familychristmasonline.com
黄色いベスト運動がパリでひどく暴動化し、破壊・略奪行為が報道される中、先日はクリスマス・マーケットが大勢(200万人プラス)の観光客を呼ぶドイツとの国境の街ストラスブールでのテロリスト行為で死傷者が出て、犯人は逃走中というニュースがはいった。同じ頃ブラジルの教会堂で銃乱射があり、やはり死傷者が出ている。クリスマスが来るというのに、この冬空に、なんと悲惨なことばかり起こるのだろうか。合衆国でも英国でもそして日本でも人々の政治への不信、経済活動の疑惑などを、ミディアはこぞって報道しているような気持ちになる。そんな沈鬱な気分に浸りたくはない私は、ニュースを報じるテレビやラジオやコンピューターを切り、ロングフェローのクリスマスキャロル(I Heard the Bells on Christmas Day=クリスマスの鐘を聞いた)を聴く。
この詩を書く2年前の1861年7月、ロングフェローの平安は、突如破られた。最愛の二番目の妻ファニーが子供の髪の房を封筒に入れて封蝋で封緘しようとしていた時、蝋を溶かすための蝋燭から衣服に引火、重篤な火傷を負い、翌日44歳で死去したのだった。その後、1863年、アメリカ南北戦争の最中に、ロングフェローの長男のチャールズ・アップルトン・ロングフェローが父の承諾なしにユニオン(連合軍)に志願したのだった。
ロングフェローはその事実を1863年3月14日にチャールズがすでに戦地に赴いてから出した手紙によって知らされた。 「おとうさんへのことわりなしに(戦地へ赴く)行くという誘惑に抵抗してきましたが、私はもうできません」と手紙にはあった。 「自分の国のためにできることをするのが私の最初の義務であると感じており、...」と続けてあった。チャールズは中尉として任命されたが、その年の11月には、マイン・ラン作戦中、ヴァージニア州のニューホープチャーチ戦で、重傷を負った。その後回復したが、兵士としての彼の役目は終わった。
おそらく失意と失望のうちにあったろうロングフェローは、1863年クリスマスの日にこの詩「クリスマスの鐘」を書き、これは1865年2月出版された。彼の南北戦争への思いは、作品の至る所に見られる。
私が好むのは、彼が打ち沈んだ魂に浸っているばかりではなく、きちんと主について理解している点である。人間は試されるためにこの世にやってきているのを、この世が試しの世であるのを、しっかりと承知して、最後まで忍びたいという気持ちが、現れている。(下記英語での歌詞の緑色の箇所)
ロングフェローの讃美歌としてのクリスマスの鐘(I heard the bells on Christmas day)
注:和訳は讃美歌日本語訳より
I heard the bells on Christmas day クリスマスのなつかしい鐘は鳴る
And wild and sweet the words repeat
Of peace on earth, good will to men. 地に平和,人に安きあれとうたう
I thought how, as the day had come, その日は来たるとすべての鐘鳴り
The belfries of all Christendom
Had rolled along th’unbroken song
Of peace on earth, good will to men. 地に平和,人に安きあれとうたう
And in despair I bowed my head: 平和の歌は空しく響けども
“There is no peace on earth,” I said,
“For hate is strong and mocks the song
Of peace on earth, good will to men.” 地には望みもなくうなだれてあり
Then pealed the bells more loud and deep: そのとき,さらに鐘は響きわたる
“God is not dead, nor doth he sleep; 「神は生きたもう,地に安きあれ」と
The wrong shall fail, the right prevail,
With peace on earth, good will to men.”
Till, ringing, singing, on its way, 歌声,鐘の音,夜,昼響きて
The world revolved from night to day,
A voice, a chime, a chant sublime,
そして、これはセント・ピーターズ合唱団による歌である。Enjoy!
Pinterestから
いつも騒ついて落ち着いた気持ちになりません
それでも明けない夜はないし、生かされている実感を日々感じています
誰かのために生きていた人々の命を他人の手によって絶たれるのは辛いですね、だからその方々の分まで、日々生きよう、そう思っています
本当に最近は政治の場でも、経済の場でも、日常生活にでさえ、とげとげしい言葉のやり取りが耳に入ってきます。だから帰宅して、テレビやラジオやコンピューターなしで、本を読んだり、アロマセラピーが役立つのですよね。日々のしがらみを落として、ラヴェンダーの香のする部屋で、ゆっくりして、月並みでも、明日また頑張ろうと思いたいものです。