賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

見知らぬ人を受け入れて得た意外なもの

2019-04-25 21:40:47 | 神に帰す証

  私は以前、家庭教会で説教師をしていました。ある日、兄弟姉妹たちと会議を開いている最中、チェン牧師は聖書から次の説を読みました、「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。」(ガラテヤ人への手紙1:6-7)。そして、彼はこう言いました、「兄弟姉妹の皆さん、東方閃電の信徒たちは、主イエス様が裁きの働きをしに再臨されたと言っています。そして、他の教会では善良な子羊たちの多くが彼らに奪われています。主の信者たちをしっかりと守れていないとなると、将来、主に説明がつきません。そこで、私は信者たちを守るため、見知らぬ人を受け入れることを全面的に禁止する決断をしました。そして、東方閃電を受け入れる人がいれば、その人は教会から追放されることになります。」私は彼の言葉にとても驚いてこう思いました、「どうして主を信仰する真の信者たちの多くが東方閃電を受け入れているんだ。どうしてそんなことが起っているんだ?これからは絶対に見知らぬ人を受け入れないように気をつけよう。」

   その後、私はチェン牧師の言葉を伝えるために各集会場に足を運び、それに従うようにと信者たちに伝えました。その後、私は、こうすることが主に対する強い献身であると信じながら、安堵の溜息をつきました。ある日、年配の姉妹が慌てて私の家にやってきてこう言いました、「フェンギン、知らない女性が東方閃電を説き勧めやってきて、主イエス様は既に真理を話すために再臨されていると言ってるわ。。」私はすかさず割って入り、「その女性はどこですか?」と聞いて、「これからそちらに向かいます」、と言いました。私は年配の姉妹の自宅に到着すると、福音を説きにやって来た姉妹の所へ足早に行ってこう言いました、「東方閃電を説き勧めているのはあなたですか?」彼女は、「そうですよ、叔母さま 」と笑顔で答えました。「東方閃電はヤ―ウェ神、主イエス様の再臨です」と言ったのです。私は、「東方閃電がヤ―ウェ神だなんて、聖書のどの節に記録されているのですか?」と尋ねました。「どうぞお引き取りください。あなたが何を説教されようと、私たちは信じません」と言うと、彼女は穏やかにこう応えました、「叔母さま、聖書にこう記されているのをお忘れではありませんか、「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。」(ゼカリヤ書 10:1). 主はいなずまを造られる神なのではありませんか?」私は彼女の言葉を聞き、面と向って攻撃されたかのように唖然としてしまいました。私は自分の面目のためにこう言い返しました、「未信者たちに説教したければすればよろしい。それに、私たちはあなたがどなたか知りません。さらに、私たちは牧師と長老たちから見知らぬ人を受け入れることを禁じられています。お引き取りください!」しかし、彼女は落ち着いた口調でこう言いました、「しかし、私たち主の信者は主の御言葉を聞くべきだと思います。主イエス様は誰も見知らぬ人を受け入れてはならないとは決して仰っておられません。むしろ、主はこう仰りました、「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。」(ルカによる福音書 9:48)。主は、誰でも福音を説く使者を受け入れる者は主を受け入れると仰りました。しかし、あなたの牧師と長老たちはあなたが見知らぬ人を受け入れることを禁じています、彼らは主の教えに背いているのではありませんか?」他の人が急にこう言いました、「出て行かないなら、警察を呼ぶぞ。」そこにいた人たち全員が彼女を非難して脅し、そして彼女を追いやりました。

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   この姉妹が去った後、私は思わずこう考えました:「この人の言葉は聖書の内容から逸れていない。しかも、彼女はとても献身的だし、悪い女性のようには見えない。」夜になると、私の心臓は激しく鼓動し、私は強い違和感を覚えました。こうして、私は主の御気持を害したのではないかと内省しました。そして、私は以前、東方閃電を説き勧めていた人々を排斥していたことを思い出しました。そうしたことは主の御心に背いていたのでしょうか?私はこう考えると落ち着けませんでした。主イエス様が隣人を自身のように愛せよと教えてくださったことを考えると、私は増々困惑しました。これ故に、私は祈りを捧げました、「ああ、主よ、私はあなたのために働き、祈り、そして信者たちを守ってきました。なのに、どうして私の心臓は痛むのですか?見知らぬ人を受け入れないのは間違っているのでしょうか?ああ、主よ、私はとても困惑しています、あなたの御気持に沿うには何をすべきなのでしょう。ああ、主よ、どうか私を御導きください。」こう祈りを捧げた後、若い姉妹が口にした聖書の御言葉が私の頭に浮かびました、「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そしてわたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。」(ルカによる福音書 9:48)。私はじっくりと考えました:「そうだ!主イエス様は幼き子供すら受け入れるように仰りましたが、見知らぬ人を受け入れるなとは決して仰っておられません。とういうことは、あの姉妹を拒絶することは間違っているのでしょうか?」そして、私は牧師と長老たちが言ったことを思い出してこう考えました:「彼らは子羊たちのいのちを守るために、私たちが見知らぬ人を受け入れるのを禁止しておられるのだ。彼らは何も悪いことはしていない。」私はこの時、とても困惑しました。こうして、私は何度も祈りを捧げ、この事態を主に託し、主の御心を理解できるよう、主の御導きを請いました。

