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ホットチョコレートにマシュマロいくつか入れて夜長の読書
夜長に読んでいた本に次の言葉を見つけた。 非常に現実的で、崇高で、そして妙に考えさせられる、 特にそれがヴィンセント・ヴァン・ゴッホの言葉だから。
「人はただ幸せになるためにこの世にいるのではない。 人は人類のために偉大なことを実現し、気高さを獲得し、人間が存在する下品さを克服するためにそこにいる。」
-ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
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夜長に読んでいた本に次の言葉を見つけた。 非常に現実的で、崇高で、そして妙に考えさせられる、 特にそれがヴィンセント・ヴァン・ゴッホの言葉だから。
「人はただ幸せになるためにこの世にいるのではない。 人は人類のために偉大なことを実現し、気高さを獲得し、人間が存在する下品さを克服するためにそこにいる。」
-ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
生前は世の中から評価されず不遇だったゴッホですが、こんなことを考えていたのですね。「人間が存在する下品さを克服するためにそこにいる」というのは、身につまされるのと同時に、深く共感する言葉です。
ご存知のように、ゴッホは、もともと神職に就きたい願望があり、神学校や宣教師学校も試したのですが、長続きしなかったのでした。それでも神の道を説くことに憧れてはいたのですが、失望や絶望に苛まれて、結局はその道とは正反対の世俗的な生活に身を置いたわけです。その苦悩が、彼の画才を発達させたのかもしれませんが、心の奥深くではこんな言葉を思っていたのですね。ヴィンセントという歌(ドン・マクリーン)にあるように、彼は生まれた時期が100年早すぎたのかもしれません。
さしずめ私は、人間以下かなと思いました。
私は自分が幸せになるために生きてきたことが最近分かった・納得したのです。
でもそれが下品なら。下品でも良いかなと・・・。
記事更新がないので気になっていました。
お忙しいのでしょうが、無理のないように。。。!!
洋K様は、決して人間以下などではございません。ゴッホの意味する「下品」は、聖職者になろうと努力しても叶わなかったことへの失望とそのためやけになったかのように多少「堕ちた」生活をしたことへの悔やみがあるのではないかと思われます。 でもそれはゴッホ自身にしかわからないことで、私たちは傍観者にすぎず、批判することも憚れますが、ただ私はそんな彼の正直さに救いがあると思います。
更新がなかった理由といえば理由を明日のブログで書きました。生きるということは、常になにかしら起こるものですから、退屈しませんね。ご心配をおかけいたしました。