ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

私の人生の岐路としての還暦

2013年08月08日 | Weblog
 先日、心臓の動脈検査を行ったところ、狭心症であるということが判明した。
状態はかなり悪い。もう一週間遅れていれば心筋梗塞になり、病院に運ばれていたことで生存率は3割
生きていても、身体に障害を残して生きる状況になっていたこととなったであろう。

 今年、還暦を家族で祝ってもらったのが誕生日の三日前。
以前から、自分では60歳を向かえるときはどのようなことがあるか、さまざまな思いを持っていた。
事故に遭遇しないか、そいて病気はすでに糖尿病になり、昨年の11月に数値が異常ななまで上がり
その後、運動、食事の節制を行うなどして、かなりいい数値にまで改善したが、やはり裏では合併症が着々と
進行していたのである。

 検査入院をして、初めての入院を体験した、これまでの自分の人生が走馬灯のように頭の中を巡った。
自分の寿命は予測はできないが、ただいま臨終との思いで生きるなど、健康なとき、元気な時は
意気高々に語ってみたが、いざ真にその生死が眼前にくればそう割り切った言葉はでてこない。

 そして、自分の寿命だけではなく、これまでの生き方、人生、人間関係など多くのことが止めどもなく
頭の中をかめぐる。
ただ、ただ、反省多き人生であった。我が人生に悔いはなしなど到底、及ばないのがよくわかった。




ハラボジの履歴書  12

2013年07月11日 | Weblog
 雨は上がり、空が透き通るような青さで、山々は雨に打たれた木々が
まるで畑で採れた泥だらけの野菜を小川で洗ったようにみずみずしく光輝いていた。
ピョンオンには大雨から田んぼを守ったという喜びが余計にそうさせた。

 家に帰って、さっそく、人夫たちの食事の支度に取り掛かった。
「そうだ、隣の権ばあさんに頼もう」。と思った。
権ばあさんは口うるさいが、料理の味はこの村一番。
チョンガキムチとナムルの味は誰がまねをしても絶対にその味には達することができない
特に、味噌と醤油の作り方を両班の娘が嫁入りする前に。権ばあさんを家に招き
娘に覚えさせるといったぐらい味付けが有名だった。
ピョオンオンの母親とは仲が良かったが、10年前に40歳でこの世を去った。
権ばあさんには子供がいたが、生まれて間もなく二人の子供を無くし、そのあとは
子供ができなくて、この村には20年前に移り住んできた。
 
5歳年上の主人は、酒もたばこもやらず小作人として、ただ働きずめの生活で
5年前に55歳で亡くなった。
残ったのは、小さなわらぶきの家と、農作の道具が少しだけ残った。
 もともとは南原から南の順天で生まれ育ったらしく、幼い時に生活が苦しかったので
12才で養女に出されたのだが名ばかりで、地主のところの女中がわりで
子守から、農作業まで、朝は日が昇るまえから、夜は皆が寝静まるまで働かされた。
子供心に何度も逃げ出そうと思ったらしいが、逃げるところがなかったので
仕方なくその場所にいたが、16歳になったころ、この家に行商の一行が生地を
売りに来たときに誘われ、ともにこの家を抜け出したという。
 権ばあさんからは、それ以上の身より話は聞いたことはなく、
ただ、いつも食べることの自慢話だけ聞くばかりだった。

ハラボジの履歴書  11

2013年07月10日 | Weblog
雨がさらに強く降ってきた。
土嚢を積み上げた隙間からどんどんと水が流れ出してくる
水路をすでに越えた水かさを下げることができないと思った。しかし、動きをやめれば
田んぼが水につかってしまう。
 もう力が尽きてしまいそうになった。
「もう少しだ、もう一段だけ土嚢を積めば何とか持つ」。と大完が皆に告げるように
大声で言った。
 
小一時間してから幾分雨が小降りになってきたかと思えば、それまで重く雲で覆われた空が
幾分明るくなったかと思うと、くもの隙間から日がさしてきた。
雨も上がった。
雲がどんどん切れ、それまでの雨がうそのような、強い日差しが照りだした。
「なんとか持ったな」。泥だらけの手の甲で顔を拭ったが気にもならない。
田んぼを守った安堵の気持ちの方が大きかった。

 「大完、ありがとう。おかげで助かった」。
「約束だったから、当然のことよ」。少し誇らしげに胸をたたいて見せた。
「道具を片づけて、俺のうちに皆と一緒に来ればいい」。
「わかった、しかしもう少しだけ水路の補修をしておこう、いつまた雨が
ふるやもしれんので、お前はさきに行って、人夫たちの飯の準備でもしておいてくれ
昼過ぎには終わるので」。

