この特別な環境の中で、私は神様の比類なき御力と権威を見ました」

   最後には邪悪な警官たちは私を尋問しても答えが得られず、私を拘置所に連行しました。

   拘置所に向かう道中で警官二人私に言いました。

   「お前はよく頑張ったな。お前たちは拘置所に入れられるとはいえ、いい人だ。あそこには麻薬の売人、殺人者に売春婦とか色んなのがいる。着いたら分かるから」

   私は尋ねました。

   「私たちがいい人たちだって分かっているならどうして私たちを逮捕するんですか? 政府は信仰の自由についてうたってるじゃないですか?」

   警官の一人が答えました。

   「それは共産党の嘘だ。党は俺たちを食べさせてくれるから、俺たちは言われる通りにするしかないんだ。俺たちがお前を嫌いだとか、お前に恨みがあるわけじゃないんだ。お前を逮捕したのはお前が神を信仰してるからだ」

   私はこれを聞いて、これまで経験してきたことを全て振り返りました。私は神の御言葉を思い出さずにはいられませんでした。

   「宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

   神の御言葉は問題の核心に切り込んでおり、中国共産党政府の本性を私に見せ、政府がふさわしくもない威信を手にしようとどのように試みているのかを私にはっきりと教えて下さいました。表面的には信仰の自由を掲げていても、国中で神の信仰者を秘かに逮捕し、抑圧し、残酷に傷つけ、神の働きを禁止しようと無駄な試みをしています。さらに恥ずかしげもなく教会のお金を盗み取ろうともしており、このような行ないの全てが共産党政府の神と真理を憎む悪魔のような本質をあらわにしているのです。

   拘置所にいた間、私は弱くなって苦しんだ時がありました。しかし神の御言葉は、続けて私を元気にして下さり、力と信仰をお与え下さり、私はサタンから肉の自由を奪われたものの、苦しみが私を啓発し、この邪悪な悪魔たちから拷問を受けている間に神を頼ることを教えて下さいました。また、多くの真理の本当の意味をも理解させて下さり、真理の貴重さに気付かせても下さいました。そして真理を追い求める私の決意と意欲を強めても下さったのです。私は神に従い続け、神が私のためにご用意下さったもの全てを体験する覚悟ができました。その結果、拘置所で働いていた間、私は讃美歌を歌って神の愛について静かに考えました。私は自分の心が神に近づいたと感じるようになり、毎日をそれほど苦しく悲惨なものと思わなくなったのです。

   この間、邪悪な警官たちは更に何度も私を尋問しました。私は彼らの拷問を乗り越えられるように神が私を幾度となくお導き下さったことを感謝しました。後に、邪悪な警官は取り上げた三枚の銀行カードからお金を全額引き出しました。教会の資金が邪悪な警官たちに奪われるのを何も出来ずにただ見ているのは胸が張り裂ける思いでした。私の心はこの貪欲で邪悪な悪魔集団に対する嫌悪で一杯になり、キリストの御国の近い到来を切望しました。最終的に、何の証拠もないのに、「公共の秩序を乱した」として、私に一年三か月の労働による再教育の判決を言い渡しました。

   中国共産党政府に残酷に迫害されることにより、私は神の私への愛と御救いを真に味わい、神の全能さ、統治、奇跡的な御業を正しく認識するようになり、神の御言葉の権威と力を目の当たりにしました。さらに、私は心からサタンを嫌うようになりました。迫害を受けていた間、神の御言葉は悲惨な昼夜を通して私の側にいて下さり、そのおかげで私はサタンの狡猾な策略を見抜けるようになり、時にかなった御加護をお与え下さったのです。神の御言葉は私を強く、勇敢にして下さり、私があの残忍な拷問を幾度となく乗り越えられるように下さったのです。神の御言葉は私に力と信仰をお与え下さり、サタンと最後まで戦い続ける勇気をお与え下さったのです……。神に感謝! 全能神は真理であられ、道であられ、いのちであられるのです! 私は最後の最後まで永遠に全能神に従って行きます!