ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

歌詞というもの

2019-08-13 | 人間考察

 

 freshsoundrecords.com

私の好きなアルバムのひとつ

 

 

 

 

 

日曜朝は教会へ行く前に、出かける支度をしながら時計代わりにCBS局の”Sunday Morning"という番組をつけておく。7月21日の番組では、なんとZZ Topが、結成50周年を迎えた、というセグメントがあった。えっ!?50周年?ってことはあの三人は70歳代!? セグメントに出てきた三人はあのお髭の二人も、いつも髭を剃っているもう一人も、すっかりSenior Citizen(お年寄り)な風貌である。そうよね、ミック・ジャガーだって75歳、ポール・マッカートニーだって、77歳だもの。もし生存していたら、かのフレディ・マーキュリーも73歳。こういう時は、伸び放題の夏草を目にして、かつてそこで競い合っていたツワモノどもを思いたくなる。70歳代なら私からすれば「お兄ちゃんたち」だが、かく言う私とて、あちらこちらにアイタタのある花のxx歳ではないか。「花の」とつけるのは、そこに意地をみせたいからである。

  

 

   

かつてと現在のZZ Top

imdb.com/cbsnews.com

 

 

そうか、みんな年を取るんだ。日本ではすぐに年を取る=劣化、などと自分だけ絶対老いないと錯覚してそんなひどい言葉遣いがあるが。好きだった歌手のマイケル・ジョンソン(Michael Johnson)だって、ちょうど今から二年前、72歳で長い闘病の末ニューヨークで亡くなっている。彼のRough and Tumble(荒々しい、粗野な、というような意味・彼はややそんな感じの声だった)的な歌声がラジオから流れてきた1978年の夏、その歌詞がメランコリックでいい、と若~い私は感じたものだ。その歌は、”Bluer than Blue"で、当時かなりのヒット曲だった。当時大学で出会ったばかりだった夫が、州都にある移民局で永住権(私は結婚によってではなく、姉を通じて取得)の最後の手続きをしにその大学町を留守にした私が帰宅すると、訪問してきて、この歌を歌った。

  

私がZZ TopやAlice Cooperが好きだったと言うと、子供たちはのけぞりはしなかったが、一様に驚き、「おかあさんは、クラッシックとアンディ・ウィリアムスだけが好きなんだと思ってた!」と言った。調子に乗った私が「Mötley Crüe だっていい曲あるんじゃない?」などと言うと、今度こそ子供たちは一斉にのけぞる。いえ、ほんとうに、曲はどうであれ、歌詞によいのが一つあるのだ。それは”Home Sweet Home”の一節で、

”Just when things went right ちょうど物事がうまく運んだ時

It doesn't mean they were always wrong だからっていつも間違っていた、っていうわけじゃない

Just take this song and you'll never feel この歌を聞けば、君がひとりぼっちで残されたと決して感じることはないよ。

Left all alone”

である。1980年代からのアルコールやドラッグ漬けの生活ぶりで悪名高い(高かった)Mötley Crüeが、これは、まるで掃きだめに咲いた思わず可憐な雑草の花を見つけたような歌詞だと思う。究極ツアーに疲れて、早く帰宅して、パーティしたい、というのが彼らの本音だったかもしれないが。

 

歌詞。メロディも大切だが、良い、あるいは耳障りの良い歌詞は心に残る。そう言えば、Gilbert O'Sullivan(ギルバート・オサリヴァン)のAlone Againという曲がヒットした時、その歌詞を私は彼自身の内省的なものだと思い、密かにではあるが、相当心配したのである。後日あれは彼の自叙伝的ものではなく、ただ単に頭に浮かんだ歌詞だと言うのを知り、どれだけほっとしたことだろう。「母親の葬儀の後、教会堂に一人残され、気持ちが沈んだままならば、近くの塔(教会堂の塔)にてっぺんまで登り、そこから身を投げ、粉々になるほどの孤独感を誰にでもわかってもらおうと思う。。。母は愛する父を65歳で亡くし、そして今はその母さえも僕を一人にして逝ってしまった。。。」、実に暗~い歌詞である。後々、これは彼自身についてか尋ねられると、自分の父親は家庭内暴力者で、母親は(ヒット)当時まだ存命(していた)、と彼は答えた。どれだけ安心したことか。若かった、私。

  

ここまで書くと、結局横文字の曲がいいのだ、と思うが、いいえ、実はひとつとても好きな歌詞の日本の歌がある。それは「津軽海峡冬景色」である。北国の人々が、黙々と青森駅から青函連絡船に乗っていくのを書いているが、その様子がよく伝わっている。さもありなん、である。実際に私は冬の東北や北海道に行ったことはなく、青函連絡船を見たことも乗船したこともない。それでも凍えるのでないかと思えるカモメや灰色の空の下の竜飛岬や、傷心を抱えて帰郷するかわいそうな女性の姿が目に浮かぶではないか。怨念が沁み出てくるような演歌は、近寄りがたいが、この歌の歌詞は簡潔に抒情的で美しい。これが北国でも青い空の夏だったり、あるいはハワイ諸島間を行き来する連絡船だとしたら、阿久悠さんはどうお書きになっただろうか。女性の傷心にはやはり凍える冬の海景色である。

 

 

 

 

Michael Johnsonの”Bluer than Blue"

邦題:哀しみの序章

Blueは哀愁の意。

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする