里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

川越、喜多院(1)

2007年11月09日 | 神 仏
(11月5日)
新潟からの帰りに、久しぶりに上尾に住む義妹の家に泊まり、川越の市内観光に連
れて行って貰った。

観光案内を見ると先ず目に付くのが太田道灌の文字だ。
関東管領扇谷上杉持朝の家臣だったそうで、1457年に川越城を築いたと言う。
現在でも人気が高いらしく、市役所前には太田道灌像が建てられ、北の方には道灌
橋まで造られている。 その他にも氷川神社の例祭に太田道灌の山車が登場するが
29台ある内で最も大きいと言う。  残念ながら今回は全てパスした。

次に目に付いたのが“小江戸川越”。
何て事は無い、日本の各地にある“小京都”の江戸バージョンと言う事らしい。
その由来は、徳川家康が江戸の北を守る重要地として位置づけ、親藩や譜代の有力
大名を配置して来た事からも窺える。

例えば喜多院。

天台宗の寺院で、1599年に27世を継いだ天海僧正が徳川家康の厚い信任を得
ていた事から大いに栄え、1638年の火災(山門以外は全部消失)に際しては、
家光の命を受け江戸城の別殿を移築して、書院、庫裏に当てたほどだと言う。
因みに、家光誕生の間を客殿に、春日局化粧の間を書院に当てたそうだが、いずれ
も撮影禁止だった。

ここでは珍しい出会い(?)があった。客殿に面した庭の作者が小堀遠州だと言う。
この小堀遠州、備中松山城主(現在の岡山県高梁市)だった人で城下にある頼久寺
や岡山県矢掛町の大通寺の庭園を作った事は知っていたが、大名茶人にして徳川将
軍家の茶道指南役であると共に、桂離宮、仙洞御所、二条城、名古屋城などの建築
や造園を手がけた大物とは知らなかった。
山門拝殿
拝殿(左)から客殿などへの渡り廊下小堀遠州作「曲水の庭」



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2 コメント

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旅をなさいましたので御座いますか (moonムーン)
2007-11-10 09:50:12
お早う御座います。
素敵な旅をなさいました様で御座いますね。
川越は幾度かその昔でかけました。
お写真もお綺麗で御座いますね。
又gooにも開業いたしました。
以前のは、開く事が出来ませず。
あらためて開業致しました。
お暇な時にどうぞ雑然と致しておりますが
「月と夢と花」ブログネームで御座います。
返信する
出不精 (仙人)
2007-11-10 21:35:56
今までは犬を飼っていたのでどこにも行く事ができず、つい出不精になってしまいました。

その愛犬も亡くなってしまった所へ、孫のお誕生日会をすると言うので、やっとこさ重い腰をあげました。
お陰で不義理をしていた親戚にも、幾らか面目を施す事が出来ました。
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