現在開催中のミラノ万博では、日本館も大好評だそうで、そのことはなんだか誇らしく思えてきます。
しかし一つだけ気になることがあります。
それは展示の中で「お米を中心に据えた一汁三菜が和食の基本」と紹介されてしまったこと。
ちなみに、「汁」とはお吸い物やお味噌汁などのことです。「菜」とはおかずのことで、お漬け物は入りません。
一汁三菜とはつまり、ご飯茶碗にもった「飯」と「汁」と3つの「おかず」が別々の容器に入れられている状態のことを指します。
香川県出身の知人は「最近、妙に和食の基本は一汁三菜だという説を聞くけど、なんかおかしくない?
うどんは和食としては二流、三流ってこと?」と嘆いていました。
そうですよね。同様に、私の大好きなお蕎麦や寿司も、和食としては基本ではないということになりますよね。
秋田のきりたんぽも、鍋の中につぶしたお米の塊が入っている訳で、
「飯」と「汁」と「菜」を分離していないので、基本的和食ではない、と判定されることになりそうです。
小麦粉を練って汁に入れている「はっと」(宮城)、「おっきりこみ」(群馬・埼玉)、「ほうとう」(山梨)は、
お米を使ってないからさらに、和食の基本形から遠ざかる事になるのでしょうか。
小麦粉の団子やお焼き(長野)などは汁さえもないのですが、
これらも基本的和食ではないと判定されるのでしょうか。気になるところです。
実は、和食研究のエキスパート、原田信男先生は、カレーやラーメンも含め、
日本人が改良した食品も和食であると唱えています。同じくエキスパートの熊倉功夫先生は、
和食の変遷の歴史を考えると「汁」や「菜」の数にこだわる必要はないと唱えています。
いろいろな文献を調べると、お二人の説の方が筋が通ってるように思います。
和食の基本が一汁三菜である、という説がいつどのように生じたのか調べてみましたが、
出所は不明でした。ご存じの方はお教えください。
ちなみに、私は昭和50年代末に、家庭科教育の地域モデル校で調理を学びましたが、
地域の家庭科教育のリーダー的存在だった担当の先生は
「最近一汁三菜が身体に良いという説がありますが、汁とはシチューやスープでもいいし、
菜はハンバーグやサラダでもいいんですよ。
要は長期的スパンでみて、栄養バランスがとれているかどうかが大事なので、
おかずが三つもあれば偏った食事にはなりにくいので最近、一汁三菜説が
唱えられているのです。」と説明していました。
このように、一汁三菜という言葉は古くは洋食についても使われる言葉だったのです。
いつの間に和食のことに限定されるようになったのか、気になって仕方ありません。
さて、実は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された時には一汁三菜には
こだわってなかったそうです。
経緯はこうです。
まず最初に京都の老舗料亭の方々がNPOを作って、「会席料理」を日本の料理の頂点においた
和食文化を登録しようとして、取りやめになったのです。
ユネスコ無形文化遺産で登録対象とされるのは「無形文化」なので、特定の料理は
登録できない決まりがあったからです。そこで、登録申請者を農水省とし、
また、申請書類の中では正月料理を例として取り上げて和食文化を解説しましたが、
具体的に「何が和食か」については議論しないことにしたのです。
だから正式な申請書類の中では特段、「和食は一汁三菜が基本」という文章はなかった、
と伺っています。なにしろお正月のおせち料理は「菜」が3つどころか10も20もありますしね。
そして不思議なことに、ユネスコに登録されるととたんに、
「一汁三菜こそが和食の基本」「そういう料理を出す京都こそ和食の本場」
「その京都への歴史的食材供給ルートだった福井こそ和食の本場」という説が
あちこちで聞かれる様になったのです。
しかし、先に述べた話から分かるように、特定の食品を和食のトップとする考え方は、
ユネスコの精神に反する事なのです。
日本中のすべての伝統的食品が、上下関係なく、和食として評価されることを願うこのごろです。
和やかな食事と書いて「和食」となります。
日本各地の様々な伝統料理に敬意を払いながら、和やかに楽しみたい物です。
しかし一つだけ気になることがあります。
それは展示の中で「お米を中心に据えた一汁三菜が和食の基本」と紹介されてしまったこと。
ちなみに、「汁」とはお吸い物やお味噌汁などのことです。「菜」とはおかずのことで、お漬け物は入りません。
一汁三菜とはつまり、ご飯茶碗にもった「飯」と「汁」と3つの「おかず」が別々の容器に入れられている状態のことを指します。
香川県出身の知人は「最近、妙に和食の基本は一汁三菜だという説を聞くけど、なんかおかしくない?
