第74回•••
文部科学大臣杯•••
全日本大学•••
準硬式野球選手権大会•••
本日•••
決勝戦が行われ•••
延長10回•••
大激戦の末に•••
日本大学が•••
10-9で7年振りに優勝•••🏆
自分は•••
日大野球部卒で•••
準硬式野球部•••
ではありませんが•••
日大の•••
準硬式野球部を•••
牽引しているのが•••
日大三高が•••
2001年夏の甲子園で•••
全国制覇時の•••
主将をしていた•••
杉山と言う後輩なんです•••
まして•••
日大準硬式野球部単体では•••
毎年の卒業旅行でバリ島に渡航•••
野球と観光の卒業旅行
また日大が所属する•••
東都準硬式野球連盟とは•••
今では•••
恒例の行事となっている•••
東都大学準硬式•••
野球連盟選抜チームの•••
インドネシア渡航による•••
野球教室や各種の大会など•••
加えて•••
ASEAN諸国•••
指導者育成プログラム•••
以上のイベントを•••
パンデミック前まで•••
開催してきた間柄なんです•••
その主が•••
先に記した•••
日大準硬式野球部の•••
コーチをしている杉山氏•••
準硬式というと•••
馴染みが薄いかもしれませんが•••
近年では•••
NPBにも選手を送ってますし•••
もっともっと•••
注目をしてもらいたいです•••
杉山コーチ•••
選手の皆さん•••
全国制覇•••
おめでとう御座います•••
マレーシアで•••
開催されていた•••
ベースボール5の•••
アジアカップ国際大会•••
日本代表は•••
惜しくも台湾代表に敗れ•••
🥈準優勝
このアジアカップ•••
優勝から3位までが•••
11月に•••
メキシコで開催される•••
ワールドカップに出場します•••
日本代表には•••
日大三高の後輩で•••
キャプテンの宮之原くん•••
埼玉西武ライオンズ•••
日本女子野球代表の六角さんや•••
JICAの•••
スリランカ野球隊員•••
だった八木君だったり•••
チーム内に数名の•••
知り合いが入っています•••
11月までに•••
更に強化をして•••
ワールドカップでも•••
暴れてきてもらいたいです•••
頑張れ〜
そして今回•••
マレーシアでの•••
試合会場に使用されたのは•••
野外のグランドでは無く•••
何とホテルのバーホール(宴会場)•••
どこでもできる
ベースボール5は•••
2017年にキューバから•••
発祥した野球を簡易化した競技で•••
5人制•••
5イニングで•••
行われる競技になります•••
昔々〜少年期時代に•••
手打ちで行っていた野球を•••
イメージ•••
してもらえばと思いますが•••
ホームランが無かったり•••
本来の野球とは少々異なります•••
因みに•••
スリランカや•••
インドネシアでは•••
このベースボール5は•••
代表チームの•••
編成には至って•••
いない状況になります•••
今後の発展に•••
期待したい競技ですね•••
現在では•••
ヘルメットの•••
着用は安全面から•••
当たり前になっていますが•••
1960年の•••
センバツから•••
打者へのヘルメットの
着用が•••
義務づけられたのを•••
みなさんは•••
ご存知だったでしょうか•••❔
ヘルメット•••
着用のきっかけは•••
1954年の•••
東京都秋季大会で•••
おきた悲しい出来事でした•••
この大会で•••
八王子工の選手が•••
頭に死球を受け•••
翌日に死亡をして•••
しまったことにあります•••
この件から•••
東京都高野連は•••
1955年の夏の•••
東京都大会から•••
ヘルメット着用を義務づけ•••
そして1956年の•••
センバツに出場した•••
日大三高がこれを持参し•••
着用の効用を説明したのです•••
因みに
この年の日大三高
主力選手は大先輩で
後に阪神タイガースで
活躍をされた並木輝男先輩
その後•••
日大三高の•••
ヘルメットをきっかけに•••
全国で徐々に着用が浸透すると•••
1960年から•••
甲子園大会でも義務化され•••
1963年には走者にも•••
1972年から片耳ヘルメット•••
1994年には両耳ヘルメットが•••
2009年にはベースコーチにも•••
以上の様に•••
ヘルメットの•••
着用が義務づけらました•••
って事で•••
日大三高は•••
ヘルメット着用の•••
歴史にも絡んでるんです•••
フムフム•••
なかなかやるじゃん•••
77年前•••
敗戦前後の•••
大日本帝国軍と•••
スカルノ•••
ハッタという•••
インドネシア独立運動家を•••
中心メンバーとした•••
独立準備調査会の間で•••
インドネシアの•••
独立を進める方向で一致し•••
“1945年8月17日”
スカルノ邸前で•••
独立宣言書が読み上げられた•••
インドネシアに•••
とっての独立とは•••
オランダによる•••
350年間以上の植民地支配•••
3年半に渡る•••
日本軍政による支配•••
この経緯から•••
支配下における社会や•••
法の中での差別•••
と偏見という不条理と戦い•••
本来あるべき•••
人間としての権利と•••
民族の誇りを•••
支配する側から取り戻し•••
アイデンティティや•••
民族主義の確立を勝利するもの•••
“支配からの独立”
支配された側の気持ちは•••
支配された者しか分からない•••
これは我々•••
日本人にはなかなか•••
想像が出来ない•••
部分かもしれませんね•••
スリランカ代表•••
ナショナルチーム番外編•••
チームトレーナーとして•••
日本のムーブアクションさんが•••
スリランカに渡航をし•••
各選手の身体構造のチェック•••
高電圧電気器具を•••
日本から用いて故障を治療•••
更に•••
クリケット🏏•••
チームへも施術をして•••
選手や首脳陣から大好評•••
スリランカのスポーツ界は•••
この様な治療法が確立してなく•••
今後は必ず•••
必要になってきますね•••
スリランカのTVで
放映された動画も入れ込んで
ビデオにまとめてみましたぁ〜
アジアの•••
野球途上諸国で•••
野球普及と向上発展の•••
活動を始めて18年が経過•••
いつも&どこも•••
ぶち当たる問題は•••
野球は人生の•••
選択肢に乗らないこと•••
やもすると•••
人生のお荷物扱いにされる•••
野球先進国と•••
異なりこれが実情です•••
日本の野球組織で•••
活躍できる有能な選手らは•••
ある年齢に達すると•••
野球を引退してしまいます•••
野球で飯が食える•••
雇用の一環にもなる•••
そして•••
野球の向上と発展•••
国同士の様々な友好•••
先日•••
九州アジアリーグの•••
田中代表がイご来訪をされ•••
諸々のアドバイスを頂きました•••
そして•••
インドネシアを中心とし•••
ASEAN諸国や西アジアを含む•••
選手らを対象とした•••
プロ野球リーグと球団を•••
立ち上げることを決意しました•••
仮名ですが組織名は•••
アジアNEOプロ野球機構•••
そして•••
チーム名は•••
KAL PEACE ✌️•••
来年春から•••
インドネシア国内で•••
チーム編成を行っていきます•••
皆様に再度•••
改めてまして•••
進行の•••
状況をご報告しますね•••
小倉監督は•••
自分の4つ年上•••
自分が•••
日大三中1年の時に•••
小倉監督は日大三高2年•••
同じ赤坂の•••
日大三高校舎に•••
通っていたんです•••
そして自分が•••
日大三高1年時に•••
小倉監督は•••
日本大学2年で•••
三高の学生コーチに•••
従って•••
小倉監督とは•••
みっちりと濃い•••
2年半を過ごした訳です•••
関東一高へ•••
行かれた時も•••
小倉監督から•••
指導依頼で呼ばれたり•••
拓大紅陵の•••
合宿所に出向いた時•••
小倉監督とバッタリ遭遇したり•••
自分にとっては•••
兄貴みたいな感覚です•••
ですから•••
65歳になり•••
教職員としては•••
来春に定年を迎えられ•••
どうなるのかと•••
ヤキモキしていました•••
三高野球部OBの中でも•••
話しが持ちきりだったんです•••
今回の•••
甲子園での試合後に•••
今後も指導をするとのことで•••
ホッとしてます
年末か年始には•••
日本へ一時帰国しますので•••
小倉監督と•••
飯でも食いま〜す•••
九州アジア独立リーグ•••
九州アジアプロ野球機構の•••
田中代表が先日ジャカルタ入り•••
野球発展について•••
色々な意見交換をしています•••
枠を飛び•••
出ている思考を•••
持った野球人•••
との意見交換は•••
非常におもしろい•••
自分もかなりの•••
飛び出し者なので•••
波長はバッチリ
飛び出してる•••
者同士で何かできればと•••
これからの•••
展開に注目してくださいね•••