昨夜、塾の1階のベンチに腰掛けて越知(4期生・旭洋)を待っていた。
1階のベンチ・・・塾の3階の踊り場にあったものだが、邪魔でもあるので家に置くことし、とりあえずというノリで、マッツンとこの前に置いた。
以後、そのままになっている。
ベンチでタバコを吸っていると、甚ちゃん(某県職員)が似合わないおしゃれな紙袋をさげて歩いてくる。
「その紙袋、何なん?」
「いやあ、バームクーヘンですよ」
「バームクーヘン? ・・・ハリエのバームクーヘンをロールケーキってブログに書いた俺へのあてつけか?」
「ハハハ、今日は新婦側のスピーチを頂く方にお会いしてきましてね。場所が新城なんで帰りに名古屋で買ってきたんですよ」
甚ちゃんの結婚式が迫っている・・・11月1日。
俺も招かれ、あげく乾杯の音頭というイジメにあっている(笑)。
ちなみに、甚ちゃんはウチの塾生ではない。
久居高校から一浪して三重大学に進学。
予備校時代のダチ、谷(6期生・ユニバーサル造船)から塾でバイトさせてやってほしいと頼まれたのがきっかけだ。
「親父が病気がちでして、・・・できれば負担をかけたくないんです」
その親父さんも甚ちゃんが社会人3年目に亡くなった。
ただ、親父さんが甚ちゃんに残したものは大きい。
相撲や競艇や競馬など、同世代では馴染みがないものまでを守備範囲としていた。
同世代よりは大人びている・・・そんな印象もじゅうぶんに大人になった今では影を潜めた。
ただ、結婚式を・・・甚ちゃんにはもったいないくらいの奥さんを、親父さんに一目でいいから見せてあげたかったねえ。
当初は前田と塾で会うつもりだった。
ところが越知るの姉ちゃん、ミッチャンから電話。
家で鍋をやってるから食べに来いとのリクエスト。
「タイから帰ってきたばかりの臼井(4期生・臼井自動車)もおるで」
「・・・タイ!」
結局、越知の家へ行くことにした。
そして1階のベンチで待ってたわけだ。
そんなところに諒(津東3年)と大典(三重6年制6年)がラジオ持参でやって来る。
教材片手に、英会話の放送が始まる。
どうやら森下(8期生・環境学研究者)の言いつけは守っているようだ。
パーソナリティに続いて、二人の繰りなすヘタクソな英語が駐車場の闇に溶けていく。
放送が終わった二人に声をかける。
「今しがた、甚ちゃんがバームクーヘンを持って上がってった。おこぼれに預かれや」
鍋をつついていると携帯が鳴る・・・前田(6期生・早稲田大学助手)だ。
越知の家の近くのF1マートで待ち合わせ。
臼井と越知が迎えに行く。
残ったのはミッチャンと俺。
「先生さ、これからは弟の父親代わりや。気になることや頭に来ることがあったら、どしどし言ってやってや」
久しぶりに会った前田・・・少し痩せたか。
「先生、これ謹呈の・・・」
おずおずと手渡す2冊の本と小冊子。
『青少年・若者の自立支援』・・・これはすでに目にしている。
もう一冊が『おさえておきたい教育法規』(朝倉征夫・編)
こちらにも執筆者に前田の名前がある。
かつて遠山病院に見舞いに出向いた俺に前田の親父さんが言った。
「先生とこの塾に預けるまでは、できれば役場にでも勤めてほしかった。先生とこに行き始めて成績も上がり欲が出た。なんとか市役所、そして津西に進学した頃には県庁はどうかなって考えてた。でも、早稲田大学に進学して、しばらくするうちに学者になりたいって、・・・遠くへ行ってしまったな」
あの時は平身低頭の俺だった。
謹呈の2冊を握りしめながら、親父さんに語りかける・・・「息子さん、・・・やっとここまで来ましたよ」
前田の親父さんも癌だった。
お互いの末期の様子を確認し合いながらの追体験が始まる。
ドクターの判断、家族の反応、看護師の対応など、現代医療の問題点を浮き彫りにさせながら夜が往く。
いつもなら越知家にたむろする亮太(10期生・光近代塗装専務)の姿が今日はない。
岡山から渋滞に巻き込まれて動けない状態だとか。
岡山・・・大学のダチとの飲み会あたりか。
はたまた、別れたはずの歯医者の女医さんとの逢瀬か。
本当に久しぶり、迎えにやって来た前田のお母さんに挨拶。
相も変わらず、明るいお母さん。
そのお母さんも来年には定年を迎える。
あの世代のお母さん達がいたからこそ、ウチの塾は今も存続している。
改めて感謝しきりである。
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