リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

82. 悔しさと怖ろしさを踏みしめて

2017年05月16日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.38

 

フェステ・コーブルクの窓から。このあと靄(もや)がかかって白くなり、道も凍り始めました。

 

◆11月15日(火) 真っ白な世界  15113歩

  今日も8時13分のバスで出かけました。ハースフルトで駅の写真を写し、その後列車を乗り継いでコーブルクにリーメンシュナイダー周辺作家の作品を写しに行くというルートです。バス停までの近道も迷わずに歩けるようになり、バスの10分前にアパートを出れば着ける自信ができました。
  この日は寒い朝でしたが、コーブルク駅からバスに乗り、フェステ・コーブルクに着く頃にはみぞれになっていました。美術館内にはほとんど観客の姿もなく、帰りのバスの時間を確認して急ぎ中世彫刻の部屋へ。一眼レフで目的の作品を写してからカフェに行こうと思ったのですが、外から回ると行けるはずなのにどこにも入り口が見つからないのです。それなら早めのバスがないか見てみようと思って坂を下り始めたところ、石畳の道が凍っていてつるつる滑るのです。恐る恐る下りてバス停に着くと受付嬢が言った時間にバスはなく、寒いので美術館に戻って暖を取ろうかと考えました。ところが坂道を登ろうとするとさっきよりも滑ってしまって怖いぐらい。これでは一人旅の最初に転んで怪我でもしそうだと思い直し、またバス停に戻りました。それでもとにかく寒い!



 

この写真は到着時に写したもの。このあとどんどん寒くなりました。


 しばらくすると、時間外の呼び出しバスがやってきました。下りたのは女性一人。町に戻るのだったら乗せてもらえないでしょうかとお願いしてもダメで、すぐに戻っていってしまいました。次のバスが来るまでこうしてみぞれの中を一人立っているのは心身共にしんどくなり、段々悔しくさえなってきました。それならいっそ歩いてみようと思い立ちました。道はしばらく一本です。途中でバスに出合ったら乗れば良い。動く方が余程マシだと思えたのです。でも歩き出してしばらくしたらもやがかかり、次第に世界が白く煙ってきました。すぐそこの林も木も見えないのです。見えるのは足下と2~3メートル先の道路だけ。大変な状況になってしまったと思いましたが戻るのもまた悔しい。何とか家が見える場所まで歩いてみようと自分を励まし、先へ先へと足を運びました。20分ほど歩いた頃にようやく人家が見えてきたので人心地がつきました。その少し先でフェステ行きのバスがやってきました。このバスが戻ってきたら乗れば良いと思うとホッとしました。バス停まであと少しです。それはすぐに見えてきました。これなら次のバス停まで行けるかもしれない。じきに見つかりました。ところが3つ先のバス停まで行ってみようとしたときに、バス停がなかなか見えてこないのです。これでバスが通り過ぎてしまったらどうなることか。ここは途中で諦めて戻るしかない。時計を見たらあと数分でバスがやってくるはずです。傘をさしながらコロコロトランク(以下チビコロと書きます)を引っぱって走り始めました。奇しくもそこは急な上り坂。最後は肺が痛くなるほど息が切れました。こんなに走ったのは何年ぶりでしょう。ようやく一つ前のバス停まで戻った直後にバスがやってきました。これで無事に駅まで戻れる! もやで真っ白な世界を歩いた恐怖は忘れられません。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

81. 落ち穂拾いの旅 再開

2017年05月15日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.37


◆11月14日(月) 定期を買う  10853歩  ヴュルツブルク → アウプ → オクセンフルト → ヴュルツブルク

  一人でカステラープラッツのバス停まで歩くときに昨日教わった道がわからず迷ってしまいましたが、何とか8時13分ヴュルツブルクバスターミナル発のバスに乗車。アウプではバス停から教会までの道をたどり、もう一度磔刑像を望遠レンズで撮影。オクセンフルトではリーメンシュナイダー作の市庁舎の仕掛け時計がどのように動くのか確かめ、動画を撮ったり、一眼レフでその瞬間を捉えたりしました。


     

 左から: アウプのマリア被昇天教会  マルクトの木組みの家  アウプのバス停…向かいにあるリンゴのモニュメントは大きかった


            

 左から: オクセンフルトの市庁舎  マルクト広場にある古いレストランに置いてあったワインの大瓶  聖アンデレ教会前の彫刻と木組みの家


 ヴュルツブルクに戻ってきたのは午後1時18分頃。トラムで街中まで出てインフォメーションセンターに行き、バスの定期を買う場所を教えてもらいました。定期売り場はドームから旧マイン橋まで行く道にありました。カステラープラッツから駅まで1日切符を買うと5ユーロかかります。定期を買うと45ユーロです。9日分の料金で1カ月乗れるのです。そこで定期を作ってもらうことにしました。写真を撮るというので椅子に座り、いつ写すのかなと思ったらもう撮られていました。その写真のひどいこと! これを1カ月運転手に見せるのはすごく嫌だと思いました。まぁ、結局運転手さんはろくに写真は見ていないことがわかりましたけれど。

 アパートに戻ってレーヴェに買い出しに行きました。昨日は日曜日でスーパーもお休みだったため、買い出しもできませんでしたから。これで当面の食料・飲料はバッチリです。帰宅後、早速ベーコンスープを作りました。これで2~3日はおかずになるでしょう。夜、鼻の通りが悪くて苦しいのが気になります。せっかくコーヒーも買ったけれど当面飲むのは止めて、ミントティーを飲むことにしました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

80. 一人旅の始まり

2017年05月14日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.36


 

    

 


 

    

 

 3週間生活したアパートの様子大公開です。とても清潔できれいな部屋でした。大家さんも親切で、安心して過ごすことができました。ロフトのベッドは2台ついています。3人目はソファー。

 

写真には写っていませんが、もちろんトイレとシャワー付きです。廊下には共用の洗濯機、乾燥機があり、無料で使えました。15ユーロでサウナも入れますよ。私は時間がありませんでした。

 


 

 [パート3]一人旅
    ・今まで見た作品の位置情報の再確認
  ・よく写せなかった作品の再撮影
  ・リーメンシュナイダーの未見の作品を見る
   (アムステルダムとウンターエーベルスバッハ)

 ここからは一人であちらこちら写真の再撮影や教会の位置情報の再確認などで動き回る日々。面白くない話が多くなるので簡単にまとめます。本当に大変だった日だけ少し細かく書くことにします。

 


▼ヴュルツブルク 11月13日~30日(18泊)
  ◆11月13日(日) アパート住まい開始 4874歩

 

  8時の目覚ましのベルが鳴るまでよく眠りました。と言っても夜中のトイレは行きますが。よくトイレに起きたら後が眠れないと悩む方がいるようですが私は何回トイレに起きてもすぐにまた眠れるので気にしないで済んでいます。
  1階に上がるとルースがすでにオレンジ+レモンの生ジュース作ってくれていました。鼻の通りが悪いのでビタミンCが大事だと思ってくれたようです。カプチーノとパンで朝食をいただきました。トーマスは少しお疲れの様子で無口ですが、ルースはいつも笑顔で話しかけてくれます。日曜日は礼拝のある日で出かけるというので急いで支度をして一緒について行くことにしました。ルースは時間が無いので思い切り車を飛ばします。バート・ビルベルの教会に着いたのは10時ちょうどでした。
 この日の司教さんの説教は「死」についてだということはわかりました。でも詳細はわかりません。通る良い声で気持ちが伝わってくる様な話し方でした。賛美歌も声がよく響いて素敵でした。私は無宗教なのでこれは社会見学です。

  さて、今日からいよいよひとり暮らし。トーマスがフランクフルト中央駅まで送ってくれて、ペーターがヴュルツブルク中央駅まで迎えに来てくれました。みんな、ありがとう!

