ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

顛末記

2019-07-06 | アメリカ事情

 

 

 

 

 

昨年八月に「ひょっとしたら」(右クリックで新しい頁に)と言う記事を書いた。これはその続き、というよりも顛末記という雑記。


合衆国では六月十六日のPBS・Masterpiece にEndeavor(邦題:『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』)の第六シーズンが始まった。このシーズンは四作しかエピソードがないが、その最初のエピソードをご覧になった方も多くいらっしゃるかと思う。一人勤務のオクスフォードシャイアの田舎交番勤めの制服警官となって(つまり第五シーズン最後にカウリー署閉鎖後,降格された)、1969年当時の口髭を生やしたエンデヴァーの登場である。先シーズンでは新任の同僚ジョージ・ファンシーがギャング対立の銃撃戦で凶弾に倒れるが、その弾丸はどちらのギャングの使用した弾丸とも一致せず、一体誰が彼を殺害したのか(不明)だが、エンデヴァーは、少なからず彼の死に対して罪悪感を持っている。


オックスフォード市警カウリー署の閉鎖でそれまでのチームがバラバラになり、ほとんどが降格の憂目にあっていた。もともと英国は階級に対しては厳しく、それは軍隊や警察に関してもそうで、実際に犯罪を解決に導いたのはその制服警官のエンデヴァーだったのに、上司は冷たくあしらい、制服(警官)は外で見張りをしていればよいのだと言う。特にその上司が以前敵対関係にある人物であるから、第六シーズンの最初のエピソードは、そんな!と思うことばかりだったが、最後は、見てのお楽しみである。その新しいシーズンの初回エピソードを見ていて半ばに、そうだ、あの記事の続きを書かなければ、と思い立ったわけである。


さて私自身に依頼された「探偵」仕事は、結果は実に現実的で、あっけないものだった。つまり他殺を示唆するものは何も見つけられなかった、ということである。がっかり? 現実はそういうものであって、そうであってほしいものでもある。


私は古い新聞記事のデータベースサイトを二つの会社と契約して使用しているが、そのどちらにも1945年12月に調査依頼された地域に起こっただろう事件、射殺事件あるいは不審死、に関するものは一切なかった。ただ小さな小さな訃報記事を見つけた。そこには何度も見た死亡診断書通り、心臓麻痺で死去、とあった。さらに、彼は基地の射撃練習場裏で「射撃」されたのではなく、亡くなる数日か前に住んでいた州から、亡くなった州の、そのベース内の軍の病院に悪かった心臓治療のために入院治療にきていた。そこで彼は病死したのだった。よって事件性がなく、よくある家族内の「伝説」に過ぎなかったようだった。


それにしても依頼人の祖母(故人)にあたる人は、何故彼女の愛人の誰かが元夫を殺害した、などと家族に言っていたのだろうか。この祖母は、75歳で、ベリーダンスのインストラクター証書を得ている。ベリーダンス、そうあのベリーダンスである。その証書に加えて、愛人(達)からの熱烈なラブ・レターも何通か保存していたのだから、かなり跳んでいたエキセントリックな女性だったようだ。しかも美人であったのが古い写真からわかる。その彼女は「射殺」された夫とは1945年12月の彼の死よりもずっと以前にすでに正式に離婚をしている。だから何故別れた元夫の死因を他殺としたのか、不思議である。


彼女は裕福な家柄の出で、高い教育を受け、当時女性ながら会計士の資格を持ち、潤沢な経済状況にあった。元夫との結婚は、お飾り的だったともその家族から聞いた。その結婚で得た只一人の息子をつれて離婚し、会計士として身を立てた彼女は生活に困ることなく、生きた。「愛人」の誰とも再婚はしていない。すでに彼女の一人息子も他界し、妖しい書簡類やベリーダンス教習証書やそして古い写真だけが残された。


エンデヴァーは第六シーズンの最初のエピソード前半では、のんびりとした、事件もそうない田舎のウッドストック署(というより交番)でくすぶっているように見えたが、実際、現実はそんな物かもしれない。エンデヴァーは自身の才能が彼を救うが、毎日誰かが殺され、絡んだ糸をほぐしていくような捜査活動が必要な日常は、第一物騒でいけない。夫はITV制作のMidsomer Murders(邦題:バーナビー警部)が、しかも初代のバーナビー警部を演じたJohn Nettles(ジョン・ネトルズ)演じるトム・バーナビー時代のシリーズが好きなのだが、架空の田舎町ミッドサマーでは、非常に頻繁に殺人事件が起こる。その田舎町は緑豊かな一見平和なのんびりとした見かけだが、実に物騒な所でもあるようだ。トムの妻さえ事件に巻き込まれてしまうエピソードもあって、おちおち夜眠ってはいられないではないか。推理小説の架空の街は田舎でもおどろおどろしくないと、推理小説はなりたたないからであろう。


