路上の上。

愛車KLE400との旅路をメインに、日々雑多な出来事の独り言。

『同行二人』 四国八十八箇所バイク遍路の旅 2 松山に向けて

2013-06-01 14:56:24 | 四国八十八箇所バイク遍路の旅

2007年4月5日 晴天。

 穏やかな春の日差しに、九州北部地方の桜は満開のピークを迎えていた。
この日の夜、小倉から松山へ向かうフェリーで四国入りする。
昼前にはバイクへの荷物の積み込みは既に終わっていた。
初めてのお遍路とあって、いろいろ下調べをネットで行った。
一番熱心に調べたのはキャンプ場で、各地のキャンプ場を調べてツーリングマップルに書き込んでいく作業である。
ツーリングマップルの末巻にはキャンプ場情報など盛り沢山ではあるが、必ずしも正確、適正で、自分の利用したい情報とマッチしている訳ではないからだ。
 
 納経帳のことも、「スタンプラリーと違うんだからさ」と第三者から批判的に言われてしまったことで、なんとなく後ろ向きになってしまった。
勿論、そういうものではないのは理解していたが、ここに至るまでいろいろあってナーバスになっており、些細なことでも気にしてしまうところがあった。
悩んだ末、私は納経帳に御朱印を頂戴することを辞めた。
純粋に、淡々と、お遍路をしよう、般若心経を読経しよう。
そう決めてしまった。
写経による納経に限らず、読経による納経でも可であるとされている。
時間的な余裕もないので、今回は読経のみで行くことにした。
 そういった心的、環境的な事柄が私に作用した結果、この旅の記録は、道中、妻への現状報告に携帯電話の写メールにて送った小さなフォトデータしか残っていない。
旅行、観光というような心的余裕が一切なかったからだ。
あと、レシートや領収証と地図に書き残した走行記録のみとなっていて、これから書こうと思っている私のお遍路の記録は、これらを元に今思い出せる範疇のものとなる。
そのことで幾何か不正確な面もあるだろうがご容赦いただきたい。

 今まで勤めてきた仕事は、土日が稼ぎ時だった。
朝は遅く、夜が遅かった。
朝起きれば、子供や妻は既に家に居ず、夜帰れば皆眠っていた。
小泉景気の余韻もあって、第一次安倍政権下にあっても、景気は拡大していた、とされる時期であった。
それなりに稼がせてもらったが、陰りはそこまで来ていた時期でもある。

 夕方6時になって、妻と子ども達に見送られ荷物満載のバイクに乗り出発し、小倉のフェリー乗り場へ向かった。
関西汽船(2007年当時)小倉発⇒松山着のフェリーは21:55発。
手元に残っている乗船証を見ると、割引がされて6,020円となっている。
この数年でフェリー運賃は相当な値上げがされており、今では考えられない運賃だ。
因みに、現在の同航路を調べてみると「フェリーさんふらわあ」が運航していたが撤退し、
2013年4月1日より、松山・小倉フェリー株式会社が航路を継承して運航しているようだ。
高速道路1000円や燃料費高騰の逆風により、日本国内のフェリー事情はかなり様変わりしてしまったと聞く。
旅の選択肢が減って行くのは、ツーリストとして残念である。

2
◆小倉・松山の航路を結ぶフェリーにて四国入りする。

21:55小倉発⇒翌朝5:00松山着、7時間弱の船旅だ。
バイクは私のみで、殆どの利用者が大型トラックである。
19:30頃にはフェリー乗り場に到着し、乗船時間まで待った。
乗船は21時前だったろうか。
今回は少しだけ奮発して2等寝台を予約していた。
所謂二段ベット状になったカーテンで仕切るアレである。
貴重品を預け、風呂に入り、夕食に売店でおでんの厚揚げ一つと発泡酒を買った。

070405_2118

地図で、松山から第一番礼所である霊山寺までのルートを確認する。
松山から徳島まで、おおよそ四国瀬戸内海側を横断することになるが、高速を使わず下道を行く。
地図を見ながら、いよいよお遍路を始めたのだ、という実感がやっと湧いてきて発泡酒500ml一本では酔いを感じることが出来なかった。
けれども明日、早朝より走ることを考えるとこれ以上の飲酒はできない。
期待と不安を胸に、寝台の布団へ潜り込んだ。

本日の走行距離 48.5km
本日の費用 7,127円

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