日本と中国の国体の相違㉖・・・君子の負け
雲 暴政の結果に起きた乱に乗じて帝位を奪った者は、君臣の側からいえば逆取である。
しかし天下を取ってからは、非常な善政を行なった。これは順をもって守るというこ
とでありますが、中国の君臣関係は事変(いわゆる革命)による優勝劣敗の結果できたも
ので、したがって相対関係以上に出ることが少なく、常に易姓革命がつづきました。
日本は創業垂直万古変わらず、逆取を許さない道義国家として成長しました。これが日
本と中国の国体の相違であります。
そういう意味で逆取順守という語は、聖人の制には外れますが、古来とくに中国では
英雄の心がけであります。従って逆取順守も時によって使うこともあり、聖人の道も時
によっては役に立たないことがあります。寛雄がうまく仕事をしとげるのもその計画が
図にあたって、機会をはずさずさないからです。つまり利をもって働き、分合をもって
変をなす、という具合にやるから成功するのです。ところが君子はたいてい義理にかか
わり、時機を失いますから、ついに失敗いたします。大体寛雄といわれる輩はみな頭が
よく、腕がたちますが、君子は正直で、少々血のめぐりが悪く、為すことが下手であり
ます。どうしてそうなるのかと実はがっかりしております。
水 逆取順守は治世に用いてはなりません。治世に用いると大きな害を引き出し、自分の
身も保つことができません。聖人も実は一種の英雄であります。その昔国に仕えると、
国君の夫人に挨拶をするのが礼儀であるとされていました。孔子のような聖人も見よう
によっては一種の英雄でありますから、必ず聖人・君子はみな凡庸、あるいは正直愚鈍
ではありません。しかし後世の君子というものは大体書生の本読み程度の類が多く、よ
く物事を知っているというだけで、活きた人間のことがわかりません。だから君子と小
人、善人と悪人とが争いますと、君子・善人が負けます。これはお説のとおり困ったこ
とです。