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ふた月ほど前のある日、夫の幼馴染でもあり、大学のルームメイトでもあった人の弟Mが、夫に突如メイルをよこした。 Mは、不可解な夢を見たと言う。公園のようなところで、夫の亡父に出会い、「今は時間がないので、あとで話します。」と言われ、Mのもとを離れたが、しばらくして、教会のような場所で、再び出会ったと言う。夫の亡父は、Mの肩に手を置き、「心配することはないんですよ。平安な心でいなさい。 あなたはそれができますから。」とだけ述べ、「それでは同僚が待っていますので、ここで失礼。」と言って消え去ったのだそうだ。 同僚? まるで二人一組の宣教師みたいではないか。
夫は、初めてMから受け取ったメイルの冒頭に説明があり、夫のメイルアドレスを兄やもう一人の幼馴染に尋ねて、やっと探し出したらしい。 私は、大学時代からMもその兄のEも、つまり夫の幼馴染の3,4人は知っているが、いつもMは礼儀正しく、親愛に満ち、感じのよい人物であるのを覚えている。 確かアリゾナのある町で市議会議員を務めたり、教会活動でもリーダーとして地域の人々に力を尽くしてきている。
その彼がまだ中学生ほどの頃、夫の父は、校長でもあり、また教会においてはビショップとして長い間尽力してきた。 少年たちのボーイスカウト活動にも熱心で、夫や夫の兄たちや、幼馴染たちのほとんどはそのためイーグルスカウトになった。 地域の人々に敬愛され、けれども四角四面な性格ではなかったので、多くの人々が相談やアドバイスを受けてきた。 Mもその兄もその家族も夫の家族と親しくしていたのだった。
Mは夫に見た夢のその意味はわからないが、見てから、ある安堵が湧きあがり、どうしても夫に知らせたかったと言った。 私は、「お父さんはあちらの世界で宣教師としてお働きになっているのではないかしら。 何故Mに夢でそうおっしゃったのか、わからないけれど、なにか、準備せよ、というようにも受け取れるメッセージね。なにか心あたりあるの?」と夫に聞いてみたが、夫も何故没後32年も経てから、突然家族ではない者の夢枕に亡父が立ったのか、そしてそのメッセージを不思議がった。もちろん夫も私もヨセフのように夢説きの能力(創世記37:50)や、カラフルなコート(創世記37:3)さえ持っていないから、答えがわからなかった。
するとこの月曜日に、フェイスブックでMの長男が突然心臓麻痺で先週末亡くなったと知った。 確かまだ38歳ほどの年齢だったはずである。私達が結婚した翌年Mの兄が結婚し、その披露宴へ行った際、兄よりも早く結婚していたMが妻とその長男と来ていたのを私ははっきりと覚えている。 Mの長男はまだ2歳になるかならずかで、もうすでに眼鏡をかけていた金髪の坊やだった。 毎年送られてきていたクリスマスカードの家族写真はだんだんと子供の数が増えていて、その長男の下に四人の弟妹たちが生まれていた。
私はフェイスブックにアカウントを持たないので、夫はその訃報の頁を見せてくれた。そこにはMの長男が生まれた時から高校生の時、そして最近の写真が載っていた。弱視で生まれて、小さなころはひ弱に見えた少年は、高校では日本で言う生徒会会長を務め、アメリカンフットボールの選手でもあった。アルゼンチンでキリスト教会の伝道をし、成績優秀でアリゾナ大学へ進んだのもわかった。ごく最近の写真では船上で釣りをしている筋肉隆々の青年だった。父親の農業と不動産の仕事を手伝っていた、好感の持てる先の長い若い人だったのに。
その時、ふとせんだってのMからのメイルを思い出した私は、「あれは、やはり。。。」と言うと、夫も「そうだと思うよ。」と答えた。それから夫はMのフェイスブック頁に早速お悔やみを述べ、いつか再び彼の長男に会えることを証詞し、そして自分の亡き父親がMにかけた言葉通り、安寧な気持ちでいるように、私たちの祈りはMとご家族と共にある、と書いた。
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無意味な偶然の一致など信じません。 すべての偶然は人生で特に
注意を喚起しなければならない大切な面を伝える
メッセージや、手がかりだと信じています。
ーディパック・チョプラ