  ペーターはゲルブルンというヴュルツブルク市郊外にある町には行ったことがないそうで、しばらく探してようやくアパートに着きました。ベルを鳴らすと大家さんのアンドレアス・シェドラーさんが出てきました。私の部屋は2階にあり、そこまでトランクを上げてくれました。部屋の中はとてもきれいです。シェドラーさんはメールのやりとりもテキパキと素早く、誠実な方という印象でしたがお会いしてみるとそのままの感じの方でした。最初に契約書にサインをし、宿泊費をお渡しすると10ユーロ不足しているといわれてドキッとしました。あわててお財布を出しに行くと、「ごめんなさい、封筒の中にありました」とのこと。何回も数えたのに変だなと思ったのでしたが、単なる見落としで良かった。見守っていてくれたペーターは契約を無事終了したところで帰って行きました。その後も質問があれば1階に下りてすぐ聞くことができ、インターネットも順調に繋がりました。最後にカステラープラッツのバス停まで案内してもらい、近くのスーパーマーケット、レーヴェの所在地もわかって明日からの生活に向かう勇気が湧いてきました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

79. 三津夫、帰国する

2017年05月13日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.35


   

     カルベンの森と畑  近くの畑にはたくさんの甜菜が収穫されて山積みになっていました。しばらく置いておくとトラックが運びにくるそうです。   


◆11月12日(土) 三津夫の帰国 9516歩

  三津夫は昨夜食べ過ぎたので、お腹が苦しくてよく眠れなかったそうです。朝方ようやく眠れたとのことで、8時半まで寝ていました。朝食は9時頃の予定なので問題はありません。半地下のこの部屋は8時を過ぎると自動的にシャッターが開き、日が入ってきます。それでも寝ていたのですから相当疲れもあったのでしょう。
  今朝もパンと珈琲に様々なジャム類、ハムなどでゆっくり朝食をいただきました。ルースが南瓜料理を知っているかと聞くので「三津夫がよく美味しく煮付けていますよ」と答えると、「今朝一緒に南瓜を料理してくれないかしら」と言います。「お安いご用です」と答えた三津夫。朝食後にルースの台所に入り、南瓜の煮付けを作り始めました。最後にちょっと多めの醤油が入ってしまったので塩辛くなったのではないかと気がもめましたが、味見をしたらそれほどでもなくできあがっていました。ルースは喜んで、これからレシピに加えると言っていました。


      

                                          玄関にもちょっとした自然の飾りつけ


  その後みんなで散歩に出かけました。ここ2日間散歩に行っていないので、少し長めに歩くようです。私の鼻づまりもなかなか改善しませんが、森の中を通ったときだけはスッキリしました。二人は相当な早足で歩きます。約1時間半ほど歩いて帰宅。遅めの昼食に三津夫の南瓜が出たので一生懸命食べました。

  午後2時20分頃出発しましょうというので飛行機には早いけどと思いながらトランクを1階へ上げるのを手伝いました。私の荷物まで入れたトランクは前より大分重くなっているのです。例の分厚い本も入っていますし、パンフレットや資料もまとまると結構な重さになりますから。超過料金と言われたら本をすぐに取り出せるようにして蓋を閉めたそうです。(結局その通りになったと後で聞きました。)

  ルースも一緒に車に乗ったので、今日は空港まで送りに行ってくれるのかなと思っていたのですが、途中でカフェに寄ったのでした。ここはナディーンの結婚式の日にケーキを焼いてくれたお友だちのカフェだったのです。満席で大変繁盛しているようでした。ベジタリアンをドイツ語でヴェギタリアンと言いますが、このお店のケーキはヴィーガン(と読むのだと思います)といって卵も牛乳も使わない、つまり動物性の食材をいっさい使わないものだそうです。でもケーキはとても美味しくできていました。いつもいつもご馳走になりっぱなしで心苦しいのですが、払わせてはくれません。トーマスは飛行機には乗れるというので「是非今度は日本に来てください」と三津夫と二人でお願いしました。日本でなら私たちがご馳走もし、恩返しができるというものです。
 このあと車で空港まで三津夫を送り、第2ターミナル前で別れました。

 帰ってきてから奈々子のFacebookを見せて、ルースに漆の仕事についてできるだけ伝えました。彼女が漆について大変興味を示していたからです。トーマスは自室に引っ込み、珍しく女二人、ゆっくりとおしゃべり。
 夕食はゴマのキッシュと南瓜の煮付け。今までかかった病気の話などするうちに8時のニュースの時間となるとテレビを見ないトーマスもこのニュースだけは見るのでした。そういえばアイゼナハのウヴェさんもニュースを見ていたなぁと思い出しました。
 今夜は一人でトーマスの家の半地下に泊まって、あと1カ月ドイツ生活。ちょっと緊張もし、心細くも感じますが、ワクワクもしていました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

78. ヘルシュタインのペーター・デル(父)作品

2017年05月12日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.34


     

          ヘルシュタインのマリア被昇天教会  右はリーメンシュナイダーの弟子、ペーター・デル(父)作のアンナ・ゼルプドリット


◆11月11日(金) 聖マルティンの晩餐 4408歩

  三津夫は明日の夜の便で帰国。そのため午前中にお土産を買いに出ました。トーマスが普通のスーパーの中でもちょっと品質が良いというテ・グートというスーパーです。いつものようにチョコレートやヌガーなどを空港よりはるかに安く買いました。部屋に戻ると三津夫は荷造り。私も、もう着ない上衣、履かない靴、溜め込んだ資料と旅行用湯沸かし器などを三津夫のトランクに入れてもらいました。

 午後はトーマスの運転でヘルシュタインという町へ。2014年に来たときにやはりトーマスと一緒に回った町なのですが、リーメンシュナイダーの弟子、ペーター・デル(父)作アンナ・ゼルプドリット像を見付けることができませんでした。その後、トーマスが調べてくれて、マリア被昇天教会に保管されていることがわかったのです。ただ、この日は午後レクイエム(お葬式)が入ってしまったので3時~4時なら良いと言われていたのでした。教会内の小さな別室にすえられていたアンナ・ゼルプドリット像はとても良い作品でした。マリアがこんなに可愛らしくほほえんでいる作品は珍しい気がします。リーメンシュナイダーが彫るマリア像はいつも奥に悲しみや苦しみを感じさせるのですが、素直な娘さんとお母さんが小さな孫を囲んでいるといった庶民的な雰囲気の作品でした。でもその暖かい感じがとても気に入ったので、「この作品を日本で紹介しても良いですか?」と尋ねると「どうぞ」と笑顔で答えてくれました。今まで、ペーター・デル(父)の作品は見に行ってもなかなか見られず黒星ばかりだったのですが、今回とても良い作品を見ることができたので、これで第3冊目の写真集にも載せられると嬉しく思いました。
                    

