1月10日の日経新聞朝刊春秋欄にとても共感しました。多くの方に知ってもらいたいと思って大意をここにご紹介します。
ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛した逸話のように、外国人に褒められると日本人は自らの良さを再認識する傾向があるが、昨今のテレビはそのような感情をくすぐる話のオンパレードで「自己陶酔と非寛容の気配が漂わぬでもない」。タウトも実は地方都市では辛辣な指摘もしている。今の外国の人達の目にも、日本のすばらしいものばかりが写っているわけではないでしょう・・・こういう大意でした。
この指摘に深く共感しました。もちろん、日本には様々なすばらしいことが沢山ありますが、思えば私たちの父母の時代は謙虚でした。世界第二位の経済大国となっても「海外から学ぶことは山のようにある」と言って、世界中から様々な文化を吸収した時代でした。勉強したのは欧米の先端技術だけではありません、アジアやアフリカ、南米など様々な所へ日本人は出かけ、最新の情報から古来の伝承まで含む様々な文化に触れ、耳を傾けて、世界の文化のよい所を日本に取り入れようと努力していました。今やそういう時代も過ぎ去ったのでしょうか。
言うまでも無く、日本にはすばらしいところが沢山あります。しかし、繰り返しますが、私たちの父母の世代はそれを言うのは恥ずかしいことだ、もっと自分を磨くべきだという考えでした。こうした高潔な思想はだんだん廃れていくのでしょうか。
ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛した逸話のように、外国人に褒められると日本人は自らの良さを再認識する傾向があるが、昨今のテレビはそのような感情をくすぐる話のオンパレードで「自己陶酔と非寛容の気配が漂わぬでもない」。タウトも実は地方都市では辛辣な指摘もしている。今の外国の人達の目にも、日本のすばらしいものばかりが写っているわけではないでしょう・・・こういう大意でした。
この指摘に深く共感しました。もちろん、日本には様々なすばらしいことが沢山ありますが、思えば私たちの父母の時代は謙虚でした。世界第二位の経済大国となっても「海外から学ぶことは山のようにある」と言って、世界中から様々な文化を吸収した時代でした。勉強したのは欧米の先端技術だけではありません、アジアやアフリカ、南米など様々な所へ日本人は出かけ、最新の情報から古来の伝承まで含む様々な文化に触れ、耳を傾けて、世界の文化のよい所を日本に取り入れようと努力していました。今やそういう時代も過ぎ去ったのでしょうか。
言うまでも無く、日本にはすばらしいところが沢山あります。しかし、繰り返しますが、私たちの父母の世代はそれを言うのは恥ずかしいことだ、もっと自分を磨くべきだという考えでした。こうした高潔な思想はだんだん廃れていくのでしょうか。