老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

人物評価

2010-09-01 12:00:37 | 民主党政権
人物評価については、それこそ百家争鳴であり、確とした基準がない。サラリーマンの一番の楽しみが、一杯やりながらの上司の人物評価だというのも、人物評価する事自体が自らの理想の人物を語る事になり、自分もそのような人物でありたいという願望を語る事の裏返しになるからでもある。

何故それほど「人物評価」が人々の関心を引くかと言えば、誰でも経験するように、仕事と人間性が分かちがたく結びついているからである。特に上司の人間性は部下に多大の影響を与える。上司が好き嫌いの激しい人物だった場合、その影響は甚大。上司とウマが合えば良いが、ウマが合わない場合、出社する事自体が苦痛になる事もある。上司が上昇志向と権力欲の塊のような人物だった場合、部下はそれこそ仕事に追いまわされ、常に成果を上げる事を求められる。「失敗」が許されない緊張感は、まさにストレスそのものになる。

このように「人物論」が人々の関心を引きつけてやまないのは、人々が「仕事」と「人間性」が分かちがたく結びついており、「人間性」が仕事の成否を左右する事を経験的に知っているからである。だから、「言葉」が大切になる。毎日毎日顔を突き合わせている職場での人間関係では、顔の表情一つ、歩き方、雰囲気でその人間の考えている事まで推察できる。だからこそ、「言葉」と「行動」の整合性が厳しく問われる。その場しのぎの「言葉」では、周りの信頼を勝ち取る事はできない。

営業の人間に「外回りは大変ですね」という言葉をかける事は誰にでもできる。しかし、汗だくになって帰社した人間に、さりげなく冷たいものを差し出す事はできるようでなかなかできない。「言葉」と「行動」の整合性とはこのような些細な日常での営みが築き上げるものであろう。まさに「神は細部に宿る」のである。

まして、一国の宰相ともなれば、その人間性そのものが、国の運命を決める事もある。首相の人物=人間性そのものが、厳しく問われるのもやむをえない。しかし、その人物論たるや、これまた「百家争鳴」。結局は好き嫌いの次元を超えていない議論が多い。現在のように、メディアが当為(企み=意図)を持って人物評価をしている場合、その評価には相当のバイアスがかかっていると考えなければならない。

先日、ネットサーフィンをしていたら、きわめて面白い人物評価の見方に出会った。筆者は、板垣英憲。彼のブログは、眉に唾をつけて読まなければならないものもあるが、今回の彼の紹介している人物論の基準は、きわめて興味深い。

・・・・・・・・・
中国・明末の碩学、思想家だった政治家・呂新吾が、著書『呻吟語』のなかで、「大臣」を六等分してみせている。・・経済雑誌「財界」の元副主幹を経て評論家に転身して活躍した伊藤肇さんは、著書「現代の帝王学」において、『呻吟語』に基づき、「大臣にも一等から六等まである」という項を設けて、詳しく解説している。・・・という前置きから、以下のように一等から六等まで以下のように解説している。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆第1等の人物は「寛厚深沈。遠識兼照。福ヲ無形ニ造シ、禍ヲ未然ニ消シ、智名勇功ナクシテ、天下、陰ニソノ賜ヲ受ク」
 (全く私心がなく、作為というものがない。あたかも、人間が日光に浴し、空気を吸い、水を飲みながら、これを意識しないと同じように、何となしに人々を幸福にし、禍はいまだ来らざるうちに決してしまう。といって「頭がすごく切れる」とか、「勇気がある人だ」とかいう評判とか、「大変な手柄をたてた」とかいうようなこともなく、知らず知らずのうちに人民がそのお陰を受ける。とにかく、いるかいないのか、わからぬような存在でも、人民は無事太平を楽しんでおられる。こういう大臣が第1等には違いないが、なかなか、そんな人物は得られない)

◆第2等の人物は「剛明、事ニ任ジ、慷慨敢テ言イ、国ヲ愛スルコト家ノ如ク、時ヲ憂ウルコト病ノ如クニシテ、太(はなは)ダ鋒芒ヲ露(あらわ)スコト免レズ。得失、相半バス」
(いかにもしっかりしていて、テキパキと問題に取り組んでいく。剛直、直言、まっすぐに堂々と本当のことが議論できる。したがって、やや叡智や気概が露出して、時には物議をかもしたり、反発、抵抗を招く。しかし、いかなる障害があろうとも、敢然と主張すべきは主張し、やるべきことはビシビシやってのける)

◆第3等の人物は「安静、時ニ逐(お)イ、動(やや)モスレバ故事ニ循(したが)ッテ、利モ興ス能ワズ。害モ除ク能ワズ」
 (ひたすら、事なかれ主義である。悪いことはもちろんやらぬが、さりとて善も進んでやらない、安全第1主義の人間、面白味はないが、安全なことは確かである)
 大半の政治家、大臣が、珍香も炊かず・・・の安全第一主義者だ。

◆第4等の人物は「禄ヲ持シ、望ヲ養イ、身ヲ保チ、寵ヲ固メ、国家ノ安危モ略(ほぼ)、懐(こころ)ニ介セズ」
 (特に私利私欲をほしいままにして悪いことをするというのではないが、とにかく、自分の地位、身分、俸禄を守るのに汲々としている人物。「国家ノ安危モ略(ほぼ)、懐(こころ)ニ介セズ」は、口では天下だの、人民だのというけれど、実際は、自分のことしか頭にない。しかし、進んで悪いことをしないのが唯一の取柄である)

◆第5等の人物は「功を貪り、衅(きん=ちぬる、あらそい)ヲ啓キ、寵ヲ怙(たの)ミ、威ヲ張リ、是ニ愎(もと)リ、情ニ任セ、国政ヲ撓他(どうらん)ス」
 (権勢に乗じて、野望を逞しくし、自分に組する人間だけを用い、そうでない人間を排斥する。我欲、私心の塊で、公儀を無視し、国政を乱してはばからない)

◆第6等の人物は「奸険、凶淫、煽虐、肆毒(しどく)、善類ヲ賊傷シ、国家ノ命脈ヲ断ジ、四海ノ人望ヲ失ウ」
 (野望をほしいままにし、天下に動乱を起す破壊的人物。これが最下等の大臣である)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/ce2fd1a7985f805ac808a1e48b572e2c

この基準を適用して政治家を見ると、かなりはっきり政治家の資質が見えてくる。メディアで誰が首相に適任かを論議するなら、せめてこの程度の基準を明確にして、論じてほしいものである。ちなみに、筆者の板垣氏は、小沢一郎を二等の人物、菅直人や仙石などを五等の人物と断じているが、皆さんの小沢・菅の評価はいかがでしょうか。

「護憲+BBS」「政権ウォッチング」より
流水
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする