幼い二人の息子を連れて末娘がほんのすぐそこの小さな公園へ歩いていき、しばらくすると、「雨がパラパラと降ってきたの。」と帰宅した。窓外を覗くと、空が暗く、重たい。でも本当にパラパラで終わった。残念。今年も秋からの雨季に無事入れるといいのだけれど。
これを書きながら再び窓外を伺うと、息をつくような美しさで残照が庭の高い高いレッドウッドのてっぺんを照らし、空は空で、灰色でいたいのか、空色でいたいのか決心がつかないようである。私にはそれだから美しいと思える。
さっきいっとき前庭に出て東の空を見上げたら、長さにして10cm(地上から見て)ほどの長さの虹が見えた。ちょうど虹のアーチのてっぺんのかけら。やっぱり、空が重くても、私の背後には太陽があって、こうして虹のかけらを見せてくれている。今日1日の締めくくり、これで決まった。今日も良い日だったと。
今朝、一年余ぶりにヘア・スタイリストへ行った。一昨年暮れに行って以来、年が明けて早々から夫の発病、介護・看護、逝去、葬儀、ついでに私自身の癌診断、手術、各種治療、とあり、特に化学治療が始まったすぐから、毛髪は消えていった。
今年の初春頃から再び頭髪が戻ってきたが、以前のような真っ直ぐさはなく、多くの化学治療後の女性が経験するというが、毛質はウェイヴィで、伸びも遅い。尤も私は、治療に入る前にすでにウィッグを用意していたので、周りの人々をショックに陥れることはなかった。
ところが自然に髪が増えたり伸びたりすると、ウィッグをしっかり固定できかねないことがある。それならばウィッグを使わねばいいのだろうが、実を言うと、ウィッグはとても便利で身支度もすぐできる利点があるのだ。
第一"Bad hair day"(朝から何をやってもうまくいかない、髪をうまくまとめられない、寝癖のついた髪をきちんとできないことから発する俗に言う「ついていない」日)がない!ウィッグは自分にあっている形ならば、なおさら気分上々で1日を始められたり、人に会う時もなにげに落ち着いていられる。
ただ他に客やスタイリストの何人かいるサロンへ行くことが、私には多少憚られたのだ。ウィッグを外して、不揃いな自毛の頭を晒すことも、ああ、化学療法を受けたのだな、と不憫さを感じさせてしまうことも避けられるなら避けたい。
ところが、実は自毛のままハンカチーフを頭にそこへ出向いたのは、そんな小さなつまらぬことで自尊心を誇大に持つことが、自分で嫌であったからだった。複雑な心境でいざサロンに入ると、なんとこの25年来の私のスタイリストは、個人専用の美容室を持っていて、そこへ入れてくれた。大きな安堵!一年何ヶ月かぶりの再会に彼女と私はまずハグをして、お互いの家族について語った。
さすがにプロだから、さっさと髪を整え、見違えるようにその魔法の手技を披露してくれた。女性(男性でも然り)の化学療法経験者は、熱心且つやさしい癌外科医師団と、放射線技師、そして腕のよい人情味のあるヘアスタイリストが、味方にいらっしゃれば、人生は捨てたものではない。
久しく会えなかった彼女との話は尽きなかった。Covid-19の時には、我が家へ出向いて、夫の整髪も商売抜きで世話してくれた彼女に、夫はここにはいなくとも、その気配は絶えずあり、様々なことでその存在を感じることが多い、と話すと、「ああ、やっぱり。お二人とても仲良しでしたものね。」とうなずくのだった。
別れ際に外まで送ってくれて、彼女は、「立て続けの試練に会っても、あなたは、希望をますます輝かせて前向きな歩き方をしていて、嬉しいわ。」と言い、また大きなハグをくれた。
だから先ほど見えた虹のかけらは、良い日の締めくくりにふさわしかったのだ。
美容院での細やかな心遣いに、我がことのように安堵しました。
ままちゃんさまの普段の丁寧なお付き合いが伺えます。
夜明けや夕日の美しさには、世に生きるものへの主のお慰めを感じますね。
ムベさま、
お優しいコメントを感謝いたします。
癌は今のところ再発はないようですが、癌のこと、忘れた頃に。。。です。けれども、私はあまり懸念しておらず、悲壮になることも怯えることもありません。再発すればすれで、不謹慎ですが、夫に会えるし、忘姉や弟、両親やその他大勢の先輩諸氏に再会できる、などとつい希望に燃えてしまいます。知っていると知らないではこれほども希望があるのですもの、泣いてばかり、沈み込むこともできません。