小枝監督
今夏の大会を最後に勇退
13日の・・・
新聞等で発表され・・・
FBやメールでも・・・
沢山の知らせを受けました・・・
FBの方にも・・・
別途に掲載をさせて頂きますが・・・
こちらの・・・
ブロブの方にも異なる角度にて・・・
小枝監督に関する・・・
日大三高現役選手時代の・・・
懐かしい画像をメインに・・・
記してみたいと思います・・・
‐秋季大会優勝 前列右から3番目が小枝監督(当時は選手)‐
小枝監督の・・・
現役選手時代は内野手で・・・
主なポジションは・・・
サードとセカンドでおられました・・・
1年の秋の秋季大会で優勝をし・・・
翌年のセンバツに出場されておられます・・・
‐センバツ出場 後列右から2番目が小枝監督(当時は選手)‐
センバツでの試合は・・・
1回戦で今治西と対戦をして・・・
今治西に3-1で敗退・・・
翌年の春季大会でも・・・
中大付を決勝で9-1で破って・・・
優勝をし関東大会へ出場・・・
関東大会では・・・
取手二に5-1で敗退・・・
迎えた夏の予選では・・・
準決勝で日大一高と戦い・・・
に2-0で敗退・・・
最終学年では・・・
キャプテンとしてチームを牽引・・・
しかしながら・・・
秋季大会は日体荏原に・・・
翌年の・・・
春季大会は決勝で堀越に・・・
そして・・・
最後の夏の大会も・・・
日大二高に敗退してしまいます・・・
‐最終学年 写真左端が小枝監督(当時は選手)‐
また当時の首脳陣は・・・
2年後のセンバツで・・・
日大三高を悲願の初優勝に導かれた・・・
(故)萩原監督がコーチをされておられました・・・
‐体育祭での小枝監督(当時は選手)‐
日大三高野球部から・・・
日本大学野球部へ進学をされ・・・
内野手から・・・
キャッチャーに転向されました・・・
日大野球部で使用されていたキャッチャーミットの使用を
甲子園で使用する許可を頂きましたが自分は恐れ多くて断った
経緯があります。その後、拓大紅陵に移られ甲子園に出場した際
鈴木(隆)君が小枝監督のキャッチャーミットを使用してました
その後も鈴木君が大切に保管をしピカピカの状態を維持して1昨年
小枝監督にお返ししたという逸話があります
しかし・・・
太腿肉離れが原因で・・・
選手生命を断念されて・・・
大学2年の時より・・・
日大野球部より日大三高の・・・
コーチに派遣されたのです・・・
この時の・・・
日大三高の監督は・・・
先に述べた様にコーチから・・・
監督に就任された(故)萩原監督です・・・
そして・・・
萩原監督、小枝コーチで・・・
センバツでの優勝を飾り・・・
翌年の・・・
センバツでも・・・
萩原監督から・・・
バトンタッチされた・・・
鈴木監督と共に準優勝され・・・
日大三高野球部の黄金期を創られました・・・
‐センバツ準優勝 後列右から2番目の黒いジャンバーが小枝監督(当時はコーチ)‐
その後・・・
鈴木監督から山田監督に変わり・・・
中日ドラゴンズで・・・
活躍された豊田先輩を擁して・・・
センバツへ出場をし・・・
2回戦で銚子商業に敗退・・・
この時の・・・
銚子商業のエースは・・・
同年夏の甲子園で優勝し・・・
後に中日ドラゴンズへ入団した土屋投手・・・
そしてショートは・・・
2年生ながら4番を打っていた・・・
元ジャイアンツの篠塚選手でした・・・
‐西東京制覇 監督就任後初の夏の甲子園出場 右が小枝監督 左が小倉コーチ(当時)‐
この数年後に・・・
コーチから監督へ就任され・・・
監督就任3年目に・・・
夏の甲子園へ導かれます・・・
町田市移転後・・・
初の甲子園出場となったのです・・・
ちなみに・・・
この時のコーチが・・・
現在の・・・
日大三高の小倉監督でした・・・
‐西東京制覇 小枝監督の胴上げ‐
甲子園では・・・
1回戦で天理と戦い・・・
無念にも5-4で惜敗・・・
