ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

元赤軍派 柴田 泰弘さん死去

2011年06月25日 | Weblog
 柴田さんは神戸で大田中学校当時、私は彼t同級性で、まじめで勉強も
よく出来、中学2年のとき、生徒会長選挙に果敢にも挑戦し、落選はしたもの
当時それなりに、自分で問題意識を見つけ、運動を行なうタイプであったと
思う。
須磨高校に進学し、その当時、学生運動が盛んになっており、校門前で
焼身自殺などの事件が起こり、そして、世界が注目した、よど号事件に
彼17歳のときに、赤軍派の一員として、北朝鮮に渡ったことには、本当に
驚いたものだ、高校時代にすでに、北の書物を一生懸命に読み、
南北朝鮮問題と、反帝国主義という意識をその当時確立したのではないかと
思うが、いつ、彼が、赤軍派と関わっていたかというのは、分からず、
聞くところによると、高校に入ったとき、夏休みを利用し、東京に
行ったとき、オルグされたとも聞いている。

 そのご、日本に戻り、逮捕され、新潟、関西と渡り歩き、昨日、
大阪のアパートでひとりなくなったと、訃報を新聞で見た。

 自分なりの闘争の終焉であり、40年の歳月が過ぎ、その人生を
終えたのだが、思えば、一度会って話しをしてみたかったのが、本音のところである。
よきに付け、悪しきにつけ。

 

橋本信一監督死去

2011年06月20日 | Weblog
 山古志と縁の深い、記録映画制作の橋本信一氏が49歳で無くなった。
日本で始めての手で掘った、山古志の中山トンネルの「掘るまいか」は山古志村が
中越地震で大きな被災を受けたとき、この記録映画が全国に知れ渡り、また震災から
5年の歳月をかけ、全村避難から村に帰るまでの記録映画「千年の山古志」の制作
には、我々、神戸も微力ながら協力し、完成したのだが、あまりにも
早い死であったと思う。
ご冥福をお祈りいたします。

被災地支援のあり方を考える

2011年06月15日 | Weblog
 3ヶ月余を経た被災地の状況はまだ被害の全容が
分からない部分が多い。
いまだ、家族の消息が分からないと言った状況もあり
生活復興への道筋はしめされないまま、特に震災弱者と
言われる高齢者、そして身障者への対応等などには手が回らない
のが現場の状況で、また義援金の配布すら行なわれておらず
早い対応が望まれているのだが、政治の混乱で
まったくのところ、復興の軌道をいつ引いていくのか、
無能な政治家のために、国民は大変な目にあう。

進まぬ震災復興

2011年06月14日 | Weblog
 震災から3ヶ月、遅々として道筋が見えない復興計画。
政府としてどういった布石を打つのか、まったくのところ
無策な状況で、国民の怒りも、そろそろ限界にある。
「がんばろう日本」の言葉のごまかしでいつまで引っ張ろうと
している、政治家どもは、すでに地に落ちた、賢げにそれぞれが
震災の復興を唱えるのだが、成果どころか、被災者を見殺し、
むしろ、政争の具に利用する輩の徒になり下がっており、
他党の批判と政権への執着が政治家達のエネルギーとなっている。

 菅直人が辞めようが、辞めまいが、それよりどうこの国を
立て直すか、そのような重いのある政治家の出現が必要なときでは
あるが、今の日本では無理で、このまま電力不足と共に、
力がそがれていき、益々、国民の暮らし向きは厳しくなるであろう。
まさに、日本の落日と、崩壊が始まった。

義援金の行方、そして配布の時期は・・・

2011年06月04日 | Weblog
 いまだ、被災者の手に一円の義援金の配布さえなしていない
所がたくさんさるという、多くの人が街頭で、また自らのお金を
被災地の方にと、この数ヶ月間のあいだ、募金に協力をしてきたが
その結果すら公表されず。
一体、そのお金の行方、使う時期など、もっと明らかにして、透明性
を持つべきである。

阪神大震災では1600億円の義援金が集まった、
そのお金の行方はいまだ公表されず、一部、曖昧な形になって
16年を過ぎ、今になって、一部基金として温存し、復興資金の
原資となったなど、本来の義援金の使い方であるのかどうか、
理解に苦しむところでもある。

 不正があるなどとは思わないが、日赤にせよ、わずか10人程度
の職員、それも、天下りの組織にその配布事業を委託し、速度を
あげていないのが現実で、ともすれば、消えた年金ならず、消えた
義援金ともなる可能性も今後出てくるのではなかろうか。

義援金の行方は

2011年06月03日 | Weblog
 このたびの災害に対しての義援金はすでに、阪神大震災の時より
2倍以上の5千億をも越える、相当なお金が寄せられており、この災害の
規模がこの金額を見て改めて、事の重大さが分かる。
3ヶ月を向かえる中で、仮設住宅の建設等が敷地の確保、瓦礫の撤去
等が難航しているのと、護岸整備、沿岸部の再生等もあってか、
国の方針がまだ、決定していない部分も多く、その工程が定まらない
こともあって、被災住民の暮らしの建て直しは、まだまだ見えることはない。
そこで、これほど多くの義援金が集まっているのも関わらず、いまだ、
交付がなされておらず、特に、日本赤十字社などの主要的な
機関からの拠出が本来なら早く実施されなければならないのだが、
手続き上の都合なるものといって、被災民に届かないことは、
あおの行方すら案じられることとなり、もっと、経過を明らかにする
必要があり、その義援金を原資とした、基金などとし、運用するなどと
言ったことも聞かれるが、それは、本来の義援金の姿ではなく、
投資信託への、義援金ではないことを、踏まえるべきである。