うどんは和食としては二流、三流ってこと?」と嘆いていました。
そうですよね。同様に、私の大好きなお蕎麦や寿司も、和食としては基本ではないということになりますよね。
秋田のきりたんぽも、鍋の中につぶしたお米の塊が入っている訳で、
「飯」と「汁」と「菜」を分離していないので、基本的和食ではない、と判定されることになりそうです。
小麦粉を練って汁に入れている「はっと」(宮城)、「おっきりこみ」(群馬・埼玉)、「ほうとう」(山梨)は、
お米を使ってないからさらに、和食の基本形から遠ざかる事になるのでしょうか。
小麦粉の団子やお焼き(長野)などは汁さえもないのですが、
これらも基本的和食ではないと判定されるのでしょうか。気になるところです。
実は、和食研究のエキスパート、原田信男先生は、カレーやラーメンも含め、
日本人が改良した食品も和食であると唱えています。同じくエキスパートの熊倉功夫先生は、
和食の変遷の歴史を考えると「汁」や「菜」の数にこだわる必要はないと唱えています。
いろいろな文献を調べると、お二人の説の方が筋が通ってるように思います。
和食の基本が一汁三菜である、という説がいつどのように生じたのか調べてみましたが、
出所は不明でした。ご存じの方はお教えください。
ちなみに、私は昭和50年代末に、家庭科教育の地域モデル校で調理を学びましたが、
地域の家庭科教育のリーダー的存在だった担当の先生は
「最近一汁三菜が身体に良いという説がありますが、汁とはシチューやスープでもいいし、
菜はハンバーグやサラダでもいいんですよ。
要は長期的スパンでみて、栄養バランスがとれているかどうかが大事なので、
おかずが三つもあれば偏った食事にはなりにくいので最近、一汁三菜説が
唱えられているのです。」と説明していました。
このように、一汁三菜という言葉は古くは洋食についても使われる言葉だったのです。
いつの間に和食のことに限定されるようになったのか、気になって仕方ありません。
さて、実は、和食がユネスコ無形文化遺産に登録された時には一汁三菜には
こだわってなかったそうです。
経緯はこうです。
まず最初に京都の老舗料亭の方々がNPOを作って、「会席料理」を日本の料理の頂点においた
和食文化を登録しようとして、取りやめになったのです。
ユネスコ無形文化遺産で登録対象とされるのは「無形文化」なので、特定の料理は
登録できない決まりがあったからです。そこで、登録申請者を農水省とし、
また、申請書類の中では正月料理を例として取り上げて和食文化を解説しましたが、
具体的に「何が和食か」については議論しないことにしたのです。
だから正式な申請書類の中では特段、「和食は一汁三菜が基本」という文章はなかった、
と伺っています。なにしろお正月のおせち料理は「菜」が3つどころか10も20もありますしね。
そして不思議なことに、ユネスコに登録されるととたんに、
「一汁三菜こそが和食の基本」「そういう料理を出す京都こそ和食の本場」
「その京都への歴史的食材供給ルートだった福井こそ和食の本場」という説が
あちこちで聞かれる様になったのです。
しかし、先に述べた話から分かるように、特定の食品を和食のトップとする考え方は、
ユネスコの精神に反する事なのです。
日本中のすべての伝統的食品が、上下関係なく、和食として評価されることを願うこのごろです。
和やかな食事と書いて「和食」となります。
日本各地の様々な伝統料理に敬意を払いながら、和やかに楽しみたい物です。