この甲子園出場の2年後・・・
福王(元ジャイアンツ)たちが・・・
在籍をしていた代の時に・・・
日大三高野球部監督を辞任され・・・
現在の拓大紅陵野球部の監督に就任・・・
そして・・・
ここから・・・
小川、飯田、立川などの・・・
有望な選手を育成して行き・・・
拓大紅陵を全国区へと・・・
押し上げて行かれたのです・・・
‐拓大紅陵 夏の甲子園で準優勝‐
1992年・・・
夏の甲子園で・・・
遂に準優勝を果たされ・・・
通算・・・
ご自身現役として1回・・・
日大三高コーチ時代に3回・・・
日大三高監督時代に1回・・・
拓大紅陵監督時代に9回・・・
素晴らしい球歴でおられます・・・
また・・・
拓大紅陵の・・・
ユニフォームですが・・・
日大三高の・・・
3本ストッキングと・・・
早実の・・・
襟付エンジ色の混合です・・・
この背景は・・・
東京都の・・・
高校野球史上を見てみると・・・
戦前、前後のまもない時代から・・・
”古豪”
と、呼ばれる高校は・・・
下記3校しかありません・・・
“慶応義塾、早実、日大三高”
その後、慶応義塾が・・・
神奈川県へ移転しまった為・・・
東京都の”古豪”は・・・
日大三高と早実の2校になりました・・・
ご存知の様に・・・
日大三高と早実は・・・
数々の名勝負を演じてきました・・・
比較的ご記憶に・・・
新しい年代で言えば・・・
ハンカチ王子・・・
斎藤佑樹が全国優勝した時の・・・
西東京都大会での延長戦にもつれ込んだ決勝戦・・・
同じく・・・
2011年に・・・
日大三高が全国制覇した時の・・・
西東京都大会決勝戦での1点差の試合など・・・
古くは早実に王選手が在籍されていた前後の年代などが挙げられます
この・・・
東京都の”古豪”・・・
ライバル同士であり・・・
重く深い伝統を持つ・・・
日大三高と早実の・・・
全ての“野球魂”を持って・・・
強豪校犇めく激戦の千葉県で・・・
拓大紅陵を全国区レベルに押し上げるべく・・・
小枝監督が融合させて・・・
拓大紅陵独自の鮮麗された素晴らしい・・・
ユニフォームデザインになされたものだと判断致します・・・
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ご勇退については・・・
小枝監督の・・・
ご健康状態からなのか・・・
もしかしたら・・・
学園事情からなのか・・・
真意の程は分かりません・・・
だた・・・
個人的ではありますが・・・
拓大紅陵野球部を・・・
33年間築き上げて・・・
こられた小枝監督の後任には・・・
出来ることなら・・・
拓大紅陵OBの中から選任して頂きたい・・・
そして・・・
拓大紅陵の伝統が詰まった・・・
ユニフォームの・・・
デザインに関しても変えることなく・・・
”紅陵野球”を・・・
しっかりと継承して行ってもらいたい・・・
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最後に・・・
1971年に・・・
日大三高のコーチに・・・
就任されてから今日までの44年間・・・
小枝監督から・・・
指導を授かった方々全員が・・・
この夏の・・・
拓大紅陵野球部の・・・
甲子園出場を祈願し・・・
応援をして頂きたく・・・
何卒・・・
宜しくお願いを申し上げます・・・
我々は・・・
〝小枝野球”
を、小枝監督から教わった者同士です・・・
この部分に・・・
日大三高も拓大紅陵もありません・・・
”もう一度”
”小枝監督の胴上げが見たいです”
※日大三高野球部の諸先輩方々様、年下の分際での発言をお許し下さい。
並びに拓大紅陵野球部OB及び関係者の皆様方、私は拓大紅陵野球部では
御座いませんが、同じ野球人、同じ小枝監督という”恩師”から野球を
教わった者としての発言と捉えて頂ければ幸いで御座います。