人生、失敗しちゃった~ニート後遺症 闘病記~

十数年のニートをやめて一年。ニート後遺症と戦う、ニート研究家。

【 「ニート後遺症」とは要するに】

2016年01月15日 | 闘病記
【要するに】

「ニート後遺症」とは、流れ始めた時間の奔流に押し潰されそうになること。
ある程度自分が納得する形で社会復帰すれば軽減されていく。それでも全ては解消されない。
俺にとって、自分が納得する形とは何なのだろうか。

収入。せめて税金・食費・光熱費等の生活費がなんとか回り「差置」通知などこないようになり、月に一度は菓子パンくらい買って上げられる状態。
仕事。体力・身体能力低下があるので、怪我をしない・長期続けることのできる安定的な職場を見つける。仕事内容は問わないけれど社員登用がある、その職を続けることで得られる技術等がある、長期続けることで小さくてもキャリアとしてあげられるもの。
日常。基本的にはこのままでもいい。ただ職と収入が安定したら人との交流はしたい。

つまり、多くの人と足並みを揃えたいというだけ。今更過ぎるほど今更過ぎる。分不相応な夢。人生はやり直せない。それをやり直そうとしている。

その為に、求人募集をさらっては応募、面接。それしかない。
この形を手に入れるまで、精神状態が持つだろうか。体力が持つだろうか。その不安がある。癒しと支えになっていた愛猫が急逝した。それでも今は母がいる。そこにすがる。自分一人の為なら、死んでも別にと思っている。これも「後遺症」の一つ。いやそうではないのかもしれない。どうなのだろうか。
ニートを経験しない全てのまっとうな人達は、自分一人だけで暮らして、自分一人だけのために働いて生きていけるのだろうか。

【人間関係の蒸発】

2016年01月14日 | 闘病記
【交流関係】

このニート時代で、多くの交流関係を断った。理由は簡単。経済的に交際ができないため。相手が誰であれ交流を持つと金がかかる。ニートが深まれば深まるほど経済的に追い込まれるので、より人との交流はなくなっていく。辛うじてインターネットを通じての交流だけは生き残る。それを是としない人は多いだろう。けれども、俺はそのネットでの交流に救われてきた。自分が、それでもまだ外と繋がることができているという感覚を与えてくれた。勿論、それだけで完結するとそれもまたいびつなのだけど。生活が困窮してきた時、、まずネットを断ってみた。余りの窒息感に精神の危険を感じ、必死で繋ぎ直した。ネット中毒というほどのものではない。実際、ネットを繋いでいる時間は一日に三~四時間。ネットで外と繋がっているという感覚が重要だった。
脱ニート直前は、とにかく交流関係を復活しようと考えていた。高校時代の友人に会いたいと思った。けれども脱ニート後、そんな余裕はないと知った。日々の食費に困っている。母子そろって財布に100円未満という日もある。たとえば四十を越える大人二人がハンバーガー屋で100円のバーガーをひとつ喰いながら話すだけで終わるだろうか。ドリンクの一つもつけるだろうし、興が乗れば夕食を食おうともなる。「金がないから」と言うことはできる。そこに羞恥はない。ところが、だ。そもそもその「100円」が貴重。「103円」出せば八枚切り食パンの半額ものが二斤買える。うちの、二日もしくは三日分の食糧だ。それを一瞬で使うことは、辛い。会いにいく電車賃も必要となる。そういう諸々で、脱ニート後の方が人との交わりを遠ざけてしまう傾向にある。ニート時は、少々の貯金があったり両親の収入にすがったりで多少なら融通がきいた。両親にすがるのはなんとも無様なので基本的には貯金を引き出して回していた。貯金がなくなってくるに従い交流関係は狭まり、やがて途絶えた。
今、現状を相談できる相手はいない。見栄を張る気はない。無様な姿を晒すことは仕方ないと思っている。問題はそこではない。こういう遠巻きな関係を続けてしまい、その上関係が途絶えてしまった状況で、深刻な話ができるほどの友人そのものがいなくなってしまったことが最大の問題。「いやぁニートでしんどくてさぁ」と笑う相手ならいる。「ニートなんかになってしまったので、もう死ぬしかないかもしれない。どうすればいいんだろうか」と告げる相手はいない。
半生でそれなりに築いていた人間関係・交流関係はこの十数年で希薄化し、遂には蒸発してしまった。
これもまた、「後遺症」の一つ。
人間関係の蒸発は、あらゆる意味ですがるものがないということ。それはたとえば「借金」ができるできないという話だけではなく、精神的にも、そう。結婚等考えられない状態となれば、いつかは俺は一人残される。その恐怖に気付き、それならばいっそ早いうちに最終回を迎えよう、つまり自殺をしてしまおうかという考えに至ってしまう。
色々な話を聞いてくれる人はいるだろう。心療科の先生なり行政の相談員なり。けれど思う。その人たちは元ニートの人生に責任はない。お金儲けのために話を聞いてくれているのだと。そう思うこともまた悪い症状なのか。
人との繋がりがなくなることがこれほど恐ろしいことだとは思わなかった。

