賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

神の救い-健康のために、しっかりと体を休めてください(オーディオブック)

2020-06-05 00:18:06 | 信仰生活

   私が学生だった頃、村の人々の多くはアパートに引っ越し、車を所有していましたが、私の家族は未だに瓦ぶきの家で暮らしていました。従って、私は大きくなったら裕福になろうと一生懸命に働く決心をしました。その数年後、私は荷物をまとめ、新しい場所を目指して電車に乗り、明るい将来に向かって奮闘し始めました。

   「急げ!急げ!」、作業場で監督が大声を出し続けました。スタッフは全員が出来るだけ急いで仕事をしていました。私は片手で顔の汗を拭き、もう片方の手でドリルを掴みました。そして、私は次の工程が始まる前に、前かがみになって腰をマッサージしました。

   「ジエ、急げ!急げ!もたもたするな!業務終了の時間だぞ!」トレイいっぱいの段ボールを片付けて、資材供給係が頭の高さまで山積みになった資材を運び入れてきたその時、監督の声が梱包作業場から聞こえてきました。私はつま先立ちして沢山の箱を下に降ろしました。私はもうクタクタでした。しかし、ペースダウンして一息つこうとすると、いつも仕事をしろと駆り立てる監督の声が聞こえてきました。3000個の箱を目の前に、私は頭を下げて嫌々ながらも働き続けました。夜になると、私の指は頻繁に痛みました。私は、「最も辛い苦しみを乗り越えた者こそが最高の人間なんだ。だから今は我慢するしかない。金持ちになれば全てが上手く行くんだ」、と自分に言い聞かせました。

   ある日、私は作業場のミーティングが終わって帰ろうとしていた時、突然気を失って床にうずくまってしまいました。監督が私に気が付いてこう叫びました、「ジエ、どうしたんだ?何があったんだ?」頭が重くなり、私はとても気分が悪くなりました。しばらく時間が経って少しだけ気分がましになりました。しかし、私はこれを真剣に受け止めませんでした。自分はエネルギーにあふれる若者だと思っていたからです。

   より高い給与を手にしたかった私は機械販売会社で仕事を見つけ、倉庫管理者として働きました。私は何千という製品の受け取り、出荷、および保管の担当をしました。私は基本給以外に残業代も稼ぎました。更に多くのお金を稼ぎたかった私はほぼ毎晩のように得意先情報を更新して遅くまで働きました。

   新製品が増える中、倉庫内の通路は資材でいっぱいでした。結果的に、私の労働時間は8時間から10時間、10時間から12時間へと増えていき、12時間以上になった時さえありました。職場からの帰宅途中、私はいつも静まり返った夜の中を1人で歩きました。しかし、私は給与カードの貯金が増えて行くことを考えると、この疲れと疲労を忘れることができました。私は近い将来自分の家と車を手にする日を心に描きました。

   ある日、私は重い資材を引っ張っていると、突然動悸と胸内苦悶を感じて呼吸困難に陥りました。医者に診てもらうと、私は不整脈と診断されました。医者は私にこう言いました、「体をしっかり休めて、普通の生活をしてください。でないと、重病になったら合併症を患いますよ。」これは私の不健康な体調に対する警鐘でした。しかしながら、私は医者の言うことを聞かず、実際に重病になるまでは考えないようにしようと思いました。こうして、私はお金、家、そして車を手にしようと懸命に働き続けました。

   ある日、職場で、私の同僚であるシアさんが勤務中に心筋梗塞で倒れ、病院に救急搬送されました。彼は過労が原因で病気を患い、命を落としかけたのです。これを目撃した私は同じことが自分にも起こるのではないかと心配になりました。私は自分にこう問いかけました、「お金は本当にいのちよりも大切なのか?健康を損なったら、何のためにお金を稼ぐというんだ?」私は毎日、仕事を終えて帰える途中、ある路地の交差点を曲がって帰宅しています。しかし、生死を分ける交差点ではどの道を選ぶべきなのでしょう。私は初めて寂しくなり、絶望し、困惑しました。私は精神的にも、肉体的にも疲れ切っていたのです。私は残りの人生をこのような形で生きるのでしょうか?

