元インドネシア代表監督、スリランカ代表監督(野中寿人- 66番の部屋)

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インドネシア高校国体 - バリ島への恩返し

2007年01月08日 22時17分07秒 | バリ島、インドネシア国内の野球 ソフトボール
2007年新年 明けましておめでとう御座います。
新年早々、バリ島のレノン公共広場でインドネシア高校国体が開催されました。
2006年初頭からインドネシア高校国体初となる外国人監督に就任をし、バリ州代表チームを牽引する野中総監督。練習徴収には自らSMS(携帯のシュートメール)をメンバー全員に毎回送信し続け、レッドソックスから硬球やヘルメット、金属バットやキャッチャー用具などの全てをバリ州代表チームに貸し出しながらチームを編成して来たのです。
勿論、全てが無報酬のボランティアです。








全てが順調に行っているかと思いきや、大会開催前に選手達とチーム関係者との間で段取り上の問題で亀裂が入り、大会初日前夜は夜中の1時過ぎまで選手全員が野中総監督の事務所に集り、諸々の問題について話をしていたんです。
開会式直後の中央ジャワ州代表チームとの第1試合試合では完全に体調不良だったバリ州代表チームの選手達””勝てる試合を落としてしまいました。
しかし第2戦の南カリマンタン州代表チーム戦ではバリ州始まって依頼の念願の1勝を飾り、総合4位で大会を終了したのでした。






この年代のジャカルタ特別州代表チームには、後にインドネシア代表ナショナルチームの若手主力選手となるヨサ、マリオ、タタなどの有力選手が在籍していたのです。


ジャカルタ特別州代表との記念写真


また、このインドネシア高校国体は競技種目として男女のソフトボールもあり、バリ州代表チームとしては女子ソフトボールチームを編成して参戦したいました。
優勝したジャカルタ特別州代表チームとの試合画像です。また、同様にこの年代のジャカルタ特別州代表チームにもエラなどを筆頭に有望な選手が多く在籍していました。






{お世話になっているバリ島への恩返し・・僕に出来る唯一の恩返しは野球でしかありません。今まで、このような大会に出るば負け続けていたバリ島の野球・・・「バリ島での野球」「バリ島のチーム」と言うだけでインドネシア国内から笑われ続けて来たのも知っています。一生懸命頑張っているバリ島の選手達に何としても1勝をさせてあげたかったんです}← 野中総監督談


特記・・・
バリ島の野球向上を節に願うレッドソックス日本人選手達の想いとは裏腹に、このインドネシア高校国体開催前に起こったチーム関係者と選手間とでの亀裂が、その後のバリ島野球に悪影響を及ぼし、2010年までの数年間は後退の道を進むことになるのであった。


(じゃかるた新聞より)
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