この人間関係蒸発という症状を改善するにはどうすればいいのか。
繰り返すけれど、結局はある程度の生活の安定しかない。
そんなことをグチグチ言わずに昔の友人に電話でもして、色々と語ってしまえよ、意外とちゃんと受け止めてくれるかもよ!と言ってくれる人もいるかもしれない。それも分かる。分からなくもない。とはいえ現実は厳しい。なだらかに蒸発してしまった関係では、電話そのもののハードルが高い。実際、どういう話をすればいいのか。「久しぶり」の次は?いきなり「俺、ダメだ」と切りだす?世間話?何もないのに?…と考える精神状態がまた、ダメなのだろうか。

【要するに】
「ニート後遺症」とは、流れ始めた時間の奔流に押し潰されそうになること。
ある程度自分が納得する形で社会復帰すれば軽減されていく。それでも全ては解消されない。
俺にとって、自分が納得する形とは何なのだろうか。


【元ニートがオカルトな話をする。】

2016年01月13日 | 闘病記
【少しだけ、オカルトな話をする。】

社会復帰しようと決意し動き始めた2014年の年末、叔父が急逝した。幼少の頃からかわいがってくれていた叔父だった。父方の縁者では一番話のできる人だった。バイト生活をしながらフルタイムの正社員面接を受け続け、どうやら一社ひっかかりそうだとなった
2015年の夏、叔母が急逝した。その一週間前、前述の叔父の家で簡単な食事会が開かれた時は元気だった。そしてその秋。17年以上一緒に暮らしてきた愛猫が亡くなった。

少し時を戻して2015春、庭の巨木を切った日、その内容でトラブルがあったその日が十年ぶりのバイトの雇用契約の日だった。フルタイムの仕事の採用電話がきた直後に水道管が破裂した。
突然歯が痛み出し虫歯治療に通院しなくてはならなくなったが、そんなことは生まれてから一度もなかった。
家電も壊れる。2014年からいえば洗濯機・ガス給湯器・自動車・プリンタ・電子レンジ・応接間の照明のカサが突然おちて割れる・蛍光灯・冷蔵庫の一部ケースが開かなくなる…等、一気に起こらなくてもいいだろうと思うようなことが一気に起こる。
オカルト的な話と書いた。偶然だよと笑う人もいるだろうし俺もそう思う。2014年のそういった出来事に法事等の大きな義理事が重なって母のキャッシュカードが停止となってしまったことで「しっかりしないと」と思い働き始めたのだから、「俺が働き始めたから起きた」オカルトではない。現実的な整合性だって一つ一つ検証すれば、ある。とはいえ、2015年に入ってからのモノの突然の損壊、近しい人達の急逝、妙なタイミングの家絡みのトラブルの多さは異常、としかいえない。
俺が外へ出て動き始めたことで、止まっていた「家」の時間まで動き出してしまったのだろうか。そんな感覚に囚われる。
生来持ち合わせたことのない、オカルト的な現象への肯定的ともいえる感覚に囚われてしまうこと自体が、精神的にどこかひずんできている証拠、脱ニートによる症状なのかもしれない。

【交流関係】

【脱ニート後の求職活動】

2016年01月12日 | 闘病記
【安定的な職場を求める】

つまり、求職活動こそ闘病。精神の不安定も経済の不安定も肉体への不安も、求職活動が上手くいきある程度納得できる職に就ければ、それなりに解決する。単純な話。その単純な話が至極難しい。

