アイヌ民族 5
和人の人口が増えればその分先住民であるアイヌの生活が圧迫を受けてしまいます。
たとえば、奈良県の吉野山麓の十津川村では、明治時代の豪雨による被害より、集団移住
(2,000人を超える)を余儀なくされ、1889年(明治22年)、北海道の現在の新十津川村に
やってきました。この奈良の十津川村というのは、郷氏の人達で、天皇一族の護衛のよう
な役割を担っており、移住の際には、天皇家から多額の資金援助があったということです。
故郷を大雨で、土砂崩れで失った人達の苦しみ・辛さは想像を絶するものであったこと
でしよう。この集団が新十津川村(この名前は移住者たちが、後で付けた名前)に移住してき
たために、アイヌの人たちの生活空間が徐々に狭められていきます。アイヌの人たちは、広
大な大地を年毎に山菜や動物の捕獲をしての生活様式でありますが、その大地が狭められる
ということは、アイヌの生活を脅かせる結果になって行きます。
ここ数年間の間に、国も地域もそして日本人も、アイヌ民族を真剣に考えるようになって
きていると思う。昨年には北海道白老に国の施設として「ウポポイ」というアイヌ民族の生
活様式を現した大きな共生施設が出来ました。まだ、新型コロナの影響で全国の皆さまには
まだまだ知られていませんが、是非ネットで「ウポポイ」と検索してご欄ください。0
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