次に行ったのは神辺町八尋の葛原家。
八尋村の庄屋の家で1812年に生まれた葛原勾当は、3歳の時に天然痘の為に失明し
たが、後に筝曲の教授を受け16歳からは自ら弟子の稽古に当たるようになり、やがて
琴の名手になったのだそうだ。
又、16歳頃から母親の代筆で日記をつけ始め、26歳からは自ら考え出した木活字の
印刷道具を使って日々の出来事や和歌などを、1882年に71歳で病没するまで46年
にわたって記録したという。
この“葛原勾当日記”は太宰治の小説に取り上げられた事で有名で、
印刷道具も1937年に来日したヘレン・ケラーが“東洋のタイプライター”と称して激賞し
たそうだが、これらの日記帳・印刷用具一式・三味線稽古墨筆記録などは現在広島県
重要文化財に指定されている。
(葛原家→拡大)
母屋では、琴の稽古が行われていた。背後に見えるのは孫の葛原しげるらしい。
葛原しげる(1886~1961年)は、葛原勾当の孫で、教育者であり童謡詩人。
作詞した童謡は4000篇とも言われ「夕日」「とんび」などが有名で、全国の
学校の校歌の作詞や、宮城道夫の曲の作詞をした事でも知られているそうだ。
どうも芸術家の一家だったらしい。 無芸な私としては感嘆するのみだった!
八尋村の庄屋の家で1812年に生まれた葛原勾当は、3歳の時に天然痘の為に失明し
たが、後に筝曲の教授を受け16歳からは自ら弟子の稽古に当たるようになり、やがて
琴の名手になったのだそうだ。
又、16歳頃から母親の代筆で日記をつけ始め、26歳からは自ら考え出した木活字の
印刷道具を使って日々の出来事や和歌などを、1882年に71歳で病没するまで46年
にわたって記録したという。
この“葛原勾当日記”は太宰治の小説に取り上げられた事で有名で、
印刷道具も1937年に来日したヘレン・ケラーが“東洋のタイプライター”と称して激賞し
たそうだが、これらの日記帳・印刷用具一式・三味線稽古墨筆記録などは現在広島県
重要文化財に指定されている。
(葛原家→拡大)
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母屋では、琴の稽古が行われていた。背後に見えるのは孫の葛原しげるらしい。
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葛原しげる(1886~1961年)は、葛原勾当の孫で、教育者であり童謡詩人。
作詞した童謡は4000篇とも言われ「夕日」「とんび」などが有名で、全国の
学校の校歌の作詞や、宮城道夫の曲の作詞をした事でも知られているそうだ。
どうも芸術家の一家だったらしい。 無芸な私としては感嘆するのみだった!
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でも写真を拝見して、こんないい天気の日に昔を訪ねるって、いいでしょうね。
今日のような、どんより、寒い日には私には外にでる気も起きないんですよ、困ったものです。
しかし、少々寒い日でも歩いていると温まるので炬燵は要らず、間食もしないので健康にも良く、
その上色々訪ね歩くと好奇心も満足させてくれるので良い事ずくめですよ!