【求職活動】

必死に捻出した交通費で隣の市へ面接を受けにいくことニ回。不採用。近場でも一つ、不採用。スーパーの品出しに採用される。その後、一件、地元の教育事業会社に採用されたものの研修期間は月収三万程度となる。品出しのシフトと研修日程が重なったため、その研修日程にあったバイトを探したけれど、都合よく見つかるわけもなく、かといって品出しをやめてしまうと翌月から各種支払いのみならず食費すら賄えなくなるので、悩んだ末、断念。せめて貯金で数カ月生活できればよかったのだけれど、その時点での貯金額、五万。更に極めて近しい縁者が亡くなり香典他の出費。また役所より各種税金の支払い督促。断念せざるを得なかった。データ入力事務の仕事を見つけ静岡市に面接へ。面接時間五分。その会社の業務説明をされ仕事内容の説明をされ、そのまま帰された。何一つこちらへの質問はなし。食費を削ってあれもこれも削って捻出した交通費での面接だっただけに精神的なダメージが大きかった。
次いで、「障害者就労支援作業所指導員」に応募。こちらはスーパーのアルバイトをしながらの体験入社二週間で終了。結果的に自分の脆弱さに問題があることを踏まえていえば、そして誤解を恐れず語弊を承知でいえば「障害者」との境界線があいまいになっていく日々に、恐怖を感じたこと、どうしても先輩方の「障害者」への考え方・対応に気味悪さを感じてしまって止まないことが吹きだまり、バイトを辞めて入社する時期の折り合いがつかなかったのでそれなら少し距離を、という話に収まりそのまま消滅。「障害者」への考え方・対応についてはここに記すべき内容ではないので割愛。そのうち、記すかもしれない。と、まるで立派な理由があったかのようだけれど、結局はそうやって何かしらに原因を求めてまともな社会になじめないことが俺の病根なのだろうとも思う。普通の人ならそれでもがんばって働いて一人前になっていくのだろう。それができないから「ニート化」し「脱ニート」後も後遺症などに悩まされる。
次いで、他市の事務職について問い合わせると女性のみの募集と言われる。多くの場合、「女性活躍中」という募集告知は「女性のみ募集」と同義。分かってはいたけれど一応。他、事務系・一社およびホテル系一社はすでに決まってしまったと言われる。
仕事が決まらない。決まらないまま、時間だけが垂れ流されていく。一日過ぎると、首にかかった縄が一日分、ぐいと絞られる。錯覚ではなく首回りにそういう重みを感じる。

【少しだけ、オカルトな話をする。】

【元ニートの休日】バイトにいくしかない明日がつらい

2016年01月11日 | 闘病記
【元ニートの休日】バイトにいくしかない明日がつらい

そんな俺にもシフトによって休日がある。休日がつらい。一日過ぎると人生が悪化する。働けば小銭が入ってくる。何もしない、が一番苦しい。全く予定が入っていないと嘔吐してしまったりめまいを起こして倒れそうになるので、何かしら入れる努力をする。それ以前に時間があると、休日如何を問わず求人情報誌やネットの求人を開いて募集をみてチェックする。気になるところへ電話する。そのまま勢いで面接の約束をとりつけることができたら次の休日は面接日となるのでほっとする。ほっとはするものの、時間さえあれば求人広告をねめつける日々は息苦しい。かといってそれをやめても、することがない。本を読む、音楽を聞く、筋トレをする、絵を描く、ギターを弾く、どれをしていても焦燥感、罪悪感、虚無感に駆られて鬱鬱とする。そもそもする気にならない。
結果、割引食パン八枚切り53円を探しにスーパーをふらつく。
それでも休日が終わる夜には少々、仕事鬱になる。働くことが嫌なのではなくて、今のバイトを明日も続けなくてはいけないことがつらい。一年続けても何にもならない。家計が好転することもない。食費が回るくらいで、基本的には先細っていく。何かしらの技術が身に付くわけでもない。経歴として次に繋がることもない。スーパーで品出しと値引きをしていました。受発注はしていません。商品管理もしていません。事務も分かりません。接客はしていましたが、正式に研修等で習得したものではなくただの見よう見まねでした。だから一般的な社会人が使う接客用語も敬語も何一つ正確には使えません。収入・能力向上・経歴、何もない。続ければ続けるほど、年齢も上がり、より求職が厳しくなる。それを知るからバイトにいくしかない明日がつらい。

【安定的な職場を求める】