系図家は、エンデヴァーの交番があるような、のんびりとした田舎町の古い裁判所の地下で、埃にまみれて100年以上前の土地登記録や税金記録の分厚い、そして巨大な台帳を、こつこつと先祖の足跡を探していくことが多い。そんな折、ミッドサマー的に、うす暗い背後でナイフが光ったら、困る。しかしながら系図というのは、犯罪調査とまったく無関係ではない。それは昨今アメリカではDNA系図が非常に盛んで、そのデータベースを基にコールド・ケース(未解決)だった事件が次々に解決されているからである。つまり法科学に則った解決法である。私もDNA系図をするが、それは血統ソサエティ(アメリカ独立戦争の娘達、など)の会員となる際に便利、という平和的使用であり、地道な系図調査の結果が正しいかを知るのに最終的にも使えるからだ。系図調査自体、警察の捜査に似て、ジグソーパズルと同じである。


現在三件の系図調査依頼があるが、ひとつはメキシコがまだニューメキシコやカリフォルニアを持っていた時代について、ひとつはアメリカ領サモア島、三件目は合衆国内のものである。三件抱えて、週二回の異なったヴォランティア活動を計七時間、フルタイム勤務の上でする、というのは、楽ではない。楽ではないどころか、おバカの部類。それでもまだ死んではいないので、生きている限りなるたけ忙しくしていようというあがきが見られる昨今の私である。


tvinsider.com





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「天使の輝き」

2019-07-04 | アメリカ事情

 UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/SHUTTERSTOCK

 

 

 

 

7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日であるが、ここでは、独立戦争についてではなく、1861年から1865年にかけて起こった南北戦争での不思議な一件についてである。

 

1862年のテネシー州シャイロ【注:皮肉にもシャイロはヘブライ語で「平和な土地」を意味する。】で起こった南北戦争の大きな戦いの一つは、南北両軍ともに三千の兵士が負傷し、一万六千の戦死者を出した。この戦場へ両軍の医療班が駆けつけるには二日二晩かかった。

 

戦場にそれまで放っておかれた負傷兵たちは、地面に横たわり、なすすべがなかったが、この負傷兵たちにだけ、奇妙だが実際に起こった現象があった。これは「天使の輝き」と呼ばれ、暗闇の中、彼らの負傷は、青白く輝いていたのだ。 何人かの負傷兵たちは、輝いている傷が輝いていない傷よりも早く治癒することに気づいた。

 

当時は知られていなかったが、その謎は今日、Photorhabdus luminescens(P. luminescens)昆虫病原性細菌によって起こった。それは昆虫病原性線虫などの寄生虫の腸に生息する生物発光細菌として認識されている。寄生虫がこの光るバクテリアを吐くと、寄生虫宿主内の病原菌を殺すことができる。 通常、P. luminescensは人の体温では生き残れないが、負傷兵たちが寒い夜に低体温症を起こし、地面に動かずにいたため、かのバクテリアが繁殖して体内の病原菌などを殺すことができたのである。

 

 

 

kevkurtz.com

 P. luminescens昆虫病原性生物発光細菌

 

 

2001年、17歳の南北戦争ファンのビル・マーティンは、家族と共にシャイロの戦場跡を訪問し、天使の輝きの伝説を聞いた。彼の母親、フィリスは、偶然にもPhotolhabdus luminescensまたはP. luminescens(昆虫病原性生物発光細菌)と呼ばれる土壌細菌を研究していた微生物学者であった。その土壌菌は、自身で淡い青い色の発光をすることで知られている。母フィリスは、息子ビルに実際にこの戦場跡でその菌が見つかるか研究したらどうかと提案し、ビルと友人のジョナサン・カーティスは、その菌が「天使の輝き」の原因であると仮説を立てた。

 

 しばらくして少年たちは、P. luminescens(昆虫病原性生物発光細菌)が土壌または植物の昆虫の幼虫に潜む小さな寄生虫(線虫など)であり、それが、幼虫の体内に侵入すると、バクテリアを吐き出し、宿主の幼虫やその中に生息する他の微生物を殺す化学物質を放出するとわかった。 

 