 夜は近くのレストランで聖マルティンの日にちなんだご馳走をいただくことになっていたので、休憩後5時45分に1階に上がりました。散歩がてら歩いて行くことがわかり、急ぎマフラーを取りに半地下の部屋へ(トーマスの家には半地下の広い部屋があり、トイレもシャワーも付いているのでいつもそこに泊まらせていただくのです)。暖かい格好で再び集合。外は既に暗く、冷たい風が吹いていました。聖マルティンという聖人が何をした人かよくわからず、トーマスに聞いたところでは、元々お金持ちのマルティンが馬に乗って走っていたところ、寒いのに裸でいる男性を見かけたそうです。そこでマルティンは自分のマントを剣で二つに切り、半分をその寒そうな男性にあげたということです。馬・剣・マントがキー・ワードの聖人なのだと話してくれました。ご馳走はガチョウ。テーブルの上にはその羽が1枚、テーブルクロスに包まれて置かれていました。全員サラダの後からガチョウの肉にジャガイモ団子が出てきて食べきれないボリューム(写真・右)だと思ったのですが、このガチョウの肉がとても軟らかくて美味しかったので何とか少し三津夫に手伝ってもらいながら食べ終えることができました。


  初めて食べたガチョウ     

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

77. フランクフルトにて

2017年05月11日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.33

 

         

    リービークハウスに行きましたが、目的の作品は既にヴュルツブルクに出張していました。 マイン川岸辺。この後、迷子になりました。


  ◆11月10日(木) 油断して迷子になる 13464歩 <フランクフルトの続き>

 さて、三津夫にとってはこの旅の最終目的地、フランクフルト向かいます。リービークハウスでミッヒェル・エアハルトの「預言者」という作品をしっかり見たいとのことで、11時35分にフランクフルトに着くとすぐにコインロッカーにトランクを入れました。あまり美味しくないけど駅構内のアジアスタンドで昼食。塩っ辛くて喉が渇き、持って来たお茶を飲み干してしまったのでスタンドで水を買ったら3.25ユーロもしました。高い…。
 うろ覚えで大通りから橋を渡ってリービークハウスに向かいましたが無事到着。残念ながら三津夫の見たかった作品は展示されていませんでした。後からわかったのですが、ちょうど「聖夜」というタイトルでクリスマスのクリッペというキリスト生誕の人形展が開かれていたため、「預言者」たちは何とヴュルツブルクのマインフランケン博物館に出張していたのでした。唯一見応えがあったのはニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデン作「女預言者の頭像」でした。

 その後、教会を回り、歴史博物館に行ってみたらまだ工事が終わっていませんでした。帰りもお互いにうろ覚えの道を歩いたところ、何故か方向が90度違ってしまったようで、見慣れない景色になってきました。油断せずに地図は持っていくべきでした。近くで工事していた人に聞くとあと1時間ぐらい歩いたら駅だと言われたり、他の2人に聞いてまっすぐ行けば大丈夫とわかったり。ようやく中央駅に戻ってくると3時40分頃でした。トーマスから3時47分の列車があると聞いていたので大急ぎでトランクを引っ張り出し、ホームに走って列車に飛び乗ることができました。列車内は混んでいて座るゆとりはなく、立ったままトーマスに電話。留守電だったのでルースに電話。また留守電です。切ったとたんにトーマスから電話がかかってきてホッとしました。ドイツでは車内の電話は結構平気なので連絡が付けられて良かったのですが、私が持って歩いているタブレットは無料WiーFiがないと繋がらず、携帯ではインターネットができないのです。やはりスマホでないと外国での連絡は難しいのかなぁと思ったことでした。

  トーマスの家の最寄り駅で下車すると、彼がホームを歩いてくるのを見付け、元気そうで嬉しくなりました。トーマスは2010年の8月から足に病気を抱え、一時は杖をついて歩き、何ヶ月かに一度入院していたのです。その後もゆっくり歩く姿がイメージにあったので、ずいぶん良くなったのではないかと感じました。
 お宅についてからあれこれ話を聞いたところでは、今年はルースと二人、自転車ツアーにも参加したとのこと。1週間ぐらいでリューベックからシュトラール・ズンドまで走ったというのですから驚きです。「最もエンジン付きの自転車だけどね」とウィンクしていましたが。今年はそれに加えて一人娘のナディーンが数年同棲していたウリと結婚式を挙げたのだそうです。親としてどんなに嬉しかったかと、たくさんの写真を見せてくれました。カプチーノをいただきながら、今度は私たちの旅の話。「ボーデ博物館の収納庫はどうだった?」「作品はいくつ見られたの?」と質問を受け、やはり旅の日程表をしっかり見てくれているんだなとありがたく思いました。トランクの笑い話も含め、たくさんおしゃべりをしました。
 夕食はサラダに続いてズッキーニ、羊のチーズのキッシュ、デザートはティラミスといただきながらトランプやアベ政治についてあれこれ語り合いました。リビングにもテーブル脇にも、奈々子と十亀さんの飼い猫、ニコ(写真・下・右)と三平(7月7日に生まれて30日に奈々子たちが引き取った仔猫です。写真・下・左)の写真が飾ってあって心がほんわかしました。


                 
    写真は2カ月の頃の三平。大きくなった三平は、とてもわんぱくです。その分、ニコはお姉さんらしくなりました。 

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Nanako FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

76. フロイデンベルク

2017年05月10日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.32

      

         クアパークの丘から見たフロイデンベルクの家々


▼フロイデンベルク 11月9日~11月10日(1泊)
  ◆11月9日(水) モノトーンの町   9500歩

  このフロイデンベルクは去年か今年見たテレビの旅番組で紹介されていた町です。モノトーンの屋根と壁が凛として美しく並ぶ様子に一度行ってみたいと思ったのでした。デュッセルドルフからケルンで乗り換え、ジーゲン駅まで行ってバスで町へ向かいました。
  駅は工事中らしく、出口がよくわからないような駅でした。今日も小雨で寒い日。三津夫にトランク番をしてもらってインフォメーションセンターへ。女性一人が手際よく対応していました。ホテルに行くにはモーレン・プラッツで下車すること、明日戻ってくると伝えると往復4回分のチケットを売ってくれて、「行きに2つ、帰りは2つ、こことここに機械で日付を入れてくださいね」とジェスチャー付きで説明してくれました。

  下車したフロイデンベルクは起伏のある小さな町でした。ホテルは町の中央に位置し、部屋にはゴージャスなバスタブもついていて、なかなか立派な作りです。
  まずは町に出てお昼を食べられるレストランを探しました。あまりお店も開いていなくて最後にようやく見付けたレストランでランチ。大きなヴルスト1本にゆでジャガイモ、たっぷりのカリフラワーと珈琲で一人8ユーロ強。ソースがしつこくなくて美味しく食べられ、しかも満腹になりました。
 クアパークの丘から見下ろす町の景色は本当に美しい(写真トップ)。雨が次第にみぞれに変わり、ここからの景色も晩秋を感じさせました。もしかしたら明日の朝は雪景色になるかもしれないと思いました。