   その数日後、あの若い姉妹がまた私の家にやってきました。私はこう言いました、「近頃、東方閃電を説き勧める人たちが大勢いますが、私たちの牧師と長老たちは見知らぬ人とは関わりを持つなと繰り返し言われています。あなたは見知らぬ人ですし、私はあなたのことを知りません。」そして、彼女は静かにこう言いました、「叔母さま、あなたは説教師として、見知らぬ人を受け入れて知らぬ内に予想外の祝福を得た人たちが大勢いたことを知っておられるはずです。聖書にはこう記されています:「ロトも見知らぬ者たちを受け入れ、ソドムの街が破滅させられた時、2人の娘と共に生き残りました。遊女ラハブもまた見知らぬ者たちを受け入れて、彼女と家にいた他3人は共に滅びることを免れました。ザレパテの未亡人は預言者であったエリヤを受け入れると、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えませんでした。そして、未亡人の息子が重い病気になり、息が絶えた時、エリヤは神に祈りを捧げ、彼を蘇られました。見知らぬ人を受け入れた者たちは全員が知らぬ内に神の御恵みを授かっているのです。主イエス様はこれについてこう仰りました、『預言者の名のゆえに預言者を受けいれる者は、預言者の報いを受け、義人の名のゆえに義人を受けいれる者は、義人の報いを受けるであろう。』(マタイによる福音書 10:41)。これらは主から私たちへの教えであり、私たちはこれらを実践すべきなのです。叔母さま、私の言っていることは正しいですか?」私は、「はい、これは私たちも集会で説教していることです。」そして彼女は言いました、「叔母さま、これらについて話しているだけで、実践していなければ真理を得ることはありませんよ。主イエス様こう仰りました、「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。『それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。』(マタイによる福音書 7:24)。聖書に記されたこれらの例を読むと、見知らぬ人を受け入れれば、私たちは騙されないだけでなく、むしろ神の御加護と祝福を得られることが分かります。聖書にはこの記述もあります、『旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。⋯』(ヘブル人への手紙 13:2). 牧師と長老の言うことを聞いて見知らぬ人を受け入れる人がいなければ、イエス・キリストの福音が西洋の国々から我々の国に広まることはあり得ません。私たちは西から来られる伝道者たちが誰だか知っているわけではありません。主イエス様はこう仰っておられます、『全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。』(マルコによる福音書16:15)。この人たちは全ての国々に行って福音を説いたわけですから、彼らのことを知らなかった人たちが大勢いたはずです。主イエス様の弟子たちとパウロがあちこちで主の福音を説いていた時と同じように、今も伝道者のことを知る人々が大勢いるはずがないのです。ならば、牧師と長老たちが見知らぬ人を受け入れるなと言うのは、主の教えに適っているでしょうか?宗教指導者の言うことをむやみに聞いて、見知らぬ人を受け入れることを拒否していたら、私たちは主の御言葉に背く愚か者だということにになりませんか?主を信仰していても、主の御言葉に従っていなければ天国に入れるはずなどありません。そうだと思いませんか、叔母さま?」

   彼女の言葉を聞いて、私はこう思いました:「その通りだ。主を信仰する人は主の御言葉に従うべきだ。主イエス様は見知らぬ人を受け入れるなとは決して仰っておられない、牧師と長老の言っていることは間違っているのか?」そして私はこう思いました:「いいや、違う!牧師と長老たちは、他の福音に従うことがあっても見知らぬ人を受け入れてはいけないと言われました。それは私たちのためを思って言われたことです。こう考えて、私は言いました、「聖書にはこう書かれています、『あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。』(ガラテヤ人への手紙 1:6-7)。従って、私たちが見知らぬ人を受け入れない理由は、他の福音に落ちてしまうことを恐れているからです。」彼女は笑顔でこう言いました、「叔母さま、宗教界にいる人々の多くは、あなたが口にされた聖書の節を全く理解できていません。それは、使徒パウロがガラテヤの諸教会に宛てて書いた書簡に書かれているものです。しかし、それは世の終わりの主を信仰する人々への教えであると、多くの人々は思っています。なので、彼らは決してこの言葉に対する適切な姿勢を持てていないのです。当時、パウロは別の地で福音を説いており、ガラテヤの教会にいた兄弟姉妹の多くが主イエス・キリストの道を離れ、神殿に戻り、続けてヤ―ウェ神を崇拝し、律法に従っていたことを知りました。パウロは教会のことが気掛かりでしたが、直ぐにガラテヤの教会に戻ることはできませんでした。それ故に、彼は教会にいる兄弟姉妹たちに呼び掛けて、注意を促すためにこの書簡を書いたのです。彼はこう言いました、『ああ、物わかりのわるいガラテヤ人よ。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に描き出されたのに、いったい、だれがあなたがたを惑わしたのか。』(ガラテヤ人への手紙 3:1)。ユダヤ教の指導者、祭司長、律法学者、そしてパリサイ人たちはガラテヤの民を妨害し、イエス・キリストの御言葉を拒否するように言ったのです。これ故に、パウロは書簡を書いてこう伝えました、’あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、私には不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。’ その当時には、福音を説く人々のグループが2種類ありました。 1つは神の古い有り方、すなわち、ヤ―ウェ神を信仰して律法を守るという福音を説き、もう1つはイエス・キリストの福音を説きました。従い、キリストの福音を曲げようとしてガラテヤの民をかき乱し、彼らにまた律法に従わせようとした者たちが存在したのです。これ故に、パウロは書簡にこう書きました、『… わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。』」 (ガラテヤ人への手紙 1:8)。

