ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

四川大地震のこれから

2008年05月31日 | Weblog
 桁違いの地震が中国で起こり、3週間を経た今も、まだ復興へのめどはたたなくて、緊急援助のテントなどが不足している。
ただ、中国は経済的には、今優位にあり、過去の貧しい中国ではないはずで、医療などの緊急援助的なものはのけて、自国内で処理できるとも思うが、ここ数年の成長は、建物の壊れ方を見る限り、砂上の楼閣のような気もしてならない。

今年は北京オリンピックが始まるが、このような大きな災害の中、大変な運営が予想される。

こうした災害は、今後世界のあちらこちら、いつ起きてもおかしくないが、いつも被災を受けるのは、弱い市民の上に降ってくるようだ。

光州5.18の映画を観て

2008年05月25日 | Weblog
 今から28年前、韓国は全羅北道の中心的都市。光州で、当時軍事クーデーターで政権を手にした、全斗煥率いる軍部、とりわけ空挺部隊が70万人光州市民を、暴徒鎮圧の口実として、2万の軍隊で使い2000人近い市民を虐殺に近い形で、命を奪った。

歯向かうものは、アカと断言し、婦女子、老若男女をとわない、無差別殺人といっても過言ではない。
この自国民の命を奪うこと自体、軍が反乱軍であり、結果、光州市民を結束させて、市民軍を成立させるまでとなり、後日、この反乱の首謀との濡れ衣を浴びせられた、金大中前大統領は、光州事態ではなく、光州義挙という。

 この事件があった当時、日本でも、在日の我々の間にあっても、体制派、反体制派と意見が分かれたことがあったが、罪なき一般市民を虐殺する当時の軍部の行動については、韓国の民主化への道程の大きな、歴史の汚点であり、韓国国内史の恥部であることは間違いなく、28年を経て、今、事実があきらかにされようとしている。

むしろ、日本の植民地時代でもおそらく、これほどの虐殺は行われなかったともいえるほど、振り返ってみても、実に恐ろしく、悲しいことであった。

いつの時代も、体制派に媚へつらい、自己保身に懸命な人間が命を永らえるが、結果、新しい歴史、または時代を切り開いたためしはない。

在日の主要的な両団体にせよ、本国の体制に媚へつらう人士が、結果、何らかの利権をえながら、それを愛国心と自我自讃している者が今なお、中心的役割をはたしているように、自負しているようだが、この映画を観ることを強く勧める次第である。

山古志錦鯉事情

2008年05月19日 | Weblog
 本日、神戸より、中越地震の被災から、今日まで、山古志と神戸との様々な交流を保ってきた、関係者、まずは神戸市議の浜崎ためし氏とその関係者と山古志を公式訪問することとなりました。

先日は田中重雄さんから、神戸に300匹もの錦鯉を神戸に送ってもらい、区内の小学校の池に放ちました。

こういった、被災地交流を続けることによって、災害を風化させないという、防災意識と、復興への途上の応援団として、既にこの間も、中国で大震災が起こってしまい、今なお救援活動が続いているが、2次災害も起こる可能性もたかく、今どこに災害が起きてもおかしくない時となり、日常の備えられた意識をもつことが必要となった。

さくらパパの下ねた騒動治まらず

2008年05月15日 | Weblog
 昨年の参議院選挙で民主党から出馬。
知名度の高さでさくらパパは当選したが、もっぱら、政治より、性冶がお得意であるらしく。

下半身の性冶活動が活発なようであるが、国の税金を使っての性界活動は誰も望んでないようであり、はっきりものを言う、九州男児らしく、女のけじめをとるか、議員のけじめをとるか、男を別の意味で見せるべきだ。

19番ホールにご執着では、まったく話にならない。

黒田 福美さんへ

2008年05月15日 | Weblog
 韓国の慶尚南道に、当時神風特攻隊で知覧から出撃し命を落とした卓氏当時24歳の慰霊碑を地元に建て、序幕式を行う予定が、地元の人の猛反対で中止となり、また出来た慰霊碑も撤去されるとの事だが。

 確かに、黒田さんは韓国に精通する日本人女優としては有名なのだが、何ゆえにこの時期に、韓国で特攻隊の慰霊碑を提唱したのか、よく理解できない。

確かに、ユニークな発想やもしれないが、歴史認識の違いを乗り越えるキッカケとしての思いがあってか、それとも、話題を提供する思いがあってか、その思惑と狙いが何だかわからないが、こういった戦争犠牲者の慰霊といった問題は、単に個人の思惑でことが運ぶと思えば、結果このような事態を招くことが多い。