▼フランクフルト 11月10日~11月13日(3泊)
  ◆11月10日(木) 油断して迷子になる 13464歩

  このホテルは朝食が一人5ユーロと安くてしかも上品でした。本当に雪が降ったので、朝食を済ませて急ぎクアパークの丘に登ってみると、まだほとんど人の足跡もなく、眼下には雪景色が広がっていました。昨日まで黒かった屋根が白くなってお菓子の家のようです。
 チェックアウトしたときに驚いたのは、国内の電話を2件かけたのですが請求がなく、申し出ると「国内は無料ですよ」と言われたことです。今まで何回もホテルに泊まってきて、そんなことを言われたのは初めてでしたから。ホテル・ツア・アルトシュタット。お薦めです。写真・下は雪景色のフロイデンベルクです。 


        

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

75. カルカー

2017年05月09日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.31


        

     カルカーの原発跡が遊園地「ヴンダーランド」になっています           [Willkommen im Wunderland Kalkar]     


◆11月8日(火) 圧巻の祭壇彫刻   8086歩

 今日は、三津夫がずっと楽しみにしていたカルカーに祭壇を見に行く日。このところずっと寒い日が続いているのでとうとうブーツも引っ張り出しました。
  駅でノルトライン・ヴェストファーレン州の一日チケットを買い、クレーヴェ行きの列車に乗りました。途中の単線で行き交う列車が遅れたため、待ち合わせに時間がかかって予定したバスに乗り遅れてしまいました。「朝からちょっとついてないぞ」と思いながら、仕方がないからどこかで食事とトイレを済ませようと町に入りました。インフォメーションで聞くと近くのホテルThe Rilano Hotel Cleve Cityで食事ができるとのこと。大きいホテルなので高いのではないかと恐る恐る入ってみたのですが、三津夫の頼んだスパゲティにはしっかりとサラダがついて、私が頼んだオムレツもすごいボリューム、お腹いっぱいになりました。これに珈琲も頼んで二人で16ユーロほど。安すぎてびっくりしました。
  予定より遅れて12時8分のバスに乗り、20分ほどでカルカーマルクトです。このマルクト広場に建っている聖ニコライ教会に大きな祭壇があり、入ろうとしたら何とお昼休み。午後2時からしか見られないことがわかりました。この広場にはレストランもなく、パン屋さんがあるだけ。朝、バスに乗り遅れたおかげで長時間待たずに済んで、却って良かったのでしょう。三津夫と私の頭の中には、この近くに原発が現在遊園地になっている場所があるので、もしできたら見に行ってみたいという思いがありました。これもチャンスかもしれないと思ってパン屋さんに入って聞いてみると、バス便はなく、タクシーで10分ぐらいとのこと。そこでタクシー会社の電話番号を教えてもらって電話をかけました。
  10分ほどで着いたタクシーの運転手さんは少々難しい顔をしたおじさま。カルカーの遊園地まで往復でいくらぐらいかかりますかと聞くと30ユーロとのこと。10分ぐらいの場所にしては高めのような気もしましたがそれ以外方法もないので了承してタクシーに乗りました。細い道でしたが、町を抜けると広々した畑が続いています。少しずつ話を交わした運転手さんは、私たちが日本からやってきて、原発が稼働しないで遊園地になったことに感銘を受けていると伝えると、気持ちがほぐれたようでいろいろと話してくれました。彼もこの近くのデューイスブルクに住んでいるけれど、日本の原発事故には驚いたこと、もしここにできた原発が動いていたらどんなに心配だったかということ、地域の人たちが一生懸命反対運動をしてくれたおかげで原発が稼働せずに終わったことに心から感謝していることなど…。
  遊園地ヴンダーランド・カルカー(英語ではワンダーランド)は季節がらでしょうか閉館していましたが、外から写真(頁トップ)を写し、ホテルになっているので受付でお願いしてトイレを貸してもらいました。
 帰国してからこの建物は全く使われていなかったのか、それとも少しは使われたのか知りたくて調べたところ、ウィキペディアのコピーで申し訳ないのですが、以下の経過を辿ったことがわかりました。

 ワンダーランド・カルカー
 高速増殖炉SNR-300(またはカルカー増殖炉)は、日本のもんじゅと同時期にドイツで初めて運転される予定だった高速増殖炉である。1985年に試運転を開始したものの、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけにそれまで継続していた反対運動がさらに勢いを増したことで、本格運転に至らないまま、ノルトライン=ヴェストファーレン州政府から運転許可の取り消しを受けた。さらに、建設コストが当初予定の18億マルクから80億マルク以上になり、原発推進の立場だった連邦与党のドイツキリスト教民主同盟は、1991年にコスト面の問題を理由に計画中止を発表した。ヘンニー・ファン・デル・モストが所有者である電気事業者から原子炉施設を買い取った後は、まず遊園地の整備が始まり、冷却塔の外壁がクライミングウォール、中央制御室がレストラン、タービン室がトイレ、消防隊室がボウリング場、そして原子炉建屋がホテルに改装された。プルトニウム燃料が入ることのなかった原子炉自体も、「原子炉内探検ツアー」が体験できるよう、底部に電飾を施して見学者を受け入れた。こうした経緯から、SNR-300をドイツの「脱原発」の原点とみなす意見もある。 ※出典は削除


  カルカー・マルクト広場に戻り、午後2時ちょうどに聖ニコライ教会に入ると、何と大きな祭壇がいくつもあることか。その中でも圧巻なのが中央にある主祭壇です。何人の兵士や馬が彫られているのか数えきれないほど。また、その一つ一つの彫刻の奥行きに感嘆するのです。(下の写真)


               

   1時間あまり撮影を続け、バスの時間だからとあわてて3時10分に教会を出ました。しかし、バスはたくさん来るのになかなかクレーヴェ行きのバス44番が来ません。よくよく時刻表を見ると学校のある日とない日とではバスの時間が違うのです。今日は火曜日で学校はあるでしょうから3時23分ではなくて39分だったのでしょう。それよりも遅れて42分頃になってようやくバスが来たので、これで帰れるとホッとしました。一日曇り空で風も冷たくて体が冷え切っていたので、もう1時間待つのは嫌でしたから。クレーヴェ駅から乗った列車は暖房が効いていて暖かく、二人ともぐっすり眠りこんでしまいました。
  夜は一眼レフで写した祭壇の写真を見てはああでもない、こうでもないと話題が尽きませんでした。作者は最初の彫刻家がデッサンをしたぐらいで急死し、後を継いだ二人目は少し彫ったところで注文主に気に入られず、3人目のルートヴィッヒ・ユパンが最後まで仕上げたといいます。1488年から作り始め、1506年に完成したというのですから大事業でした。教会パンフレットによると10の祭壇があるそうです。全部撮影できたのかどうかもわからない状態でした。近くまで行く機会のある方は是非ご覧になってみてください。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