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   彼女の交流を聞いた後、私は心が晴れた気がしてこう思いました:「そんなことが起っていたのか。牧師と長老たちはどうしてこれを知らないのかしら?私たちは皆主を信仰しているのに、どうして彼女はこんなに沢山知っているのかしら?それに、彼女はどこからこの情報を得ているのかしら?」こうして、私はいぶかしげに聞きました、「ヂャン姉妹、あなたの言う通りです。しかし、どうしてそのようなことを知っているのですか?あなたがお持ちの書籍は⋯」「叔母さま、どうして人間がこのような事柄を知り得るのか。私はこの全てをこの書籍から学びました。この書籍は他のどの書籍とも異なります、なぜならこれに記された御言葉は2回目に受肉された神御自身が表されたものだからです。それは人間の理解できないこと全て、そしてあなたが理解できないことを含め、聖書に記された奥義の全てを説明しています。」彼女の言葉を聞いて、私は他の教会で主を愛していた信者たちのことを思い出しました。彼らは長年に渡って主を信仰してきているのに、いとも簡単に東方閃電を受け入れてしまい、誰も彼らを呼び戻すことができないのです。東方閃電は本当に真理を理解しているように思えます。従って、私はこの書籍を受け入れました。

   そして、彼女は神の3段階の働きの真理や、’東方閃電’ に関する預言等、多くについて私と交流してくれました。私はこう思いました:「この若い姉妹の言ったことは十分な根拠に基づいていて、啓発的だし、私はそれを楽しめた上に沢山のことを学んだわ。私も説教師だというのに、どうして私はこれを理解できないのかしら?」彼女は帰る前に神の御言葉を朗読したテープを幾つか私に残してくれました。私がこれを再生してみると、心地の良い声が聞こえてきました、「終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。この真理を通して人はいのちを得ることができ、この真理を通してのみ、人が神を知り神に良しと認めてもらうことができる。 … キリストが語る真理に依り頼むことなくいのちを得ることを望む者は、地上で最も愚か者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は幻想の世界で迷子になった者だ。だから、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われるとわたしは言う。キリストは、終わりの日に神の国への門となる存在であり、誰も迂回することはできない。キリストを通してでなければ、誰も神に完全にしてもらうことはできない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神が用意する道を受け入れなくてはならない。真理を受け取ったり、いのちの供給を受け入れることなく、祝福だけを得ようと考えたりすべきではない。キリストは、彼を真に信じる者がいのちを与えるために終わりの日にくる。神の働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道だ。あなたが彼を認めず、彼を非難したり、冒涜したり、さらに迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。」これを聞いた私は涙しながら喜びと悲しみを同時に感じてこう思いました:「権威のあるこの御言葉は神御自身のみが表すことのできるものだわ。」主イエス様はこう仰ってもおられます、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。』(ヨハネによる福音書 14:6)。これは紛れもなく神の御声なのです。その時、幾度となく福音を説きにやって来た兄弟姉妹たちを退ける自分の姿が目に浮かびました。私はとても悲しくなりました。私はなんて愚かで、無知だったのでしょう!私は今まで主を信仰してきた間、主の御言葉よりも牧師と長老の言葉に耳を傾けていたので、東方閃電を説き勧める見知らぬ者を受け入れようとはしなかったのです。しかも、私は真の道を求めず、調べもせず、むしろ自分の兄弟姉妹がそうするのを妨げ、それが主への献身であると勘違いしていたのです。自分が神に背いていたとは、思ってもいませんでした。しかし、だからといって神は私を見捨てず、むしろあの姉妹が私の所にもう一度福音を説きに来るように仕向け、私が悔い改める機会をもう一度与えてくださったのです。私がこの見知らぬ姉妹を受け入れた時、神は私を祝福してくださり、そして、それ故に、私は知らぬ内に主を受け入れて主の再臨をお迎えしていたのです。私は神の御救いに感謝します、そして私は神の御心を和ませられるよう、神と協力し合って兄弟姉妹を神の前に導きたいと思います。

   その後すぐ、私は教会生活を開始しました。兄弟姉妹たちと集会を開き、自分の本分を尽くしていると、私は喜びでいっぱいになりました。神のお導きに感謝します。その後、私は兄弟姉妹たちと協力し合って、私が以前通っていた教会で主を心から信じている人たちを神の前に導きました。全ての栄光、全能神にあれ!