ささやき・つぶやき・備忘録

木漏れ日の下で~安らぎをもとめて~
花風景館 ~自然を求めて~
SNOW&み~♪の備忘録です。

冬の嵯峨野散策

2007-01-31 | 京都風景写真(OCNブログ)
2007年1月30日
ポカポカ陽気に誘われて嵯峨野へ。。。
数日前にブロ友の嵯峨野の竹林の写真を見て私も撮りたい!と思っていたので、行ってきました~♪

嵯峨野は30年ぶりでしょうか。
すっかり様変わりしていました。 竹林は不法伐採されていてあちこち無残な姿に。。。
いつのまにか新しいおうちもいっぱい建っていました。

JR嵯峨嵐山駅→竹林に入って野宮神社→落柿舎→二尊院→祇王寺→人形の家に行ったら休みだったのでここでUターンして常寂光寺→渡月橋→天龍寺→JR嵯峨嵐山駅と帰ってきました。



大河内山荘へ行く道々の竹林。
やっと見ごたえのある竹林に。。。これを撮って引き返して野宮神社へ。。。



野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を清められたところです。








落柿舎(らくししゃ)は元禄(げんろく)の俳人向井去来(はいじんむかいきょらい)の遺跡(いせき)である。
現在の落柿舎は、蝶夢(ちょうむ)門下の井上重厚(じゅうこう)が、明和(めいわ) 七年(1770)に再建したものにて、当時すでに去来墓は現在地にあった。重厚は嵯峨の人にて向井家の支族(しぞく)と云(い)う。
詳しくはこちら








落柿舎の前は田んぼです。 ここだけは30数年前と変わらないです。
落柿舎の前から撮りました。






二尊院
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。 (ウィキぺディアより)




寒桜が咲いていました。










祇王寺は元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。 (ウィキペディアより)



牡丹の花が綺麗でした。








行ったときは定休日だった。
ここは10数年前に子供のスポーツ少年団のレクリエーションでいきました。
当時は門はなくて道から降りて直接人形館に入ったように思います。


さがの人形の家は20万点以上の人形を、季節ごとに展示する博物館です。
1988(昭和63)年建設。
※春季展/2月中旬~5月下旬、秋季展/9月下旬~12月上旬のみ開館 








庭をパシャ!と。。。





嵯峨野散策の最後に寄りました。 
拝観料を払おうと思ったら。。。目の前に果てしなく続く階段が目に入って。。。もうすでに歩きつかれてたので階段をあがる元気もなかったので、入るのをやめました。
寄ったとゆう証拠写真だけを撮って帰ってきました。








※ 嵯峨野の竹林の記事はこちらにも載せています。

※ 野宮神社の記事はこちらにも載せています。

※ 落柿舎の記事はこちらにも載せています。

※ 二尊院の記事はこちらにも載せています。

※ 祇王寺の記事はこちらにも載せています。

※ さがの人形の家の記事はこちらにも載せています。

※ 常寂光寺の記事はこちらにも載せています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