ビルとジョナサンは、P. luminescens(昆虫病原性生物発光細菌)が、しかし通常の人間の体温では生き残れないことを発見したことに少し困惑した。そこで彼らは、テネシー州の4月はまだ寒い夜気であることを調査し、そんな冷たい字面に横たわったり、座ったりしていた負傷兵たちが医療班の到着しなかった二日間で、すっかり体温を低下させていたと考えついた。そんな状況の中、傷口が青白く光っていたのは、土壌からの線虫が傷口に侵入しても、十分生き残り、繁殖できる環境にあったからだとわかった。こうしてP. luminescens(昆虫病原性生物発光細菌)が負傷兵たちの傷口に潜んでいた感染症を起こす雑菌をきれいに掃除してくれたので、負傷兵たちの命を救った、と結論した。

 

  

kidsdiscover.com

 

 

南北戦争以前から19世紀後半まで、負傷兵は感染症により死に至ることが多かった。1876年にコッホがやっと炭疽菌の純粋培養に成功し、炭疽の病原体であることを証明し、細菌学(微生物学)が確立がされるには、まだ十年以上も早い1862年のシャイロの戦いであった。医学が漠然とした混沌とした時代であったから、シャイロで負傷しても無事延命できた人々やそれを目撃した人々は、それが天使による奇跡だと信じたのである。実際は、土壌に住む寄生虫のおかげであったわけである。

 

ビル・マーティンとジョナサン・カーティスの二人のこの研究は2001年インテルの国際科学技術展示会で見事一等賞を受賞した。つまり十代の少年たちは140年のミステリーを解いたのである。アメリカでは小学生からサイエンス・フェアやプロジェクトを奨励し、多くの学校が公私問わず催してきている。その検査・研究結果から、思わぬ発見や発明が生まれ、今日役立つ医療や技術の発展へつながっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019-07-02 | 人間性

freebiblestudiesonline.org

 

 

 

 

 

日曜の朝は教会へ行く。子供たちもいろいろな地に住んでいるが、それぞれの家族と共に教会へ集う。フロリダであれ、ドイツであれ、カリフォルニアのよその街ででも。夫も私も強制したことは一度もない。それぞれが同じ信仰を持ち、実践している。

 

 

六月のある日曜日、いつものように教会へ行くと、「今日の聖餐は、盲目で自閉症の少年が初めて他の少年たちに加わって聖餐を配るので、聖餐の水を配る時、粗相があるかもしれないが、大目に見て欲しい」、と聖餐を配る少年たちの大人のリーダーが夫と私に告げた。「もちろん!」と夫も私も答えた。この指導者の心のうちがよくわかり、どうかうまくできますように、とつぶやいた。

 

 

聖餐は、御子イエスキリストの肉を模して食パンを小さくちぎったものをハンドル付きのトレイに入れて、キリストの血は、ワインで模すことが多いが、私たちの教会ではアルコール類は嗜まないので、その代わりに水を用いる。その水は小さな小さなカップにいれられて、やはりトレイに入れて配られる。

 

夫と私には子供たちがいた時分から、「定席」があって、礼拝堂の右、前から四番目のベンチに座る。そしてその右側の列をその少年は担当するのだった。少年には彼より一回り小さな12,3歳の少年が補助として付き添っていた。小柄な少年は一回り大きい少年の右腕を支えてトレイをしっかりと持てるように助け、一生懸命に細心の注意を払っているようだった。やがて聖餐の祈りが捧げられ、トレイを持った少年たちが各列を回り始めた。

 

 

かの少年は助けの少年と共にしっかりと聖餐を私たちの座っている列に配った。その聖餐の始まりから目元をぬぐう教会員が多く、夫も私もその仲間だった。その涙の基の感情は、とても新鮮な感謝で、この二人の少年の努力をとても誇らしく思う気持ちであった。大きな少年も小さな少年も粗相のないように、よく頑張った。こんなに若い人が、キリストの愛を目の前で教えてくれた。

 

 

聖餐会が終わり、礼拝堂を出る時、大きな少年の小柄な母親に、”Your son did such a good job!”(あなたの息子さんはとても良かったですよ!)と声をかけると、彼女は青い目を潤ませて、ありがとう、と言った。助けていた小さな少年は、とても恥ずかしがりやで、さっさと礼拝堂を抜けて日曜学校へと急いで行ってしまった。

 

 

その朝、目のあたりにしたことは、多くの人々にはたいした意味はないかもしれない。でも私は、そこに言葉にはできない、大きな意味を得た。それは光と言ってもいいかもしれない。

 

 

 

 

askgramps.org

 

 

 

 

 

 

 

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