義はついに、不義には勝てぬか
この言葉は、藤沢周平の「密謀」の一説である。徳川家康が政権を奪取した直後とそれに至数年
間の上杉家を主題にした歴史小説で、その主人公として直江兼続、景勝の心境と戦略を描いた小説
です。 石田三成の西軍が家康の東軍に敗れ、上杉家をどうするかと切羽詰まった時の兼続と景勝
の心境である。上杉家の大将である景勝は、「兼続は天下を争え、景勝には言ったが、家康との抗
争のはじまりはそれではない。おのれの欲望をむき出しに、義を踏み滲って恥じない人物に対する
憤りが、兼続や石田三成を固くむすびつけたのである。
だがその抗ガンの男のまわりに、ひとがむらがり集まることの不思議さよ、と兼勝は思わずには
いられない。むろん家康は、義で腹をふくらまぬと思い、家康を担いだ武将たちもそう思ったのだ、
その欲望の寄せ集めこそ、とりもなおさず政治の中身というものであれば、景勝に天下人の座をす
すめるのは筋違い加もしれなかった。
天下人の座に坐るには、その自身欲望に首のでつかって恥じず、ひとの心に棲む欲望を自在に操
ることに長けている家康のような人物こそふさわしい。景勝が新しい天下人が現れたと言ったのは
正しいのだ。-----儀はついてに、不義に勝てぬか。」と藤沢周平に言わしめている。
現代の世界において東ヨ--ロッパや中東地域で戦争が勃発したことも、不義を巧みに正当化しつ
つ、多くの人々を犠牲にしているのである。そういう状況に接してもリ-ダ-たちは戦争を止めよ
うとはせず、返って我が正当を謳い続けている。これは人間の一つの大きな本能であり、姿の一面
であるのだろう。