 ピョンオンは先にもどり、飯の支度をすることにした。
そして、その日の夕方には務安に行った兄様が家に帰ってくる日でもあった。


ハラボジの履歴書   10

2013年07月01日 | Weblog
 その年の南原は雨が例年になく多く降った。
智異山から流れる川も例年なら溢れることがなかったのだが5日も
大地をたたきつけるように降り続いたので、川に近い田んぼは
一部水につかってしまった。

 朝早くめがさめたピョンオンは水路があふれていないか確かめるために
田んぼに向かった。
「無事でいてくれ」。と祈るようにして向かった。
相変わらず、雨はあぜ道を掘り返すような勢いで降っている。
途中、あぜ道が水に沈んで見えなくなってしまっている。
「ああ」。と思わず声がでてしまった。
すでに水かさが伸びた稲の半分の高さまでに達しており、池の中を歩いて
いるように思えた。
 
「今年は、もう米が取れなくなってしまうな」。と絶望的な気持ちになってしまった。
とその先を見たとき、数人の人の影が見えた。
なにやら、水路あたりで土砂をカマスに詰めて積み上げている。
大完の姿も見えた。
向こうも気が付いたのか。「ピョンオン、もう大丈夫だ、田んぼに入る水は
これでせきとめた、あとはもう一か所の水の流れを遮れば、稲は助かる」。
と、いつも酒と博打ばかりの男かと思ったが、いざとなると頼りがいのある男
だと思った。
「昨日5人と言ったが、みればたくさんの男がいるじゃないか」。
「こんなに、雨が降るのに、5人でこの水路は守れんよ」。
「まあそんなことはいいから、お前も、さっさと手伝え」。と
スコップが飛んできた。


ハラボジの履歴書  9

2013年06月30日 | Weblog
 大完は金を取りに行くピョンオンの後ろ姿を見て、薄ら笑いをした。
10円の金を握りしめ、縁側のところに戻ってきた。
「必ず、月末には返せよ」。と強く念を押して金を渡した。
「心配するな。金利をたんまりつけてかえしてやるから、まあ、楽しみにしておけ」。
「この酒は、置いておくので、あとでお前ひとりで飲むといい。俺は早速、この金を
地主に持っていき、これまで小作していた、田んぼを買い取りに行く」。
とあわてるようにして席を立とうとしたとき。
「大完、お前に頼みがある」。
「なんだ」。
「兄様が帰ってくるまでに、水路の修繕工事を手つかずのままでは、怒られてしまう、
だから、人夫をこの村ではないところから手配をしてくれないか」。
 「何人いるんだ」。
「最低で5人はいる、牛一頭はつけるから、あと仕事のできる人間が二人は必要だ」。

「わかった、しかし、急な話だから先に金がいるぞ」。
「さっき、お前に渡した金で手配できないのか」。
「この金は、別だ借りた金は返す、しかし、明日の仕事の金は別だ」。
金を懐に得た大完は、先ほどと違って強気な口調に変わった。

「わかった。いくら必要だ」。
「うーん、5円というところかな」。
「何、5円だと、5人の三月の稼ぎ代じゃないか」。
「急な話だから、高くはない、前渡しでないとこの忙しい時期には
人が集められないぞ。だめなら、他を当たれ」。

 ピョンオンは大完にすべてを握られてしまったことを知った。
「間違いなく、人は集められるか」。
「心配するなって、俺様の顔の広さは南原一てことを知らないのか」。

ピョンオンは新たに5円を大完に渡した。

ハラボジの履歴書  8

2013年06月22日 | Weblog
 「俺は知っているんだ。お前に懐には、100円あるということを」。
口に酒を入れながら、にやにや笑いながら顔を見た。
「兄様から、200円あづかっている金があるじゃないか」。
「お前はどこでそんな話をなぜ知っているんだ」。

 「ふん、俺の鼻と耳は、金のあるところに向くようになっている」。
「なあ、ピョンオン、悪いことは言わん、その金を双月、いやひと月でいい、
貸してくれれば、倍にして返すから、どうだ」。

 「そんな金はもうない」。
「そうか、兄様は明後日帰ってくる。言われていた水路の補修、お前は
どうするんだ」。
「いらぬ心配はするな、もういいから。この酒持って、とっとと、帰れ」。
ピョンオンはちゃぶ台の酒瓶を持って大完に突き出した。
「おうそうか、そうしよう。だけど俺は兄様にあって言うぞ、おまえと博打場
に行って、お前が100円擦ってしまったことを、それでもいいなら、そうしろ」。

 大完は出された酒瓶を大事そうに受け取り、帰る仕草を見せた。
「わかった、少し待て、考える時間をくれ」。
「いつまでだ」。

「うーん、兄様が明後日帰るまでに返事を出す。ただし、その代り水路の
補修が全くてをつけていないので、それでは、兄様からどうなったか問われる」・
「だから、お前は数人の人夫を明日連れて仕事に、取りかかったような
形をとってもらいたい。それができるか」。

 「いいよ、だけど、とりあえずの金は用意しろ。10円でよい、どうだ」。

 「よし、わかった」。と言って。奥の部屋に入り、床下に隠した
ツボから10円を取り出した。

ハラボジの履歴書  7

2013年06月20日 | Weblog
 口先の欠けた白磁の酒瓶から注がれる清酒は甘い匂いが縁側全体に漂った。
なめるようにして味を確かめた。
これまで飲むマッコリとは全く違う味に、日本の豊かさが浮かぶような
心持になった。
「どうだ」。「うん。これはうまいな」。
「さあ、もっと飲めよ」。
「いや、もったいないから、これぐらいにしておこう」。
「実は、もう一本、面長からもらっているから遠慮するな」。
「そうか、それなら」。今度は一気に飲み干した。

 空腹に流し込んだ酒が内臓に沁みこむようで、すぐに酔いが回ってきた。
それまで、悩んでいたことがウソのようにして頭の中から消えていった。
「ピョンオン、お前に折入って話があるんだが聞いてくれ」。

 すっかり酒に酔ってしまって気が大きくなった。
「なんだ、言ってみろ」。
「実は、お前と一緒に行った博打場に五十円(今の貨幣価値の2万分の一)
の借金があるそれを今月の末までに返さなければ、田んぼをすべてとられて
しまうので、何とか工面してくれないか」。
それまでいい気持ちで回っていた酒が一度に覚めた。
「そんな大金、月末までに工面するって」。
「お前が兄様から水路の補修代に200円預かっていると言っていたじゃないか
その金を一時、俺に都合してくれればいいじゃないか」。
すでに頼みというよりは決まり事のように大完は涼しげに言った。

ハラボジの履歴書  6

2013年06月19日 | Weblog
 家は役場から歩いてすぐの場所であった。
長男夫婦とその子供3人そして母親の7人で暮らしていた。むらの中では唯一の瓦葺で
門をくぐると、すぐに牛小屋があり、一つの敷地の中に二つの建物があった。
祖父はまだ独り者だったために、兄が結婚したときに、離れを新たに建ててもらった。
離れと母屋の間に低い土塀を巡らせて、母屋の中庭を通リ抜けて離れにいけるように
なっていた。
いつもなら、母屋の門をあければ、中庭では母と兄嫁が夕飯の準備をしているのだが、この日は
始祖の墓の完成式で自分以外はすべて務安に行って留守だった。
縁側に腰を下ろした秉元は兄が明日戻ったとき、水路の整備の状況を問われた時
どう答えればいいか、そればかりが気になって。雨に濡れたことなど全く
気にもならなかった。
 そうして、また大きくため息をついた。
しばらくして、門の板戸をたたく音に気が付いた。
「ピョンウォン。いるか」。と幼馴染の金大完の声である。門によって、かんぬきを落とした。
「どうした」。と言うと。
「この間は運がなかったな、あす明後日、もう一度運試しにどうだ」。と言うと同時に
門をくぐって入ってきた。
「お前と会うと、うちの家族が嫌がるので、家には来ないでくれ」。
「まあ、そう言うな、俺様と会って損をした者はいない、福のある人間だと言われているのに
お前の家族だけが、俺を毛嫌いするのは。困ったものだ」。
「それより、この酒、面長様から今日いただいた。なにやら、日本から持ってきた清酒で
朝鮮では手に入らないものらしい、一緒に飲まんか」。
 体も疲れ、空腹でもあったこと、酒もきらいなほうでもなかったので、
先日町の博打場に誘われ、預かった水路の改修費用を使い込んでしまったことを
つい忘れたのか、台所に行って、肴になりそうなキムチとちゃぶ台を持ってきた。
「ピョンオン。まあ一杯飲め」。と杯を差し出した。