74. ブレーメン経由でデュッセルドルフへ

2017年05月08日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.30


          

         ブレーメンの音楽隊                旧市街に向かう道ではこんなモニュメントもありました


▼デュッセルドルフ 11月7日~11月9日(2泊)
 ◆11月7日(月) 今夜もデート 11524歩

  今日は8時45分の列車でまずブレーメンに向かいました。約1時間の乗車なので予約も無し。でも列車の1等車と2等車の位置が逆になって入線してきたため、多くの乗客が大急ぎで前後に走って大混乱となりました。そのため座席も取れず、入り口付近で過ごしました。

  ブレーメン中央駅に着くと、私は町へ写真を撮りに。以前来たときにロゼリウスハウスの外観写真を撮り忘れていたのです。せっかく乗り換えで停まるのだからひとっ走り行ってこようと計画したのでした。三津夫が駅構内のベンチでトランクの番をしながら待っていてくれたので、40分ほどで往復することができました。次の列車を調べてもらうとまだ1時間20分もあり、駅で昼食を済ませました。その間、何人かが小銭を恵んでくださいと歩いてきましたが、応じているとなかなか大変なので心の中で謝りながら断りました。これもまた避難民問題の一角かもしれません。

 デュッセルドルフ中央駅には午後2時25分に到着。駅構内が広々して以前とは印象が違いました。今日は夕方ゾフィーとクレメンツとの待ち合わせを予定していました。シュヴェービッシュ・ハルのゲーテ・インスティテュートで2カ月同じクラスで勉強したフランス人のゾフィー、今はドイツでの暮らしが長くなりました。この旅の間に、ドイツ語仲間でせっかく近くに滞在するならと会う約束をしたのは晃一さん、亜美さんに続いてゾフィーが3人目。10年間のおつきあいになる訳ですから、よく続いていると言えますね。
 レストランはラオス料理店とのこと。ゾフィーが探してくれたレストランです。私たちはデュッセルドルフ中央駅からSバーンで4分のツォー駅で下車。ホームで待つのか、階段を上がって上で待つのかわからず、しばらく行ったり来たりでしたが、道路を歩いてきたゾフィーが見付けてくれてホッとしました。二人は車で来て近くに駐車してきたそうです。料理にはココナツミルクが入っていましたがそれほど香りが強くて気になるということもなく、美味しく食べられました。途中で子どもたちが出たり入ったりしては歌を歌っていくのでびっくり。聖マルティンの行事で、こうして歌を歌ってはなにがしかのお菓子をもらうのだそうです。きれいな声なので近くで聞きたかったぐらいですが、さすがにお店の入り口だけで、それ以上は入ってきませんでした。小さい頃からこうして人前で歌う度胸がつけば歌声もますます磨かれるのではないかしら。


       ゾフィーとクレメンツ

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

73. ハンブルクも雨でした

2017年05月07日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.29

 

           

            ハンブルクの夜景 

 

▼ハンブルク 11月6日~11月7日(1泊)
  ◆11月6日(日) ハンブルクのマドンナ 9710歩


  私は12月にまたロストックに来るのですが、三津夫はこれでお別れ。朝、モーヤが三津夫の側にやってきました。人見知りの強いモーヤが自分からやってくるのは珍しいそうです。しばし別れを惜しむ三津夫。

 

 

                    


 朝食にはヨーラが卵かけご飯を作ってくれました。しかも黄身が二つずつ入っています。私には少々多めの朝食でしたが美味しくいただきました。
 準備も早めに整い、9時50分にはロストック中央駅のホームへ。シュトラールズンド駅始発の列車でしたがガラ空きでした。予約はしていませんでしたが、ハンブルクからの予約が入っている席があったので、そこに座ることがでました。ゆっくりと日記を書きました。

 ハンブルクは小雨でどんより暗く、寒い日です。ホテルは駅前ですぐに見つかりました。まだ午前中なのでトランクを預けるか、チェックインできる部屋なら自分でトランクを運ぶことになるけれど、どちらにしますかと聞かれました。何段ぐらい運ぶのか尋ねると8段位と言われたので、それならチェックインしますと答えたのが間違いのもと。上がって下りてまた上がってと、階段は合計30段位になって、部屋に入ったときは汗だく。
 ハンブルクに泊まったのは、工芸博物館にある聖母子像を見たくて3回ほど空振りしていたからです。ようやく改装が終わって初めての拝観。一眼レフを持って出かけました。駅で簡単に軽食をとり、すぐ側にある博物館へ。ようやく見られた聖母子像をゆっくり写せたのは良いのですが、背景がカラフルなステンドグラスで何とも雰囲気が合わないのです。ここの聖母子像はリーメンシュナイダーの工房作品で、保存状態もよく、気品があります。静かな背景にこそ映えると思うのですが。
  他の展示もあまりピンとくる作品がなく、ホテルに戻って休みました。夕方にはシュヴェービッシュ・ハルで一緒だった亜美さんと待ち合わせをしています。それまでメールのチェックをしました。ヨーラの家ではWiーFiがなく、メールのチェックができなかったので気になっていたのです。インターネットはすぐに繋がり、ホッとしました。階段のことさえ無ければよいホテルです。ヨーラからは、「家に戻ったらモーヤが三津夫がいつ帰ってくるかと玄関で待っていたわ」とメールが届いていました。ちょっと切ない気持ちになりました。   

 4時30分にホテルのロビーで待っていると、35分に亜美さんとパートナーのヤンがやってきました。背の高いヤンと小柄な亜美さん、親しそうです。小雨の中を少し歩きませんかと港まで案内してくれました。彼等は傘をさしません。この港で二人は出逢ったのだそうです。おとなしそうなヤンは中華料理店で食事をしている際に、12月に日本に行くのだけれど、23日にジブリの美術館を見たいのだと話していました。私は確かジブリは予約が大変だと聞いていたので、食後にホテルに戻り、あれこれ調べてみて、11月10日に予約をしておかないと入れないことがわかりました。三津夫もまだ帰国していない日で、「もし友だちに聞いてみて予約ができそうだったら頼んでみるわ」と話してこの日は別れました。こんなことが頼めそうな友だちは、一緒に憲法問題、政治問題の活動をしている松井さんしかいません。早速メールを出してみました。するとローソンで予約するという面倒な用事を快く引き受けてくれたのです。東京は初めてというヤンの事情もあるし、どっちみちチケットの名前を確認してから中に入るという厳しいチェックがあるため、私がヤンと一緒に行くということにして予約をお願いしました。しばらくして松井さんから無事にチケットが取れたとお知らせがあり、ホッとしました。ヤンも亜美さんもとても感謝していました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

72. 世界遺産 ヴィスマール

2017年05月06日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.28


      

                 世界遺産 聖ゲオルグ教会から見た雨のヴィスマール


◆11月5日(土) 雨のヴィスマール 11月4日~5日で6753歩


 今日は三津夫のリクエストでヴィスマールを案内してもらいました。ロストックから比較的近い世界遺産の一つです。雨で結構寒くて冬支度。運転はヨーラで助手席は私が指名を受けました。それは、寒いときには座席が暖まるからでした。男性二人は後部座席。今回、ヘルヴィックと日本語で会話ができたので三津夫は嬉しそうでした。聞けば、昨年娘の漆工房を訪ねたときに十亀(そがめ)さんに漆仕事を見せてもらってから俄然興味を持ち、二人でハンブルクの漆コースで入門編を学び、本を買ってそれが読めるようになりたいと、3月から日本語クラスに通い始めたというのです。その日本語クラスの先生はりえさんという日本人で大分の生まれとか。今はドイツ人と結婚してロストック郊外に住んでいるとのこと。若い人たちと一緒に週に一度の日本語コースに通って、集まれるときには日曜日にも復習会をしているというのです。きっと若い人たちもヨーラやヘルヴィックの熱意に刺激を受けているに違いありません。 

  ヴィスマールでは教会を4つ訪ねました。マリエン教会では教会の建て方がわかる3Dのアニメーションを見、聖ゲオルグ教会ではエレベーターで高い塔に上りました。景色が良ければ良い見晴らしだったことでしょう。次は病院付きの小さなニコライ教会で、珈琲を飲んで一休み。最後は大きなニコライ教会で、10人ぐらいの代表者が集まって何やら会議を開いていました。途中、「豚の橋」があって、橋桁に豚の彫刻があったのが面白くて、写してきました(写真・上)。
 ヨーラはこの日の昼食に、この街で一番古いレストラン「アルター・シュヴェーデ」を予約してくれていました。しかも窓際の特等席。ありがたくご馳走になりましたが食べきれないほどでした。

      

       アルター・シュヴェーデにて ヘルヴィック、ヨーラ、三津夫

  

   帰り道、私が見たいとリクエストした「目玉のある屋根の家」(写真・下)に連れて行ってくれました。ここはヨーラの家を最初に訪ねた2006年5月に連れてきてくれたところで、私はこの屋根がとても印象に残っていたのです。ところが、写真が多分パソコンの故障で見つからなくなって、また撮りに行きたいと思っていたのでした。それなのにこの日、持って来た一眼レフのカードを補充しておくのを忘れて写せず、小さなデジタルカメラは豚の彫刻を写していたころにバッテリーが無くなり、とうとう三津夫のカメラを借りて撮るという残念なことになってしまいました。準備不足を反省。ヨーラの経営する保険事務所の顧客だという方のお城に寄ったり、その近くのレストランで再び夕食をご馳走になったりして、夜遅くなってから家に戻りました。

          

         建物が笑っているように見えませんか?                        二人は日本の着物も用意していました

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

71. ロストックへ

2017年05月05日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.27

 

      ロストック  ヨーラとヘルヴィックの庭  


▼ロストック 11月4日~11月6日(2泊)
  ◆11月4日(金) ロストックの日本大好き一家

 
  ベルリンを8時45分発の列車でロストックに出発。トランクも置けたし、ゆっくり座れたので昨日の日記を書いてから、シャピエさんにいただいたカタログを三津夫と眺めました。

 11時23分にロストック中央駅に到着。ホームに立つヨーラとヘルヴィックの姿がちらっと見えました。ホームに下りたらヨーラが笑顔で走ってきたので嬉しくなりました。そして驚いたのがヘルヴィックの日本語! 発音もきれいで結構会話ができるようになっていたのです。三津夫は大喜びでした。駅の大工事もほとんど終わり、前回訪ねた時よりも落ち着いた雰囲気です。ここで2通目のジャーマンレイルパスのバリデートをしたいこと、ユーロが不足気味なので両替をしたいことを伝えました。窓口に行ってバリデートをお願いしますというと、受付嬢は何をどうしたらよいのかわからないようでした。あまり体験がなかったのでしょう。表に押印しただけで戻してきたので、「2枚目の名前とパスポート番号は自分たちで書いて良いのですか?」とめくって見せたら嫌な顔をして渋々記入してくれました。両替はヨーラがお互いに円と交換しようと申し出てくれたので、両替所には行かずに家に向かいました。
 ヨーラの家に着くと、3匹の猫がお出迎え。私たちをというよりは、ヘルヴィックに餌をもらうためだったのですが。三津夫と、「鼻の頭が白いのはお母さんのフーニー、足に白いソックスをはいているのは息子のゴメス、全体がロシアンブルーで白いところがほとんどないのが娘のモーヤ」と確認しながら頭を撫でて回りました。懐かしい。フーニーは若々しく見えますが、人間の年齢に換算すると既に100歳を超えているとヨーラは言っていました。日本ではもう少し若い計算なのですが。
 少し遅めの昼食を美味しくいただき、食後に珈琲とギモーヴという蜂蜜で作ったお菓子が出ました。以前は珈琲を飲もうとしなかったヨーラも、ちょっと変化してきたようです。ギモーヴは去年日本に来たときに、あきる野のみつばちファームで上垣智弘さんにレシピを教えてもらったものです。とても美味しくできていました。テーブルの上にある四角いお菓子がギモーヴです。

          

      左から: 蜂蜜で作ったギモーヴ、夕食の穴子ずし、モーヤと仲良しの三津夫

      
 お土産を渡した後、コートを羽織って庭の散策。本当にたくさん実のなる木があって、毎回思うけどとても羨ましい。蜜蜂の巣箱が以前は8箱だったのですが、ずいぶん増えていて、数えきれないほど。おしゃべりしたり、猫と遊んだりして、夕食には穴子のお寿司をいただきました。ヨーラの手造りです。「以前よりずっと美味しくなった」と三津夫は言っていました。ご飯の炊き方も、以前は少々水っぽくなっていたのですが、大分日本式になってきたようです。お米は「ゆめにしき」を買っているとのこと。ただ、ヨーラ手造りの生姜のガリが刺激的で咳き込んでしまったところ、「歯磨きをしてからこの銀の水を飲みなさい。鼻も洗うのよ」と持って来てくれました。そういえば、去年我が家に来たときも黒いボトルに銀の水を入れていましたっけ。彼女はやはり魔女のようにいろいろな健康用品を出してきます。ワインと花梨と蜂蜜を混ぜた甘い飲み物を作ってくれたので、それを飲んだら大分喉も落ち着きました。シャワーを浴び、ヨーラの言うとおりにしてからベッドに入ると、すぐに眠りに落ちました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

70. ベルリンのエキサイティングな一日

2017年05月04日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.26

               

          

               ボーデ博物館に行くまでの道ばたのアンペルマン。                ボーデ博物館 博物館島の一番北側に位置します。


  ◆11月3日(木) 忘れられない一日 10320歩

  昨日の寒さに懲りて、冬用の長いダウンコートを引っ張り出しました。足もブーツです。幸い晴れてよい天気。今日はこの二人旅の一番エキサイティングな日。ボーデ博物館でシャピエさんにお目にかかり、収納庫の作品を見せていただくことになっているのです。シュヴェービッシュ・ハルで一緒にドイツ語を学んだ晃一さんも同行します。晃一さんは毎年5月頃と10月頃にベルリンに来て2~3カ月ドイツ語をブラッシュアップしている方です。ちょうどこの日もベルリン滞在中で、晃一さんが通っていたゲーテ校の先生、フラウ・レーのお宅にもお邪魔してリーメンシュナイダーについて語る予定が入っていました。ワクワクするのも無理はありません。
          
