賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

賢いクリスチャンは果実によって彼らを見分ける

2019-10-20 22:47:17 | 聖書の言葉

   「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない」(マタ7:17-18)。

   今日は、皆さんとあることを分かち合いたいと思います。誰かが主は戻られたと説教するのを聞くとき、彼らが伝道する福音が主の再来の福音であるかをどのように見定めるべきでしょうか?そして、どのようにしたら、ユダと同じ道を歩んだり、パリサイ人やサドカイ派の口八丁に騙されたりしないで、賢いクリスチャンとなることができるでしょうか?

   聖書には次のように書いてあります。「あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれる。このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである」(マタ7:16-20)。



   主イエス様のこれらの御言葉から、私達は主イエス様が見定めるための方法を示してくださったことが分かります。つまり、彼らの成果を見れば、見定めることができるのです。これらの御言葉と私の長年の信仰を照らし合わせ、私は常に聖書を読み、祈り、説教をし、主のために犠牲を払ってきました。そして、たくさんのよい振る舞いをしているため、自分は神様を信仰し、神様について知っていると思っていました。しかし、何か気に入らないことに遭遇すると、未だに神様への信仰を失い、神様のせいにし、神様を誤解し、そのため神様から距離を置き、知らず知らずのうちに心の中で神様から遠ざかってしまうことがあります。特に、近年、多くの兄弟姉妹は私と同様に、聖霊の導きを感じず、啓示を受けることができず、または聖書を読んでも新しい光を得ることができません。まして、私達の生活において、主の御言葉を実践・経験できておらず、頻繁に罪を犯し、罪にまみれて絶望的な状態で暮らしています。夜の静寂の中で、私はいつも心の中で次のように考えます。私達は全員本当に神様を信じている。しかし、間もなく主の時代が到来するというのに、なぜ、私達はこんな状態で暮らし、聖霊の働きや神様の御導きを感じないのだろうか?

   最近、私はある本の中で次の一節を読みました。「もしそれが聖霊による働きであるなら、人間はずっと正常になり、その人間性はさらに正常になる。人間はサタンに堕落させられた自分の性質、人間の本質についての認識を増し、真理への渇望は更に大きくなる。これはつまり、人間のいのちがどんどん成長し、人間の堕落した性質においては、より一層の変化が可能となる。これら全てが神が人間のいのちになるということの意味である。もし、ある道が、人間の本質であるこれらのものを明らかにすることができないのなら、また人間の性質を変えることができないのなら、さらにまた、人間を神の前へ導き、神についての真の理解を与えることができないのなら、あるいは、人間性をさらに卑しめ、その理知をますます異常なものにするのなら、その道は真の道ではあり得ず、悪霊の業、あるいは、古い道なのだ。要するに、それは聖霊が現在為している働きではないということだ。」この節について反芻していると、主イエス様が再来され、天の国へ昇天された後に、主の弟子や使徒が主の名前の下、至るところで贖罪の福音を説き始める一方で、ローマ政府とユダヤ教の指導者達が彼らに強く反対したことを思わずにいられませんでした。彼らはイエス様についてあらゆる噂を捏造しただけではなく、イエス様の弟子達を拘束もせずに直接逮捕しました。私達は、自分自身の概念と想像により、ローマ政府とユダヤ教による主イエス様への強い反発の下で、主イエス様の福音が妨げられたと考えました。しかし、神様から来たものは最終的には繁栄し、敵対勢力は主イエス様がその御心を実行するのを妨げることができませんでした。聖霊の導きにより、弟子達は暴力を恐れることなく、断固として神様の御言葉に耳を傾けただけではなく、あらゆる困難に苦しもうとも、主イエス様の福音を広めるために自身を捧げました。私達は、彼らがそれを行ったという事実を見ました。神様の御導きにより、彼らは主イエス様の福音を広めるというその使命をやり遂げました。

   昨今、全宗教界で深刻な飢饉が起こっています。さまざまな宗派がすべて、聖霊の働きを失っています。しかし、Facebookで、終わりの日の神様の福音をワクワクとした強い気持ちを持って熱心に伝道している人々を見ました。彼らが説教している様子を聞いたことはありませんが、1つ、確かなことがあります。つまり、彼らには聖霊の働きがあるということです。なぜ、私はそう言えるのでしょうか?それには1つの理由があります。宗教界の最高指導者達からの中傷、裁き、非難に直面しても、彼らは、悪意に悪意で報復せず、これらの宗教界の人々にただ真理を話しているからです。過剰な抵抗を受けたとしても、これらの人々は大騒ぎせず、他人の影響を受けずに、神様の福音を広めているからです。彼らと話したことがある同僚は、「これらの人々は全員、神様、そして神様の御言葉に照らして自分自身を理解しようとしています。彼らと何度も話し合ったことがあります。彼らは、常に、真理と神様の御心について私に辛抱強く話してくれました。彼らと話すことにより、大きな報いを本当に得ました。彼らには聖霊の働きと愛があり、私達に福音を伝導するときには、どんなに数多くの困難に直面しようとも、誰かからの冷笑や中傷を恐れずに、愛の心から私達を助けてくれるでしょう。その点において、本当に彼らを尊敬しています。今日の宗教界では非常に多くの宗派がありますが、聖霊の働きがあるのはこれらの人々だけだと思います」と私に言いました。同僚がこう言うのを聞いて、この教会についてよい印象を持ちました。主イエス様が成果により他者を認識するよう教えてくださったのを思い出しました。よい木はよい果実を実らせます。腐敗した木ではこれを行うことはできません。彼らは、まるでよい木がよい果実を実らせるように、優れた行ないをその生き方を通して実践しているため、彼らが説教をする様子を調べ、調査して見る価値があります。

   教会の牧師や長老は、今こそ終わりの日であり、偽のキリストが人々を騙すために現れるだろうといつも私達に言っています。彼らは盲目的にガードを固くし、誰かが主イエス様の再来について説いてきたら、それを求めることも調査することもしてはならないと指示します。このような行為は間違っていると思います。なぜなら、主イエス様は次のように仰っているからです:「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」(マタ25:6)。主イエス様は私達に新しい神様の働きについて説く人々を求め、調査する姿勢を保つように仰っています。私達が盲目的にガードを固くし、彼らを排除したら、主イエス様の御教えを裏切ることにならないでしょうか?そのため、誰かが主イエス様の再来について説くときは、私達は主イエス様の御言葉に従いこれらを求め、調査し、彼らが実現した成果が善良なものか邪悪なものかを見極める必要があります。このようにして、私達は彼らの説いている内容が真の方法であるか否かを知ることができます。私達に物事を見定める原則がなければ、他者が言ったことに従い、断固として自分の立場を固守することができないイスラエル人のようになり、神様に簡単に抵抗し、拒否するようになるでしょう。

   従って、主イエス様の再来という主題に関しては、賢いクリスチャンになり、さまざまな人々をその成果により見定める方法を学ぶことがとても大切です。


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