Photo: The Boston Glove
たった今Covid-19が霧のごとくに立ち消えたら、何を最初にしたいだろうか。
「普通に通勤・通学!」
「家族や友達や同僚とレストランで食事!」
「映画館の大きなスクリーンでスターワーズ最新作を観たい!」
「マスクなしで街を闊歩したい!」
「学校のみんなとサッカーしたい!」
「自分の気に入った野球チーム(あるいはフットボールチーム)を応援しながら、観戦したい!」
「我慢に我慢だった旅行を!国内外構わない!」
「体温計は薬箱の元の位置に戻して毎日は使わない!」
「フットボール試合に実際に行き、テイルゲイト*で皆と楽しくしたい!」*フットボール試合の前に駐車場でそれぞれが車やトラックの後ろを開けて、そこに料理を持ち寄り、あるいはBBQをして皆で食べる。
そんな声はきっとどなたの周りにでも聞こえていることだろう。このようなことを私たちは誰でも普通に何も考えずに(感謝もせずに)行なってきたのだ、たった半年かそこら前まで。何気なくしていたことが自由にできない今、想いを馳せるのは、102年前のスペインインフルエンザのパンダミックのことだ。
1918年のスペインインフルエンザのパンダミックは、抗生物質さえ発見されておらず、ワクチンは想定外で、結局個人・公衆衛生の徹底ーマスク、集会を避け、手を洗うーとありきたりな常識ともどかしさが先に立つ医学手段しかなかった。だいたいインフルエンザ・ワクチンが初めて分離されたのは、1933年のことだった。いわば、まだまだ医学が黎明期で、このパンデミックによる死者数は世界人口の3分の1(WHOによる)と聞く。それでも多くの人は生き延び、その子孫は今に繋がっている。あなたや私の祖先の誰かがその時代を生き延びた。
102年前のパンデミックの最中、人々はどれだけ「普通の日常」を今の私たちのように恋い焦がれていただろうか。そこに何か私たちが学ぶべきことはなかろうか? 少なくとも基本的な個人衛生習慣があの時も何らかの助けだったのを覚えていたい。いかに些少でも、基本的なことをしっかりして、自分にできることをすることが、大切なのに違いない。 そして医師や科学者が、ワクチンや特効薬や効果的な治療法を探す間、しばし忍耐を持っていなければならないのだろう。
そう思うきっかけは、何年も前の古いピーナッツ漫画から得た。チャーリー・ブラウンとルーシー・ヴァン・ペルトの会話は写真の下に。
チャーリーブラウンは3連続でストライキ。嫌悪感を持って、彼は言う、「ラッツ!」(「チェッ!」、今風なら「まじか?」くらいの口語)。
ダッグアウトに戻って、彼はルーシーに嘆き、「僕はビッグリーグの野球選手になることなんてないよ。僕はずっと今まで、ビッグリーグでプレーすることを夢見ていたのに、絶対にそれは叶わないよ。」
ルーシーは答える、「あまりにも先を考えすぎよ、チャーリー・ブラウン。必要なのは、より身近な目標なのよ。」
「身近な目標?」 とチャーリー・ブラウンは尋ねる。
「そうよ」とルーシー。
「たった今、この次のイニングから始めるのよ。ピッチに出るときは、転げずにマウンドに上がれるようにできるかどうかよ。」
教訓道徳:目標を立てる上でもっとも大切なのは、現実的であること。つまりそれが予見可能な将来を掴めるからである。まずはマスク着用と頻繁な手洗いを大切にしたい。
そう、ちょうどこの子のように手を伸ばせば掴めるかもしれない将来のために。
それを目の前にある目標に変えて、一つ一つやっていくしかありません。
そう考えれば、コロナがあってもなくても同じことですね。
コロナが無くなったら一番にしたいことは、ANAのプレミアエコノミー(ビジネスとは言いません)に乗って日本に帰って、たらふく寿司とラーメンを食べて、友達と旅行に行ったり温泉に行ったりする。
そう言ったことが今まで何ともなくできていた。それが出来なくなった今、できていたことに感謝です。
日本もアメリカの様に、”マスクは格好悪い、3密の何が悪い”という声が多くなってきました。
まるで新型コロナなんか人類の敵ではないといった感じです。
若者がそう思うのは仕方ないとしても、年寄りにまで伝染しつつあります。
言われる様に、こういう時は上を見るでなく現実を見るべきなのに、小さな家族の事を考えたら余計にそうなのに、パニックに慣れると自分本位になる。
このままだと、日本も医療崩壊なのかな?
小さなできることから始めれば、案外疾病率は下がるような気がする極めてお気軽な私ですが、一筋縄では行かないのが人間です。これだけウィルスが蔓延しているのに、警官をやっつけるデモだの、ある人種だけが、生きる価値があるデモだの、ジョージア州の高校が「通常授業」を再開した途端、自粛生活に飽いた高校生はマスクも「忘れて」着用せず、狭い廊下を埋め尽くし、途端に閉校となり、。。。そんなアメリカには常識という言葉がないかのようです。最初の目標は常識とは何か知ることかも知れません。一握りの人々が不注意な行動をすると、ウィルスは、つけ込みます。それがどうしてわからないのか不思議です。どう願ってもスーパーマンはやってこないし、これはどうしても人間が知恵を使わなければなりません。
目に見えない敵ほど厄介なものはありません。目に見えないものを見えないから傍若無人に行動して、痛い目に合うのは、そのご本人です。目に見えないからと、そこにない、という結論を即断で出すのがいかに浅はかであるか、感染者率でよくわかります。