今頃になって特攻隊の話をどうこうと
いう戦争の実体験のないわたしが言う資格はないのだが
日本の戦後というのは、特攻と広島の原爆投下が戦争の総決算の
ように語られ、特に特攻隊にあっては改め当時の軍部の常軌を逸脱した
作戦がいつしか、若者の志願によってなされたと
実に事実のすり替えが行われているように
思えてなえらない、なぜ今このような疑問がでてくるのかというと
アリラン特攻として名が知れる光山少尉(卓庚鉉)
彼は慶尚南道の出身で幼いとき家族とともに京都にやってきた。
そのご京都薬科大学にいき、特攻隊に志願し日本のために
命をささげたとされ、靖国に彼の顕彰碑を作る計画までされ、
知覧特攻隊の代表的な人物として語り継がれているのだが
知れば知るほどその背景が朝鮮人が日本国に進んで命を
ささげたような話ではないとさまざまな事実が出てきており
特攻を慰霊よりも顕彰を優先する考え方に大きな疑問を
覚えるのである。
※写真 出撃前の光山少尉と富屋食堂の鳥浜トメ
いう戦争の実体験のないわたしが言う資格はないのだが
日本の戦後というのは、特攻と広島の原爆投下が戦争の総決算の
ように語られ、特に特攻隊にあっては改め当時の軍部の常軌を逸脱した
作戦がいつしか、若者の志願によってなされたと
実に事実のすり替えが行われているように
思えてなえらない、なぜ今このような疑問がでてくるのかというと
アリラン特攻として名が知れる光山少尉(卓庚鉉)
彼は慶尚南道の出身で幼いとき家族とともに京都にやってきた。
そのご京都薬科大学にいき、特攻隊に志願し日本のために
命をささげたとされ、靖国に彼の顕彰碑を作る計画までされ、
知覧特攻隊の代表的な人物として語り継がれているのだが
知れば知るほどその背景が朝鮮人が日本国に進んで命を
ささげたような話ではないとさまざまな事実が出てきており
特攻を慰霊よりも顕彰を優先する考え方に大きな疑問を
覚えるのである。
※写真 出撃前の光山少尉と富屋食堂の鳥浜トメ