  昨日買っておいたチケットに日付を記入し、Sバーンで二駅のハーケッシャー・マルクト駅で下車。何度も訪れたボーデ博物館が近づいてきます。門の前には婦人が一人待っているだけ。そのうち晃一さんも見えて無事に合流、あとは門が開くのを待つばかり。
 10時ちょうどに開門するとすぐにシャピエさんが見えました。私たちがコートやバッグを預けている間に3人分の博物館島フリーチケットを用意してくださっていました。毎回、ありがたいことです。最初に中世彫刻の間に案内してくださって、私が3冊目の写真集を作りたいと思っていること、もしリーメンシュナイダーと同時代の作家の写真集があったら紹介していただけないかと話すと、「ちょっと待っていてください」と、どこかに行ってしまいました。数分後に戻ってきたときには“The Last Gothic Flames”というスペインとベルリンの共同展覧会カタログを手に持っていて、それを私にくださったのです。そのカタログはスペイン語と英語で書かれているもので、リーメンシュナイダーと同時代の作家が出てくるのです。心から感謝。

 その後はデポー(収納庫)に案内してくださり、シュテファンさんと交替。シャピエさんにしっかりお礼を言ってお別れしました。デポーでは私が見たい作品のリストを手に持ったシュテファンさんが次から次へと案内してくださいます。何とたくさんの彫刻があるのでしょうか。しかも皆きれいに番号札が付けられ、並べられています。ここで働いて40年というシュテファンさんの丁寧なお仕事ぶりがうかがえました。彼らが表の展示を支えているということを改めて実感しました。

  私が見たいとリクエストした作品は7点ありました。そのうちの1点は既に第二次世界大戦で失われていたことがシャピエさんのお話でわかりました。残り6点はしっかりと撮影させていただきましたが、帰国してからパソコンで画像を見てみたところ、磔刑像だけはどうもリーメンシュナイダーの手になる作品と違って見えました。あとでシャピエさんにメールでこの作品の情報を問い合わせてみましたが、やはり周辺作家の作品だとわかりました。一方、デポーから展示会場まで出てみると今まで見たことの無いリーメンシュナイダー工房の作品が一点ありました(写真・下)。これはシャピエさんに何も聞いていなかったのと、今までどの本にも載っていなかったので驚きました。
                           

       

   羊飼いの礼拝 1500頃 初めて見た作品です    右2枚はボーデ博物館のデポー


  その後、ボーデ博物館内の同時代の作家作品を写して回り、ようやくお昼過ぎに晃一さんと合流、レストランで軽く昼食をいただきました。その後、せっかくだから少しは回って見ましょうかと、博物館島のノイエ・ギャラリーに向かいました。でも私はやはり足が疲れていたのでざっと見て回り、アルテ・ギャラリーでは荷物番をしてベンチに座り込んでいました。すると晃一さんがアルテ・ギャラリーでどうしても見せたい場所があるのですと、案内してくれました。それは入り口近くにある古い素材を使った壁や柱で、戦争中の傷跡が残ったままなのです。教えていただかなければ知らずに通り過ぎていたでしょう。彼は毎年のようにベルリンに来て、戦争の負の遺産についてよく調べています。教えていただいて良かったと思いました。

 この日はもう一つ大きなイベントがありました。それは、晃一さんがベルリンのゲーテ・インスティテュートでお世話になったレー先生のお宅を訪問することでした。この方は、リーメンシュナイダーに大変興味をお持ちで、一度私に会って話がしたいと晃一さんに伝えていたそうで、私も楽しみにしていたのです。先生のお宅まで地下鉄で少し時間がかかるとのことなので、晃一さんの案内で地下鉄に乗りました。すると意外に接続が良く、早めに駅に着いてしまいました。ここから駅の反対側に広がる大きな林の中を散策。楓の葉の形が種類によって違うことなど、鳥や植物に詳しい晃一さんの話を聞きながら歩きました。三津夫は一生懸命ドングリを探していました。そんな中、ときどきまっすぐ前を向いてさっさと足早に歩いて行く人がいます。晃一さんによると、このようにして長い距離を歩く散歩が好きなドイツ人も結構いるようです。

 駅まで戻って反対側の町に向かうと、先生のお宅は町の中程にありました。10分ほど早めでしたが、ちょうど外に出てこられた先生に招き入れられて、「それからは、まさにズザネ劇場だった」と日記に書いてあります。レー先生はとても表情豊かに話すので、つい引きこまれてしまうのです。けれどもそれ以上にすごかったのはアメリカに住むお友だち、デイビッドさんが訪ねてきてからでした。まるでこの家の主人のように早口でどんどん話すのです。レーさんのお連れ合いと仲良しらしいのですが。お連れ合いのスティーブンさんは後で帰宅し、すぐにお料理を手伝い、食事のサービスをし、ニコニコみんなの話を聞いているのでした。


    

   左からレー先生、デイビッドさん

        

  このとき、私は一体何の話をしていたのやら…?        スティーブンさんと晃一さん。              レー先生の心づくしのご馳走と楽しい時間に、Vielen Dank!!  


 この日の会話はやはり興奮していたのでしょう、何だかすごく楽しく話したということは覚えているのですが、内容はあまり思い出せないのです。多分、リーメンシュナイダーとの出合いや、どんな苦労をして訪ねて回っているかというようなことをあれこれ聞かれてはお答えしたように思います。それにしてもレー先生は魅力的な方で、きっとどの生徒とも出会いを大切にし、楽しんでいる方なのだろうと感じました。お別れするときにデイビッドさんが、「大統領選挙に帰らなければならないけれど…」と言いながら気が重そうに肩をすくめていたのが印象的でした。まさかあの頃はトランプが選ばれてしまうとは思っていなかったのではないでしょうか。(彼もリーメンシュナイダーの大ファンとのことで、晃一さんが私の写真集をレー先生に贈ったところ、彼が続編をアメリカに持ち帰ったそうです。それを見た晃一さん、帰国後に写真集をもうワンセットお送りしたのだそうです。これでアメリカにもベルリンにもリーメンシュナイダーがワンセットずつあるということで、感謝です。晃一さん、高い本なのにありがとうございました。)

  シャピエさん、晃一さん、そしてレー先生ご一家のおかげで、今日は忘れられない一日となりました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Koichi, MATSUMOTO, Midori FUKUDA, Mitsuo FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

69. ベルリンからフュルステンヴァルデへ

2017年05月03日 | 旅行

2016年・ドイツ14回目の旅 No.25


            

        マリエンドームのフランツ・マイトブルクによる作品(フュルステンヴァルデ) 

          

