眺める空に描くもの

高齢者女子のおひとりさま暮らしノート

同室の方の啖呵に助けられた話

2024-10-16 17:01:18 | 闘病記
今日も駐車場にすずめさんはいなかった(笑)
とおりがかりのすずめでさえ、こんなにかわいいと思うくらい
ですから、自分で何かを飼ったら溺愛状態になりそうで危険です。

今週で放射線治療がおしまいなので、その後のケアの方法が書かれた
小冊子をいただきました。いやー相変わらず、配られる情報が多い。
これでテストとかあったら、私のことだから、張り切って勉強しそうです。

実際、会社では時折、テストが実施されて、満点を取らないと終了しないと
いうものがありまして。これに関しては結構、得意です。みんなが何回も
クリアできないというものを1回でクリアすると、課長から「さすがですね」と
感心されたりして。「まだ、大丈夫かも」と、少しほっとする高齢者女子。
多いのは情報漏えいに関することで、元職がやはり、関連していたので、
元職の知識で解けるのが有利だと思います。

さて。先日、山田五郎さんのご報告動画のご紹介をしたのですが、こちら
やはり、大きな反響があったそうで、そのお礼を兼ねて、病状の報告の2回目の動画が
上がっていました。
こちら

ちょうど、抗がん剤と放射線治療と、私と同じ治療をなさっているとのことで、
五郎さんの動画のファンということもあって、私のブログでもご紹介したのですが、
その後、病状的には大変ながらも抗がん剤が効いていて、よいご報告もなさって
いただいて、なんだかほっとしました。

五郎さんもおっしゃっていましたが、本当にがんになられる方も多く、同病の方が
がんばっていらっしゃる様子は励みになります。

最初のがん闘病のときは、6人部屋という大部屋で、大部屋なのに、病状は深刻な
方が多かったのですが、それぞれががん闘病ということで、抗がん剤で具合が
悪くなったときなど、患者さんどうしで助け合っていました。

忘れられないのは、術後、ものすごい痛みで、看護師さんに痛みを訴えたところ、
「あなたは我慢が足りない。それくらいの痛みはみんな我慢している」と説教をされ、
「いえ。傷口の痛みではなく、腸がちぎれるように痛いんです」と訴えたものの、
バカにした態度で、放置されたことでした。

もう、本当に痛くて、このまま気を失うんじゃないかと。「断腸の思い」とは言うけれど、
これは本当に腸がちぎれるんじゃないかと思いつつ、もう、脂汗を流しながら、
ひたすら痛みに耐えていると、その様子を見ていた、となりのベッドのAさんがベッドから
すっくと立ち上がり、ナースステーションに駆け込んで行かれました。

「あんたたちは、痛みは我慢しろというけど、この子はね、ものすごく我慢強くて、
弱音を吐いたことはないんだよ。その子がここまで痛がって、もう口もきけなくなって
いるなんて、大ごとなんだよ。それをほったらかしにして、あんたたちは何をやってるの!」

Aさんの啖呵に血相を変えて、車いすを運んで来た担当医師と看護師さん。すぐにレントゲン
室に運んでいただいて、腸閉塞を起こしていることが判明しました。
そのまま放置していたら、再手術になっていたかも。本当にAさんはいのちの恩人です。

ちょうど母と同じ年齢だったAさん。ほかの同室の方には意地の悪いことを言って、
泣かしちゃったなんてこともありましたが、「(私)ちゃんは本当に性格がいい」と
かわいがってくださって、たくさん、助けてくださったのでした。

私より先に退院なさるときは、私は前もって、病院を抜け出し、Aさんに似合いそうな
ストールを買って来てさしあげたら、それはそれは喜んで、大判のストールを体に巻いて、
「ねえねえ、すてきでしょ?」と得意げにみんなに言いながら、退院されたのでした。

Aさんにもお嬢さんがいらして、Aさんが亡くなったときは、わざわざお手紙を
いただいて、「母は(私)さんと出会えて楽しかったと言っていました」とお礼を
言ってくださいましたが、Aさんがいらっしゃらなかったら・・。あのときの
私を庇うことばはいまだに思い出して胸にせまります。母親そのものの姿でした。
うちの母なんて、見舞いにも来なかったのに(苦笑)

Aさんは器用な方で人形作りをなさっていて、その人形には着物を仕立てて着せて
いたものを私にくださったのでした。ときどき、その人形を見て、お嬢さんは
どうなさっているのかなあと、懐かしく思い出します。
いつか虹の橋を渡ったら、「私はAさんの年齢よりもおばあちゃんになっちゃい
ましたよ」と報告したら、驚かれるでしょうね。

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