里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

道後温泉

2011年11月02日 | 歴 史

家内に誘われて、道後の古湧園で食事をして温泉に入るというバスツアーに参加した。
時間がないので温泉もそこそこにして、周辺を1日楽しく散策させて貰った!

道後温泉本館
明治27年(1894年)に、伊佐庭(いさにわ)町長が反対を押し切って改築を終え現在に至る温泉共同浴場。
又、伊佐庭町長は松山港から道後へ至る鉄道も走らせ、今日の道後の繁栄の基礎を築いた。
太鼓で時を知らせる振鷺閣、日本で唯一の皇室専用浴室又新殿、夏目漱石ゆかりの資料の置かれた部屋坊っちゃんの間などがあり、1994年には国の重要文化財に指定された。
道後温泉本館周辺の旅館・ホテル群

周辺には大きな旅館やホテルが林立し、年間で600万人近い観光客が訪れ、人口約51万人の松山市の重要な観光収入になっている。
湯神社
道後温泉本館のすぐ南の丘の上にある神社で、祭神は大己貴命少彦名命の二神。
元は鶯谷に祀られていたが地震で温泉が埋没した際に、現在の冠山の出雲岡神社の祭神(須佐之男命と稲田姫命)が祀られている境内に移され、いつしか合祀して四社大明神と呼ばれるようになった。 温泉は、地震などで今までに十数回湧出が止まったといわれ、その度に神楽を奉納して祈願したり、感謝の祭礼をしたと言われている。
中嶋神社
祭神は田道間守命で、四国四県の製菓業者が昭和32年に但馬国出石郡の中嶋神社から御分神を迎え、菓祖中嶋神社四国分社として創祀。
田道間守命は、垂仁天皇の勅命を受け非時香菓(今の橘)を求て新羅に渡り10年を費やしたが、帰ってみると天皇は既に亡くなっており、非常に悲しんだ挙句陵前で悶死した。
時の景行天皇はそれを憐み垂仁天皇の陵側に葬ったが、田道間守命は爾来菓祖として信仰されている。
伊佐爾波神社
祭神は、応神天皇仲哀天皇神功皇后三柱姫大神(杵島姫尊、湍津姫尊、田心姫尊)。
社伝によると、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれた。
当神社は河野氏が湯築城の鎮守として今の地に移したと言われ、その後加藤嘉明が松山城武運長久祈願の一番社に定めた。

神社の造りは、楼門の下から左右に伸びた回廊が本殿の四囲を取り囲むようになっている珍しい形だ。
回廊を回ってみると、切妻造の建物が前後に二棟並んでいる。
こういう造りを八幡造といい、前の建物を外殿、後ろの建物を内殿と呼ぶのだそうだ。
子規記念博物館湯築城跡

左側の建屋が子規記念博物館で、その右の小高い丘が湯築城跡だ。
子規記念博物館
「子規とその時代」など3つのコーナーで彼の世界を再現しているのだそうで、特に子規と夏目漱石の交友については、2人の書簡などの展示で詳しく紹介しているという。
建屋には、
猫老いて 鼠もとらず 置火燵
の垂れ幕が下がっていたが、痛いところを突かれたようで後ろめたい!
湯釜薬師
湯釜は温泉の円筒形石造湧出口で、奈良時代の天平勝宝年間(749~757年)につくられたと伝えられ、現在の道後温泉本館ができた明治27年まで前の温泉場で使われていた日本最古の物。
湯釜を温泉の守護仏として祀り、毎年湯釜薬師祭が行われる。 湯釜上部の宝珠の「南無阿弥陀仏」の名号は、河野通有の依頼で一遍上人が刻んだと言われている。
湯築城跡の展望台
この地は元は伊佐庭岡と呼ばれ、聖徳太子が道後温泉碑を建てられた場所で、建武年間(1334~1338年)に河野通盛が城を構え約250年間存続した平山城。 その後天正13年(1585年)に秀吉の命を受けた小早川隆景に攻撃されて河野通直は降伏し、やがて加藤嘉明が松山城築城に際し礎石を運び去った為に廃城となった。
通盛の祖先には、12世紀末の源平合戦で水軍を率いて活躍した通信や13世紀後半の蒙古襲来の際に活躍した通有がいる。
展望台から西に松山城が小さく見える。
松山城は、関ヶ原の戦功により加藤嘉明が20万石に加増され慶長7年(1602年)に築城に着手するも、完成前の寛永4年(1627年)に会津藩へ転封となる。 その後、藩主が蒲生忠知、加藤泰興に代わったが、寛永12年(1635年)松平定行が15万石の藩主となり、以降は明治維新まで四国の親藩として235年間続いた。
展望台の直ぐ北には、ホテル群の手前に僅かに道後温泉本館が見える
放生園
建武年間に伊佐爾波神社が現在の場所へ移された時、境内の御手洗川の引水を湛えて造られたのが放生池で、現在は埋め立てられてこの公園になっている。 明治24年~昭和29年に道後温泉で使用された湯釜があり、現在は足湯として利用されているが、「傷ついた一羽の白鷺が温泉で傷を癒したのが道後温泉の始まり」という伝説に基づく白鷺の足跡の残った鷺石がある。
その他に坊っちゃんカラクリ時計もつくられている。
カラクリ時計は、1時間おきにカラクリが動く仕組みになっていて、
先ず2階の屋根が持ち上がって道後温泉本館の振鷺閣を模した櫓が現れて太鼓打ち鳴らし、文字盤にマドンナが現れる。
次に、マドンナの横手から「坊っちゃん」に登場する人物が現れ、
更に1階部分も持ち上がってその下に入浴客が現れ、1階部分にも坊っちゃんなどが現れる。

見物客も多く、人気が高いらしい!
最後は定番のお買いもので、帰り道の菓子処でお菓子を買った。
爺婆総勢74名、松山市の売り上げにシッカリ協力したようだ!?




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