▼ベルリン 11月2日~11月4日(2泊)
  ◆11月2日(水) ここはベルリン? 7784歩

 今日はベルリンへ移動。2時間だけですが朝から疲れるのも嫌で座席を予約しておきました。乗ってみるとチェコから来た古い車両の6人席。一番窓側が私たちの席でした。このボックス型の車両は網棚に大きなトランクも乗せなければなりません。真ん中に座っていた若い男の子が手伝ってくれました。でも、三津夫のは大きくて落ちそうで不安になったため、座席の下に置くことにしてまた下ろすのを手伝ってもらいました。これでようやくみんなホッとした顔になり、手伝ってくれた彼にはエビセンの小パックをお礼にあげました。
 今まで回った場所で見られた作品、見られなかった作品をチェックしていたら「ベルリン」と聞こえたので、あわてて私のトランクを下ろし、二人で下車。でもいつもの明るい大きなベルリンの駅ではないのです。「あれ?」と思って近くにいた車掌さんに「ベルリン中央駅ですか?」と聞くと「ベルリン・ズート・クロイツ」だと教えてくれました。一つ手前だったのです。いけない、いけない、急いで乗り直しました。恥ずかしくて座席に戻ることはしませんでしたけれども。そういえば終点まで乗ると思っていたのにみんなまだ座っているんだなぁとちらっと思ったのでしたが。個人旅の危ないところです。

 本物のベルリン中央駅に到着すると、とても寒いのです。外は冷たい雨。駅のどちら側にホテルがあるのか方向がわからず、しばらく行ったり来たりしてようやくイビスホテルを見付けました。大きな道路を渡るのに少し時間がかかりますが、駅に近くて便利なホテルです。
12時前なのでチェックインできるかどうかと思いましたが、「アコールホテルの会員なら早期チェックインができます」と言われ、カードは持っていないけど会員だったと思うと答えると、メールアドレスから調べがついて、早期チェックインすることができました。今度から古い会員証だけど持って歩こうと思ったことでした。

 大急ぎでお昼用のパンを買い、11時51分の列車に乗ってフュルステンヴァルデに向かいました。ここは思っていたより大きな駅で人通りも多く、活気のある町でした。大通りを通って12~3分歩き、マリエンドームに到着。中に入るとリーメンシュナイダーの弟子、フランツ・マイトブルクの「ビューロー家の司教ディートリッヒの墓碑銘」(写真・上・左)と秘蹟室(写真・右)がありました。ここは入館料もなく、写真も「どうぞ、どうぞ」と言ってくれるおおらかな教会でした。ゆっくり撮影させてもらい、珍しくトイレも付いていたので使わせていただきました。墓碑銘がとても良かったので、「もし、ここの写真を本に載せるとしたら大丈夫ですか」と確認すると「どうしてだめなはずがありますか!」と満面の笑顔。心温まる対応に、これは三津夫が言うような3冊目の本を作るしかないかなと覚悟が決まったのでした。

  3時頃、ホテルに戻ってきました。一休みして荷物を出し、夕方駅まで買い出しに出ました。明日使うSバーンの一日券(7ユーロ)を2枚、果物、ビール、パックの寿司、海藻サラダ。部屋に帰ってみたら海藻サラダがありません。レシートには書いてあるのに。これからはちゃんとその場で確かめないといけないと反省しました。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

68. アンナベルク・ブッフホルツ

2017年05月02日 | 旅行

 2016年・ドイツ14回目の旅 No.32


      

   聖アンナ教会にあるフランツ・マイトブルクの100枚のレリーフ(アンナベルク・ブッフホルツ)

 

◆11月1日(火) 今日も5割…  15500歩

  今日はアンナベルクーブッフホルツ・ウンタラーバーンホフという駅まで地方の列車で出かけるのですが、バイエルンチケットのようなこの州のチケットがいいのか、単に往復切符を買った方が良いのか迷ったあげく、窓口が混んでいたため州のチケットを買ってしまいました。それなのに乗ったのは7時53分の列車です。ここで気が付いた読者の方は相当ドイツの旅に慣れていらっしゃいますね。そう、州のチケットは午前9時からでないと使えなかったのです。私はすっかりそれを忘れていて、9時少し前に検札に引っかかり、思いだした次第。まぁ、ごまかそうとしていなかったことは私の顔を見ればわかってくれたのでしょう、少し前の駅までの切符を二人分買い足すということで許してもらうことができました。普段有効開始時間を気にしていた私なのに失敗、失敗。
 フローア駅で乗り換えてから、窓の外には森や小川が続きます。その流れが清らかで心安まる景色でした。ドレスデンから約2時間かけて着いたアンナベルクーブッフホルツ・ウンタラーバーンホフの駅舎は古くて3階建てでしたが現在は使われていませんでした。駅前から左方向へ丘に上っていく小道が続き、坂をぐんぐん上がると多くの人が集まっているマルクト広場が出てきました。今日は市が立つ日のようです。その少し奥に高い教会の尖塔が見えます。これが聖アンナ教会です。
 中に入ると一人3ユーロ、写真を写すのなら更に4ユーロと言われました。教会の入館料相場から見て大分高い金額設定です。仕方なく三津夫にはがまんしてもらって私だけ撮影シールをもらいました。最初に杖をついた初老の男性が案内がてら祭壇の裏側の絵について説明してくれたところでは、この地は銀山があり、その銀でコインを鋳造したことで豊かになったという歴史が描かれているのだそうです。私がこの教会で見たかったのはリーメンシュナイダーの弟子、フランツ・マイトブルクによる100枚のレリーフです。ギャラリーの欄干というのでしょうか、回りをぐるっと囲んでレリーフがあるのですが、柱の陰やら入場制限の縄を張られているところの前と後ろがあって、なかなか全体を写すのは至難の業。それで動画でぐるりと写してきましたが、やはり時間をかけてでも1枚1枚しっかりと写してきたかったなと思います。そんな中の比較的写しやすかった2枚を上に載せておきます。下の写真・左は教会の天井です。素敵でした。


          



  教会を出てマルクト広場で三津夫がカレー・ヴルストを食べたことがないからと注文。私は「美味しくないよ」と言ったのですが、本人が味わってみるしかありません。結果、やはり美味しくなかったそうです。もし日本でカレーソースを付けたソーセージを売り出せば、もっともっと美味しくなると思うのですけれども。

  坂道を下り、列車に乗ってドレスデンに帰り着いたのが午後2時過ぎ。ホテルの部屋に戻って用事を済ませ、再び2時30分の列車で今度はマイセンに向かいました。マイセン・アルトシュタット駅まではSバーン(近郊鉄道)で36分。下りてから旧市街までは600メートルほど歩きます。迷わずに行けたのは良いのですが、開館しているはずのマイセン市立美術館が何故か閉まっているのです。張り紙に「展示替えのため閉館」と書いてありました。ホームページで見たはずなのに見おとしたのかもしれません。残念です。ここにはペーター・デル(父)作の「レーゲンスブルクの美しいマリア」という彫刻があるのです。またしてもペーター・デル(父)! どうも私は彼からよほど嫌われてしまったようです。
  隣にあるフラウエン教会で祭壇を見て、町の奥に見える大きなドームにせっかくだから行ってみようと三津夫が言うので歩き始めました。見事な赤い蔦の絡まる家々を通り過ぎてドームに入ると「閉館5分前なので入場料は要らないから急いで見てきなさい」と言ってもらえたのがちょっと嬉しいサービスでした。

                                  

 ※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA                                    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする