「1922年に発掘されたツタンカーメン王の墓の埋葬品の中には、エンドウ豆の種があり、それを発掘者のカーター氏がまいたら花が咲き、実った。」という説があります。その「証拠」としてその子孫とされる「ツタンカーメンのエンドウ豆」という種が市販されたり、学校教育などを通じて広まっています。寒冷地などでは、夏休みの自由研究でこれを育てていて、このブログにたどり着いた読者の方もいらっしゃるかもしれませんね。どうか気を落とさないでください。その植物は残念なことに、ツタンカーメンの墓から出土したものではありません。
まず第一の重大な問題は、日本国内で「ツタンカーメンの豆」として広まっているのは、花弁の上が薄ピンクで下が赤紫の2色咲きの花が咲く「エンドウ豆」である一方、英語圏で広まっているのは主に、青い「スイートピー」であることです。
日本で「ツタンカーメンの豆」を検索すると料理サイトの「美味しい料理法」が沢山ヒットしますが、英語で検索(King Tut pea)すると、調理法はほとんど掲載されません。スイートピーは毒が有るので食べられないからです。
そして、次の疑問。そもそも英語圏で広まっている種自体が、本当にツタンカーメンの墓から出土したのでしょうか。答えはNOです。以下、ワシントン州のHeraldNetというニュースサイトの2012年6月19日記事「Marysville pea's tall tale starts with King Tut」に基づく情報です。
世界の植物学者から信頼されているイギリスの王立キューガーデンのスポークスマンは、ツタンカーメンの豆の話はまずあり得ない、と同紙に語りました。なぜならば、ツタンカーメンの墓からは他の穀物と混ざった豆がたった7粒見つかりましたが、全てキューガーデンに保管されたからです。また、カイロのアメリカン大学の教授の証言によると、他の墓から出た古代エジプトの種子について発芽が試みられ、それらは全て発芽に失敗したため、当時の種子はもはや古すぎて発芽不能と考えられるとのことです。
そもそもツタンカーメンの墓に限らず、古代エジプトの墓から出た種子が発芽したという話が事実ならば、植物学上大変な発見なので、記録ノートや写真や論文などが残るはず。ところが、これらを主張する物で科学的に裏付けられた物は一切無い、とキューガーデンの資料も指摘しているそうです。
一方で、19世紀から20世紀初めにかけて西洋で「エジプトブーム」が大流行し、「ミイラの種」と銘打ったお土産がイギリスなどで沢山売られていました。これを真に受けた旅行者が持ち帰って、善意で各地に広めた、というのがどうやら事の真相のようです。
また、ツタンカーメンの豆は、カーター氏を資金援助したカーナーヴォン卿の荘園が発祥、という説もあるそうです。卿の業績を称えて、(発掘された豆にではなく)彼の荘園で栽培されていた豆が「ツタンカーメンの豆」と命名されたとの説です。
以上が、米国内の報道に基づく情報です。
日本に入った種が、ジョークグッズ経由だったのか、荘園経由だったのかは、もはや分かりませんが、いずれにせよ日本には昭和のころに、ある善意の米国人が日本人にプレゼントし、「善意の輪」で広がってしまいました。(2018年4月22日追記。著名な作物学者が、日本に広まっているのがツタンカーメンの墓から出た物では無いことを証明しました。実は善意の米国人が日本のAさんにプレゼントした際、英文の手紙が誤訳されたのが勘違いの発端でした。その仰天エピソードについて、詳しくは、このブログの2016年10月9日記事に掲載しましたので、ぜひそちらもお読みください。)
以上が「ツタンカーメンの豆」の「種」明かしでした。
善意は大事なことですが、時には誤解や都市伝説の温床にもなってしまうことがあります。この豆を育てている方が、もしもこのブログを読んでくださっているならば、「数千年の時を隔てて発芽した神秘」に浸る代わりに、誤解や勘違いをついしがちな私達人間のおもしろさとおろかしさを話の「タネ」にしながら、皆で笑いながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。
ところで専門家の方へ。snpに基づいてエンドウまたはスイートピーの種内変異の分岐図を書けば一発と思うのですが。どなたかやってくれませんか?
(8月13日追記:内容の正確さを期すために、文章を微修正しました。2018年4月22日追記:かつてはsnipsと言われてましたが、現在ではsnpと表記するのが普通になったので、現代の表記にしました。)
まず第一の重大な問題は、日本国内で「ツタンカーメンの豆」として広まっているのは、花弁の上が薄ピンクで下が赤紫の2色咲きの花が咲く「エンドウ豆」である一方、英語圏で広まっているのは主に、青い「スイートピー」であることです。
日本で「ツタンカーメンの豆」を検索すると料理サイトの「美味しい料理法」が沢山ヒットしますが、英語で検索(King Tut pea)すると、調理法はほとんど掲載されません。スイートピーは毒が有るので食べられないからです。
そして、次の疑問。そもそも英語圏で広まっている種自体が、本当にツタンカーメンの墓から出土したのでしょうか。答えはNOです。以下、ワシントン州のHeraldNetというニュースサイトの2012年6月19日記事「Marysville pea's tall tale starts with King Tut」に基づく情報です。
世界の植物学者から信頼されているイギリスの王立キューガーデンのスポークスマンは、ツタンカーメンの豆の話はまずあり得ない、と同紙に語りました。なぜならば、ツタンカーメンの墓からは他の穀物と混ざった豆がたった7粒見つかりましたが、全てキューガーデンに保管されたからです。また、カイロのアメリカン大学の教授の証言によると、他の墓から出た古代エジプトの種子について発芽が試みられ、それらは全て発芽に失敗したため、当時の種子はもはや古すぎて発芽不能と考えられるとのことです。
そもそもツタンカーメンの墓に限らず、古代エジプトの墓から出た種子が発芽したという話が事実ならば、植物学上大変な発見なので、記録ノートや写真や論文などが残るはず。ところが、これらを主張する物で科学的に裏付けられた物は一切無い、とキューガーデンの資料も指摘しているそうです。
一方で、19世紀から20世紀初めにかけて西洋で「エジプトブーム」が大流行し、「ミイラの種」と銘打ったお土産がイギリスなどで沢山売られていました。これを真に受けた旅行者が持ち帰って、善意で各地に広めた、というのがどうやら事の真相のようです。
また、ツタンカーメンの豆は、カーター氏を資金援助したカーナーヴォン卿の荘園が発祥、という説もあるそうです。卿の業績を称えて、(発掘された豆にではなく)彼の荘園で栽培されていた豆が「ツタンカーメンの豆」と命名されたとの説です。
以上が、米国内の報道に基づく情報です。
日本に入った種が、ジョークグッズ経由だったのか、荘園経由だったのかは、もはや分かりませんが、いずれにせよ日本には昭和のころに、ある善意の米国人が日本人にプレゼントし、「善意の輪」で広がってしまいました。(2018年4月22日追記。著名な作物学者が、日本に広まっているのがツタンカーメンの墓から出た物では無いことを証明しました。実は善意の米国人が日本のAさんにプレゼントした際、英文の手紙が誤訳されたのが勘違いの発端でした。その仰天エピソードについて、詳しくは、このブログの2016年10月9日記事に掲載しましたので、ぜひそちらもお読みください。)
以上が「ツタンカーメンの豆」の「種」明かしでした。
善意は大事なことですが、時には誤解や都市伝説の温床にもなってしまうことがあります。この豆を育てている方が、もしもこのブログを読んでくださっているならば、「数千年の時を隔てて発芽した神秘」に浸る代わりに、誤解や勘違いをついしがちな私達人間のおもしろさとおろかしさを話の「タネ」にしながら、皆で笑いながら鑑賞してみてはいかがでしょうか。
ところで専門家の方へ。snpに基づいてエンドウまたはスイートピーの種内変異の分岐図を書けば一発と思うのですが。どなたかやってくれませんか?
(8月13日追記:内容の正確さを期すために、文章を微修正しました。2018年4月22日追記:かつてはsnipsと言われてましたが、現在ではsnpと表記するのが普通になったので、現代の表記にしました。)