また、慰霊という問題に関わることは、純粋さが肝心で、結果、このような結末を向かえるということはどこか、動機が不純であるみられてもいたしかたない。

言葉はきついが、要らぬ内政干渉と、自らの売名行為として受け止められたに違いなく、端からみても、純粋な気持ちでの慰霊とは思えない。

中国大地震

2008年05月15日 | Weblog
 想像を超える地震が中国を襲った。
阪神大震災の30倍とも言われ、300キロに渡る広い範囲での、大きな被害。
現在、生き埋めとなった人の救出にあたっているが、規模の大きさと、道路が寸断され現地に入れない状況で、今後、さらに被害が増える見込みである。

しきりに、日本のメディアは中国の政府の救援体制を批判的にみる向きがあるが、このような予測できない自然災害にあって、いつも人災か、天災かの論議がおきるようだ、阪神大震災のときも日本政府、行政の対応がよく問われたのと同じで、これからの自然災害の規模は、これまでとは違う、人知の想像をこえる被害が発生すると思われ、いつ、どこにおきても不思議ではなくなった。
その災害に対して、克服するより、どう向き合うかが、いつもいわれる、課題である。

景気の停滞から、低迷期に

2008年05月14日 | Weblog

 今、日本の経済が確実に悪くなり、これからの暮らしを考えるとき、大きな不安が横たわるばかりだ、政治も捻じれ現象で、国の方針もさだまらなくて、政権の支持率が20パーセントと、年金問題、高齢者医療保険問題、そして景気の低迷で、政権交代、今総選挙をやれば、与党自民党の完敗となる事は確実。

世界をみた場合にあっても、韓国も政権が代わった。

アメリカも今、かわりつつある。
その中で、日本だけが、同じ与党が60年も政権を握っているなどということも、これまた、不思議な現象であり、日本の政権交代が必要な時に来たのではなかろうか。

また、小泉政権下での、改革の弊害もこの際、見直してはどうか。

風化させたくない記憶。

2008年05月12日 | Weblog
 阪神大震災でもっとも被害の範囲と度合いが大きかったのは、神戸市内にあっても長田区であったといえる。

とにかく、火事が多かったのと、改めて思うが、規模の大きい地震だったので、水道、電気、ガス、道路、建物が倒壊し、むしろ、あの中でよく助かったと思うことすらある。

又、午前5時46分という時間も思えば、不思議な時間。

もう少し前なら、いや後なら、過ぎていれば、始発電車、道路渋滞が始まり、あの被害ではすまなかったかも知れない。

ただ13年経た今、もう町はすっかりと新しくなり、当時生まれた子供が中学1年生になっている。

被災地であった小学校においては、学習の中で、震災に関しての事を伝えており、決して風化はしていない。

当時のことを体験したものが、伝えていくのが、やはり重要なことであると感ずる。

写真  菅原市場の今

ここまで地に落ちた吉兆

2008年05月10日 | Weblog
船場吉兆 博多、天神店も使い回し 食べ残しの刺し身など偽装発覚後も(西日本新聞) - goo ニュース
高い料金を取りながら、食べ残しを次の客に出し、料金を結果、二重にとっていたのだから、モラルを超えた、詐欺的な商売をやったようなものだが、そこまでして金がほしいのかと思うと、これまでの吉兆は何だttのか、創始者が嘆くばかりである。

1000年の山古志に応援を

2008年05月10日 | Weblog
 山古志は1000年の歴史があるといい、またこの山間の村で多くの文化を培ってきた。
棚田の風景と、自然の美しさは日本の原風景とも言われ、日本百景んびもこれまでにも選ばれたところではあるが、中越地震の被害でその名をさらに広めたのは記憶に新しい。

3年に渡る、全村避難を経て、今年の3月には、住民の7割に近い人が、山古志に再び戻ってくることが出来た。
一時は復興困難とさえ言われたこの地域が、復興を果たしたわけであるが、山古志の人達の強い愛郷心がそうさせたといえる。

古くから、錦鯉を養い、そして闘牛という文化を造り、豪雪地域でありながら、その苛酷な自然のなかで、うまく環境と付き合いながら生きてきた、山古志の人たちであるが、この復興3年は命がけの闘いといってもいいだろう。

今、震災から3度目の雪解けと春を迎えた。
現在、この震災からの記録を映画に撮っている、橋本信一監督、「1000年の山古志」2009年3月完成の予定だが、資金に大変困っている、何とか応援をしていきたいものだ。