ささやき・つぶやき・備忘録

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静かに旅立っていった母

2015-11-03 | 両親の介護記録(yahoo blog)
今朝4時前に母が逝ってしまいました。84歳と3ヶ月でした。

毎晩携帯を枕元に置いて寝ていたのに。。。
今日に限って携帯はかばんの中に。。。病院から2回も電話がかかっていたのに。。。
家デンのけたたましい音で目が覚めて。。あわてて電話を取ったら。。。
看護師さんが「お母さんの容態が急変しました。すぐに来られますか」と。。。「えっ!あっはい」「今起きたとこなので大急ぎで支度して行きます。」
「30分ぐらいで来られますか。来られるまでがんばってみますね」と。。。

大急ぎで弟二人に電話して10分で用意して車に乗って。。。その車のなかでまた病院から電話が。。。
「たった今」と。。。私に電話をかけている間に心臓が止まったそうです。
「あと2分ぐらいで着きますので。。。」

10月の中ごろに容態が急変して主治医から宣告されて、もう覚悟はできていたけど。。。
それでも、もうちょっと待っててくれたらよかったのに。。。なんで急いで逝ったんや。と。。。どこまでも自分中心な母でした。
弟にも電話をして「間にあわへんかったわ。すぐに来て!」と。

病室にいくと。。。
母は一人で誰にも看取られずに安らかな寝顔でした。ほんとうに寝ているような。。。
腕を触るとまだ暖かさが。。。腕をさすっていると目を覚ましてくれそうな感じでした。
気のせいか寝息も聞こえてきて。。。気持ちよさそうな寝顔でした。

今年はじめに肺がんが見つかってそのガンが悪化したのかここ数週間は苦しそうな息をしていました。安らかな顔をしていったのがせめてもの救いでした。

母の主治医がちょうど当直でいろいろと説明してくれて最後の診察を。。。
去年の11月にディサービスのお風呂を利用するのに診断書がいるとゆうので気軽に受けに行った健康診断で引っかかって。。。そのときの先生が主治医になってくれました。それから約一年、母も信頼していた先生に看取られて母も幸せだったと思います。

葬儀屋さんの車がくるまで一時間もあるので荷物を置きにいったん家に帰りました。

9時半前に病院に着くともう葬儀屋さんの車が来ていて、まさに出発するところでした。
先生や看護師さんへのお礼も挨拶もそこそこに車に乗り込んでシティーホールへ。。。
着いたら見積もり担当の人が待っていて、弟らが来るのを待ってからいろいろと相談を。。。
5日が友引でお葬式ができないので5日にお通夜を6日に告別式をすることに決めました。
後いろいろこまごまと見積もりを。。。

お寺さんに電話をしたら今日はお寺の行事があって3時半なら行けますと。。。
3時半まで時間があるのでお昼を食べに外へ。。。


近くの公園は昔市電の発着場があったらしいです。 
私は場所は覚えていなかったんだけど、弟が覚えていて。。。それで石碑かなにかあるかなと探したけど見つからず。。。
でも公園の敷石は市電の敷石ですね。

      


近くに稲荷大社があるので人がいっぱいでした。しかもここは日本??って思うぐらいほとんどが外国人で日本語が聞こえてこなかったです。
ちょうどお昼時だったのでどこも行列が。。。アチコチ歩いてやっと入りました。

きつねうどんです。





3時半過ぎにお寺さんが来て枕経を。。。
そのあとお通夜と葬儀の時間の確認をして、弟らに親族への電話を頼みました。
父方の叔父・叔母・従兄弟とだれにかけても現在使われていませんと。。。みんなまるで夜逃げをしたんだろうか?と思うぐらい電話がつながりませんでした。ただ一人留守電だったけどかかったのでそこに望みを託して。。。
母方の叔母のところにはヘルパーさんがでて急いでいるようなので名前と母がなくなったことを伝えたんだけど、ハイハイと迷惑そうな返事をされて、息子さんに伝えておきますね。と。
でもメモを取ってはいなかったみたいでええかげんに従兄弟に伝えてくれたので従兄弟は間違え電話だろうと思ってほっといたそうです。ヘルパーさんは自分の仕事以外は関係ないみたいでちょっと残念でした。

家に帰ってきたのは5時半過ぎでした。

母の写真を探すのにパソコンを開けました。いろいろ見ているとやはり去年から急にふけたような気がします。2012年の写真がいちばん笑顔で。。。これがいいかな。と。。。

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