 

 

   私が困惑し、絶望していた時、神の福音が私に届いたのです。神はこう仰りました:「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に浸透しています。この格言は人間一人ひとりに伝えられ、今や一人ひとりの心の中に固定しているので、社会動向であると言うことができます。…この格言について誰かがどれほどの経験があるかにかかわらず、これが誰かの心に及ぼすことのある否定的な効果は何ですか。(人は金銭を重んじます。)皆さん一人ひとりを含め、この世にいる人々の人間的性質を通して、何かが明らかにされました。これはどのように解釈されますか。それは金銭崇拝です。それを誰かの心から排除するのは困難ですか。極めて困難です。サタンによる人間の堕落は相当に徹底的なようです。サタンがこの社会動向を用いて人を堕落させた後、それは人にどのように表れますか。皆さんは金がなくてはこの世で生き残っていけない、一日でさえも不可能であると感じませんか。(感じます。)人の地位は、体面と同様に、その人がどれだけ金をもっているかにもとづいています。貧しい人々は恥ずかしさのあまり背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人が金を稼ぐことは、あらゆる犠牲を払う価値があると考えていませんか。」

   そして私はこう理解しました:「『この世は金しだい』や『金が第一』というのはサタンの人生の規則であり、それは私の人生観を堕落させ、私を騙して裕福になることを私が人生の目的にするように仕向けていたのです。私はこういった影響と考えの影響下で、お金は全てを意味し、お金があれば他人よりも偉くなり、変化をもたらし、自分の家族に敬意を表すことができると信じたのです。従って、私はより沢山のお金を稼ぐためだけに頻繁に残業をし、汗水たらして働き、疲れ果てていても、病気になっても休みを取りませんでした。神はシアさんに起こった出来事を使って、お金のために健康といのちを犠牲することは愚かなことであると私に注意を促してくださったのです。主イエス様はこう仰りました:「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」(マタイによる福音書 16:26)。いのちに比べたら、お金など口にするにも値しないのです!お金は一時的に肉体的な快楽を与えてくれるだけで、健康を取り戻してはくれないのです。従って、私はお金のためだけに生きるべきではないのです。

   これを理解した私はお金を追い求めることを以前ほどは熱望しなくなりました。その後、私は集会に参加し、神の御言葉を読み、神を讃えながら讃美歌を歌うようになり、これらを自分の人生の必要不可欠なものにしました。私は心の中で今まで感じたことがないある種の確信と平安を手にしたのです。私は裕福になる欲望を手放そうと試み、沢山働くことをさほど重要視しなくなりました。週末には少し休みを取るようになりました。こうして、私は次第に体調が少し改善していきました。しかし、同僚たちが過労して高い給与を稼いでいると聞いた時、私は又しても躊躇しました。何を選択すべきか?お金のために残業するのか、それとも健康のために体をしっかり休めるのか?

   その後、私は神の御言葉のこの節を読みました:「こうした状態から自由になるための非常に簡単な方法がある。それは、自分の従前の生活様式や、従前における人生の目標と訣別し、従前の生活様式、哲学、追究、願望、理想を概括し、分析して、それを神の旨や人間に対する要求と比較し、そうした従前の物事すべてが、神の旨や要求と矛盾していないか、人生の適切な価値をもたらすか、自分を一層深い真理の理解へと導くものであるか、人間性と人間らしさによって生きるようにさせるものかを確認することである。人々が追究する人生の様々な目標や生活様式を繰り返し調査分析すると、創造主が人間を創った時点における創造主の元来の旨に適合するものがひとつも無いことが分かるであろう。そうした目標や生活様式は、全て人間を創造主による統治と慈しみから引き離すものであり、人間を陥れて地獄へと導く罠である。このことを確認した後の作業は、従前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神に自分の人生を采配してもらい、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、それ以外の選択肢に惑わされず、神を信仰する者となることである。」

   私は神の御言葉を熟考しながら、何度もうなずいてこう考えました:「神の御言葉はとても現実的だ。過去に、「お金が第一」というサタンの考えが心の奥底に根付いていた私はそれを人生のモットーとし、続けて残業し、もっとお金を稼ごうと自分の時間、自由、そして健康を犠牲にしていた。しかし、私は神を信仰し始めて以来、やっと普通の生活が送れるようになったんだ。だから、以前の生き方に戻るのは愚かなことではないだろうか?神は人々の運命を支配し、用意されている。これ故に、富は人々が努力して手にできるものではないのだ。神の御心は私が普通の仕事環境で規則正しい日常業務に就けるよう、私がお金のために生きるという人生観を手放すようにすることなのだ。私は神の主権と御采配に従うことを学びます。」

   それ以降、私はスケジュール通りに働き、定期的に休みました。徐々に、私の体は強くなり、見た目も増々改善していきました。私はとても嬉しくなり、以前よりも効率的に働けるようになりました。私の心も、心配したりパニックに陥るのではなく、豊かさと平安を感じるようになりました。後に、会社はどういう訳か私の所属する部門の給与調整を行いました。私は仕事量が減っても、給与は上がっていたので、富は人々の努力で手に入るものではなく、神に予め定められているものだと確信させてくれました。神の主権と御采配に服従せずにサタンの人生観を持って生きるのは辛いことです。対照的に、神に従い神の御言葉を指針にして生きることを選ぶ人は真の平安と喜びを得ることができるのです。

   お金のために疲れ果て、健康を犠牲にする生活から私を救ってくださった神に感謝いたします。皆さん、健康のために、どうかしっかりと体を休めてください!


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